東北大学 大学院医学系研究科 医化学分野の山本 雅之 教授と同分野の相馬 友和 博士らの研究グループは、腎臓病の悪化のメカニズムの一端およびその病態の可逆性を発見しました。
研究チームはこれまでに、造血に重要な役割を果たす腎エリスロポエチン注1)産生細胞を同定し、同細胞が腎臓病で性質を変化させ腎臓病悪化の原因である腎線維化注2)に寄与するようになることを明らかにしてきました。しかし、その細胞がどの程度、腎疾患悪化に関与しているのか、また、可逆的な改善が可能かということが明らかでありませんでした。
本研究グループは、遺伝子改変動物を用いた実験で、腎線維化の主な原因が腎エリスロポエチン産生細胞の機能不全、形質転換注3)にあることを見出しました。さらに、形質転換した細胞が炎症性サイトカインを分泌し、微小炎症の悪循環を形成することを同定しました。さらに、炎症シグナルを改善することで、形質転換した細胞が、正常の状態へ可逆的に回復しうることを発見しました。これらのことから、腎エリスロポエチン産生細胞の性質の制御が慢性腎臓病の悪化抑制、さらには可逆的回復につながる可能性が示唆されました。今回の研究成果は、日本国民成人の約8人に1人が罹患する慢性腎臓病の治療法開発において重要な発見と考えられます。
本研究の成果は、JSTのCREST「炎症の慢性化機構の解明と制御に向けた基盤技術の創出」領域の一環として行われ、米国科学誌『Journal of the American Society of Nephrology』のオンライン速報版(米国時間7月5日付:日本時間7月6日)で公開されます。
本成果は、以下の事業・研究領域・研究課題によって得られました。
戦略的創造研究推進事業 チーム型研究(CREST)
研究領域 |
「炎症の慢性化機構の解明と制御に向けた基盤技術の創出」 (研究総括:宮坂 昌之 大阪大学 未来戦略機構 特任教授) |
研究課題名 |
「環境応答破綻がもたらす炎症の慢性化機構と治療戦略」 |
研究代表者 |
山本 雅之(東北大学 大学院医学系研究科 教授)) |
研究期間 |
平成23年10月~平成29年3月 |
JSTはこの領域で、炎症が慢性化する機構を明らかにし、慢性炎症を早期に検出し、制御し、消退させ、修復する基盤技術の創出を目指しています。上記研究課題では、環境ストレスに対する防御応答の破綻がもたらす炎症の慢性化機構の解明を通じて、新規治療法を創出することを目指しています。
<研究の背景と経緯>
慢性腎臓病は、日本人成人の約8人に1人が発症する国民病で、糖尿病、高血圧、慢性糸球体腎炎などの多数の疾患を原因にして発症します。慢性腎臓病は、その原因によらず腎臓の「線維化」により悪化していき、それに伴い赤血球造血ホルモンであるエリスロポエチンの産生が低下し、「腎性貧血」を合併します。その結果、腎機能が失われていくとともに、早期より心血管病(心筋梗塞や脳梗塞など)を合併します。しかしながら、腎臓の線維化と腎性貧血発症のメカニズムは十分に明らかでなく、治療法の開発も進んでおりません。
これまでに、東北大学の研究チームは、遺伝子改変動物作成技術を駆使することで、世界に先駆けて腎内のエリスロポエチン産生細胞を同定し、同細胞が筋線維芽細胞注4)(腎臓線維化の原因細胞)に変化することを発見してきました。しかしながら、筋線維芽細胞の由来には諸説あり、腎エリスロポエチン産生細胞が腎線維化に担う役割の程度や、同細胞の性質が回復可能なのか、また形質転換のメカニズムの詳細については不明でした。本研究グループは、腎エリスロポエチン産生細胞の腎線維化における役割を明らかにすることで、腎臓病の治療法の開発につなげたいと考えました。
<研究の内容>
本研究グループは、腎線維化の原因細胞である筋線維芽細胞がどの細胞を起源にしているのかを調べるために、新規に開発した遺伝子改変マウス(Nat Commun, 2013)を用いて解析しました。その結果、腎エリスロポエチン産生細胞が、筋線維芽細胞の主な由来であることが判明しました(図1)。次に、腎臓病を誘導したマウスの腎臓より、腎エリスロポエチン産生細胞を精製単離する手法を確立し、その性状を調べたところ、腎エリスロポエチン産生細胞は、筋線維芽細胞への形質転換に伴ってエリスロポエチン産生能を失い、線維化に関わる細胞外基質を産生するとともに、炎症性物質を産生することが判明しました(図2)。このことから、正常では体に必須の「善玉」である腎エリスロポエチン産生細胞が、腎臓病発症時には、いわゆる「悪玉」となることが分かりました。この発見により、腎エリスロポエチン産生細胞の性質の変化が、腎線維化および腎性貧血の原因の主な原因であることが明らかになりました。
さらに、研究グループは、悪玉化した腎エリスロポエチン産生細胞が再び「善玉」に戻りうるのかを検討しました。そこで、腎臓病を誘導し腎エリスロポエチン産生細胞を悪玉化させた後、腎臓病を誘導していたシグナルを除去するという実験を行いました。すると、悪玉化することで失っていたエリスロポエチン産生能が、完全に回復し、線維化の進行や炎症の進行も停止しました。腎エリスロポエチン産生細胞が高い回復力、可塑性注5)を持つ細胞であることが判明しました(図3)。この「善玉」に回復するメカニズムを探索するために、腎内の遺伝子発現の網羅的解析を行ったところ、特に腎内に生じる炎症シグナルが重要であることが判明しました。さらに、炎症シグナルへの介入が治療的効果を持つかを検討するために、抗炎症薬を投与したところ、同細胞の筋線維芽細胞からの形質回復(「悪玉」から「善玉」への回復)が促進されることが判明しました。慢性腎臓病患者の腎臓においても慢性炎症が生じていることが多数報告されており、炎症環境を制御し腎エリスロポエチン産生細胞の「善玉」の性質を維持していくことが、慢性腎臓病の治療において重要となる可能性が示唆されました(図4)。
<今後の展開>
腎線維化が腎臓病の共通の悪化機序であることが報告されて以来、線維化の原因細胞とそのメカニズムの解明に世界中の研究者が取り組んできました。しかし、線維化の原因細胞は、諸説あり十分な治療法開発の基盤がありませんでした。本研究成果により、腎線維化の主な原因が腎エリスロポエチン産生細胞の形質変化であり、形質変化に伴って腎性貧血を合併することが判明しました。特に重要なことは、この形質変化が可逆的であり、腎エリスロポエチン産生細胞が『可塑性』に富んでいる、高い回復力を持った細胞であることが明らかになったことです。このことは、これまで明らかでなかった『慢性腎臓病の進行阻止に向けての標的細胞』が明らかになったと言えます。よって、本研究成果は、腎臓病の悪化抑制、さらには可逆的回復へと結びつく効果的な治療法開発に道を拓くものになると考えられます。
<参考図>
図1 慢性腎臓病の原因細胞としての「悪玉化」腎エリスロポエチン産生細胞
腎エリスロポエチン産生細胞の機能と細胞運命を追跡できる遺伝子改変マウスに腎臓病を誘導することで、腎エリスロポエチン産生細胞の腎臓病における役割を検討しました。腎臓病誘導とともに、腎エリスロポエチン産生細胞が、すぐにエリスロポエチン(Epo)産生能を喪失することが分かりました。さらに、障害腎では、筋線維芽細胞に形質転換した腎エリスロポエチン産生細胞(「悪玉化」腎エリスロポエチン産生細胞)で、腎臓が埋め尽くされていました(右下図)。これらのことから、腎エリスロポエチン産生細胞の形質転換、「悪玉化」が、腎臓病悪化の主な原因であることが判明しました。
図2 腎エリスロポエチン産生細胞の単離精製による悪玉化細胞の性状解析
正常および障害腎より腎エリスロポエチン産生細胞を単離精製し、その性質を調べたところ障害腎に由来する腎エリスロポエチン産生細胞(「悪玉化」腎エリスロポエチン産生細胞)は、コラーゲンといった線維化の元になる物質を多量に産生するだけでなく、炎症性物質を産生し、腎内で微小炎症の悪循環を作り出していることが判明しました。
図3 腎エリスロポエチン産生細胞の持つ高い回復力(可塑性)
悪玉化した腎エリスロポエチン産生細胞の性質が、再度正常化するかを検討したところ、機能面(エリスロポエチン産生能、右上図)においても形態面(下図)においても正常化しうることが判明しました。
図4 腎エリスロポエチン産生細胞の健常腎および病気腎での役割とその可逆性
腎エリスロポエチン産生細胞は、正常時は、その多くがエリスロポエチンを産生しない休止状態にあります。しかし、低酸素刺激が加わると低酸素誘導性因子(HIF)の働きにより、体の赤血球産生を増加させるためにエリスロポエチン(Epo)を産生し始めます(左図)。この働きが腎臓病では、微小炎症などの腎内微小環境の悪化により失われます。本研究により、腎線維化と貧血の原因が、腎エリスロポエチン産生細胞の悪玉化にあることが分かりました。さらに、悪玉化した本細胞が、浸潤してきた白血球や尿細管細胞とともに炎症の悪循環を形成することで線維化と腎内微小炎症を悪化させることが判明しました(右図)。しかしながら、本細胞が高い回復力、可塑性を備えた細胞であることが明らかとなり、正常の性質を保つ、さらには、悪玉化した細胞を正常化させる方法を開発することが腎臓病治療において重要であると考えられました。今後、「悪玉」腎エリスロポエチン産生細胞の正常化を目指した治療法開発が行われていくことが期待されます。
<用語解説>
- 注1) エリスロポエチン
- 赤血球産生に必須のホルモンで、主に胎児では肝臓、出生後は腎臓で作られる。組換え型製剤が腎性貧血の治療に用いられている。
- 注2) 線維化
- 臓器、組織の傷害に伴ってコラーゲンなどの細胞外基質が過剰に蓄積すること。正常な臓器、組織の構造が破綻、臓器が硬化することで機能不全に陥る。
- 注3) 形質転換
- 細胞の持つ特徴が大きく変化して異なる性質を持った細胞となること。
- 注4) 筋線維芽細胞
- コラーゲンなどを過剰に分泌することで線維化の元となる細胞。これまで、腎尿細管上皮細胞、血管内皮細胞、線維芽細胞、血球細胞など様々な細胞に由来するとされ、その本態が明らかでなかった。
- 注5) 可塑性
- 細胞がその性質を柔軟に変化させる能力。
<論文タイトル>
“Plasticity of Renal Erythropoietin-producing Cells Governs Fibrosis“
(腎エリスロポエチン産生細胞の可塑性が、腎線維化を規定する)
掲載予定誌:Journal of the American Society of Nephrology
doi: 10.1681/ASN.2013010030
<お問い合わせ先>
<研究に関すること>
山本 雅之(ヤマモト マサユキ)
東北大学大学院 医学系研究科 医化学分野 教授
〒980-8575 宮城県仙台市青葉区星陵町2-1
Tel:022-717-8088 Fax:022-717-8090
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<JSTの事業に関すること>
川口 貴史(カワグチ タカフミ)
科学技術振興機構 戦略研究推進部
〒102-0076 東京都千代田区五番町7 K’s五番町
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