JSTトッププレス一覧 > 共同発表

平成26年3月21日

東京大学
科学技術振興機構(JST)

巨大ホール効果を示すキラルスピン液体における量子臨界性
〜低エネルギー消費メモリ機構の解明に向けて〜

ポイント

現在のCPUの揮発性メモリは、電力を供給しないと記憶している情報を保持できないため、消費電力が大きいという欠点があります。一方で、不揮発性メモリはメモリ維持のための電力を必要としないために、低エネルギー消費の情報処理を実現する上で不可欠な技術です。そこで注目されるのは、単層で作動する構造的に単純なホール素子を用いたメモリであり、異常ホール効果注1)図1)を利用した電力の散逸を大幅に削減した新しいメモリ機構です。この新しいメモリ機構の候補として、以前、東京大学 物性研究所の中辻 知 准教授らが発見したゼロ磁場かつ磁化のない状態で自発的に現れるホール効果(自発的ホール効果)を利用したものがあります。自発的ホール効果は、エネルギー損失や発熱がなく、従来の異常ホール効果を凌ぐ大きな信号が弱磁場で得られるなどの長所があります。しかし、自発的ホール効果が現れる機構は分かっておらず、不揮発性メモリの基盤的な技術の開発が求められていました。

今回、東京大学 物性研究所の中辻 知 准教授と石川 洵 博士課程大学院生らの研究グループとゲッティンゲン大学のPhilipp Gegenwart 教授と常盤 欣文 研究員らの研究グループが共同で、自発的ホール効果を示すPrIr(Pr:プラセオジム Ir:イリジウム O:酸素)の純良単結晶を用いてその磁気熱量効果注2)を測定したところ、高温超伝導体注3)でも見られる物質の特異な性質である、量子臨界現象をゼロ磁場で発現することを発見しました。この量子臨界性注4)は、巨大な自発的ホール効果が見られるキラルスピン液体相注5)の周りでのみ発現していることから、自発的ホール効果の発現機構に重要な役割を担っていることが期待されます。

本成果は、不揮発性メモリを用いた低エネルギー消費の情報処理を実現する上で新たな指針となることが期待されます。本研究成果は、科学技術振興機構(JST) 戦略的創造研究推進事業 さきがけの一環として行われ、2014年3月16日(英国時間)の英国科学誌「Nature Materials」オンライン版で発表されます。

<発表内容>

①研究の背景と経緯

磁性体注6)において、原子の位置やスピンの方向などは常に熱的に揺らいでいます。一方、温度を下げて絶対零度に近づけると、その熱揺らぎは消失し量子揺らぎのみが存在することが知られています。通常の相転移は熱揺らぎを媒介として、有限温度で起こります。一方、圧力、磁場などのパラメータを変化させることによって、絶対零度で相転移を引き起こすことができます(図3)。このような相転移は、量子揺らぎを媒介として現れ、量子相転移と呼ばれます。その量子相転移点近傍では量子揺らぎのため異常な磁性や金属状態を示します。銅酸化物系や鉄砒素系の高温超伝導注3)や、重い電子系注7)と呼ばれる強相関電子系での非従来型超伝導注3)がその例です。これらは量子臨界点近傍の異常な金属状態から発生し、その量子臨界性との関連は固体物理において最も重要なテーマの1つです。また、その特異な臨界現象は固体物理に限らず、量子情報など、さまざまな分野で研究が行われています。

量子臨界現象の研究は、重い電子系と呼ばれる物質群において集中的に行われてきました。そこでは、圧力や磁場などといったパラメータを変化させることにより、磁気秩序状態が絶対零度に抑えられ、量子臨界性の発現とともに、非従来型の超伝導など新しい相が現れることが知られています(図3)。今回、東京大学 物性研究所の研究グループとゲッティンゲン大学の研究グループは共同で、パイロクロア磁性体注8)PrIrのスピン液体状態で現れる巨大な自発的ホール効果の発現機構を調べるために、量子臨界性の有無を明らかにする実験研究を行いました。この物質ではPrが四面体を組み、Prの持つ磁気モーメント間の相互作用がスピンアイス注9)図6)という幾何学的にフラストレートした状態注8)にあります(図2B)。その結果、基底状態は磁気秩序状態を持たず、スピン液体注5)であると知られています。そして、この液体状態は自発的ホール効果を示し、スピンのキラリティが有限の値を取っているキラルスピン液体と考えられます。本研究では、磁気熱量効果の高精度で詳細な測定を行いました。この磁気熱量係数は量子臨界点において無限大の値に発散することが予想されており、量子臨界性の存在に非常に敏感であることが知られています。

その結果、この物質の磁気熱量係数は発散することが分かり、量子相転移の存在を示しています(図4)。また、臨界スケーリングという解析を行い、量子臨界点の位置を調べた所、ゼロ磁場が臨界点であることが分かりました(図5)。つまり、この物質はゼロ磁場で、全くパラメータを調整することなく、量子臨界点に位置していることが明らかになりました。

②今後の展開

今回、PrIrという巨大な自発的ホール効果を示すキラルスピン液体状態が実現している物質において量子臨界性を発見しました。研究グループが発見した臨界性は従来の磁性の枠組みでは説明できず、新たな理論が必要となります。これまでの量子臨界性の実験研究では、量子臨界点を実現するためには、磁場、圧力などのパラメータを精密に調整する必要がありました。しかし、この物質はゼロ磁場での量子臨界性を示しており、全くパラメータの調整を必要としていません。この事実は、幾何学的フラストレーションのために現れた量子臨界性のもとに、キラルスピン液体とその異常ホール効果が発現していることを示しています。

また、PrIrにおけるキラルスピン液体は、スピンアイスというフラストレートしたスピン状態から実現しています。スピンアイスはこの自発的ホール効果のみならず、量子スピン液体やモノポールなどに代表される興味深い量子磁性現象の宝庫であり、この量子臨界性という顕著な性質の発見は、この物質群の実験、理論研究の更なる活発化を促すと期待されます。

この成果は、上記の新しい自発的ホール効果、また、それを用いた今後のホール素子に基づくメモリ機構の開発のための重要な一歩となると期待されます。さらに、スピンアイスという新しい磁性現象で現れた量子臨界現象の研究は、量子スピン液体注5)という新たな磁性体を理解するうえでも、今後さらなる重要な知見を与えることが期待されます。

なお、本研究は、科学技術振興機構(JST) 戦略的創造研究推進事業 個人型研究(さきがけ)の「新物質科学と元素戦略」研究領域(研究総括:細野 秀雄 東京工業大学 フロンティア研究センター/応用セラミックス研究所 教授)における研究課題「スピンのナノ立体構造制御による革新的電子機能物質の創製」(研究代表者:中辻 知)の一環として行われました。

<参考図>

図1

図1

(A) 強磁性体における異常ホール効果。自発磁化の発生とともにゼロ磁場(=0)でホール効果が自発的に現れる。自発磁化は相対論的スピン軌道相互作用を通じて仮想的な内部磁場を生成し、電子の運動方向を電流に垂直方向に曲げる。
 (B) スピンの秩序を伴わないホール効果。ゼロ磁場(=0)で自発磁化のない状態においてもホール効果が自発的に現れうる。この場合、電子の運動を曲げる要因となる仮想的な内部磁場は、スピンキラリティ注10)の秩序化によってもたらされると考えられる。

図2

図2

(A) 3つの隣接する非共面な配置をとるスピンによって、スカラースピンキラリティKijk=Si・Sj×Skが定義される。
 (B) PrIrの結晶構造。Pr原子(赤丸)とIr原子(緑丸)はそれぞれパイロクロア格子を組む。Prモーメントは各四面体の重心方向に向くか、それとは反対方向に向くかの2通りの自由度しかもたないイジングスピンである。青と赤の矢印で示されるモーメントを持つPrスピンの向きは、ゼロ磁場では青色の矢印の向きが安定で、2つのスピンが内向き、2つのスピンが外向きという、所謂、アイスルール則を満たす。[111]方向の磁場中ではメタ磁性転移を経て赤色の矢印の向きが安定化する。

図3

図3 強相関電子系の温度対パラメータの相図

図4

図4 PrIrにおける磁気熱量係数ΓHの発散

図5

図5 PrIrの量子臨界点の解析

この解析からゼロ磁場が臨界点であることが示された。

図6

図6 (A)氷(アイス)と(B)スピンアイスの図

氷におけるプロトン変位とスピンアイスにおける磁気モーメントは1対1に対応しており、ともに2−in 2−outのアイスルールを満たす。

<用語解説>

注1)ホール効果、異常ホール効果
金属や半導体に電流と垂直に磁場を印加した際に、電流、磁場それぞれと垂直方向に現れる電流に比例した起電力のことをいう。ホール効果は、通常、磁場に比例する正常ホール効果と磁化に比例する異常ホール効果に大別される。これは19世紀後半のEdwin Hallによる発見以来の経験則として知られ、高校や大学初等の物理の教科書においても教えられる最も基礎的な電子輸送現象である。後者の異常ホール効果は強磁性体注6)においてのみ観測されていたが(図1A)、近年、磁気秩序を伴わない異常ホール効果が今回の研究対象物質PrIrで実現したキラルスピン液体注5)において見出されることが東京大学 物性研究所の中辻准教授らのグループで発見された(図2B)。
注2)磁気熱量効果
磁性体注6)に磁場をかけた際に起こるエントロピー変化を起因とする温度変化のことを指す。通常、温度を一定にして磁性体に磁場を印加すると磁気モーメントがそろいエントロピーは減少する。その後、断熱状態で磁場を取り除くと磁性体の温度は減少する。この磁場変化に対する温度の変化分を磁気熱量効果と呼び、量子臨界点注4)では、磁気熱量係数ΓHが発散的に大きくなることが知られている。
注3)高温超伝導体、非従来型超伝導
従来のBCS(バーディーン・クーパー・シュリーファー)理論では説明できない高い転移温度を持つ超伝導。1986年にベドノルツとミュラーが銅酸化物セラミックスを母体とする物質で発見し、さらに2008年に東京工業大学の細野教授が鉄砒素系で発見して以来、工業的な応用の重要性もあり、爆発的に研究が行われてきた。そのメカニズムにおいて、電子間の強い相互作用が重要な役割を果たしていると考えられ、とりわけ量子臨界点注4)にかかわる磁気揺らぎがその起源にかかわっていると議論されている。一般に、BCS理論で説明のできない超伝導を非従来型超伝導と呼び、重い電子系注7)が示す超伝導もその仲間である。特に、重い電子の超伝導は量子臨界点注4)近傍で生じるものが多く、従来のBCS型超伝導に見られた結晶格子の揺らぎではなく、量子臨界点に起因した電子の持つ磁石(スピン)や電荷(価数)の揺らぎが重要であると考えられている。
注4)量子臨界性
物質がある状態から異なる熱力学的状態へ変化することを相転移と呼ぶ。たとえば、水が温度をさげて氷になる現象もこれにあたる。このような有限温度の相転移は熱揺らぎによるが、それとは異なり、相転移が絶対零度で量子力学的な揺らぎによって引き起こされるとき、これを量子相転移といい、量子相転移が起こる相空間の点を量子臨界点と呼ぶ。磁気秩序を示す物質に磁場や圧力などをかけると、磁気秩序を示す温度が変化し、あるところでゼロになる。この点が量子臨界点である。
注5)キラルスピン液体相、スピン液体、量子スピン液体
磁性を担うイオンに束縛された各電子のスピンの向きが、時間的にも空間的にも一定の方向に留まらず、揺らいでいる状態がスピン液体と呼ばれている。特に量子揺らぎのためにスピンが固体にならず、絶対零度まで液体である場合、量子スピン液体と呼ばれる。また、巨視的に時間反転対称性を破っている(スピンキラリティ注10)が秩序化している)スピン液体はキラルスピン液体と呼ばれている。
注6)磁性体・磁気秩序・強磁性体
磁性体とは、内部に各電子の回転運動に起因した微小な磁石(スピン)を有する物質である。通常冷却すると、巨視的な数の電子スピンが何らかのパターンで整列する磁気秩序を示す。主として、磁石としての巨視的な磁化を示す鉄・コバルト・ニッケルなどの強磁性体、磁化が内部で打ち消されている反強磁性体、スピンが秩序化しない常磁性体などに分類される。
注7)重い電子
希土類やアクチノイド類を含む金属間化合物においては、これまでの精力的な研究を通じて、重い電子状態、近藤絶縁体、異方的超伝導、量子臨界現象など多岐にわたる興味深い量子現象が次々と見出されてきた。これらの現象を理解する上で基礎となるのが「近藤効果」である。これは比較的局在性の強いf電子の磁気双極子モーメント(スピン)が伝導電子と(cf)混成することによって遮蔽され、遍歴的な性質を持つ現象のことをいう。この近藤効果により電子の数百倍もの有効質量をもつ「重い電子」となり、時にはそれがペアを作り非従来型の超伝導を生み出す。このように「磁気双極子モーメント」を伝導電子が遮蔽するという近藤効果は、さまざまな新奇な現象を生み出す起源として固体物理の基礎的・普遍的現象の1つとして広く知られている。
注8)幾何学的フラストレーション
下図は正三角形の頂点上にある矢印が電子スピンを表す。矢印は上下の向きを取れるとして、隣り合うスピンは必ず反対向き(反強磁性的)にしかとれないとすると、どうしても配列が1つにさだまらず、スピンはフラストレーションを感じる。このように、三角形を基調とした構造を持つ磁性体は、その構造ゆえにすべてのスピン対に好まれる関係を完全には充足できない。このことを幾何学的フラストレーションと呼ぶ。PrIrの構造である、正四面体をベースとしたパイロクロア格子(図2B)は、幾何学的フラストレーションが現れる典型的な格子である。
図
注9)アイスルール・スピンアイス
氷では、Hイオン(プロトン)がパイロクロア格子構造(図4)の頂点の位置から少し変位する。その変位の向きは、下図に示すように2−in 2−outの構造をとりアイスルールと呼ばれる。これは共有する2つの正四面体の中心に位置する酸素(O2−)イオンのうち、どちらの向きに水素結合を形成するかによって決まり、その場合の数は四面体ごとに6通りある。同様な状況は、下図の矢印を上下の向きしか向かないイジングスピンに置き換えたスピンアイスと呼ばれる磁性体にも現れる。すなわち、四面体の各頂点にその重心方向に向いたイジングスピンを配置し、それらの間に強磁性の相関を考えると、イジングスピンは上記の2−in 2−outの構造をとりアイスルールを満たす。ここでも、その場合の数は6通りで、最低エネルギーの状態が1つに定まらないという意味で幾何学的フラストレーションが有効となっている。
図
注10)スピンキラリティ
電子のスピンは向きを持っているが、物質中で近接する3つの電子スピンが立体構造をとる場合、そのスピンが見込む立体角に、左手系ならプラス、右手系ならマイナスの符号を掛けたものをスピンキラリティと呼ぶ(図2A)。結晶構造のキラリティとは独立に、スピン空間に右手系と左手系の区別をもたらす。

<発表雑誌>

英国科学誌『Nature Materials』オンライン版 3月16日掲載
論文タイトル:Quantum criticality in a metallic spin liquid
著者:Y. Tokiwa, J. J. Ishikawa, S. Nakatsuji, and P. Gegenwart
doi:10.1038/nmat3900

<お問い合わせ先>

<研究内容に関すること>

中辻 知(ナカツジ サトル)
東京大学 物性研究所 准教授
Tel:04-7136-3240 Fax:04-7136-3241
E-mail:
HP:http://satoru.issp.u-tokyo.ac.jp/

<JSTの事業に関すること>

科学技術振興機構 戦略研究推進部 グリーンイノベーション・グループ
Tel:03-3512-3525 Fax:03-3222-2063
E-mail:

<報道担当>

科学技術振興機構 広報課
〒102-8666 東京都千代田区四番町5番地3
Tel:03-5214-8404 Fax:03-5214-8432