JSTトッププレス一覧 > 共同発表

平成26年3月17日

科学技術振興機構(JST)
慶應義塾大学 医学部

抗がん剤が効かなくなるがん細胞の新たなメカニズムを発見
治療効果の改善に期待

ポイント

JST 課題達成型基礎研究の一環として、慶應義塾大学 医学部の末松 誠 教授と山本 雄広 助教らは、がん細胞が抗がん剤治療に抵抗性を示すメカニズムの1つを新たに解明しました。

がん細胞は、ストレスに対する耐性を持っていて抗がん剤を使い続けていると、さまざまな手段で耐性を獲得していきます。その1つとして生体内ガスである一酸化炭素(CO)を生成して生き残ることが知られていますが、そのメカニズムは不明でした。

今回研究グループは、COを多く生成しているがん細胞はエネルギーを得るための代謝経路(解糖系注1))を、一時的にう回させて抗がん剤を効かなくさせる作用(解毒作用)などを獲得するとともに、再び元の代謝経路に戻ってエネルギー源も確保していることを発見しました。つまり、がん細胞は代謝系を巧妙に利用して、生き延びようとする仕組みを持っていたのです。さらに、PFKFB3という酵素が解糖系からう回経路に切り替えるスイッチの役割を果たしていることも見いだしました。がん細胞がストレスを受けるとCOが増加して、PFKFB3のメチル化修飾注2)が抑制され、酵素活性が下がることにより代謝経路を切り替えています。

PFKFB3のメチル化状態を調べることで、がんの悪性度や治療抵抗性の有無などの質的診断ができる可能性があります。また、PFKFB3を標的にした治療法の開発により、がんの治療抵抗性をなくして治療効果を向上させることも期待されます。

今回の発見には、島津製作所がJST 先端計測分析技術・機器開発プログラムにより開発した質量分析イメージング技術が威力を発揮しました。また、代謝システム解析技術の確立は、文部科学省「オーダーメイド医療の実現化プログラム:保存血清のメタボローム解析による疾患診断の有用性の検証と応用」の支援を受けています。

本研究成果は、2014年3月17日(英国時間)に英国科学誌「Nature Communications」のオンライン速報版で公開されます。

本成果は、以下の事業・研究プロジェクトによって得られました。

戦略的創造研究推進事業

研究プロジェクト 「末松ガスバイオロジープロジェクト」
研究総括 末松 誠(慶應義塾大学 医学部 医化学教室 教授)
研究期間 平成21年10月~平成27年3月

上記研究課題は、生体内で生成され受容される極小分子であるガス分子の生物作用を解明し、病気の治療に役立てることを目指しています。

<研究の背景と経緯>

がんは国内死亡原因の第1位の病気で、大きな社会問題となっています。近年、多くの研究成果により、がん細胞のさまざまな特徴が少しずつ分かってきました。がん細胞は正常細胞よりもブドウ糖を多く取り込みます。また正常細胞と異なり、酸素の有無に関わらずブドウ糖を乳酸に変換する代謝系である解糖系を主に利用し、がん細胞のエネルギー源となるアデノシン三リン酸(ATP)を作ります。がん細胞のもう1つの特徴として、ストレスに対する耐性を持つことが挙げられます。抗がん剤を使い続けていると、がん細胞はさまざまな手段で抗がん剤に対する耐性を獲得していきます。このことが、がん治療の大きな障壁となっています。

本研究グループは一酸化窒素(NO)、一酸化炭素(CO)、硫化水素(HS)など、生体内のガス分子が細胞内のどこでどのように発生し、どのように機能するかを理解するために研究を進めています。中でもCOは臓器における血流の制御や、炎症を抑える作用を持つことが知られています。がん細胞はこの仕組みを利用し、化学療法・放射線治療・血管塞栓療法などのがん治療のストレスを受けると、COを生成し細胞を死にくくすることが知られていましたが、その作用メカニズムは不明でした。

<研究の内容>

これまでに研究グループは、COがシスタチオニンβ合成酵素(CBS)注3)を阻害することにより、多くのたんぱく質のメチル化修飾を制御する機能があることを明らかにしており(図1)、この機能(CO-CBS系)ががん細胞の抗がん剤に対する耐性の獲得メカニズムと関わりがあるのではないかと考えました。

今回の研究で、がん細胞では解糖系の重要な調節酵素であるPFKFB3(ホスホフルクトキナーゼ/フルクトース-ビスホスファターゼ-タイプ3)が常にメチル化されることにより解糖系が活性化していること、ストレスを受けたがん細胞ではCOを増加させることによってこの酵素のメチル化修飾の度合いが低下し、ブドウ糖の代謝方向をペントースリン酸回路注4)にう回させるスイッチの役割があることを世界で初めて明らかにしました。

具体的な研究の方法と結果を以下に示します。

1)COは取り込んだブドウ糖を解糖系から一時的にペントースリン酸回路へう回させる
 がん細胞は正常細胞よりも大量のブドウ糖を取り込み、解糖系を通じ乳酸へ変換することによって、エネルギー源である多くのATPを酸素なしで産生します。一方で、がん細胞はその急速な細胞増殖を支えるために、大量の核酸(DNA、RNAの材料)やアミノ酸、細胞膜の原料となる脂質、さらにはエネルギーを合成するためのATPが必要になります。これらを合成する代謝系の多くは解糖系から分岐しており、分岐経路へ代謝を切り替えるスイッチ機能は、がん細胞が増殖する上で非常に重要です。
 本研究グループはがん細胞がストレス下でCOを産生する状況において、取り込まれたブドウ糖がどのように利用されるかを明らかにするべく、安定同位体注5)で標識したブドウ糖をがん細胞に取り込ませ、どのように代謝されていくのかを質量分析装置を用いて測定しました。その結果、COを多く生成しているがん細胞では、取り込まれたブドウ糖は核酸合成に重要な経路であるペントースリン酸回路へ一度う回して解糖系の下流に戻ることにより、増殖に必要な物質を合成しつつ、ATP合成量も維持して代謝されることが分かりました(図2)。

2)COは解糖系酵素PFKFB3のメチル化レベルを制御する
 次に、ペントースリン酸回路へう回させるメカニズムの解明を試みました。PFK-1(ホスホフルクトキナーゼ-1)は解糖系の一連の反応系で最も重要な酵素です。COが解糖系をペントースリン酸回路へう回させる「作用点」を精査したところ、この酵素の活性によって触媒され産生される物質の下流の代謝産物が減少していることを発見しました。加えて、PFK-1の活性化因子の1つの含量が、COを多く産生しているがん細胞において低下していることを発見し、これらの結果から、PFK-1の活性が下がっていることが示唆されました。さらに、このPFK-1の活性化因子の産生酵素であるPFKFB3という酵素が、メチル化修飾を受けることが分かりました。がん細胞ではこの酵素が常にメチル化され、解糖系が活性化しています。しかし、ストレスを受けると、COがCBSを阻害することによりPFK-1を制御するPFKFB3のメチル化レベルが低下し、核酸合成とエネルギー産生を同時にやりくりできるペントースリン酸回路へと、巧みに代謝経路を切り替えていることが明らかになりました。

3)PFKFB3の低メチル化はグルタチオンの還元化を強めることでがん細胞の増殖を助ける
 さらに、PFKFB3の低メチル化が、がん細胞にどのような作用をもたらしているのか解明するために生化学的実験を行ったところ、PFKFB3のメチル化修飾が酵素活性に影響することが分かりました。また、メチル化されたPFKFB3を特異的に認識する抗体を用いた実験から、がん細胞ではこの酵素は常に高メチル化状態にあり、解糖系が活性化されていることが分かりました。一方、低酸素刺激などのストレスを与えることでCO生成酵素であるヘムオキシナーゼ1が誘導されたがん細胞、あるいはCOそのもので処理されたがん細胞ではPFKFB3はそのメチル化レベルが低下し、酵素活性が低下しました。これにより、取り込まれたブドウ糖の流れがペントースリン酸回路へう回の切り替えには、PFKFB3のメチル化状態が鍵を握っていることが明らかになりました(図2)。
 ペントースリン酸回路は核酸の合成に必要なだけでなく、NADPH注6)の合成経路でもあります。NADPHは、細胞内に存在するグルタチオン注7)という解毒物質を還元することにより、その再利用に極めて重要な作用を持ちます。グルタチオンの再利用は、がん細胞のストレス耐性の獲得に重要なメカニズムであることが知られています。今回の実験において、PFKFB3の低メチル化を誘導したがん細胞ではNADPH量および還元型グルタチオン量が増加し、抗がん剤の1つであるシスプラチンに対して抵抗性を示しました(図3)。
 さらに、免疫不全マウスを用いたがん細胞の移植実験においても、低メチル化されたPFKFB3を持つがん細胞では、高メチル化されたPFKFB3をもつがん細胞(対照群)に比べ肝臓内における腫瘍占有率が高く、質量顕微鏡を用いた測定より腫瘍内のグルタチオンの還元型/酸化型の比率(GSH/GSSG比)が高いことが分かりました(図4)。つまり、PFKFB3のメチル化の度合いが、がん細胞の酸化ストレス耐性を決定するという新しい分子メカニズムを解明しました(図5)。

4)まとめ
 このように、がんは抗がん剤などのストレスに対抗するために、糖代謝をペントースリン酸回路へ一時的にう回させて抗がん剤を効かなくさせる作用(解毒作用)を獲得しつつ、がん自身のエネルギー源であるATPをも確保できるように巧妙に代謝系を利用し、生き延びるようとするあざとい仕組みを持っていることを見いだしました。

<今後の展望>

今回の研究で明らかになった、がん細胞の代謝制御メカニズムの鍵になる新しいスイッチ分子であるPFKFB3の発見は、PFKFB3のメチル化状態を調べることで、がんの悪性度や治療抵抗性の有無などの質的診断ができる可能性があります。また、今後スイッチングの詳細なメカニズムが解明され、解糖系とペントースリン酸回路の切り替えスイッチのON/OFFを人為的に制御することが可能になれば、がん細胞を「兵糧攻め」することによって治療効果を向上させる可能性があります。今後の研究で、これまでのがん治療の限界を克服できる、新しいがん治療法の開発につながることが期待されます。

<参考図>

図1

図1 COがメチル基転移反応を制御する仕組み

COはヘム注8)たんぱく質であるCBSの活性を阻害することでホモシステインから流れてくる経路(緑色矢印)を遮断する。一方、COによるCBSの活性阻害によって、メチオニン回路(オレンジ色矢印)中の代謝産物は増加する。この代謝経路中にあるs-アデノシルメチオニン(SAM)はメチル基供与体として働くため、COによるメチオニン回路の活性化はさまざまなメチル基転移反応を制御する。

図2

図2 COによってブドウ糖がペントースリン酸回路で代謝される仕組み

がん細胞に安定同位体でラベルされたブドウ糖を取り込ませ、どのような経路で代謝されるか追跡実験を行ったところ、ストレスでCOの増加したがん細胞ではペントースリン酸回路へ流れる割合が増加し、この回路へう回して代謝されることが明らかになった。また、生化学的な実験より、COの増加したがん細胞では解糖系の重要な調節酵素であるホスホフルクトキナーゼ(PFK-1)の活性が低下していることが分かった。

図3

図3 低メチル化型PFKFB3を多く持つがん細胞では還元型グルタチオン量を増やすことで抗がん剤に対する抵抗性を持つ

a:ヒト大腸がん由来細胞であるHCT116細胞でCBSをshRNAでノックダウンするとPFKFB3のメチル化レベルが低下する。
b、c:CBSをノックダウンしたHCT116細胞ではコントロール細胞に比べ、NADPH(b)および還元型グルタチオン量(c)が増加している。
d:抗がん剤(50μMシスプラチン)による細胞死への影響も調べたところ、CBSをノックダウンした細胞ではコントロール細胞と比較して、抗がん剤に対する抵抗性が認められた。

図4

図4 免疫不全マウスを用いたCBSをノックダウンしたがん細胞の移植実験

a:CBSをノックダウンしたHCT116細胞を用い、肝転移モデルを構築した。ノックダウン細胞では肝臓組織中における腫瘍占有率が著しく増加していた。
b:質量顕微鏡を用いて、対照群およびCBSノックダウン細胞の、担がん肝組織切片を解析したところ、CBSノックダウン細胞からなる腫瘍において高いグルタチオンの還元/酸化型比(GSH/GSSG)が認められ、酸化ストレス耐性が増していることが示唆されました。

図5

図5 PFKFB3のメチル化状態による解糖系のスイッチング機構

平常時におけるがん細胞は恒常的にPFKFB3がメチル化状態であり、解糖系が活性化しているが(左側の流れ)、さまざまなストレスによってCO-CBS系の作用によりPFKFB3が低メチル化状態になると、その結果PFK-1活性が低下することにより、ブドウ糖はペントースリン酸回路へう回して代謝され、グルタチオンの還元力維持に重要なNADPHを生みだす。これにより、がん細胞は酸化ストレスや抗がん剤に対して抵抗性を持つようになる。

<用語解説>

注1) 解糖系
ブドウ糖をピルビン酸や乳酸などの有機酸に分解する代謝経路。反応に酸素を必要としないため、嫌気的条件化でもATPを作ることができる。
注2) メチル化修飾
DNAやRNA、たんぱく質、脂質などさまざまな基質にメチル基(-CH)が置換もしくは結合することを指す。メチル化反応はメチオニン代謝の中間代謝物質s-アデノシルメチオニン(SAM)がメチル基転移酵素によってメチル基が供与されることによって起こる。たんぱく質の場合は主にアルギニン、リジン残基がメチル化修飾を受け、その機能調節に極めて重要な翻訳後修飾である。
注3) シスタチオニンβ合成酵素(CBS)
必須アミノ酸の1つであるメチオニン代謝系の酵素。この酵素はヘム含有たんぱく質でCOガスがヘムに含まれる鉄に結合することで酵素活性が低下することが知られている。
注4) ペントースリン酸回路
解糖系から分岐する代謝系でDNAやRNAなどの核酸合成の原料になる五炭糖や還元当量NADPHが産生される。
注5) 安定同位体
放射線を出さず、自発的にはほかの各種に変化しない同位体を指す。安定同位体で目印をつけた化合物はその質量数の違いで細胞内に元々存在する化合物との違いを質量分析計で区別することができる。今回の実験では質量数が通常よりも+1だけ重い炭素原子(13C)を含むブドウ糖をがん細胞に取り込ませ、一定時間後にブドウ糖がどのような経路で代謝されたかを追跡調査した。
注6) NADPH(ニコチンアミドアデニンジヌクレオチドリン酸)
生体内における還元的生合成に用いられる活性型電子伝達体。脂肪酸の合成や肝臓における解毒、グルタチオンの還元化などに使われる。
注7) グルタチオン
グルタミン酸、システイン、グリシンの3つのアミノ酸がこの順番で結合したトリペプチドである。活性酸素や過酸化物などの酸化ストレスから細胞を守る、抗酸化作用を持つ。また体内の有害物はグルタチオンと結合し、細胞外へ排出するような解毒作用も知られている。細胞が酸化ストレスに晒されると、その還元力で無毒化し自身は酸化されるが、グルタチオンレダクターゼによって還元型に再び変換(この際にNADPHの還元力が必要とされる)され、細胞内では常に還元型グルタチオン濃度を高く維持する機構が備わっている。また、グルタチオンの還元型・酸化型の比率はしばしば細胞毒性の指標として用いられる。
注8) ヘム
2価の鉄原子とポルフィリンからなる錯体。ヘモグロビンやミオグロビンなどのたんぱく質に結合する重要な非たんぱく質要素。ガス分子はヘムの鉄原子の部分への結合能があり、そうすることでヘム含有たんぱく質の機能を変化させる作用がある。

<論文タイトル>

“Reduced methylation of PFKFB3 in cancer cells shunts glucose towards the pentose phosphate pathway”
(がん細胞における解糖系酵素PFKFB3のメチル化減少はブドウ糖をペントースリン酸回路にう回させる)
doi: 10.1038/ncomms4480

<お問い合わせ先>

<研究に関すること>

末松 誠(スエマツ マコト)
慶應義塾大学 医学部 医化学教室 教授
〒160-8582 東京都新宿区信濃町35番地
Tel:03-5363-3753 Fax:03-5363-3466
E-mail:

山本 雄広(ヤマモト タケヒロ)
慶應義塾大学 医学部 医化学教室 助教
〒160-8582 東京都新宿区信濃町35番地
Tel:03-5363-3461 Fax:03-5363-3466
E-mail:

<JSTの事業に関すること>

坂本 祥純(サカモト ヨシズミ)
科学技術振興機構 研究プロジェクト推進部
〒102-0076 東京都千代田区五番町7 K’s五番町
Tel:03-3512-3528 Fax:03-3222-2068
E-mail: