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平成24年5月24日

独立行政法人 物質・材料研究機構

独立行政法人 科学技術振興機構

周囲の環境に反応して動作を変えるシナプス素子を開発
—人間や環境と対話する脳型コンピューター開発への貢献に期待—

概要

1.独立行政法人 物質・材料研究機構(理事長:潮田 資勝)国際ナノアーキテクトニクス研究拠点の青野 正和 拠点長、長谷川 剛 主任研究者、寺部 一弥 グループリーダ、鶴岡 徹 MANA研究者、A.ナヤク ポスドク研究員らの研究グループは、カリフォルニア大学 ロサンゼルス校(米国)のJ.ジムゼウスキー 教授と共同で、環境に依存してその動作特性を変化させるシナプス注1)素子の開発に成功しました。

2.脳の神経活動の特徴である「必要な情報の記憶」と「不要な情報の忘却」は、ニューロン注2)間をつなぐシナプスの結合強度の変化によって実現されています。例えば、情報の入力頻度が高ければ強い結合がシナプスに形成され、しかも、その強い結合が長時間持続します。逆に入力頻度が低ければ、入力の度に一時的に弱い結合が形成されるに過ぎません。

3.生命体である人間は、環境と相互作用しながら生きています。その活動も、ニューロンやシナプスなどの神経細胞が環境に依存した動作をすることで実現されています。環境に依存してニューロンやシナプスの動作をする脳型素子が開発できれば、単に効率的に演算を行うだけでなく、環境とも相互作用する人間により近いコンピューターの開発が可能になります。

4.最近私たちは、金属イオンの移動とその酸化・還元反応注3)を利用したシナプス動作素子の開発に世界で初めて成功しました*)。今回、シナプス動作素子を構成する材料をパラメータとして、シナプス動作の特性を調べました。その結果、適切な材料を用いることで、温度や雰囲気などの環境に敏感に反応するシナプス動作を実現できることを見いだしました。

*)平成23年6月27日プレス発表「人間のように記憶も忘却もする新しい脳型素子 —世界初、たった1つの素子で複雑なシナプス活動を実現」

5.低消費電力で動作する高性能コンピューターの開発は、高度情報化社会の持続的発展を実現する上で不可欠であり、不揮発性コンピューター注4)がその最有力候補として期待されています。脳型コンピューターは不揮発性コンピューターの究極形といえますが、この度の成果は、生命体の様に環境とも相互作用する、従来のコンピューターの概念を超えた新しい脳型コンピューターの開発に資するものと期待されます。

6.本研究成果は、日本時間平成24年5月24日0:00までにドイツの科学雑誌「Advanced Functional Materials」のオンライン速報版で公開されます。

<研究の背景>

人間の脳における情報処理の仕組みを再現して動作する脳型コンピューターは、複雑な情報処理を低消費電力で実現するコンピューターとして期待されています。特に、これからの高度情報化社会では、単に計算を高速に行うだけではなく、画像認識や温度検知など、環境との相互作用によって複雑で高度な情報処理を行うことが必要になってきます。

従来のコンピューターでは、どのような環境下でも同じように動作することが求められていました。コンピューターを構成する素子についても同様です。予め決められたタイミングと順序で情報処理を行う従来のコンピューターでは、動作速度や出力電圧の変化などの素子特性の変化は、コンピューター自体の動作エラーに直結します。一方、脳型コンピューターでは、入力信号や計算結果に対応して回路の構造自体も柔軟に変化させることで、複雑な情報処理を行います。これは、学習や経験によって脳の神経回路が変化していくことに対応しています。

脳型コンピューターの開発には、回路の再構成を柔軟に行うためのニューロンやシナプスの動作をする脳型素子が必要となります。さらに環境に依存して動作する脳型素子が開発できれば、その脳型コンピューターを環境とも相互作用して動作する、人間により近いものとすることができます。

<成果の内容>

人間のシナプスでは、シナプス細胞間に放出される神経伝達物質によって、その結合強度が変化します(図1a)。最近私たちは、原子(イオン)の移動とその酸化・還元反応を制御して動作する「原子スイッチ」の技術を利用して、このシナプス動作を自律的に行う素子の開発に成功しました*)。原子スイッチでは、固体電解質注5)中の金属イオンを還元して電極間に析出させることで、結合強度(電極間の伝導度注6))を変化させます(図1b)。例えば、信号の入力頻度が低い場合、結合強度(電極間の伝導度)は入力の度に一時的に増大するものの、直ぐに減衰してしまいます(図2a)。一方、高い頻度で信号を入力すると、入力の度に結合強度(電極間の伝導度)が増大し、入力後も、形成された強い結合が長時間持続します(図2b)。前者が神経回路のシナプスによる「短期可塑性モード」、後者が「長期増強モード」に対応しています。

従来、原子スイッチを構成する材料として硫化銀注7)を用いてシナプス動作を実現してきましたが、本研究では、て硫化銅注8)を用いることで、シナプス動作の材料依存性と環境依存性の測定を行いました。その結果、硫化銅を用いてでもシナプス動作を実現できること(図2a、b)、ただし、短期可塑性モードと長期増強モードとを分ける信号の入力条件は硫化銀と硫化銅とで異なることが分かりました。さらに、硫化銅を用いた場合には、シナプス動作の挙動が温度や雰囲気などの環境に大きく依存することが分かりました。図2cはシナプス動作を大気中で測定した結果ですが、真空中で測定した結果(図2a、b)と異なり、入力の度に増大した結合強度(電極間の伝導度)が減衰しません。図2aと図2cに示すデータは、雰囲気を除く実験条件は全く同じであり、シナプス動作の挙動が雰囲気に依存して大きく変化していることが分かります。

*)平成23年6月27日プレス発表

「人間のように記憶も忘却もする新しい脳型素子 -世界初、たった1つの素子で複雑なシナプス活動を実現」
‘Short-term plasticity and long-term potentiation mimicked in single inorganic synapses’, T. Ohno, T. Hasegawa, T. Tsuruoka, K. Terabe, J. K. Gimzewski and M. Aono, Nature Materials, 10(8), 591-595 (2011).

原子スイッチによるシナプス動作では、原子(イオン)の拡散やその酸化・還元反応を利用しています。これらの物理・化学現象はて活性化過程注9)とも呼ばれ、材料や環境に大きく依存することが知られています。脳や神経回路の活動も活性化過程の一種です。活性化過程を積極的に利用したことが、本研究でシナプス動作の環境依存性を実現できた理由です。なお、大気中では結合強度(電極間の伝導度)の減衰が観測されない理由は、硫化銅から析出した銅原子が大気中の酸素と反応して動きにくくなるためであると考えられます。

<参考図>

図1

図1 シナプス動作の模式図

  • (a)神経回路におけるシナプス動作。活動電位がシナプス前細胞に到達すると神経伝達物質が放出され、それがシナプス後細胞に到達することでシナプス電位が発生する。シナプスの活動状態によってシナプス電位の発生の仕方は変化する。
  • (b)原子スイッチによるシナプス動作。硫化銅中の銅イオンが原子として析出し、ナノメーター(nm)ギャップ中に銅原子架橋を形成する。銅原子架橋の状態によってシナプスの結合強度が変化する。銅原子(イオン)が神経伝達物質の役割を果たす。
図2

図2 硫化銅を用いた原子スイッチによるシナプス動作結果

  • (a)間隔10sec、振幅150mV、幅0.5secの条件でパルス電圧を繰り返し入力すると、結合強度(伝導度)は一時的に77.5μS(マイクロジーメンス)付近まで増加するが、時間経過に伴い初期値に向かって減少する(短期可塑性モード)。図中の点線は銅原子1個が白金電極に接触している状態(77.5μS)に対応。真空中で測定。
  • (b)1sec間隔でパルス入力を行った場合、入力後も、高い結合強度が長時間持続される(長期増強モード)。真空中で測定。
  • (c)大気中で測定。雰囲気以外の条件は、(a)と同じ。入力の度に結合強度(伝導度)が増加するが、真空中での測定に見られた減衰は示さない。

<波及効果と今後の展開>

人間の脳は複雑な情報処理を僅かなエネルギーで行っています。その情報処理の仕組みを再現する脳型コンピューターは、高度情報化社会の持続的発展を実現するコンピューターとして期待されています。コンピューターと大きく異なる人間の特徴として、人間は環境と相互作用しながら生きていることがあげられます。人間の五感に相当するセンサーを付属することで音声認識や画像認識が現在のコンピューターでも実現されていますが、センサーの役割は環境とのインターフェースであり、センサーからの入力が同じであれば、コンピューターは同じ結果を出力します。一方、人間の感情や判断は環境に大きく依存します。例えば、同じ音楽を聴いても、楽しく感じる時もあれば、うっとうしく感じることもあります。このような現象も、神経回路におけるニューロンやシナプスの動作が環境に依存していることに起因しています。

入力が同じであっても環境によって出力が変わる、人間により近い脳型コンピューターの出現は、コンピューターを単なる情報処理装置から、人類のパートナーへと変貌させる可能性もあります。今回の環境依存性を示すシナプス動作素子の開発は、それを実現するための大きな一歩となることが期待されます。

<謝辞>

本研究の一部は、文部科学省・産学官連携プロジェクトにおける研究課題「原子スイッチを用いた次世代プログラマブル論理演算デバイスの開発」(研究代表者:青野 正和)、および科学技術振興機構 戦略的国際科学技術協力推進事業 日独交流研究における研究課題「固体電解質原子スイッチ動作における電荷交換と移動に関する研究」(研究代表者:長谷川 剛)の支援を受けて行われました。

<掲載論文>

題目:Controlling the synaptic plasticity of a Cu2S gap-type atomic switch
著者:A. Nayak, T. Ohno, T. Tsuruoka, K. Terabe, T. Hasegawa, J. Gimzewski and M. Aono
雑誌:Advanced Functional Materials (2012) (巻・号・ページは現時点では未定)
doi :10.1002/adfm.201200640

<用語解説>

注1) シナプス
神経回路を構成する細胞(ニューロン)間に形成される接合部分およびその構造。
注2) ニューロン
神経回路を構成する細胞。
注3) 酸化・還元反応
電子の授受によって起こる化学反応。例えば、原子から電子が放出されてイオンとなるのが酸化反応、イオンが電子と結合して原子となるのが還元反応。
注4) 不揮発性コンピューター
不揮発性素子(電源をオフしても状態を保持できる素子)で構成したコンピューター。状態保持に電力を必要としないことから、必要な時に、必要な素子ないし回路だけに電力を供給すればよい(待機電力がゼロ)。低消費電力を実現するコンピューターとして期待されている。
注5) 固体電解質
イオンが電流の担い手となる材料。電子とイオンの双方が電流に寄与する電子・イオン混合伝導体とイオンだけが電流に寄与する(電子は流れない)イオン伝導体とがある。
注6) 伝導度
抵抗の逆数。金属原子1個で形成された経路の伝導度が、77.5マイクロシーメンス。
注7) 硫化銀(AgS)
銀イオンが結晶内部を移動する固体電解質。銀と硫黄の化合物。
注8) 硫化銅(CuS)
銅イオンが結晶内部を移動する固体電解質。銅と硫黄の化合物。
注9) 活性化過程
反応などの進行速度が温度に指数関数的に依存する現象。

<本件に関するお問い合わせ先>

<研究内容に関すること>

独立行政法人 物質・材料研究機構 国際ナノアーキテクトニクス研究拠点
主任研究者 長谷川 剛(はせがわ つよし)
TEL:029-860-4734
E-mail:
URL:http://www.nims.go.jp/atom_ele_gr/index.html

<JSTの事業に関すること>

独立行政法人 科学技術振興機構 国際科学技術部
屠 耿(と こう)
〒102-0076 東京都千代田区五番町7 K’s五番町
TEL:03-5214-7375
FAX:03-5214-7379
E-mail:

<報道担当>

独立行政法人 物質・材料研究機構 企画部門 広報室
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独立行政法人 科学技術振興機構 広報課
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