ポイント
- 生体内でエネルギー変換を行う分子の振る舞いを可視化する「ビーズプローブ光学顕微鏡1分子運動計測法」を用いて、1ナノメートルの人工分子マシン1個の回転運動を「見て、触る」ことに初めて成功した。
- 本手法の適用範囲はこれまで大きさ10ナノメートルのものに限られていたが、人工分子マシンに200ナノメートルのビーズを結合させることにより、その適用範囲を広げた。
- 人工分子マシン1個の典型的な大きさである1ナノメートルの範囲を「見て、触って」性能評価できる本手法は、今後「力を発生して運動する人工分子モーター」の開発に繋がる。
東京大学 大学院工学系研究科 応用化学専攻の野地 博行 教授らは、分子の機械的な運動を可視化する「ビーズプローブ光学顕微鏡1分子運動計測法(1分子モーションキャプチャ法注1))」を大きさ1ナノメートルの人工分子マシン注2)に適用し、その回転運動を「見て、触る」ことに成功しました(図1)。
1分子モーションキャプチャ法は従来、生体内でエネルギー変換を行う分子(生体分子マシン注3))の機能を解明するために考案された手法です。生体分子マシン1個を「見て、触る」ことができ、運動の方向性や一歩で進むサイズ、発生する力などこの方法でしか解らない多くのことが明らかになるため、人工的に作製した分子マシン(人工分子マシン)でもこの計測が用いられるようになることが待たれていました。しかしながら、生体分子マシンの大きさは10ナノメートル程度であるのに対し、人工分子マシンの大きさはその10分の1の1ナノメートル程度であるため、本手法をそのまま適用するのは困難でした。
今回、野地教授らのグループは、1分子モーションキャプチャ法をさらに改良し、光学顕微鏡で可視化できる直径200ナノメートルのビーズを用いて大きさ1ナノメートルの人工分子マシンで、分子内の2枚の板状の部分がホイールのように回転するダブルデッカーポルフィリン1分子の運動を記録しました(図2)。従来の手法を見直し、人工分子マシンが小さいために生じる固定化反応の効率の低下やビーズと基板の相互作用などを改善する工夫を行うことで、本手法の適用できる範囲を広げました(図3)。さらに、ビーズに外力をかけることで分子1個の運動を操作することにも成功しました。1ナノメートルという大きさは生体や人工の分子マシンの最小サイズであるため、本手法を用いることでどのような分子マシンの動きも可視化することができるようになります。人工分子マシン1個の振る舞いを「見て、触り」ながら性能評価できるこの手法は、人工分子マシンの目標の一つ「力を発生して運動する人工分子モーター」の実証に適用できる現在唯一の方法です。将来、例えば光で駆動する人工分子モーターを作製し、生体分子モーターと接続することによって、生体のさまざまな化学反応を光で操作できるテーラーメイドなエネルギー変換技術が可能になると期待されます。
本研究は、東京大学 大学院工学系研究科 応用化学専攻の池田 朋宏 特任研究員、塚原 隆博 修士(当時)、自然科学研究機構 岡崎統合バイオサイエンスセンター/分子科学研究所 飯野 亮太 教授、物質・材料研究機構 高分子材料ユニット 有機材料グループ 竹内 正之 グループリーダーと共同で行ったものです。また、科学技術振興機構 戦略的創造研究推進事業 CRESTの支援を受けて行われました。
本研究成果は、ドイツ化学会の科学誌「Angewandte Chemie International Edition(英語版)」に近く公開されます。また、本研究成果はその重要性が認められHot paperに選出されると共に、同誌の裏表紙への採用が決定されました。
本成果は、以下の事業・研究領域・研究課題によって得られました。
JST 戦略的創造研究推進事業 チーム型研究(CREST)
研究領域 |
「プロセスインテグレーションによる機能発現ナノシステムの創製」 |
研究総括 |
曽根 純一(物質・材料研究機構 理事) |
研究課題名 |
「生体分子1分子デジタル計数デバイスの開発」 |
研究代表者 |
野地 博行(東京大学 大学院工学系研究科 教授) |
研究期間 |
平成22年10月~平成28年3月 |
JSTはこの領域で、革新的な機能を発現する次世代ナノシステムの創製を目指しています。
上記研究課題では、「生体分1分子デジタル計数法」を確立します。
<発表内容>
①研究の背景・先行研究における問題点
生体内には機械のように振る舞う分子、いわゆる生体分子マシンが存在しており、生命活動において重要なエネルギー変換を担っています。例えば、F1-ATPase注4)と呼ばれるタンパク質は回転分子モーターとして知られています。しかしながらこの分子1個の大きさは10ナノメートル程度で、そのままでは回転運動が観察できないため、そのエネルギー変換の仕組みを解明するのは困難でした。そこで考案された方法が、光学顕微鏡で観察できる大きなビーズを1個の生体分子マシンの可動部分にとりつけ、そのビーズの運動を介して生体分子マシンの動きを検出する「ビーズプローブ光学顕微鏡1分子運動計測法」です。これは「分子1個に対して行うモーションキャプチャ」のような手法です。生体分子マシン1個を、「見て、触る」ことができるため、これまでに、生体分子モーターの運動方向や一歩で進む(回る)サイズ、発生する力、エネルギー変換効率といったこの方法でしか解らない多くのことが明らかにされてきました。分子モーター同士は力を介して機能を連携させることができるという特徴があり、力を発生する生体分子モーターを人工分子で再現し実証することは、生体分子モーターの機能を人工的に駆動させる技術に繋がります。そのため1分子モーションキャプチャ法の人工分子マシンへの適用が待たれていました。しかしながらこれまでは、本手法の適用範囲は大きさ10ナノメートルまでと分子としては比較的大きい生体分子マシンに限られていました。
②研究手法と結果
野地教授らのグループは今回、1分子モーションキャプチャの対象を生体分子マシンの10分の1の大きさの1ナノメートルの人工分子マシンに拡張しました(図1)。具体的な計測対象には、ダブルデッカーポルフィリン(DD)を選びました(図2)。DDは、分子内の2枚の板状の部分がホイールのように回転することが知られており、人工分子ベアリング注5)とも呼ばれています。1ナノメートルのDDの1分子モーションキャプチャを行うためには、従来の手法を一から見直す必要がありました。この観察が成功するためには、DDの固定部分と回転部分をそれぞれ2点以上の化学結合で基板とビーズの表面に固定する必要があります。しかしながらDDは生体分子マシンよりずっと小さいため、DDが多点で反応できるように従来よりも高密度に官能基修飾した表面の開発が必要でした。また、観察中は基板とビーズの距離が1ナノメートルと小さくなるため、これらの表面同士にはたらく相互作用がビーズの回転運動を妨げる可能性がありました。このため従来の水中ではなく、相互作用を弱めることができる有機溶媒中での観察の手順を構築しました。こうして、この分子ベアリングDDの一方の板をガラス基板に固定化し、もう一方の板を200ナノメートルのビーズに結合させ、結合したビーズの回転運動を光学顕微鏡で可視化することに成功しました。観察の結果、ビーズは90°間隔の一過的な停止角度を示しつつ回転拡散運動を行うことが明らかとなりました(図3)。この挙動はDD分子の構造対称性から予想されていましたが、今回の観察で初めて実証しました。同時に、運動の方向や一歩で進む角度(距離)といった、本手法でしか解らない特性も明らかになりました。また、酸化剤を添加してDDが回転しなくなる環境に変えると、ビーズの回転が止まることも示されました。これにより、200ナノメートルのビーズがたった1ナノメートルのDDの運動をきちんと反映していることが確認されました。さらに、磁性体でできているビーズに外から磁場を加えることで、DD1個の運動を強制的に操作することにも初めて成功しました。
③今後の予定
1ナノメートルという大きさは、人工的に合成された分子も含め、マシンとしての機能を持つ分子の最小サイズです。つまり本成果により、生体分子マシン、人工分子マシン問わず、全ての分子マシン1個の運動をこの方法で検出、操作できることが示されました。さらに、人工分子マシン1個の振る舞いを実体があるものとして「見て、触り」ながら性能評価できるこの方法は、人工分子マシンの目標の一つ「力を発生して運動する人工分子モーター」の実証が可能な現在唯一の方法です。将来、例えば光で駆動する分子モーターを設計して実証するというプロセスを通じて、ATP合成など生体分子モーターが司るさまざまな化学反応を全て光で操作するといった、分子マシンによるテーラーメイドなエネルギー変換技術が実現されていくと期待されます。
<参考図>
図1
1ナノメートルの人工分子マシンに対するビーズプローブ光学顕微鏡1分子運動計測法(1分子モーションキャプチャ法)の概念図。
図2 DDを介して基板に結合したビーズの模式図
実験ではビーズの運動を高速CCDカメラで記録した。
図3
- (左)録画したビーズの像とその重心(ビーズの像は可視光の波長より小さいので輪郭ははっきりしない;重心は×印で示している)。
- (右)動画中のビーズの重心の軌跡。
<用語解説>
- 注1) モーションキャプチャ法
- 人や物の中で興味がある可動部分にマーカー(本研究では、直径約200ナノメートルのビーズ)をつけ、マーカーの位置を追跡・記録すること。現象を再現し、解析することで運動の詳細を知ることができる。
- 注2) 人工分子マシン
- 人工的に合成された、機械のような動きをする分子。この動きは外部刺激によってスイッチング制御可能であることが特徴。多くは大きさ1ナノメートル程度。
- 注3) 生体分子マシン
- 生体内でエネルギー変換を行う分子。タンパク質や核酸でできており、大きさは約10ナノメートル。外部のエネルギーを機械のような動きを介して力学エネルギーに変換することで仕事を行う。
- 注4) F1-ATPase
- 回転モーターとして知られる生体分子マシン。F1-ATPaseはATP(アデノシン三リン酸;化学エネルギー源)の加水分解に伴って回転子部分が一方向に回転しトルク(力学エネルギー)を発生する。
- 注5) 人工分子ベアリング
- 人工分子マシンの一種で、分子の一部分が残りの部分に対して相対的に回転する分子。運動に一方向性はない。
<発表雑誌>
雑誌名 |
「Angewandte Chemie International Edition」 |
論文タイトル |
“Motion Capture and Manipulation of Single Synthetic Molecular Rotors by Optical Microscopy” |
著者 |
Tomohiro Ikeda, Takahiro Tsukahara, Ryota Iino, Masayuki Takeuchi, and Hiroyuki Noji. |
doi |
10.1002/anie.201403091 |
<お問い合わせ先>
<研究に関すること>
東京大学 大学院工学系研究科 応用化学専攻 特任研究員 池田 朋宏
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E-mail:
<JST事業に関すること>
科学技術振興機構 戦略研究推進部 古川 雅士
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<報道担当>
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