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平成23年6月15日

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神経ネットワークの情報伝達に新たな発見

(脳の情報処理の解明に大きな前進)

JST 課題解決型基礎研究の一環として、名古屋大学 大学院理学研究科の森 郁恵 教授と甲南大学 理工学部の久原 篤 講師らは、線虫を用いた研究により、神経細胞が別の神経細胞へ2つの相反する情報を伝えていることを発見しました。

現代科学において脳の複雑な機能に重要な神経ネットワークの情報処理を明らかにすることは、数多く存在する脳の疾患の原因解明だけでなく、脳の情報処理を手本としたスーパーコンピューターの開発など非常に多くの分野において望まれています。

本研究チームは、神経ネットワークがわずか302個の神経細胞から作られている線虫C.エレガンス注1)の神経活動を最新の光技術で人工的に操作しました。その結果、温度感覚の神経ネットワークにおいて、1つの温度感知神経細胞が、それと接続する1つの介在神経細胞注2)に興奮性(プラス)と抑制性(マイナス)の相反する2つの情報を伝えていることを発見しました。これまで1つの神経細胞は、別の1つの神経細胞に対して興奮性か抑制性のどちらか一方の情報しか伝えないと考えられていましたが、この発見によって神経細胞が従来考えられていたよりも、より多くの情報を伝達しうることが示されました。また、線虫は興奮性と抑制性の情報のどちらかを多めに伝えることで、高温または低温な方へ移動していることも分かりました。

人間と線虫では神経情報処理の仕組みの多くが類似していることから、この発見は、人間の脳の情報処理の仕組みや脳疾患の原因などの解明に役立つものと期待されます。

本研究成果は、2011年6月14日(英国時間)に英国科学雑誌「Nature Communications」でオンライン公開されます。

本成果は、以下の事業・研究領域・研究課題によって得られました。

戦略的創造研究推進事業 チーム型研究(CREST)

研究領域 「生命システムの動作原理と基盤技術」
(研究総括:中西 重忠 大阪バイオサイエンス研究所 所長)
研究課題名 「行動を規定する神経回路システム動態の研究」
研究代表者 森 郁恵(名古屋大学 大学院理学研究科 教授)
研究期間 平成18年10月~平成24年3月

JSTはこの領域で、生命システムの動作原理の解明のために新しい視点に立った解析基盤技術を創出し、生体の多様な機能分子の相互作用と作用機序を統合的に解析して、動的な生体情報の発現における基本原理の理解を目指しています。

上記研究課題では、全神経回路が分かっている線虫に着目し、温度学習行動を規定する神経回路動態の仕組みの解明を目指します。

<研究の背景と経緯>

現代科学において、神経ネットワークで行われる情報処理を明らかにすることは、数多く存在する脳の疾患の原因解明や治療などの医療面、脳の情報処理を手本としたスーパーコンピューターの開発など、多くの分野において切望されています。これまでに神経ネットワーク内の情報を解読する研究が世界中で行われていますが、その情報処理の複雑さから、情報の解読は難しい問題とされています。特に、私たち人間の脳は約1000億個の神経細胞からできているため、それらがつながり合う神経のネットワークは天文学的な数の組み合せになることが、脳の情報伝達の解析における大きなハードルの1つとしてあげられます。

本研究チームは、神経ネットワークがわずか302個の神経細胞から作られている線虫「C.エレガンス」と呼ばれる実験動物を使い、一定の温度下で飼育された後に温度勾配上に置かれると飼育されていた温度に移動するという行動特性をもとに、神経ネットワークの情報処理の仕組みを発見するために研究を進めてきました(図1)。

<研究の内容>

本研究では、従来の遺伝子操作技術に加えて神経活動を自由に遠隔操作する最先端の技術を使い、神経ネットワークに関わる新しい情報処理の仕組みを発見しました。具体的には、神経活動を遠隔操作する手法として、特定の色の光を当てることで働くハロロドプシン(HR)注3)というたんぱく質を使って、C.エレガンスの神経活動の変化と温度への行動対応を調べました。HRは、黄色の光を当てると細胞内に塩化物イオンを取り込み、神経活動を低下させることが知られています。今回、HRを線虫の温度感知神経細胞(AFD)に導入して、AFDの神経活動を行動中に人工的に操作しました(図2)。これまでの研究から、AFDの活動が上昇する時はAFDから神経情報を受け取る介在神経細胞(AIY)の活動も上昇するため、AFDはAIYを興奮させる情報を伝えていると考えられていました。ところが今回、HRを用いてAFDの活動を30%ほど低下させると、AFDと接続しているAIYの活動は30%ほど上昇しました(図3)。つまり、AFDからAIYに「興奮性(プラス)」の情報だけでなく「抑制性(マイナス)」の情報も伝えられていることが明らかになりました。これまでは「1つの感覚神経細胞は、1つの介在神経細胞に対して、興奮性か抑制性のどちらか一方の情報しか伝達しない」と考えられていたことから、今回の結果は神経情報処理の新しい概念の発見です。

また、AFDの活動を抑制して70%低下させるとAIYの活動も70%低下したことから、この場合には興奮性と抑制性の両方の情報が伝わりにくくなっていると考えられます。

さらに、線虫は、神経細胞が興奮性と抑制性の情報を制御することで、高温または低温な方へ移動していることが分かりました。

<今後の展開>

感覚情報の処理に関わる神経システムは、人間と線虫で類似していることから、人間の脳においても本研究で発見された神経情報処理の仕組みが当てはまる可能性が高いと考えられます。本研究で得られた成果は今後、人間の脳の情報処理の仕組みや脳疾患の原因などの解明に大きく役立つものと期待されます。

<参考図>

図1

図1 線虫の温度に対する行動(温度走性)

線虫C.エレガンスは、一定の温度下で飼育された後に温度勾配上に置かれると、飼育されていた温度に移動する行動を取る。

図2

図2 神経活動を自由に遠隔操作する技術

光応答性のたんぱく質であるHRをAFDに導入し、行動中に神経活動を遠隔操作した。

図3

図3 神経ネットワークにおける情報処理の新しい仕組み

AFDは、AIYに興奮性と抑制性の2つの相反する情報を伝えることにより、飼育温度へ移動する温度走性を制御する(図左)。AFDの活動を30%低下させると抑制性の情報が伝わりにくくなるためAIYの活動が30%上昇し、C.エレガンスは高温へ移動する(図中央)。またAFDの活動を70%まで低下させると、興奮性と抑制性の両方の情報が伝わりにくくなるためAIYの活動も70%低下し、C.エレガンスは低温に移動する(図右)。

<用語解説>

注1) C.エレガンス
土壌に生息する非寄生性の線虫で、正式名称はセノハブダイティス・エレガンス。古くから分子遺伝学的解析に使われており、細胞死の発見やRNA干渉の発見により2002年と2006年のノーベル医学生理学賞の対象となる研究などが行われた。1998年には多細胞生物で初めて全ゲノム配列の解読が終了した。人間の遺伝子数に匹敵する約2万個の遺伝子を持ち、それらの中には人間の遺伝子と類似のものが多く含まれる。生命現象の分子メカニズムを解析する上で有用なモデル生物である。
注2) 介在神経細胞
神経系において刺激を感知する神経細胞と運動を制御する神経細胞の間にあり、神経情報を介在する神経細胞。
注3) ハロロドプシン(HR)
古細菌の細胞膜にある光を感知するたんぱく質で、光を吸収すると細胞外側から細胞内へ塩化物イオンを輸送するポンプの働きを持つ。たんぱく質でできているため、遺伝子操作により特定の細胞にだけ導入することができる。一般的に、神経細胞内に塩化物イオンが入るとその活動を低下させるため、HRを導入することにより神経活動を人工的に抑えることができる。

<掲載論文名>

“Neural coding in a single sensory neuron controlling opposite seeking behaviors in Caenorhabditis elegans
(線虫C.エレガンスにおいて相反する行動を制御する単一感覚神経における情報の解読)
doi: 10.1038/ncomms1352

<お問い合わせ先>

<研究に関すること>

森 郁恵(モリ イクエ)
名古屋大学 大学院理学研究科 教授
〒464-8602 愛知県名古屋市千種区不老町
Tel:052-789-4560 Fax:052-789-4558
E-mail:
研究室ホームページ:http://elegans.bio.nagoya-u.ac.jp/~lab/japanese/index.html

久原 篤(クハラ アツシ)
甲南大学 理工学部 講師
〒658-8501 兵庫県神戸市東灘区岡本8-9-1 甲南大学 理工学部(14号館3F 久原 研究室)
Tel:078-435-2512 Fax:078-435-2539
E-mail:
研究室ホームページ:http://web.me.com/atsushi_kuhara

<JSTの事業に関すること>

石井 哲也(イシイ テツヤ)
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