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平成27年5月27日

科学技術振興機構(JST)
東京大学 大学院工学系研究科
理化学研究所

水銀・ストロンチウム光格子時計の高精度直接比較に成功
~次世代時間標準に向けて「光格子時計」の優位性を示す~

ポイント

JST 戦略的創造研究推進事業において、東京大学 大学院工学系研究科の香取 秀俊 教授(理化学研究所 主任研究員)、大前 宣昭 特任研究員らは、水銀原子を用いた光格子時計注1)を新たに開発し、研究グループが先行して開発した世界最高精度を持つ低温動作ストロンチウム光格子時計と直接比較し、現在の「秒」の定義の実現精度を超える周波数を計測することに成功しました。

光格子時計は、次世代の「秒」の定義の有力候補として世界中で盛んに研究されています。光格子時計の精度向上を阻む困難の1つは、原子の周辺環境から放射される電磁波(黒体輻射注2))が「原子の振り子」の振動数を変化させてしまうことでした。

研究グループは、これまで光格子時計に用いられてきたストロンチウムやイッテルビウム注3)原子に比べて、黒体輻射の影響を受けにくい水銀原子を用いた光格子時計を開発してきました。今回、紫外レーザーの長期安定動作技術を確立したことにより、セシウム原子時計の精度を上回る水銀光格子時計を初めて実現しました。

異種の原子を用いた光格子時計同士を直接比較し、その周波数比を現行の「秒」の定義を超える精度で決定することは、光格子時計による次世代時間標準の確立のための重要なプロセスです。一方、この周波数比は、物理定数の1つである微細構造定数注4)の恒常性の実験的検証を可能にし、新たな基礎物理学的知見をもたらすことが期待されます。

本研究は、内閣府 最先端研究開発支援プログラムおよび文部科学省 先端光量子科学アライアンスにより一部支援を受けて行われました。

本研究成果は、米国物理学会誌「Physical Review Letters」のオンライン版に近日中に公開されます。

本成果は、以下の事業・研究プロジェクトによって得られました。

戦略的創造研究推進事業 総括実施型研究(ERATO)

研究プロジェクト 「香取創造時空間プロジェクト」
研究総括 香取 秀俊(東京大学 大学院工学系研究科 教授、理化学研究所 香取量子計測研究室 主任研究員)
研究期間 平成22年10月~平成28年3月

極低温原子操作、量子制御技術、最先端のレーザー制御技術の高度化により、セシウム原子時計の精度を陵駕する、新しい原理の原子時計「光格子時計」の実現を目的としています。

<研究の背景と経緯>

原子時計開発の核心は、正確に時を刻む「原子の振り子」を準備し、その振動数を高精度に測定することです。この測定精度が原子時計の精度と等しくなります。現在の「秒」は、セシウム原子に固有のマイクロ波周波数(およそ9.2GHz)をもとに定義され、これに基づく国際原子時はおよそ1×10-15(3000万年に1秒のずれに相当)の精度で、全世界で共有されています。

単位時間あたりに計測できる振動数が大きいほど、「原子の振り子」の測定精度を上げられることから、現在の「秒」を定義するセシウム原子時計のマイクロ波周波数より、さらに5桁ほど振動数の高い光の周波数を用いる「光時計」の研究が近年盛んに行われています。

正確な原子時計を作るには、原子に固有の振動数(=「原子の振り子」の振動数)を高精度に測ることが重要です。光格子時計は、レーザー光を干渉させて生成した光格子と呼ばれる微小空間(図1)に原子を閉じ込めることによって、原子の運動を凍結させドップラー効果を抑制するとともに、多数個の原子の同時観測を実現し、原子時計の精度を飛躍的に向上させます。一般には、レーザー光で原子を捕獲すると、レーザー光の影響を受けて「原子の振り子」の振動数が変化しますが、「魔法波長注5)」と呼ばれる特定の波長のレーザー光で光格子を作ると、「原子の振り子」の振動数は変化しません。

このような「魔法波長」のレーザー光で作った光格子に捕獲した原子を使って原子時計を実現する「光格子時計」は、香取 秀俊 教授(当時、准教授)によって2001年に提案されました。この光格子時計は、香取教授が率いる東京大学の研究グループで2003年に初めて実証され、2006年には国際度量衡委員会において新しい「秒」の定義の有力候補である「秒の二次表現」の1つに採択されました。その後、世界各国で光格子時計の開発競争が始まり、ストロンチウム、イッテルビウム、水銀などのさまざまな原子を用いた光格子時計の研究開発が盛んに行われています。

これまで光格子時計に用いられてきたストロンチウム原子やイッテルビウム原子では、黒体輻射の影響を受けやすいことが問題でした。黒体輻射のエネルギー密度は絶対温度の4乗に比例して増大することから、研究グループは、低温環境でストロンチウム原子を分光することによって黒体輻射の影響を1/100に低減する、低温動作ストロンチウム光格子時計を2014年に開発しています。

一方、水銀原子は黒体輻射の影響を受けにくいため、室温動作でも環境温度の揺らぎが「原子の振り子」に与える影響を低減できます。水銀光格子時計は、複数の高安定な紫外レーザー光を必要とし技術的に難しいことから、これまで「秒」の定義の精度を超える水銀光格子時計は実現されていませんでした。

<研究の内容>

研究グループは、紫外レーザーの長期安定動作技術を確立し、水銀光格子時計の長期安定動作と高精度化を実現しました(図2)。水銀光格子時計のずれを引き起こす要因を系統的に検証し、時計の不確かさを7×10-17と評価しました。これまで実現された水銀光格子時計に比べ、およそ80倍の精度の向上を達成しました。

高精度な時計の評価には、その時計と同等以上の精度の時計が必要になります。現在の「秒」の定義であるセシウム原子時計を基準にすると、セシウム原子時計の精度であるおよそ1×10-15までしか測定できません。そこで、より高精度に評価するために、先行して7×10-18の不確かさが確認されている低温動作ストロンチウム光格子時計との周波数比を測定しました。低温動作ストロンチウム光格子時計の光周波数(約429THz)と水銀光格子時計の光周波数(約1,129THz)の比を測定するために、光周波数のものさしの役目を果たす光周波数コム注6)を用いました。光周波数コムは、本プロジェクトの委託研究で開発されたエルビウムファイバコム注7)を使用しました(図3)。

水銀光格子時計と低温動作ストロンチウム光格子時計の周波数比を8×10-17の不確かさで決定しました。約3ヵ月の間を空けて測定した結果から、周波数比の再現性も確認されています(図4)。今回達成した精度は、セシウム原子時計を使って国際原子時として共有できる「秒」の精度1×10-15を10倍以上も上回る精度です。この成果は、現行のセシウム原子時計を使った「秒」の定義では表現できない物理量を、高精度な光格子時計同士の直接比較によって示した極めて重要な成果です。このような高精度な周波数比の決定は、物理量の国際的な情報共有に重要です。さらに、現在の「秒」の定義で表現できない物理量の測定は、「秒」の定義の不完全さをあぶり出し、「秒」の再定義の必要性の大きなアピールになります。

<今後の展開>

現行の「秒」の定義の精度を超える高精度な時間・周波数の測定では、このような周波数比の測定が、物理量を国際的に共有する唯一の手段です。今回の比較実験は、将来の「秒」の再定義を視野に入れる、異種の光格子時計の直接比較の先駆けとなる成果です。今後さらに異種の原子時計の高精度な比較を行うことを目指します。

原子時計では、物理定数が定数であることを暗黙の仮定としています。従って、どの原子で作った原子時計も同じ時を刻む、「普遍な1秒」を刻むはずです。しかし、もし物理定数が時間変化すれば、この限りではありません。異種の原子時計の進み方が変わるはずです。特に、水銀光格子時計とストロンチウム光格子時計の周波数比較は、微細構造定数と呼ばれる無次元の物理定数の経時変化を高感度に検出できる系として関心が寄せられています。微細構造定数の恒常性を検証するため、水銀光格子時計の精度や測定装置の安定性をさらに向上させ、継続的にこの異種原子からなる光格子時計の周波数比を測定する予定です。もし周波数比の経時変化が見つかれば、これまで「物理定数は定数である」との暗黙の仮定の上に成り立ってきた現在の物理学の体系を根底から覆す可能性が出てきます。

<参考図>

図1 光格子の模式図

原子(緑色)が、光の定在波で作られた光格子(茶色)の中に捕獲されている。光格子を「魔法波長」と名づけられた特別なレーザー波長で構成することで、光格子のレーザーが原子の振り子の振動数を変化させないようにし、原子固有の振動数を測定する。

図2 水銀光格子時計の装置

  • a.開発した水銀光格子時計。使用する紫外レーザーもすべて同じ光学定盤の上に構築されている。
  • b.水銀光格子時計の概要。レーザー冷却された水銀原子を光共振器の定在波で構成した光格子内に捕獲し、分光を行う。

図3 水銀光格子時計とストロンチウム光格子時計とそれらの周波数をつなぐ光周波数コムの関係図

それぞれの時計の周波数の比を測定するための光の周波数のものさしとして、一定周波数間隔の光を持つ光周波数コム(エルビウムファイバコム)を使用する。

図4 水銀、ストロンチウム光格子時計の周波数比の測定

  • a.水銀、ストロンチウム光格子時計の周波数比の不確かさを示すアラン標準偏差(赤丸は測定結果、赤線は結果を当てはめた直線)。およそ30分の平均化時間で精度が17桁に達する。青破線はレーザーの周波数ノイズから予想される理論値。緑点線は量子雑音の制限。
  • b.各測定ごとの水銀、ストロンチウム光格子時計の周波数比。10回の測定から、周波数比の不確かさが8×10-17(赤点線で示す範囲)であることが実証された。赤実線が測定値の平均値を示す。

<用語解説>

注1) 光格子時計
2001年、香取 秀俊 東京大学 大学院工学系研究科 准教授(当時)が考案した次世代の原子時計。まず、「魔法波長」と呼ばれる特別な波長のレーザー光を干渉させて作った微小空間(光格子、図1)に、レーザー冷却された原子を1つずつ捕獲し、原子同士の相互作用が起きないようにします。次に、これらの原子にレーザー光を当て、光を吸収する「原子の振り子」の振動数を精密に測定します。この光の振動を数えて、1秒の長さを決めます。光格子全体には多数の原子を捕獲できるので、それらの「原子の振り子」の振動数を一度に測定して平均をとることで、短時間で高精度に時間を決めることができます。
注2) 黒体輻射(こくたいふくしゃ)
黒体が放出する熱放射。黒体とは、外部から入射する電磁波を、あらゆる波長にわたって完全に吸収し、また熱放射できる物体のことです。そのスペクトルは、黒体の温度だけで定まり、プランクの輻射式によって理論的に与えられます。室温ではそのピーク波長は約17μm(マイクロメートル)です。黒体輻射のエネルギー密度は、シュテファン=ボルツマンの法則に従い、絶対温度の4乗に比例して増大します。
注3) イッテルビウム
希土類元素の1つで、光格子時計に用いる原子の有力候補として、ストロンチウム原子時計についで、多くの研究開発機関で開発が行われています。ストロンチウム光格子時計に続き、イッテルビウム光格子時計は、2012年には「秒の二次表現」に採択されました。
注4) 微細構造定数
α=e/4πεℏc(1個の電子が持つ電荷e、プランク定数ℏ、真空の誘電率ε、真空中の光速c)で定義される無次元量の基礎物理定数。原子の遷移周波数を記述するボーアの式で、(原子番号 の原子に対して)相対論的な補正項は (α )として与えられます。このため、原子番号 が大きく異なる2種の原子(ストロンチウム原子は =38、水銀原子は =80)を使った原子時計を比較することで、微細構造定数の恒常性が検証できます。
注5) 魔法波長
原子に光が当たると、光の電場の影響で(原子の)電子状態のエネルギーが変化します。これを光シフトといいます。この光シフト量は、一般に、電子状態によって異なるため、2つの電子状態間の「原子の振り子」の振動数が変化します。ところが、特定の波長を選ぶと、2状態の光シフトを等しくし、光シフトしない「原子の振り子」の振動数を観測できます。このような、「原子の振り子」の振動数を変えない波長を魔法波長と呼びます。
注6) 光周波数コム
広帯域に極めて短い光パルスを発生させる装置。周波数の分布が一定間隔で髪をとかす櫛(コム)に似ているためコムといわれます。光のように高い周波数は、既存の測定器では直接測定することができないため、光周波数コムの光に測定したい光周波数を重ね合せることで発生する「うなり(ビート)」と呼ばれる低周波数の合成波に変換し、測定します。
注7) エルビウムファイバコム
エルビウムイオン添加した光ファイバをレーザー媒質として、光周波数コムに使用しています。装置全体をファイバ光学系で構築できるため、長時間連続して安定に動作できます。

<論文タイトル>

Frequency Ratio of 199Hg and 87Sr Optical Lattice Clocks beyond the SI Limit
(SI秒制限を超えた199Hg、87Sr光格子時計の周波数比較)
doi :10.1103/PhysRevLett.114.230801

<参考報道発表>

次世代時間標準として注目の「光格子時計」の小型化へ前進
https://www.jst.go.jp/pr/announce/20140617/index.html

次世代時間標準「光格子時計」の高精度化に成功
https://www.jst.go.jp/pr/announce/20150210-2/index.html

<お問い合わせ先>

<研究に関すること>

香取 秀俊(カトリ ヒデトシ)
東京大学 大学院工学系研究科 物理工学専攻 教授
〒113-8656 東京都文京区本郷7丁目3番1号 工学部6号館
Tel:03-5841-6845 Fax:03-5841-6859
E-mail:

<JST事業に関すること>

水田 寿雄(ミズタ ヒサオ)
科学技術振興機構 研究プロジェクト推進部
〒102-0076 東京都千代田区五番町7 K’s五番町
Tel:03-3512-3528 Fax:03-3222-2068
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<報道担当>

科学技術振興機構 広報課
〒102-8666 東京都千代田区四番町5番地3
Tel:03-5214-8404 Fax:03-5214-8432
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(英文)“Highly-precise comparison of Hg and Sr optical lattice clocks - a step towards redefinition of time standard -