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平成23年9月22日

東京大学 大学院工学系研究科
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世界で初めて単一電子を周囲の電子から孤立させて移送・検出する技術を開発

―固体物理学者の長年の夢である単一電子単位での干渉・散乱実験の実現と量子情報の長距離伝送へ―

東京大学 大学院工学系研究科の樽茶 清悟 教授と山本 倫久 助教らの研究グループは、文部科学省科学研究費補助金(新学術領域研究)「量子サイバネティクス」(領域代表者:独立行政法人 理化学研究所 基幹研究所 巨視的量子コヒーレンス研究チーム 蔡 兆申 チームリーダー)、JST 国際科学技術共同研究推進事業(戦略的国際共同研究プログラム)「トポロジカルエレクトロニクス」などの研究の一環として、単一電子を周囲の電子から隔離したまま長距離伝送させて検出する技術および相関のある2電子を空間的に分離する技術を開発しました。

現代の半導体素子は、主に電荷の平均的な流れ、すなわち電流の情報に基づいて構成されています。電子は互いに相互作用をする区別できない粒子であり、各電子が持っている量子力学的な情報は、多数の電子で形成される半導体素子に流れ込むことによって直ちに失われてしまいます。そこで、電子の量子力学的な情報を積極的に利用する固体量子情報処理の分野では、量子ドット注1)と呼ばれるナノ構造中に単一電子を閉じ込め、その量子力学的な状態を制御する技術の開発に力が注がれてきました。しかし、量子情報素子の拡張性を確保するためには、閉じ込められた電子の量子情報を半導体基板上で破壊することなく長距離に渡って伝送する技術の開発が不可欠です。本研究では、単一電子を量子ドットから取り出し、周囲の電子から完全に孤立させて遠く離れた量子ドットへと移送することに初めて成功しました。

本研究チームは、まず、2つの量子ドットを空乏化させた一次元チャネル注2)で結び、片方の量子ドットのみに電子を1個用意しました。表面弾性波注3)を印加することにより、一方の量子ドット中の電子が別の量子ドットへと移送される様子をチップ上の単一電荷検出器によって観測しました。しかも、この移送プロセスは、電子スピン(電子の自転に対応する量子力学的な情報)注4)の状態が乱される典型的な時間に比べて遥かに短い時間で行われることを確認しました。従って、電子スピンの量子情報そのものを半導体基板上で伝送する技術に利用できると考えられます。次に、片方の量子ドットのみに2個の電子を用意してから表面弾性波を印加することにより、2個の電子のうちの1個のみを遠く離れた量子ドットへと移送することに成功しました。量子ドット中の2電子は量子力学的な相関を持つ量子もつれ状態にあることが知られており、これらの電子を空間的に分離することは、非局所的な量子もつれ状態という量子情報処理には欠かせない状態を生成することに相当します。こうした技術は、電子スピンを用いた量子情報素子の集積化に向けた標準技術となり得るものです。

本成果は、仏グルノーブルのニール研究所、独ボーフム大学との共同研究によって達成されたものであり、平成23年9月21日(英国時間)に英国科学雑誌「Nature」のオンライン版で公開される予定です。

<実証の経緯および背景>

量子力学の原理に基づいて情報の操作や伝送を行う量子情報処理は、盗聴のおそれがない量子暗号器、従来の計算機に比べて桁違いの処理能力を有する量子計算機などへと応用できることから、次世代の技術として注目を集めています。量子情報の基本単位は量子ビットと呼ばれ、量子力学的に定義される二凖位系(2つの状態を基底とする系)がそれに相当します。その中でも、集積化が可能な固体中の電子スピンは電子の自転の方向に対応する量子二凖位系であり、将来の量子情報処理を担う量子ビットの有力な候補とされています。

こうした電子スピン量子ビットの制御を半導体中で行うためには、相互作用が強い粒子として知られる電子を周囲から孤立させて制御することが必要です。そのために用いられるのが量子ドットであり、単一電子をこれに閉じ込めることによって、電子の量子力学的な状態を制御することができます。しかし、量子情報素子の集積化においては、電子スピン間の相互作用を自在に制御したり、単一電子の持つ量子情報を遠くへ伝送したりするための新しい技術が不可欠です。こうした量子情報の制御や伝送は、デコヒーレンス(外部環境との相互作用により、量子力学的な状態が失われること)が起こる前に行われなくてはなりません。そこで、本研究では、単一電子を量子ドット中から素早く取り出し、周囲の電子と相互作用させることなく別の量子ビットへと素早く移送する技術の開発に取り組みました。

また、本研究で開発に取り組んだ技術は、光学実験における単一光子源や単一光子検出器に類似しています。電子系において単一電子源、周囲の電子から孤立した媒体、そして単一電子検出器を全て用意することにより、これまで実現不可能であった単一電子単位での散乱、干渉実験が可能になります。この技術は、量子力学や量子情報処理の本質である量子相関の理解にも大きく貢献するものです。

<実験および成果の内容>

我々は、GaAs半導体中で電子を電気的に閉じ込めることができる量子ドットを2つ用意し、それらを一次元細線注2)によってつなぎました(図1)。さらに、量子ドットから離れたところに櫛形の電極であるインターディジタルトランスデューサー(IDT:表面弾性波発生器)を配置しました。GaAsは電圧によって結晶に歪みが誘起される圧電素子であるため、IDTに共鳴周波数の高周波(radio frequency:RF)電場を印加することによって結晶の歪みの波が試料表面に誘起されます。結晶に固有の伝播速度(GaAs系の場合には約3km/s)とIDTの電極間隔に対応する波長(我々の実験では1μm)を持つこの波は、表面弾性波(surface acoustic wave:SAW)と呼ばれ、減衰が非常に小さいことが特徴です。表面弾性波は結晶の歪みの波ですが、電子系に対しては静電ポテンシャルの波として伝わって行きます。

実験では、まず一次元細線を形成するゲート電極に充分な負電圧を印加して、これを空乏化させました。これにより、電子の存在しない導波路が量子ドット間に形成されます。次に、2つの量子ドットの静電ポテンシャルを調整し、一方の量子ドットのみに電子を1つ閉じ込め、もう一方の量子ドットからは電子を完全に取り払います(単一電子源の準備:図2(a))。続いて、外から余計な電子が出入りしないように各量子ドットと外部の熱浴との間のポテンシャル障壁を充分に高くします(図2(b))。この状態でIDTにRFパルスを与えることにより、図2(c)の左から右に向かって伝播する静電ポテンシャルの波を送りました。すると、左の量子ドットに存在していた電子が伝播する静電ポテンシャルの波に捉えられ、空乏化した一次元細線中を他の電子と相互作用することなく伝播し、右の量子ドットに捉えられます。量子ドットの近傍に設置された量子ポイントコンタクトと呼ばれる電荷計を用いて各量子ドット中の電子数を同時に読み出すことにより、このような単一電子の移送を観測しました(図3)。そして、移送効率が90%を超えることを確認しました。さらに、より詳細な実験と解析により、移送のタイミングをナノ秒以下の精度で制御できることを確認しました。伝送そのものに要する時間も1ナノ秒程度であることから、単一電子の移送は、電子スピンの緩和時間(環境との相互作用によって量子力学的な情報を失う時間)として知られる数10ナノ秒よりもはるかに短い時間で行うことができます。従って、このような単一電子の移送は、量子情報そのものの伝送に利用できると考えられます。

また、量子情報処理において最も重要なことは、非局所な量子相関を利用することです。我々は、JST 国際科学技術共同研究推進事業(戦略的国際共同研究プログラム)「トポロジカルエレクトロニクス」において、このような非局所量子相関は、相関のある2電子をSAWによって空間的に分離することによって作り出すことができると提案しました。そこで、一方の量子ドットに相関のある2電子を用意し、そのうちの一方だけを別の量子ドットへと移送する実験も行いました。図2(b)で左側の量子ドットに電子が2個入っている状態を作り出すと、これらの電子のスピンは互いに量子相関のある量子もつれ状態を形成します。この状態で適度な強度のRFパルスをIDTに与えてSAWを発生させると、電子が1つだけ右側のドットへと伝送されました。このような移送の精度は90%程度でした。この移送も電子スピンの緩和時間に比べて遥かに短い時間内で行われるので、離れた量子ドット中にある2電子は量子もつれ状態を保っていると考えられます。このような非局所量子もつれ状態の生成は、量子情報の転送や量子テレポーテーションなどへとつながる重要な技術です。

<今後の展開>

今回の成果によって初めて、単一電子を周囲の電子から孤立して伝導させて検出することが可能になりました。単一電子単位での干渉、散乱実験の実現は固体物理学者の長年の夢でもあり、これによって、従来行われてきたような平均値としての電流や2次の電流相関(電流雑音相関)の測定だけからは得ることが難しい電子相関の性質の多くを解明することができると考えています。

  また、離れた量子ドット間での単一電子の移送が電子スピンの緩和時間よりも遥かに短い時間で行われたことは非常に重要です。とは言え、次のステップでは、やはり移送後の電子スピンのコヒーレンス(量子力学的な状態)が保たれていることを実際に確認する必要があります。これを確認することは、非局所な量子もつれ状態を確認することにもつながります。その上で、これまでに達成されてきた単一電子スピンの量子操作(電子スピン共鳴による電子スピンの回転操作)や2電子スピンの量子操作(交換操作など)と、今回達成された電子スピンの伝送操作とを組み合わせ、電子スピン量子ビットの拡張性を検証していくことになります。本研究成果は、こうした壮大なプロジェクトの第一歩となるものです。

<参考図>

図1

図1:本研究で用いた素子の構造。

半導体表面にゲート電極を配することにより、2つの量子ドットとそれらを結ぶ一次元チャネルが形成されている。また、試料の中心から1mm離れた場所にIDTを置き、表面弾性波を送ることができるようにした。電荷検出計によって、量子ドット中に閉じ込めた電子の数を数えることができる。

図2

図2(a)、(b):単一電子源と単一電子検出器の準備におけるポテンシャルの概念図。

左右のポテンシャルの窪みが量子ドットで、その間をつなげるのが一次元細線である。
量子ドットの両外側は電子を供給する熱浴。

  • (a)ゲート電圧によって一次元細線の電子を取り払い、左側の量子ドットだけに電子を閉じ込める。
  • (b)量子ドットの出入り口のポテンシャルを上げ、電子が熱浴にこぼれないように調整する。この状態で、左側の量子ドットは単一電子源として、右側の量子ドットは単一電子検出器として動作する。続いてSAWを送り、更にゲート電圧Vcによって左側の量子ドットから電子を出易くする(トリガー:図の点線部分)。
  • (c)(b)に対応する状況での素子上での電子配置の概念図。
図3

図3:電荷計で観測される各量子ドット内の電子の変化。

時刻50msにおいてSAWのパルスが送られ、左側の量子ドット(電子源)から右側の量子ドット(検出器)へと電子が移送された。電子数の変化によって、2つの電荷計を流れる電流値が変化する。

<用語解説>

注1) 量子ドット
電子を閉じ込める、ナノメートルサイズの微小な空間。量子力学で記述される離散的な電子状態を持ち、原子との類似性から人工原子とも呼ばれる。半導体中ではゲート電圧を用いて電気的に形成することが可能である。
注2) 一次元チャネル(一次元細線、量子細線)
数十ナノメートル程度の幅の半導体に電子を閉じ込めることで、電子を一方向にしか動けないようにした構造。
注3) 表面弾性波
文字通り、物質の表面を伝播する波。地震波などはその一例である。本研究では、半導体基板上の結晶の歪みの波が表面に集中して伝播することを利用している。
注4) 電子スピン
電子が電荷のほかに持つ、上向きと下向きに対応する磁石のような性質(磁気モーメント)のこと。これは古典力学的には電荷を持つ電子の自転運動によって理解される。外部から磁場をかけてこの磁石としての向きをそろえることで、物質は磁性を持つ。また単一の電子スピンの状態は量子力学によって表されるので、量子情報に応用できる。

<論文名および著者名>

“Electrons surfing on a sound wave as a platform for quantum optics with flying electrons”
(飛行電子による量子光学実験に向けた音波を用いた電子移送)
doi: 10.1038/nature10416
Sylvain Hermelin, Shintaro Takada, Michihisa Yamamoto, Seigo Tarucha, Andreas D. Wieck, Laurent Saminadayar, Christopher Bauerle and Tristan Meunier

<お問い合わせ先>

<研究に関すること>

樽茶 清悟(タルチャ セイゴ)
東京大学 大学院工学系研究科 物理工学専攻 教授
〒113-8656 東京都文京区本郷7−3−1
Tel:03-5841-6835
E-mail:

山本 倫久(ヤマモト ミチヒサ)
東京大学 大学院工学系研究科 物理工学専攻 助教
〒113-8656 東京都文京区本郷7−3−1
Tel:03-5841-6842
E-mail:

<JSTの事業に関すること>

屠 耿(ト コウ)
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