ポイント
- 発がん遺伝子の活性化に必須の膜たんぱく質の立体構造を世界で初めて解明。
- 抗体を用いる新技術により、膜内在性たんぱく質の結晶化に成功。
- 発がん遺伝子の活性を抑え、がんを抑制する薬剤を設計することが可能に。
JST 課題達成型基礎研究の一環として、京都大学 大学院医学研究科 岩田 想 教授、小笠原 諭 研究員(現 東北大学 大学院医学系研究科 助教)らは、がんを引き起こすプロセスの鍵となるRce1(アールシーイーワン)注1)という膜たんぱく質の立体構造を、抗体を用いた独自技術により解明することに成功しました。
細胞制御に関わる重要な分子であるRas(ラス)たんぱく質注2)は、常に活性化(スイッチオンの状態)されるような突然変異により、高頻度でがんを引き起こすことが知られています。Rasたんぱく質の活性化には、このたんぱく質の特定の部分がRce1というたんぱく質分解酵素によって切断されることが重要です。Rasたんぱく質が突然変異を持っていても、Rce1による切断が起こらないと、Rasたんぱく質の細胞膜への移行が妨げられ、がんを引き起こす働きが抑制されることが分かっています。
英国がん研究所のデビッド・バーフォード 教授は、Rce1によるRasたんぱく質活性化の仕組みを調べるために、ヒトのRce1とよく似ている古細菌由来Rce1たんぱく質を結晶化し、X線構造解析を試みました。しかし、Rce1は良好な結晶を得ることが難しく、実験が難航していました。そこで本研究グループは、抗体を用いて膜たんぱく質の結晶化を促進する独自技術をRce1に適用しました。この抗体とRce1との複合体を作ったところ、良好な結晶を得ることができ、その立体構造を原子レベルで解明することができました。さらに、Rce1の構造中に見いだされた「くぼみ」にコンピューターシミュレーションを用いてRasたんぱく質をドッキングさせることにより、Rce1によるRas活性化の詳細な分子機構が分かりました。
この立体構造情報から、Rce1の活性阻害薬物の設計が可能となり、Rasたんぱく質の突然変異による発がんを抑制する薬剤の開発に役立つことが期待されます。
本研究は、英国がん研究所のデビッド・バーフォード 教授らと共同で行ったもので、本研究成果は、2013年12月1日(英国時間)に英国科学誌「Nature」のオンライン速報版で公開されます。
<研究の背景と経緯>
RasやRhoと呼ばれるたんぱく質は、細胞の成長や増殖に関与する重要な分子です。遺伝子の情報を合成されたRasたんぱく質は、さまざまな化学修飾により活性化され、細胞表面上の受容体にシグナルを伝達します。一方で、このRasたんぱく質の突然変異によるシグナル伝達の異常活性化は、すい臓がん、子宮頸がん、肺がん、甲状腺がん、膀胱がん、乳がん、皮膚がん、白血病などのがんで共通して起こっています。最近では、がんの約15%の原因は、Rasたんぱく質の異常に関係しているとも言われています。
Rce1は、このRasたんぱく質の化学修飾を行う酵素群の1つで、Rasたんぱく質のペプチドを切断する、小胞体膜内在型のたんぱく質分解酵素です。このRce1によるRasたんぱく質のペプチドの切断が引き金となり、突然変異型のRasがシグナル伝達の異常活性化を引き起こしています(図1)。
そのため、これらの一連の酵素群の立体構造や反応機構の解明は、がんを抑制する薬剤の創出に向けて重要な知見と考えられています。特にRce1は、古細菌からヒトまで広く保存され7回膜貫通型のたんぱく質分解酵素ですが、他の酵素と相同性が低い新しい酵素であり、構造解析による反応機構の解明が望まれていました。本研究では、ヒトRce1と相同性の高い古細菌由来Rce1の立体構造解析を試みました。
<研究の内容>
英国がん研究所のバーフォード研究室では、古細菌由来Rce1の大量発現・精製に成功し、結晶構造解析を試みていました。しかし、膜たんぱく質を高純度に精製でき、結晶が得られるものの、X線回析の精度が低く詳細な立体構造を得ることができませんでした。そこでデビッド・バーフォード 教授らは、膜たんぱく質の構造解析に成功していた岩田想 教授に協力を要請しました。
本研究グループは、抗体フラグメント(断片)注3)を用いた独自技術を使って膜たんぱく質の結晶化を促進する技術の適用を試みました(図2-1)。この技術では、抗体フラグメントが膜たんぱく質に結合して、膜たんぱく質同士をくっつける接着剤のような役割を担い、その結果膜たんぱく質が規則正しく並び、良質な結晶ができます。
最初に、Rce1たんぱく質の立体構造を認識する抗体の作製を行いました。一般的に免疫からモノクローナル抗体を産生する細胞の樹立まで約半年間要しますが、これまでに確立した抗体フラグメント作製法をさらに効率化・迅速化し、わずか3ヵ月間という短期間で行うことに成功しました。具体的には、これまで抗体を精製してから膜たんぱく質の構造を認識する抗体を検出していましたが、微量の膜たんぱく質と抗体の複合体を蛍光によって検出することで、膜たんぱく質の立体構造を認識し結晶化を促進する抗体を迅速に選択することができました(図2-2)。
本プロジェクトで作製した抗体フラグメントを用いて、バーフォード研究室にてRce1と抗体フラグメントを一緒に結晶化する条件の最適化を行い、最終的には高い精度で立体構造の解析に成功しました(図3)。立体構造の詳細情報から、Rce1の活性中心部位の形は、他のたんぱく質分解酵素と似ていることが明らかになりました。また、コンピューターシミュレーションを用いて、Rce1の基質であるRasたんぱく質をドッキングしたところ、この抗体フラグメントは、Rce1がRasたんぱく質などの基質と結合する「くぼみ」付近に結合していても、基質との結合を邪魔することなく、Rce1を開いた状態(活性型)に固定化する機能を持った抗体でした。Rce1は酵素反応の活性中心部位である「くぼみ」が開くことで、Rasたんぱく質のペプチドを認識し、適切な位置で切断することが示唆されます。このように立体構造が明らかになることで、膜たんぱく質の反応機構の詳細を理解することができました(図4)。
<今後の展開>
Rce1の酵素活性中心部位の「くぼみ」の構造情報が明らかになったことで、Rce1の酵素活性を阻害する、あるいは調節できる薬剤の探索・設計が可能になると考えられます。また、今回の抗体フラグメントそのものの構造情報、および抗体の遺伝子を活用することで、Rce1の活性に何らかの影響を与える抗体ベースの薬剤の設計・作製が可能になります。
さらに、本研究で開発した膜たんぱく質の立体構造を認識する抗体フラグメント作製技術により、これまで立体構造解析が難しかった多くの膜たんぱく質の結晶化および構造解析をより迅速に導いていくとともに、膜たんぱく質の機能解析にも役立つことが期待されます。
<参考図>
図1 Rce1によるRasたんぱく質の異常活性化
ファルネシル化(黄の波線:たんぱく質が脂質で修飾されたもの)されたRasたんぱく質のカルボキシル末端(-CAAX)が、Rce1によって切断されると細胞膜に移行する。変異型のRasたんぱく質は、細胞内のシグナル伝達を異常活性化するため、異常な細胞増殖などを誘発し、がんの発症につながると考えられている。
図2-1 抗体フラグメントを用いた膜たんぱく質の結晶化の原理
良質な結晶を得るためには、たんぱく質が規則正しく並んでいることが重要。抗体フラグメント(緑色の台形)が膜たんぱく質に結合することで、膜たんぱく質の接着剤のような役割を担う。その結果、膜たんぱく質が規則正しく並ぶことができ、膜たんぱく質の良質の結晶化が促進される。
図2-2 結晶化に適した抗体の作製方法
抗体フラグメントが膜たんぱく質との複合体を形成し結晶化を促進するためには、膜たんぱく質の立体構造を認識することが重要。そのために、精製した膜たんぱく質の立体構造を保持したままの状態で抗体を作製する方法を開発した。具体的には、まず精製した膜たんぱく質の立体構造を維持するためのプロテオリポソーム(人工脂質膜)を作製する(①)。作製したプロテオリポソームをマウスに免疫し、スクリーニングを行い(②)、膜たんぱく質の立体構造を認識した抗体を作製(③)。これまではこの後に抗体を精製していたが、今回は精製せずに、Rce1と抗体および蛍光標識された抗体の混合液(サンプル1)と、Rce1が含まれていない抗体だけの混合液(サンプル2)を、蛍光検出によって比較する方法を見いだし、作製した抗体の中からRce1と結合する抗体(赤の矢印)のみを選別(④)。その結果、Rce1の立体構造を認識して結合している抗体を作製、選定する時間を短縮できた。
図3 Rce1の立体構造
Rce1(MmRce1、紫リボン)と抗体フラグメント(Fab、緑と黄緑のリボン)が結合している。
図4 Rce1の活性部位
(a)Rce1の活性部位は、細胞内側で「くぼみ」を形成している。この「くぼみ」に、ファルネシル化されたRasたんぱく質(黄緑色)が結合し、Rasたんぱく質のカルボキシル末端が切断される。(b)Rce1の活性部位の「くぼみ」に、ファルネシル化されたRasたんぱく質(緑色、ペプチド)が結合している。抗体フラグメントは、Rce1の活性部位を固定しつつ、活性を維持できる機能を持っていることが明らかになった。
<用語解説>
- 注1)Rce1(Ras converting enzyme1)
- Ras変換酵素1で、小胞体膜に存在する7回膜貫通型の膜酵素たんぱく質でありRasたんぱく質の翻訳後修飾を行う。
- 注2)Rasたんぱく質
- 低分子のGTP結合たんぱく質で細胞の成長や増殖など、細胞の多くの現象に関係するたんぱく質。Rasたんぱく質の変異は細胞のがん化に関わる。
- 注3)抗体フラグメント(断片)
- 抗体を酵素処理や、遺伝子工学的手法を用いて発現させて、抗原に結合できる(最)小単位にしたもの。
<論文タイトル>
“Mechanism of farnesylated CAAX protein processing by the integral membrane protease Rce1”
(小胞体の膜たんぱく質Rce1のファルネシル化の機能解明)
<お問い合わせ先>
<研究に関すること>
岩田 想(イワタ ソウ)
京都大学 大学院医学研究科 教授
〒606-8501 京都府京都市左京区吉田近衛町
Tel:075-753-4372 Fax:075-753-4660
E-mail:
小笠原 諭(オガサワラ サトシ)
東北大学 大学院医学系研究科 地域イノベーション分野
〒980-8575 宮城県仙台市青葉区星陵町2-1 3号館仮設プレハブ2階
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