自閉症スペクトラム障害注1)は、表情や声色を活用して相手の気持ちを汲み取ることが難しいといった対人コミュニケーションの障害を主な症状とし、一般人口の100人に1人以上で認められる代表的な発達障害です。この障害の原因は完全には解明されておらず、その治療法も確立されていません。結果として、知能の高い方でもこの障害のために社会生活に困難をきたしている現状にあります。
東京大学 大学院医学系研究科 精神医学分野 准教授 山末 英典は、同研究科 統合生理学分野 特任助教(当時) 渡部 喬光らと共同で、ホルモンの1種であるオキシトシン注2)をスプレーによって鼻から吸入することで、自閉症スペクトラム障害において元来低下していた内側前頭前野注3)と呼ばれる脳の部位の活動が活性化され、それと共に対人コミュニケーションの障害が改善されることを世界で初めて示しました。
今後はこの研究成果をもとに、オキシトシンの点鼻スプレー製剤を活用して、未確立だった自閉症スペクトラム障害における対人コミュニケーションの障害の治療法開発に取り組んでいきます。これらの成果は、日本時間:12月19日午前6時にJAMA Psychiatry(米国医師会雑誌(精神医学))にて発表されます。本研究は、科学技術振興機構 戦略的創造研究推進事業 チーム型研究(CREST)「精神・神経疾患の分子病態理解に基づく診断・治療へ向けた新技術の創出」研究領域(研究総括:樋口 輝彦)における研究課題「社会行動関連分子機構の解明に基づく自閉症の根本的治療法創出」(研究代表者:加藤 進昌)および文部科学省「脳科学研究戦略推進プログラム」の一環として行われました。
<研究の背景>
自閉症スペクトラム障害の方は、その高い知能や言語の理解能力にも関わらず他者の意図を直感的に汲み取ることが苦手なため、しばしば社会生活に困難を感じています。特に、表情や声色を活用して他者の気持ちを汲み取ることが困難であることが経験的に知られていました。本研究に先立ち2012年に発表した論文では、言葉の内容よりも表情や声色を重視して相手の友好性を判断する頻度が自閉症スペクトラム障害群では健常対照群に比べて有意に少ないことを実証し、さらにこの特徴には内側前頭前野の活動低下が関与していることを突き止めていました(Watanabe et al. (2012). PLoS One, 7(6), e39561. [http://www.h.u-tokyo.ac.jp/vcms_lf/release_20120623.pdf],山末 英典、渡部 喬光)。
<研究の内容>
今回の研究では、2012年の研究で見出した自閉症スペクトラム障害群の行動および脳活動の特徴が、オキシトシンの点鼻スプレー投与によって改善するか否かを検証しました。東京大学 医学部 附属病院において40名の自閉症スペクトラム障害の成年男性を対象として二重盲検注4)など最も客観性の高い厳密な方法で医師主導臨床試験を行った結果、オキシトシン投与が自閉症スペクトラム障害群において元来低下していた脳活動を有意に上昇させ、それと共に対人コミュニケーションの障害が有意に改善されることを世界で初めて明らかにしました。つまり、オキシトシン点鼻スプレーを1回投与したことで、健常群で観察される、表情や声色を活用して相手の友好性を判断する行動が増え(図1)、内側前頭前野の活動が回復し(図2)、それら行動上の改善度と脳活動上の改善度が関与しあっていました(図3)。これは、オキシトシンによって脳の活動に変化を与えて、同障害を治療できる可能性を支持する結果です。
<今後の展望>
今回の研究成果をもとに、オキシトシンの点鼻スプレー製剤を活用して、これまで確立されていなかった自閉症スペクトラム障害における対人コミュニケーション障害の治療法開発に取り組んでいます。まず、実験室内で見出した今回の1回の投与による効果が、連日投与を続けた場合にも認められ、日常生活においても役に立つのかを検証する必要があります。この検証のために、東京大学 医学部 附属病院では自閉症スペクトラム障害の方20名の協力を得て、オキシトシンの点鼻スプレー6週間投与の効果を検証する臨床試験を既に行っています。今後はこのデータを解析した上で、有効性と安全性を検証し、日常診療で使用するためにはさらにどれだけの方に臨床試験に参加して頂けば良いかを算出する予定です。同時に、これまで生活場面における対人コミュニケーション障害の重症度が時間的に変化していく様子を客観的に評価できる方法がなかったため、その評価方法の確立にも取り組んでいます。また、今回対象としなかった女性や幼少期の方についてもさらにオキシトシンの有効性や安全性を検証する必要があります。
<参考図>
図1 表情・声色を活用した他者理解の回数
図2
○:自閉症スペクトラム障害の方で活動が衰弱していた部位。赤く示された部分は、オキシトシンの点鼻投与で活動が強まった部位。元々減弱していた部位に一致して活動が回復した。
図3 表情・声色を活用した他者理解の増加
脳活動の回復が強かった者ほど、他者理解のパターンの回復も顕著に認められた。
<用語解説>
- 注1)自閉症スペクトラム障害
- 1)対人相互作用の障害 2)言語的コミュニケーションの障害 3)常同的・反復的行動様式という3つの中核症状全てを有する自閉症から、1)と3)だけを有するアスペルガー障害、1)だけを有する特定不能の広汎性発達障害までを含む概念です。自閉症的な特性は、重度の知的障害を伴った自閉症から、知的機能の高い自閉症を経由し、対人関係上で、いわゆる変わり者と言われるような正常範囲の人まで続くスペクトラムを形成するという考えにもとづいています。
- 注2)オキシトシン
- 脳の下垂体後葉から分泌されるホルモンで、従来は子宮平滑筋収縮作用を介した分娩促進や乳腺の筋線維を収縮させる作用を介した乳汁分泌促進作用が知られていました。しかし一方で男女を問わず脳内にも多くのオキシトシン受容体が分布していることが知られ、脳への未知の作用についても関心が持たれていました。そうした中、健康な大学生などを対象とした研究において、他者と信頼関係を築きやすくする効果などが報告されて注目を集めていました。
- 注3)内側前頭前野
- 情報を統合して行動を調節するといった機能を担っているとされる前頭前野の内側面に位置しています。他者との交流・自己・意識といった様々な高次精神機能に関与することが知られていますが、特に本研究でオキシトシンによる活動の変化を認めた場所は、自分の感情や体験に照らし合わせることで他者の感情や考えを理解したりする働きに関わる場所と(腹側内側前頭前野)、他者の考えを論理的・客観的に推論する機能に関わる場所(背側内側前頭前野)との両者を含んでいます。
- 注4)二重盲検
- 思い込みなどから生じる偽薬によるプラセボ効果や観察者の先入観などを排除するために、臨床試験の参加者も試験担当者も偽薬か実薬か分からない状態で服薬も検査も行って、実薬による真の薬理効果を実証する方法。
<発表雑誌>
雑誌名:JAMA Psychiatry
論文タイトル:Mitigation of sociocommunicational deficits of autism through oxytocin-induced recovery of medial prefrontal activity: A randomized trial
<参照URL>
JAMA PsychiatryホームページURL:http://archpsyc.jamanetwork.com/journal.aspx
<お問い合わせ先>
<研究に関すること>
東京大学 医学部 附属病院 精神神経科
准教授 山末 英典
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<取材に関するお問合せ先>
東京大学 医学部 附属病院 パブリック・リレーションセンター
担当 小岩井、渡部
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