JSTトッププレス一覧 > 共同発表

平成23年7月25日

科学技術振興機構(JST)
Tel:03-5214-8404(広報ポータル部)

東京大学 大学院工学系研究科
Tel:03-5841-1790(広報室)

東京大学 生産技術研究所
Tel:03-5452-6017(総務課総務・広報チーム)

日本電信電話株式会社
Tel:046-240-5157(広報担当)

電子に働くスピン軌道相互作用を電気的に制御することに成功

(電子スピンを使った量子計算機の開発に新展開)

JST 課題達成型基礎研究の一環として、東京大学 大学院工学系研究科の大岩 顕 講師と樽茶 清悟 教授や日本電信電話株式会社(以下、NTT)の研究チームは、半導体量子ドット注1)において、電子に働くスピン軌道相互作用注2)の大きさを、電気的に制御することに世界で初めて成功しました。

電子スピン注3)は、電子が持つ磁石のような性質で、情報の基本単位である「ビット」として利用することが可能ですが、単一の電子スピンの情報を操作して記憶する技術の開発は、量子情報処理分野で重要な課題となっていました。電子スピンを操作する方法としては、スピンに働く軌道相互作用の利用が知られています。この作用を強くすれば電子を高速に回転でき、逆にスピンの情報を記憶する時には、スピン軌道相互作用をできるだけ小さくします。しかし、そのためには、軌道相互作用の大きさを電気的に制御する技術が必要不可欠ですが、これまでに成功した例はありませんでした。

本研究チームは、スピン軌道相互作用が強い材料であるヒ化インジウム(InAs)の半導体量子ドットと呼ばれるナノメートルサイズ(ナノは10億分の1)の箱のような空間に電子を閉じ込めることにより、この空間の中の電子の位置を電界で制御する方法と、それを評価する新しい方法を組み合わせることで、スピン軌道相互作用の大きさを電気的に制御することに成功しました。これにより、絶対安全な暗号や莫大なデータベース検索など次世代高度情報化社会を支える量子情報処理技術の発展に大きく貢献することが期待されます。

本研究成果は、東京大学 生産技術研究所 平川 一彦 教授との共同研究で得られ、2011年7月24日(英国時間)に英国科学雑誌「Nature Nanotechnology」のオンライン速報版で公開される予定です。

本成果は、以下の事業・研究領域・研究課題によって得られました。

戦略的創造研究推進事業 チーム型研究(CREST)

研究領域 「ナノ界面技術の基盤構築」
(研究総括:新海 征治 崇城大学 工学部 教授/九州大学 名誉教授)
研究課題名 「ナノギャップ電極/ナノ量子系接合による新機能の創出」
研究代表者 平川 一彦(東京大学 生産技術研究所 教授)
研究期間 平成19年10月~平成25年3月

JSTはこの領域で、異種材料・異種物質状態間の接合界面を扱う研究分野の融合によってナノ界面機能に関する横断的な知識を獲得するとともに、これを基盤として界面ナノ構造を自在に制御し、飛躍的な高機能化を可能にする革新的なナノ界面技術を創出することを目的としています。

上記研究課題では、ナノギャップ電極/単一ナノ量子系(分子、量子ドット、無機ナノ微粒子など)接合作製技術の確立を行うとともに、ナノギャップ接合と単一ナノ量子系の界面構造と伝導の関係を明らかにすることを目的としています。

<研究の背景と経緯>

電子には、電荷、スピンという物理量があります。現在の電子デバイスは、電荷を使い発展してきましたが、近年、電子のスピンという上向き下向きの磁石と例えられる性質を使い、量子力学に基づいて情報の伝達や計算を行う量子情報処理を実現しようとする研究が活発です。量子情報処理は、絶対に安全な暗号技術や、莫大なデータベースの検索など、次世代の高度情報化社会を支える革新的な技術となります。量子情報の基本単位は量子ビットと呼ばれ、光の最小単位である光子はその代表で、量子情報の長距離通信を担います。1つの電子スピンも量子ビットとして用いることができます。しかし、通常のトランジスタなどの半導体素子では多数の電子が動き回っているため、単一の電子スピンを操作・検出することは困難です。そこで数個の電子を閉じ込めた半導体量子ドットがスピン量子ビット注4)として有望視されています。基本的な演算は、1つの電子スピンの方向を操作(回転)することです。そこで鍵となるのがスピン軌道相互作用です。すでにスピン軌道相互作用を含めいくつかの方法で、量子ドット中の単一電子スピン操作が実現されています。スピン軌道相互作用を利用すると、電界は磁場に変換されて電子スピンを回転させることができます(図1)。スピン軌道相互作用が強ければ、高速に回転させることができます。しかし、スピン軌道相互作用はスピンの方向が乱れる(緩和)要因でもあり、情報を長い時間保持しておくためには、スピン軌道相互作用は弱いほうが望ましいと考えられています。従って、スピン軌道相互作用を単一の素子中でうまく利用して、高性能なスピン量子ビットを実現するには、量子ドット中の電子数を一定に保ったまま、その大きさを電気的に制御する技術が必要不可欠です。これまで量子ドットでは、電子数一定のままスピン軌道相互作用の電気的制御に成功した例はありませんでした。

本研究グループは、スピン軌道相互作用が強い材料であるInAsの自己形成量子ドットの研究に数年間取り組み、量子ドットに近接するように配置したサイドゲート電極(図2)に電界をかけ、量子ドット中の電子の位置や広がりを効果的に制御できる方法を独自に開発していました。今回の研究成果は、近藤効果注5)によりスピン軌道相互作用を正確に計測する方法を開発し、サイドゲート電極法と組み合わせることで、スピン軌道相互作用の大きさの電気的な制御が可能という着想のもとで行われています。

<研究の内容>

本研究では、半導体基板表面に析出したInAs自己形成量子ドットを用いました。量子ドットに直接ナノギャップ電極を取り付け、単一量子ドットの電気伝導を測定しました(図2)。量子ドットの下方のバックゲートと呼ばれる金属的な層に電圧(V)をかけることで、量子ドットの電子状態と電子数を制御します。さらにスピン軌道相互作用を制御するために、ドットのすぐそばにサイドゲート電極を設置しました(図2)。

量子ドットにおけるスピン軌道相互作用の効果と、その定量的な測定方法を説明します。量子ドット中の電子状態は、スピンと軌道によって特定されます。例えば、軌道aという指標の状態には↑と↓の2つの電子スピン状態があります。ここで磁場をかけると、スピンや軌道に応じて状態のエネルギーが変化します。InAs量子ドットでは、スピンと軌道が異なる2つの状態が「交差」します(図3左)。ここで、スピン軌道相互作用が働くと、スピンと軌道が異なる2つの状態は混じり合って、図3右に示すように、交差ではなく「反交差」が生じます。従って、この反交差からスピン軌道相互作用の大きさが測定できます。しかし、従来の量子ドット測定法ではエネルギー分解能により直接、正確に測定することは困難でした。今回、近藤効果によって反交差を観測できるという着想に基づき検証実験を行いました。近藤効果が起こると、量子ドットの伝導度(電流の流れやすさ)は量子ドット中の電子スピンの状態に敏感に変化します。もし2つのスピンの状態が交差していれば、ナノギャップ電極間の電圧(Vsd)がゼロ付近で電流が流れ、ゼロ電圧付近に1つの伝導度ピークが観測されます(図4左上)。もし一致せず反交差している場合、2つの状態のエネルギー差(2Δ)に対応する電圧Vsdの位置にそれぞれ伝導度ピークが現れ、伝導度ピークが分裂し、1つになることはありません(図4左下)。図4右は、実際に近藤効果が起こっている領域で、電圧Vsdと磁場の関数として伝導度を測定した結果です。2つの破線が最も接近した磁場でも伝導度は分裂したピークを示し、図3右と類似の反交差が観測されました。この反交差から、スピン軌道相互作用エネルギーを定量的に測定できました。また、観測された反交差がスピン軌道相互作用によるものであることは実験とNTTの理論解析の比較により裏付けられました。

次に、サイドゲート電圧Vsgを加えた時の、ピーク分裂を図5の左図に示します。サイドゲート電圧をマイナスからプラスへ変化させていくと、分裂の大きさも増大しました。これは、サイドゲート電圧によりスピン軌道相互作用の大きさを変化させたことを示しています。この時、スピン軌道相互作用エネルギーの大きさΔは、50-160μeVの広い範囲で変化させることに成功しました。重要な点は、量子ドットの電子数を変化させずにスピン軌道相互作用だけを制御したことです。図5の右図は、電子数が異なるバックゲート電圧領域で測定したスピン軌道相互作用のサイドゲート電圧制御を示したものです。電子数を変え、関与する状態(軌道)が変わると、サイドゲートに対する依存性が変わることが分かります。このことから、今回観測したスピン軌道相互作用の電気的制御のメカニズムは、横方向からのサイドゲート電圧による電子の位置や広がり方の変化の程度が、関与する2つの状態で違ったためスピン軌道相互作用の大きさが変わったのだと推測しています。

<今後の展開>

本研究では、電界効果によって自己形成量子ドットのスピン軌道相互作用の大きさを制御することに成功しました。今後は、量子ドットやサイドゲートの改良を進め、より広い範囲でスピン軌道相互作用を制御することを目指します。本成果は、スピン量子ビットの高速性や集積性を向上させるブレークスルーにつながると期待されます。さらに将来的には、電子スピンを操作する時には、スピン軌道相互作用をオンして、強いスピン軌道相互作用により高速に回転させ、電子スピンの向きを長時間記憶する時には、オフしてスピン軌道相互作用を弱くする、理想的な機能を持つ電子スピン量子ビットやスピン軌道相互作用スイッチング素子の開発を進めていきます。

<参考図>

図1

図1 本研究の背景の概念図

左上は、スピン軌道相互作用の基本概念。原子核周りを軌道運動する電子スピンは有効磁場を感じる。右上はスピン量子ビットの概念図で、下はスピン軌道相互作用を利用したスピン量子ビットの概念図。スピン軌道相互作用が大きいと電子スピンを高速に回転でき計算速度が向上するが、電子スピンは乱れやすくなり、情報の消失につながる。そこでスピン軌道相互作用の大きさを電気的に制御する必要がある。

図2

図2 自己形成InAs量子ドット試料の模式図と電子顕微鏡写真

チタンとアルミ(Ti/Al)のナノギャップ電極を取り付けた自己形成InAs量子ドットを用いた。ナノギャップの幅は30nm程度で、InAs自己形成量子ドットは150nm×100nmの楕円型である。ナノギャップ電極にバイアス電圧(Vsd)を加えた電流を測定することで、量子ドットの量子化準位を介した伝導を測定する。また量子ドット中の電子数はバックゲート電圧(V)で制御する。スピン軌道相互作用の制御は近接させたサイドゲート電圧(Vsg)で行う。右は実際に測定した試料の電子顕微鏡写真である。

図3

図3 スピン軌道相互作用の効果と伝導度スペクトル

左図はスピンと軌道が異なる2つの状態のエネルギー状態図で、「↑」と「↓」はスピン、abは軌道の指標を表す。2つの状態はスピン軌道相互作用により反交差を起こす(右図)。Δはスピン軌道相互作用エネルギーである。

図4

図4 状態交差点付近の伝導度の磁場とバイアス電圧依存性

  • 左: 近藤効果による伝導度ピークの摸式図。2つの状態が交差している場合は、電極間電圧Vsdに対して1つのピークだが、反交差している場合は、2つピークが現れる。このピークの間隔はスピン軌道相互作用エネルギーΔの4倍である。
  • 右: 伝導度の電極間電圧Vsdと磁場に対する依存性。スピンが異なる2つの軌道が磁場とともに接近するが、4T付近で反交差が起きていることを示す。
図5

図5 スピン軌道相互作用エネルギーのサイドゲート電圧依存性

  • 左: 近藤効果による伝導度ピーク分裂のサイドゲート電圧依存性。分裂の大きさがサイドゲート電圧で変化する様子が分かる。
  • 右: 異なる電子数領域で観測したスピン軌道相互作用エネルギーのサイドゲート電圧依存性。関与する電子状態の違いを反映して、異なる傾向を示す。

<用語解説>

注1) 半導体量子ドット
電子をナノメートルサイズの箱のような微小な空間に閉じ込めることにより、量子力学で記述される離散的な電子状態を持つ。しばしば原子との類似性から人工原子と呼ばれる。ゲート電圧で半導体中に電気的に量子ドットを形成する方法もあるが、半導体ナノワイヤーやカーボンナノチューブ、あるいは有機分子も量子ドットを形成する。自己形成量子ドットは、半導体結晶の成長過程において、自然に形成される半導体量子ドットを指す。
注2) スピン軌道相互作用
原子核の周囲を軌道運動する電子が、電子から見た原子核の相対的な運動により磁場を受けるという相対論的効果。電子スピンの磁気的性質を決める。半導体中では結晶構造や量子井戸などの構造による局所電場に依存してその効果が発現する。半導体素子、特に2次元電子系では材料の選択と構造の設計により、その大きさの電気的制御が近年、実現しつつある。
注3) 電子スピン
電子が電荷のほかに持つ、上向きと下向きに対応する磁石のような性質(磁気モーメント)のこと。これは古典力学的には電荷を持つ電子の自転運動によって理解される。外部から磁場をかけてこの磁石としての向きをそろえることで、物質は磁性を持つ。また単一の電子スピンの状態は量子力学によって表されるので、量子情報に応用できる。
注4) スピン量子ビット
量子力学に基づき情報処理や情報伝達を行う際に、やり取りされる情報のことを量子情報と呼ぶ。量子ビットは量子情報の基本単位で、量子計算の基本構成要素となる。従って、量子情報は多数の量子ビットで構成される。量子力学的なニ準位系が量子ビットとして使うことができる。半導体中の電子スピンはそのよい候補として知られ、ここでは電子スピンを利用した量子ビットとしてスピン量子ビットと呼ぶ。量子計算機は多数の量子ビットにより構成される。現在の計算機の基本単位の0と1のビットは2値のみであるが、量子ビットは0と1(電子スピンは↓と↑)を極とする3次元の球状の点として表現できる特徴がある。
注5) 近藤効果
磁性不純物を含む金属の、低温で現れる電気抵抗極小現象として観測され、これを理論的に解明した近藤淳博士にちなみ近藤効果と呼ばれる。量子ドットでは、量子ドット内に磁気モーメントが存在する場合、量子ドット中の電子と電極中の電子がお互いにスピンが反平行な状態を作り、量子ドット内の磁気モーメントを打ち消す効果。これにより量子ドットには共鳴状態が形成され、量子ドット中の電子と反発しあって、本来電子が量子ドットを通れない領域であっても、電子が通りやすくなる。

<論文名および著者名>

Electrically tuned spin-orbit interaction in an InAs self-assembled quantum dot

(InAs自己形成量子ドットにおけるスピン軌道相互作用の電気的制御)
doi: 10.1038/nnano.2011.103

Yasushi Kanai, Russell S. Deacon, Shun Takahashi, Akira Oiwa, Katsuharu Yoshida, Kenji Shibata, Kazuhiko Hirakawa, Yasuhiro Tokura, Seigo Tarucha

<お問い合わせ先>

<研究に関すること>

樽茶 清悟(タルチャ セイゴ)
東京大学 大学院工学系研究科 物理工学専攻 教授
〒113-8656 東京都文京区本郷7-3-1
Tel:03-5841-6835
E-mail:

大岩 顕(オオイワ アキラ)
東京大学 大学院工学系研究科 物理工学専攻 講師
〒113-8656 東京都文京区本郷7-3-1
Tel:03-5841-6856 Fax:03-5841-6842
E-mail:

<JSTの事業に関すること>

石井 哲也(イシイ テツヤ)
科学技術振興機構 イノベーション推進本部 研究領域総合運営部
〒102-0075 東京都千代田区三番町5 三番町ビル
Tel:03-3512-3524 Fax:03-3222-2066
E-mail: