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平成27年10月29日

東京大学
科学技術振興機構(JST)

革新的磁気メモリ材料の発見
~世界で初めて反強磁性体での異常ホール効果を観測~

ポイント

コンピュータやスマートフォンに通常使われている揮発性メモリは、電力を供給しないと情報を保持できないため消費電力が大きいという欠点があり、記憶保持に電力を必要としない不揮発性メモリの開発が行われています。磁性材料を用いた不揮発性メモリ「磁気メモリ」は実用段階にきていますが、記憶素子の材料として強磁性体注1)というスピンの向きが揃った、言わば小さな磁石を使っているため、記憶素子同士の磁気的な干渉などにより、高密度化に限界があるという問題が実用化促進のうえで大きなハードルとなっています。

今回、東京大学 物性研究所の中辻 知 准教授らの研究グループはマンガン化合物MnSnにおいて、これまで強磁性体でしか発現しないとされてきた異常ホール効果(図1)を、世界で初めてスピンが反対向きに揃う反強磁性体で、しかも室温以上の温度で自発的な巨大異常ホール効果として見出しました。異常ホール効果を利用した記憶素子として反強磁性体を利用することにより、高密度化・高速化が可能となるだけでなく、メモリの動作原理に関する革新的な進展が期待されます。また、ホール効果を用いるため素子構造の顕著な単純化が可能であること、このマンガン化合物は全く廉価で毒性のない元素で構成されていること、非常に容易な結晶育成が出来ることなど、実用材料としての好条件が揃っていることから、今後の研究開発の急速な展開が期待されます。

なお、本研究は、JST 戦略的創造研究推進事業 個人型研究(さきがけ)の「新物質科学と元素戦略」研究領域(研究総括:細野 秀雄 東京工業大学 フロンティア研究センター/応用セラミックス研究所 教授)における研究課題「スピンのナノ立体構造制御による革新的電子機能物質の創製」(研究代表者:中辻 知)の一環として行われました。また、日本学術振興会の戦略的国際研究交流推進事業「頭脳循環を加速する戦略的国際研究ネットワーク推進プログラム」における事業課題「新奇量子物質が生み出すトポロジカル現象の先導的研究ネットワーク」(主担当者:瀧川 仁 東京大学 物性研究所 所長)の助成を通して、海外の研究者との交流により研究指針を展開させていった中で得られたものです。

<発表内容>

コンピュータやスマートフォンに通常使われているメモリは、電源オフで記憶情報が失われてしまう揮発性であるため、情報を保持するには電力供給を必要とし消費電力が大きいという欠点があります。そのため、電源オフ状態でも記憶情報が失われない不揮発性メモリの開発が行われており、磁性材料を用いた不揮発性メモリ「磁気メモリ」も実用段階にきています。しかしながら、記憶素子の材料として強磁性体というスピンの向きが揃った、言わば小さな磁石を使っているため、高密度化のためにお互いが近づくにつれ、記憶素子同士の磁気的な干渉が起こることや、スピンの揃いが保てなくなるなど、高密度化に限界があるという問題が実用化促進のうえで大きなハードルとなっています。

一方、記憶情報の読み出し方法としては、強磁性体層—絶縁体層—強磁性体層の3層構造の間の抵抗変化を読み取る方法をとっていますが、構造的に単純な単層で作動し電力の散逸を軽減できるホール効果を利用する方法もあります。ホール効果(図1)とは、物質中に電流として流れる電子が磁場を感じることによって、電流方向と垂直な方向に電圧が生じる現象で、100年以上も前の19世紀後半に発見されています。更に、強磁性体では揃ったスピンが物質内部に磁場を作るため、外から磁場をかけなくてもホール効果が自発的に現れる物質があり、これは異常ホール効果と呼ばれています。しかし、この異常ホール効果で生じる電圧はメモリ素子として利用するには比較的小さかったために、実用的な開発はほとんどされてきませんでした。

最近になり、スピン同士が反平行や、幾つかのスピンで互いに打ち消し合う配置をとる反強磁性体でも、異常ホール効果が起こる可能性が理論的に示唆されてきました。この反強磁性体ではスピン同士が打ち消し合う配置をとるため、スピンが全体で作り出す磁場(磁化)がほとんどなく、強磁性体で問題となっていた漏れ磁場による素子間で干渉する問題は全くなく、強磁性体に比べて高密度化を飛躍的に進めることができます。また、反強磁性体は一般に強磁性体よりも3桁以上の速い動作性能を示すため高速化にも繋がります。しかしながら、これまで反強磁性体での自発的異常ホール効果を示す物質は見つかっていませんでした。

<研究内容>

東京大学 物性研究所の中辻 知 准教授らの研究グループは、これまでも非常に低い温度ではあるが磁気秩序注1)なしに自発的に現れるホール効果を示す物質の発見や、その機構解明につながるような学術的な成果を上げてきました。今回、その一連の物質探索の中で、マンガンとスズの化合物であるMnSnが、反強磁性体でありながら室温で自発的な巨大異常ホール効果を示すことを世界で初めて発見しました。この自発的異常ホール効果によるホール抵抗率は、金属でありながら室温で50nmの薄膜において1オームを凌ぐ値であり、実用材料として有効と考えられます図2a)。

MnSnはカゴメ格子と呼ばれる結晶構造(図3a、図3b)をとり、磁性イオンであるマンガンは正三角形の頂点を占める位置をとります。このとき、スピンがお互いに反対方向を向こうする力(反強磁性相互作用)が働くと、三角形の3つの頂点の間でその力が拮抗し、最終的にはお互いに120度だけ傾いた状態で安定になります注2)。但し、スピンの向きの取り方には幾つかの種類があり、MnSnでは、図3cに示すようなスピン配置をとります。このようにスピンがお互いにキャンセルするような配置をとりますが、外から磁場をかけると僅かに磁化が観測されます。この値は1つのマンガン元素あたり数ミリμという値で、一般的な強磁性体の1000分の1に相当するような非常に小さな磁化です。それにもかかわらず、磁化測定の結果では、数百ガウスという比較的小さい磁場によってこの非常に小さい値の磁化の反転が見られ(図2b)、それに伴いホール効果の電圧の正負が反転することも観測されました。このMnSnにおける自発的異常ホール効果は、反強磁性転移温度である160℃の高温まで特性を示すことも確認されました。

<社会的意義・今後の予定など>

今回の発見は、これまでの磁気メモリ開発の常識を覆す革新的な成果と言えます。加えて、MnSnは非常に安定な物質で、比較的簡便な方法で物質合成が可能であり、さらに安価で毒性の無い元素で構成されているなど、実用材料として優れた特性を兼ね備えていることから、今後実用化を目指した研究開発が急速に進んでいくことが期待されます。今後の課題としては、磁気メモリ素子の書き込み動作として、磁気構造の反転をもたらすスピン注入磁化反転注3)の適用の可能性について研究を進めていく必要があり、これが可能となれば更に実用化の道が見えてくることになります。

自発的異常ホール効果が現れる機構については、学術的にも大変興味がもたれているテーマとなっています。MnSnのスピンの構造はキラリティ注4)を有しており、これに起因する電子構造のトポロジカルな性質注5)が自発的異常ホール効果の機構に関与していることが理論的に提案されており、今後その機構解明に向けた研究も行っていく予定です。

<参考図>

図1 ホール効果(a)と自発磁化を持つ場合の異常ホール効果(b)と持たない異常ホール効果(c)

強磁性体における異常ホール効果では、自発磁化の発生とともにゼロ磁場でホール効果が自発的に現れる。スピンの秩序を伴わずゼロ磁場の自発磁化のない状態においてもホール効果が自発的に現れる。この場合、電子の運動を曲げる要因となる仮想的な内部磁場は、スピンキラリティの秩序化によってもたらされると考えられる。

図2 ホール抵抗率と磁化の磁場変化

温度が200K(-73℃)300K(27℃)400K(127℃)での測定結果で、磁場がゼロのときホール抵抗率が有限な値を持ち、自発的な異常ホール効果を示すことがわかる(a)。また、磁場が数百ガウスの値でホール抵抗率と磁化の符号が反転している(b)。

図3 MnSnの結晶構造(a,b)と磁気構造(c)

マンガンMnは正三角形の頂点に位置し、Mnのスピンは正三角形の一辺に沿って配置されておりお互いは120度ずれている。

<用語解説>

注1) 磁性体・磁気秩序・強磁性体
磁性体とは、内部に各電子の回転運動に起因した微小な磁石(スピン)を有する物質である。通常冷却すると、巨視的な数の電子スピンが何らかのパターンで整列する磁気秩序を示す。主として、磁石としての巨視的な磁化を示す鉄・コバルト・ニッケルなどの強磁性体、磁化が内部で打ち消されている反強磁性体、スピンが秩序化しない常磁性体などに分類される。
注2) 幾何学的フラストレーション

図

右図は正三角形の頂点上にある矢印が電子スピンを表す。矢印は上下の向きを取れるとして、隣り合うスピンは必ず反対向き(反強磁性的)にしかとれないとすると、どうしても配列が一つにさだまらず、スピンはフラストレーションを感じる。このように、三角形を基調とした構造を持つ磁性体は、その構造ゆえにすべてのスピン対に好まれる関係を完全には充足できない。このことを幾何学的フラストレーションと呼ぶ。MnSnの構造である、三角形をベースとしたカゴメ格子は、幾何学的フラストレーションが現れる典型的な格子である。
注3) スピン注入磁化反転
電子スピンの方向が偏った電流を磁性体に流すことで、磁性体中の磁化方向が変化する現象のこと。
注4) スピンキラリティ
電子のスピンは向きを持っているが、物質中で近接する3つの電子スピンが非線形構造をとる場合、スピンキラリティを有する。その符号は、最近接の3つのスピンを順番にたどりもとに戻る回転運動をした際、それと同じ方向にスピンが回転する場合を正、反対に回転する場合を負と定義する。
注5) 電子構造のトポロジカルな性質
物質の表す性質が、物質の中の電子の状態のトポロジカル(位相幾何学的)な性質によって決まる場合があるという、それまでにない物性科学の概念が最近生み出された。2005年に内部は電気を全く通さない絶縁体であるのに、表面は金属的な電気伝導を示す「トポロジカル絶縁体」が予言された後実際に発見された。

<発表雑誌>

雑誌名 Nature
論文タイトル Large anomalous Hall effect in a non-collinear antiferromagnet at room temperature
著者名 Satoru Nakatsuji (責任著者), Naoki Kiyohara, Tomoya Higo
doi 10.1038/nature15723

<お問い合わせ先>

<研究に関すること>

東京大学 物性研究所 特任研究員 鈴木 博之
Tel:04-7136-3435
E-mail:

<JST事業に関すること>

科学技術振興機構 戦略研究推進部 グリーンイノベーショングループ
鈴木 ソフィア沙織
Tel:03-3512-3531 Fax:03-3222-2066
E-mail:

<報道担当>

東京大学 物性研究所 総務係
主査 中村 正俊
Tel:04-7136-3590

科学技術振興機構 広報課
Tel:03-5214-8404 Fax:03-5214-8432
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