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平成24年4月2日

公益財団法人 高輝度光科学研究センター
国立大学法人 東京大学
国立大学法人 広島大学
国立大学法人 東北大学
独立行政法人 理化学研究所
独立行政法人 科学技術振興機構

酸化ニッケルの磁壁内のスピン構造決定に世界で初めて成功
—反強磁性体の微小領域磁性の理解が進展、磁気ナノデバイス開発の加速に期待—

高輝度光科学研究センター(JASRI)、東京大学、広島大学、東北大学、理化学研究所、科学技術振興機構は共同で、典型的な反強磁性体の1つである酸化ニッケルのスピン注1)が揃った微小領域(磁区)間を隔てる磁壁注2)の観察を行い、その幅や内部のスピン方向を決定することに成功しました。

私たちの身の回りでは多くの磁性物質が利用されており、その代表的なものが強磁性体と反強磁性体注3)です。強磁性体はその内部で電子のスピンの方向が一定の方向を向く性質を持っており、磁石に代表されるようにモーターや発電機などに広く応用されています。一方、反強磁性体の多くはその内部でスピンの方向が互い違いに揃おうとする性質を持っており、それ自身では磁石の性質を持ちません。しかしながら、これと強磁性体とを組み合わせることで、磁気ヘッドや磁気メモリなどの磁気記録などさまざまな場面で役立っています。今回研究対象とした酸化ニッケルは最も典型的な反強磁性物質で、1960年ごろから、磁区、磁壁といった数十ミクロンメートルから数ナノメートル程度の微小領域の磁性が調べられてきました。しかし、この微小領域における最も基本的な特性であるスピンの向きを決定する手法がなく、長らく理論的な予測、あるいは推測がなされてきただけでした。

研究グループは今回、大型放射光施設SPring−8注4)の軟X線が非常に高輝度で偏光の制御も可能であり、22ナノメートル(nm)の高い空間分解能の光電子顕微鏡装置を利用することにより、この物質で存在しうるすべての磁壁の直接観察に世界で初めて成功し、さらにその内部のスピン方向や幅の決定を行いました。通常の磁性体ではある限られた空間内でスピンが揃う領域(磁区)が形成されます。2つの異なる磁区は、それぞれ違う磁化方向を持つためにそのままではエネルギー的に不安定で、間に磁壁と呼ばれる領域が存在してその中ではスピンがゆっくり回転し、隣り合った磁区同士のスピンを滑らかにつなぐ役割を果たしているはずです。今回、その磁壁中のスピンの回転の様子を直接観察することに成功し、また磁壁の幅も観測しました。今回の成果は、スピン同士に働く相互作用など、反強磁性体の微小領域磁性に関する理解を大きく進展させるもので、基礎的な物性物理の分野でも大きな成果です。

酸化ニッケルそのものは、現在、磁気記録技術などには利用されていません。しかし、その性質をうまく利用することで、周波数特性を制御する非常に微小なインダクタ回路(コイルの代わりに使われる部品)の生産が可能となります。こうした磁気ナノデバイスは、省エネルギーに資することはもちろん、より高性能の携帯端末などへの応用も期待されます。今回得られた成果はこうした磁気ナノデバイスをデザインするにあたって非常に重要なものです。

今回の研究成果は、JASRIの木下 豊彦 主席研究員、東京大学の新井 邦明 大学院生、広島大学の奥田 太一 准教授、田中 新 助教、東北大学の三俣 千春 研究員らの共同研究によるもので、JST 戦略的創造研究推進事業 チーム型研究(CREST)「ナノ界面技術の基盤構築」研究領域における研究課題「超高輝度放射光機能界面解析・制御ステーション」の一環として行われました。

本成果は、2012年3月29日に米国科学雑誌「Physical Review B」のオンライン版に掲載されました。

1.研究の背景

私たちの身の回りでは多くの磁性物質が利用されており、その代表的なものが強磁性体と反強磁性体です。強磁性体はその内部で電子のスピンの方向が一定の方向を向く性質を持っており、磁石に代表されるようにモーターや発電機などに広く応用されています。反強磁性体の多くはその内部でスピンの方向が互い違いに揃おうとする性質を持っており、それ自身では磁石の性質を持ちません。これと強磁性体とを組み合わせることで、磁気記録などさまざまな場面で役立っています。磁性体の内部では電子のスピンがその磁化の役割を担っています。磁性体の内部を拡大してみると、ある限られた領域内では磁化が同じ方向を向いている磁区と呼ばれる領域が存在し、いろいろな磁化方向を持つ磁区が集まって磁性体ができていることが知られています。

磁性体の中で隣り合う磁区の磁化方向が異なっている場合、エネルギー的に不安定になるので、磁区と磁区の間にできた壁(磁壁)の中では、その磁化が滑らかにつながることができるように回転します。強磁性体、反強磁性体共に磁区や磁壁が存在することが知られています。こうした微小領域の磁気状態を調べることが、磁気ヘッドや磁気メモリなど、ナノテクノロジーを利用したさまざまなデバイス開発に役立っており、大変重要な研究テーマです。

今回研究対象とした酸化ニッケルは最も典型的な反強磁性物質で、1960年ごろから、磁区、磁壁といった微小領域の磁性が調べられてきました。しかし、最も基本的な微小領域のスピンの向きを決定する手法がなく、長らく理論的な予測、あるいは推測がなされてきただけでした。1990年代後半に入ってから、世界中で高輝度放射光施設が建設されるようになり、また、光電子顕微鏡と呼ばれる装置も放射光施設に導入されるようになってきました。光電子顕微鏡と高輝度放射光を用いれば、反強磁性の磁区観察ができます。しかしながら、これまでは磁区や磁壁が観察できてもその内部のスピンの向きは明らかになっていませんでした。

2.研究内容と成果

磁区を観察するためにはさまざまな手法が用いられます。その中で放射光と組み合わせた光電子顕微鏡は、物質を構成する元素ごとの磁性を調べることができ、また、反強磁性体という、通常の方法では観察の難しい物質の微小領域の磁気状態を調べることのできる優れた方法です。

光電子顕微鏡とは、物質に光を当てた時に出てくる電子(光電子と呼びます)を、電子レンズで集め、蛍光スクリーン上に像を映し、それをビデオカメラで撮影する装置です。物質の表面のどの場所から光電子が多く出てきたかによって得られる像にコントラストが生じます。

放射光には光電子を励起するための光のエネルギー(波長)を変えることができること、偏光していること、という大きな特徴があります。酸化ニッケル中のニッケルの電子を励起する条件に光のエネルギーを合わせると、ニッケルの磁化方向と光の偏光ベクトルのなす角度に応じて光電子の出やすさが変わってきます。すなわち、直線偏光の向きとスピンのなす角度に応じて飛び出してくる電子の数が変わるのです。図1にその様子を示します。図2に示すように試料に対する光の入射方向を決めて光電子顕微鏡の測定を行えば、試料内部の微小な領域(磁区、磁壁)の持っている磁化(スピン)方向に応じたコントラストが得られることになります。

こうした手法は21世紀に入ってから世界のいろいろな放射光施設で可能になってきましたが、酸化ニッケルの磁区や磁壁内部のスピン方向を決定することはできていませんでした。決定できなかった最大の理由は、偏光ベクトルとスピンの関係に応じた光電子の出やすさに関する理論的な解釈に長いこと矛盾があったからです。研究グループでは、酸化ニッケルの結晶の対称性を取り入れた正確な理論に基づき、22nmの、高空間分解能のSPring−8の光電子顕微鏡で観察された像のコントラストの解析を行いました。その結果、酸化ニッケルに存在すると予想されていたすべての種類の磁壁の観測に成功し、それぞれの磁壁の幅がどのぐらいの値を持っているかを測定することができました(図3)。そして、その内部のスピン構造を明らかにすることができました(図4)。

 磁壁の中でスピンがどのような方向を向いているか、またその幅がどれぐらいの大きさになっているかということは、磁性体の性質を特徴づける最も重要な情報の1つです。スピン同士に働く相互作用(交換エネルギー)や、スピンがどちらの方向を向きやすいか(異方性エネルギー)といった情報をこの研究から得ることができました。

3.今後の展開

今回の成果は、スピン同士に働く相互作用など反強磁性体の微小領域磁性に関する理解を大きく進展させるもので、基礎的な物性物理の分野でも大きな成果です。酸化ニッケルは磁気記録用の反強磁性材料としては現在用いられていません。その理由は酸化ニッケルが電気を通しにくい性質を持っているからで、磁化の向きに応じて電気の流れやすさを検出する現在の方法には向いていないからです。しかし、電気を通しにくいからこそ応用できるデバイスもあります。例えば携帯電話に使われている小型のインダクタ(コイルの代わりに使われるもの)です。磁化の向きに応じて電波の周波数応答を変えるという特性をうまく利用すると、これまでになく小型で高性能のインダクタの開発が期待できます。今回得られた知見をうまく使えば、将来もっと軽くて高性能のスマートフォンの開発につながるものです。

本研究は、学術振興会の科学研究費補助金の助成を受け、SPring−8の利用研究課題として行われました。

<論文名>

題名:Three Dimensional Spin Orientation in Antiferromagnetic Domain Walls of NiO studied by X-ray Magnetic Linear Dichroism Photoemission Electron Microscopy
日本語訳:磁気線2色性光電子顕微鏡による反強磁性酸化ニッケルの磁壁の3次元スピン方向の研究
著者:Kuniaki Arai, Taichi Okuda, Arata Tanaka, Masato Kotsugi, Keiki Fukumoto, Takuo Ohkouchi, Tetsuya Nakamura, Tomohiro Matsushita, Takayuki Muro, Masaki Oura, Yasunori Senba, Haruhiko Ohashi, Akito Kakizaki, Chiharu Mitsumata, and Toyohiko Kinoshita
ジャーナル名:Physical Review B
オンライン掲載日:2012年3月29日
doi:10.1103/PhysRevB.85.104418

<参考図>

図1

図1

偏光ベクトルと磁化方向のなす角度の違いによって反強磁性体の磁区から飛び出してくる光電子の数の違いを示す模式図。

図2(a)

図2(a)

光電子顕微鏡装置、直線偏光放射光を用いて反強磁性体の微小磁気構造を調べる実験の模式図。放射光に対して試料を回転させると、それに応じてビデオカメラで観察される拡大像も回転し、磁区の磁化方向に応じてコントラストが変化する。

図2(b)

図2(b)

{001}T−wall注5)と呼ばれる酸化ニッケルに存在する磁壁の種類のうちの1つ(図4(a)参照)を光電子顕微鏡で観察した像およびその模式図。赤の楕円で囲んだ領域に磁壁(模式図中の黒い線)が存在する。青線は違う種類の磁壁。

図3

図3

{001}T−wallの光電子顕微鏡像の磁壁部分(図2(b)の赤線)のコントラストを拡大したグラフ。このコントラストが磁壁の中のスピンの向きを反映している。赤丸は実験値。青線が図4に示したスピン方向を仮定した時に得られる計算値。

図4

図4

  • (a)酸化ニッケルに存在する磁壁の一種、{001}T−wallの模式図。
    図の矢印(赤字でそのベクトルの向きを表記)がスピンの向きであり、立体的に見えるように立方体や矢印の存在する面を図示してある。右と左の矢印がそれぞれ反強磁性歪に由来する磁区に存在するスピンの向きで、それぞれ異なる磁化方向と[112]を持っている。真ん中の立方体の中にある面がそれらの磁区を隔てる磁壁で、その中心ではスピンの方向が両隣の磁区のスピン方向とは異なる。
  • (b)解析の結果得られた{001}T−wall内で回転しているスピンの様子の模式図((001)面への投影)。赤と青の矢印はスピンの向きで、反強磁性体なので、向きが互い違いになっている。

<用語解説>

注1) スピン
物質を構成している元素にはすべて電子が存在します。電子は太陽系の中で太陽の周りを回る惑星のような運動をしていますが、惑星の自転に相当するのがスピンです。自転の方向が時計回りか反時計回りかに応じてスピンの向きが決まります。物質の中でスピンの向きが同じ電子が存在するとそれが磁性を発現させる元の力になります。
注2) 磁壁
磁性体の中で磁化が同一方向に揃った小さな領域を磁区と呼びます。磁区と磁区を隔てる境界のことを磁壁と呼びますが、ここでは、磁区同士の磁化方向が異なることで生じる不安定な状態を解消しようとして磁化方向が回転して磁区と磁区の間の磁化を滑らかにつなぐ役割を果たしています。
注3) 強磁性体と反強磁性体
強磁性体とは磁石につく性質を持った磁性体のことです。またそれ自身で磁石になりやすい性質も持っています。強磁性体の中では磁化(電子のスピン)が同じ方向を向こうとする性質を持っています。それに対して反強磁性体は磁石につく性質を持っていません。但し、その内部の磁性を調べると磁化方向の並びに秩序があり、全体として強磁性は示さないものの、反強磁性体特有のさまざまな面白い性質を示すことが知られています。強磁性体ではスピンが一方向を向こうとする性質を持っていますが、試料全域にわたってスピンが一方向を向くためには外部から大きな磁場をかけてやる必要があります。全域にわたって一方向をむいた状態が磁石です。通常の状態の強磁性体では、ある領域(磁区)内でだけ、一方向をむいており、そのままでは磁石につく性質は持っていますが、磁石にはなっていません。
注4) 大型放射光施設SPring−8
理化学研究所が所有する、兵庫県の播磨科学公園都市にある世界最高の放射光を生み出す施設で、その運転管理と利用者支援はJASRIが行っている。SPring−8の名前はuper hoton ring−8 GeVに由来。放射光とは、電子を光とほぼ等しい速度まで加速し、電磁石によって進行方向を曲げた時に発生する、細く強力な電磁波のこと。SPring−8では、この放射光を用いてナノテクノロジー、バイオテクノロジーや産業利用まで幅広い研究が行われている。
注5) {001}T−wall
今回の紹介記事でいろいろなところで出てきている{001}や(010)、[112]などはすべて結晶の方位(軸や面が立方体の中のどちら方向を向いているか)を示す記号です。酸化ニッケルの場合は(111)面(図4(a)の三角形の面)の中ではスピンが強磁性的な配列をし、その重なり合った隣の(111)面では反対向きのスピンを持っているために結晶全体で反強磁性体になっています。隣り合う面が反対向きの磁化を持っているために、磁石のN極とS極が引き合うように(111)面同士が引きつけ合って結晶全体が歪みます。その結果歪方向の違いに応じてTドメインと呼ばれる磁区ができます。2つのTドメインの境界に存在する磁壁がT−wallで、その面の方向が{001}方向である磁壁をこのように呼びます。(例えば図4(a)の中央の図)。

<お問い合わせ先>

<研究に関すること>

木下 豊彦(キノシタ トヨヒコ)
高輝度光科学研究センター 利用研究促進部門 主席研究員
〒679-5198 兵庫県佐用郡佐用町光都1−1−1
Tel:0791-58-0802 Fax:0791-58-0830
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<SPring−8に関すること>

高輝度光科学研究センター 広報室
Tel:0791-58-2785 Fax:0791-58-2786
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<理研報道担当>

理化学研究所 広報室 報道担当
Tel:048-467-9272 Fax:048-462-4715

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