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平成26年7月29日

東京大学 生産技術研究所
科学技術振興機構(JST)

匂い受容体たんぱく質が発現した立体組織を用いて、空気中の匂いを感知することに成功
〜たんぱく質を利用した細胞センサー開発に新しい手法〜

ポイント

東京大学 生産技術研究所の竹内 昌治 教授と同 佐藤 幸治 特任講師(研究当時)は、動物の匂いセンサーである「匂い受容体注1)を利用して、立体的に構築した細胞塊を気体状の匂い物質のセンサーとして機能させることに成功しました。

自然界には数えきれないほどの揮発性有機化合物注2)が存在し、動物は鼻を使ってそれらを匂いとして感じています。私たちは鼻を通して、食品の安全性やガス漏れ、火事などの危険な状況を感知することができ、匂いを感知する力がQOL(生活の質)の指標として注目されています。また、匂いは動物の行動や生理に大きな影響を及ぼし、例えば蚊などの吸血性昆虫は動物の放出する匂いを頼りに吸血し、病気を伝染することが知られています。したがって、環境中に存在する匂い物質の測定は社会的側面だけでなく、公衆衛生の面からも非常に重要な技術です。

動物の鼻には「匂い受容体」という匂い物質に対する化学センサーが働いています。空気中の匂い物質は一旦「匂い受容体」の表面を覆う嗅粘液(鼻水)やリンパ液にとけ込み、その後「匂い受容体」と結合します。イヌに代表されるように、動物の鼻は非常に優れた化学センサーであるため「匂い受容体」を用いた匂いセンサーの開発が盛んに行われてきました。しかし、「匂い受容体」は水中でなければ形が変化して機能しないため、これまで、水に溶かした揮発性有機化合物に対する反応しか測定することができませんでした。

今回竹内教授らは「匂い受容体」をもったスフェロイド注3)という細胞の微小な固まりを作製し、水分を保持したハイドロゲル注4)で作製した微小容器の中にそれを配置しました。その結果、実際の鼻のように「匂い受容体」の表面が薄い水の層で覆われ、そこに溶け込んだ気体状の匂い物質に対する反応を測定することに世界で初めて成功しました。さらにこの方法を用いて、マラリアを媒介するハマダラカが持っている2−メチルフェノールという匂いに対する匂い受容体の反応を測定しました。するとこの匂い受容体は緩衝液中に含まれた2−メチルフェノールには反応する一方で、気体状の2−メチルフェノールにはほとんど反応しませんでした。つまり生体と同じような匂いに対する反応を引き起こすためには、匂い物質と匂い受容体の結合を調節する嗅粘膜やリンパ液に含まれる成分が重要であることが初めて示されました。

本成果は、ドイツ化学誌「Angewandte Chemie International Edition」で公開されます。

なお、本研究は科学技術振興機構 戦略的創造研究推進事業 総括実施型研究(ERATO)「竹内バイオ融合プロジェクト」の一環として行われました。

<研究の背景と経緯>

空気中には、環境から放出された数えきれない種類の揮発性有機化合物が含まれています。動物の鼻には匂い受容体という揮発性有機化合物を識別するたんぱく質が存在しており、匂いのセンサーとして機能しています。匂い受容体は遺伝子中におよそ100〜1,000個含まれており、それぞれが多種多様な化学物質を識別できるため、私たちの鼻は1兆種以上の匂いを識別できるだろうと見積もられています。このように匂い受容体は地球上で最も優れた化学センサーであり、それらを利用した匂いセンサーの開発が盛んに行われてきました。

匂い受容体は数多くの種類があるため、それらを匂いのセンサーとして機能させるためには、そのすべてを用いるのではなく、特定の受容体だけを選別して用いる必要があります。その手法として匂い受容体の遺伝子を培養細胞などの匂い受容体を持っていない細胞に導入し、特定の匂い受容体たんぱく質のみを細胞に発現させる「再構成実験」を行います。しかし培養細胞は培養液中でなければ生存できず、匂い受容体も水中でなければ機能できないため、培養液を介して匂い受容体に気体の匂い物質を届ける技術が必要でした。また匂い受容体は細胞の内部でさまざまな化学反応を引き起こし、その結果として、匂いに対する反応が生じるため、その測定には高価な測定装置が必要でした。つまり、匂い受容体を利用したセンサーの開発には、i)動物の鼻を模した嗅粘液層のような薄い液体の層を匂い受容体表面に再現すること、ii)簡便で安価な測定装置で匂いに対する反応を検出できること、の2つの技術開発が必要でした。

<研究の内容>

i)の課題に対し竹内教授らは細胞集積技術を用いて匂い受容体を発現した細胞を立体化して取り扱いを容易にし、保湿性に優れた「ハイドロゲルマイクロチェンバー」の中でそれを保持するという方法により鼻の表面構造を再現することを目指しました(図1)。さらに、ii)の課題は、匂いの信号を直接電気信号へ変換する機能を持った昆虫の匂い受容体複合体をセンサーとして利用し、匂いに対する反応を電気的に捉えることで克服しました。

まず、光で固まる性質を持ったPDMSという樹脂を利用して、微細加工技術により直径0.1mmの小さな突起を持った鋳型を作製しました。この鋳型にアガロースというハイドロゲルを流し込むことで小さな穴を持った「ハイドロゲルマイクロチェンバー」を作製しました(図2)。レーザーラマン顕微鏡注5)を用いてマイクロチェンバーの中に含まれる物質を調べたところ、その内部で細胞の生存に必要な水が1時間以上維持できることがわかりました。

次に、細胞培養装置として、直径0.1mmの小さな窪みをあけたPDMSの板を作製しました(図3)。昆虫の匂い受容体複合体の遺伝子を導入したHEK293T細胞をその内部で培養したところ、スフェロイドという微小な細胞塊が得られました。このスフェロイドをハイドロゲルマイクロチェンバーに移し、応答測定のためのガラス電極を置きました。小さな容器の中で揮発させた匂い物質をガスボンベの圧力を利用してスフェロイドに与えたところ、匂い刺激に応じた電位変化を記録することができました(図4)。このような匂いに対する反応はおよそ30分にわたって記録されました。

熱帯性の伝染病の多くは蚊などの吸血性昆虫による虫さされで感染します。吸血性昆虫は獲物の出す匂い、二酸化炭素や温度などを利用して標的を見いだすと言われています。その仕組みは未解明な部分が多い一方で、マラリアを媒介するハマダラカの匂い受容体(GPROR2)は汗に含まれる2−メチルフェノールという物質に反応することが生きている昆虫を用いた実験で確かめられています。しかしこの受容体は培養細胞で再構成するとベンズアルデヒドという物質にも反応することがわかっていました。竹内教授らは、今回開発した装置を用いて培養細胞で再構成したGPROR2の匂い物質に対する反応を測定しました。すると、緩衝液中に溶けているベンズアルデヒドと2−メチルフェノールへのGPROR2の反応に差は見られなかったものの、気体状のベンズアルデヒドと2−メチルフェノールへの反応は異なっていました。後者の反応が前者の反応に比べて小さいことがわかりました(図5)。つまり GPROR2が生体のように2−メチルフェノールに強く反応するためには、嗅粘膜やリンパ液に含まれる成分が重要であることが初めて示されました。

以上のように、今回、培養細胞で再構成した匂い受容体が気体状の匂い物質の刺激に反応することが初めて証明され、匂いセンサーとして利用できることが示されました。また、匂い受容体が生体と同じように機能するためには、受容体表面を覆う嗅粘液やリンパ液などが必要であることが、培養細胞を用いた実験で初めて確かめられました。

<今後の展開>

今回の研究によって匂い受容体の遺伝子を利用して作製した細胞の塊が匂いセンサーとして利用できることが初めて確かめられました。今後このような匂い受容体を利用したセンサーの開発により、イヌの鼻のような超高感度検出システムが実現できるかもしれません。また、細胞集積技術が、細胞膜に存在する膜たんぱく質を利用した化学物質の検出に有効であり、今回の技術は匂い受容体だけでなく、さまざまなセンサーたんぱく質に展開できることが期待されます。

本研究はこれまでほとんど注目されていなかった鼻粘液の役割の重要性を明らかにすると共に、感覚生理学や公衆衛生の分野でも重要な知見を与える技術を提供するものです。

<参考図>

図1 本研究の概念図

a)昆虫から匂い受容体複合体の遺伝子を取り出し、培養細胞に遺伝子を導入します。その細胞をPDMSで作製した微小培養装置で培養してスフェロイドを作製します。作製したスフェロイドをハイドロゲルで作製した微小チェンバーに設置することで保湿性が保たれると同時に、表面に薄い緩衝液の層が形成され、動物の鼻と似た構造が再現できます。さらにスフェロイドの内部には電位測定のためのガラス電極を設置しました。b)匂い応答が生じる仕組み。気体状匂い分子は一旦表面の水層に溶け込みます。昆虫の匂い受容体複合体は匂い分子と結合すると細胞内にプラスの電荷を持ったイオンを流入させます。その結果、細胞表面に陰性の電位変化が起きます。

図2 ハイドロゲルマイクロチェンバーと、レーザーラマン顕微鏡による表面測定

一定の間隔で規則正しくマイクロチェンバーを配置したアガロースゲル(左)の赤丸部分からラマンスペクトルを測定しました。チェンバーとゲルの境界を境にアガロース由来(矢印)のスペクトルが現れますが、水のスペクトル(▼印)はゲル、チェンバー双方に均等に分布し、チェンバー内部に水が保持されていることがわかります。左図の白棒は200μm(マイクロメートル)、中央図の黒棒は10μm。

図3 スフェロイド作製のためのPDMS培養装置

表面の無数に開いた小さな穴の内部で細胞を培養します。

図4 昆虫匂い受容体複合体を発現したスフェロイドの気体状匂い刺激に対する電位応答

a)ハイドロゲルチェンバーに設置した昆虫匂い受容体複合体を発現したスフェロイド。匂い受容体複合体をDsRed蛍光タンパク質で可視化(右)。ヤジリ印は測定記録用ガラス電極を、矢印は緩衝液と気体の境目を示します。b)ハマダラカの2−メチルフェノールに対する受容体(GPROR2)を発現したスフェロイドの2−メチルフェノールに対する電気応答。上部の凸凹(パルス)は匂い刺激を与えたタイミングと刺激の長さを、下の波線はスフェロイドの細胞外電位を示します(与えた刺激とスフェロイドの電位応答には同色で示す)。

図5 GPROR2の2−メチルフェノールとベンズアルデヒドに対する濃度応答性

a)2−メチルフェノールとベンズアルデヒドの構造式。b)さまざまな濃度であらかじめ緩衝液に溶かした液体状匂い刺激に対するGPROR2の濃度応答曲線。2−メチルフェノールとベンズアルデヒドで差は確認されませんでした。c)本システムで測定した気体状匂い刺激に対するGPROR2の濃度依存性。100mM(ミリモーラ)の匂い溶液から得られた気体状匂い刺激では2−メチルフェノールよりベンズアルデヒドに強く反応しています。

<用語解説>

注1) 匂い受容体
鼻や触角などの、匂いを感じる器官の神経細胞に発現し、匂いの信号を脳に伝える働きをもったたんぱく質。昆虫以外では、匂い物質と受容体が結合するといくつかの化学反応からなる「Gタンパク質シグナル伝達経路」が活性化される。一方、昆虫の匂い受容体は細胞膜でイオンチャネルを構成し、匂いの有無が直接電気信号へ変換される。匂い受容体の数は動物種によって異なり、およそ100〜1,000個である。
注2) 揮発性有機化合物
Volatile organic compounds(VOC)とも呼び、生活環境で主に気体状の物質として存在する無数の有機化学物質のこと。石油、塗料や接着剤などに多く含まれ、工場や車などから排出される。具体的にはシンナーやアルコール類などが該当し、多量のVOCは有毒であるため、排出規制が行われている。しかし、ごくわずかのVOCはそれぞれが独特の匂いを呈し、食品の匂いを決定する最も重要な要素でもある。
注3) スフェロイド
細胞が集合してでき上がった、球状の立体細胞組織。通常の細胞培養では、細胞はシート状に広がって生育する。このような平面的に培養した細胞と異なって、スフェロイドはより生体組織に近い働きを持っていると考えられている。
注4) ハイドロゲル
高分子同士がつながってでき上がった、網目状の三次元分子構造体の総称。内部に多くの水を含み、弾力を持ち、さまざまな物質を吸収することができる。ゼリーや寒天もハイドロゲルの一種である。
注5) レーザーラマン顕微鏡
レーザーの様な強い光を物質に当てると、それを構成する分子によってさまざまな光の散乱が生じる(ラマン散乱光)。レーザーラマン顕微鏡ではラマン分光測定装置と顕微鏡が組み合わされており、顕微鏡のように拡大した画像から、どのような物質が含まれているのか測定することができるようになっている。

<発表雑誌>

雑誌名 「Angewandte Chemie International Edition」
論文タイトル “Chemical vapor detection using a reconstituted insect olfactory receptor complex”
(再構成した昆虫の嗅覚受容体複合体による気相物質の検出)
著者 Shoji Takeuchi、Koji Sato
doi 10.1002/anie.201404720

<お問い合わせ先>

<研究に関すること>

竹内 昌治(タケウチ ショウジ)
東京大学 生産技術研究所 教授
〒153-8505 東京都目黒区駒場4−6−1
Tel:03-5452-6650 Fax:03-5452-6649
E-mail:

<JST事業に関すること>

大山 健志(オオヤマ タケシ)
科学技術振興機構 研究プロジェクト推進部
〒102-0076 東京都千代田区五番町7 K’s五番町
Tel:03-3512-3528 Fax:03-3222-2068
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<報道担当>

科学技術振興機構 広報課
〒102-8666 東京都千代田区四番町5番地3
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(英文)“Chemical vapor detection using insect olfactory receptor complex”