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平成23年3月16日

科学技術振興機構(JST)
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日本医科大学
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抗うつ薬による神経細胞の変化と行動の不安定化の関連をマウスで発見

(抗うつ薬の作用メカニズム解明に期待)

JST 課題解決型基礎研究の一環として、日本医科大学の小林 克典 講師らは、抗うつ薬の一種を長期間投与することによってマウスの行動が不安定化し、その変化が脳の神経伝達の変化と密接に関係することを発見しました。

抗うつ薬として用いられる選択的セロトニン再取込阻害薬SSRI(Selective serotonin reuptake inhibitor)注1)は、うつ病に加えて不安障害の治療などにも広く使用されます。その一方で、重篤な副作用の報告もあり、作用メカニズムにも不明な点が多く残されています。本研究グループは最近の研究で、SSRIが脳神経細胞を成熟前の状態に戻す(幼若化)ことを発見し、SSRIの新たな作用機序として報告しました。

本研究グループは今回、SSRIを継続的に投与すると、マウスの行動が低活動状態から活発化状態へ急激に変化するなど、行動の不安定化が生じることを発見しました。この効果は投与を中止しても見られ、脳神経細胞の幼若化に伴う神経伝達の変化と相関していました。さらに、SSRIによる脳神経細胞の幼若化が抑制されている遺伝子改変マウスでは行動不安定化も抑制されていました。これらの結果は、SSRI投与による行動不安定化に脳神経細胞の幼若化が関与することを示しています。

本研究の成果は、抗うつ薬による躁転や気分不安定化注2)の神経基盤の解明に寄与するものと期待されます。

本研究成果は、2011年3月16日(英国時間)に英国オンライン科学雑誌「Molecular Brain」で公開されます。

本成果は、以下の事業・研究領域・研究課題によって得られました。

戦略的創造研究推進事業 チーム型研究(CREST)

研究領域 「精神・神経疾患の分子病態理解に基づく診断・治療へ向けた新技術の創出」
(研究総括:樋口 輝彦 国立精神・神経医療研究センター 理事長)
研究課題名 「マウスを活用した精神疾患の中間表現型の解明」
研究代表者 宮川 剛(藤田保健衛生大学 総合医科学研究所 教授)
共同研究者 小林 克典(日本医科大学 医学部 薬理学講座 講師)
研究期間 平成19年10月~平成25年3月

JSTはこの領域で、少子化・高齢化・ストレス社会を迎えた日本において社会的要請の強い認知・情動などをはじめとする高次脳機能の障害による精神・神経疾患に対して、脳科学の基礎的な知見を活用し、予防・診断・治療法などで新技術の創出を目標にしています。

上記研究課題では、精神疾患モデルマウスの脳について各種先端技術を活用した網羅的・多角的な解析を行い、生理学的、生化学的、形態学的特徴の抽出を進め、さらに、これらのデータを人間の解析に応用することによって、精神疾患における本質的な脳内中間表現型の解明を目指します。

<研究の背景と経緯>

うつ病治療の第1選択薬であるSSRIは不安障害の治療にも広く用いられており、日本におけるSSRIの処方量はこの10年間で急増しています。しかし、SSRIを含む抗うつ薬にはアクチベーション症候群注3)や気分不安定化などの問題点があり、投薬を中止した後に重篤な離脱症状を生じる場合もあります。また、その治療効果および有害反応(副作用)の発現メカニズムについては未解明の点が多く残されています。

記憶・学習などの認知機能において重要な役割を果たす海馬は、近年抗うつ薬の標的としても注目されています。本研究グループは最近の研究によって、SSRIの一種であるフルオキセチンが成体海馬の歯状回注4)の神経細胞を幼若化させることを発見しました(平成22年4月20日プレスリリース https://www.jst.go.jp/pr/announce/20100420/index.html参考論文参照)。歯状回は海馬の神経回路の入り口に位置し(図1)、海馬に入力する情報を制御します。SSRIを成体マウスに慢性投与すると、歯状回において成熟神経細胞で特徴的に見られる分子(マーカー分子)の発現が低下し、逆に幼若マーカー分子を発現する細胞が増えました。さらに、SSRI投与後はシナプス伝達注5)などの神経細胞の生理学的特性が変化し、成熟細胞が幼若細胞のように振る舞うようになりました(図2)。成熟マーカー分子の発現低下は歯状回全体に見られることから、神経幼若化は歯状回の神経細胞全般に誘導されると考えられました。また、幼若化に伴う脳神経細胞の機能変化は多様かつ顕著であるため、このSSRIによる神経幼若化は歯状回や海馬の機能に強い影響を及ぼすことが予想されました。

神経幼若化を含め、海馬神経系に対する抗うつ薬の効果については多数の報告があります。また、実験動物の行動について、海馬に対するX線照射や海馬特異的な遺伝子発現操作などによって抗うつ薬の効果が変化することが報告されており、抗うつ薬が行動に及ぼす影響に海馬が関与することはほぼ確実と考えられます。しかし、抗うつ薬による行動変化に海馬神経細胞の機能のどのような変化が重要かについては、明らかにされていません。

<研究の内容>

本研究グループは今回、SSRIの一種であるフルオキセチンを成体マウスに1ヵ月間投与し、行動に対する影響を解析しました。さらに、行動解析後のマウスから作製した海馬スライス標本を用いて電気生理学解析を行い、行動変化と神経細胞の機能変化を直接結びつけることを試みました(図3)。

まず、マウスの飼育ケージ内での行動に対するフルオキセチンの影響を検討するため、活動を常にモニターした状態でフルオキセチンの投与を行いました。フルオキセチンを投与しないマウスでは、1日の活動量が実験期間中ほぼ一定でした。しかし、フルオキセチンを投与したマウスでは、投与開始から約2週間で活動量の日間変動が顕著になり(図3B)、数日の間に低活動と過活動の間を推移する変化がしばしば見られました(図4A)。その後に電気生理解析を行うと、フルオキセチンを投与したマウスでは神経幼若化の誘導を示すシナプス伝達の変化が見られ(図3B)、活動量の変動とシナプス伝達の変化の間には統計的に有意な相関が見られました。

この活動量の不安定化はフルオキセチンの断薬後少なくとも1ヵ月間は持続し、断薬後に顕著になる場合もありました(図4A)。つまり、行動の不安定化はフルオキセチンの組織中の濃度の変動によるものではないと考えられます。また、断薬1ヵ月後でもシナプス伝達の変化は確認されたため、この時点でも神経幼若化が維持されていると考えられます(図4)。

行動に対するフルオキセチンの効果をさらに詳細に検討したところ、開かれた広い空間(オープンフィールド)の中央を避ける、明るい場所を避けるなどの不安様行動注6)が高頻度に見られました。以前の研究によって、セロトニン5-HT4受容体を欠損させたマウスでは神経幼若化が抑制されることが示されていました。そこで、このマウスを用いて行動変化と神経幼若化の関連をさらに検討したところ、セロトニン5-HT4受容体欠損マウスではこれらの行動変化が抑制されていました(図5)。

以上の結果は、フルオキセチン投与によって生じる行動変化と神経幼若化が関連することを示しており、特に行動の不安定化の神経基盤に神経幼若化およびそれに伴うシナプス伝達の変化が寄与することを強く示唆しています。このような報告は過去の関連研究でも全く為されておらず、これまで解析されてこなかったSSRI作用の一側面が明らかになったと言えます。

<今後の展開>

本研究で発見した行動の不安定化は、抗うつ薬による躁転や気分不安定化に関連する可能性があり、これらの神経基盤の解明に寄与することが期待されます。躁転や気分不安定化は双極性障害(躁うつ病)の病歴のある患者において高頻度に見られますが、神経幼若化のメカニズムをさらに解析することによって、そのようなリスク要因の分子・細胞基盤が明らかになると考えられます。

今回の研究では健康なマウスにSSRIを比較的高用量で投与したため異常行動が顕著に見られたと思われます。今後は疾患モデルマウスも用いて、SSRIがどのような神経病態に対して改善効果を持ち、どのような条件で副作用を引き起こすかを明らかにすることによって、より安全かつ効果的なうつ病治療法の開発に結びつく知見が得られると考えられます。

<参考図>

図1

図1 海馬の神経回路

海馬に入る情報は歯状回→CA3→CA1の順にシナプスを介して伝達される。歯状回の主要神経細胞である顆粒細胞は、その軸索である苔状線維によってCA3領域に投射し、錐体細胞とシナプスを形成する。

図2

図2 歯状回神経細胞の成熟とその逆転

  • (A) 歯状回の顆粒細胞の機能が、成熟に伴ってどのように変化するかをイメージで表した図。横軸は時間軸、縦軸は各機能の活動の程度(上にいくほど、機能が活発になる)を示す。SSRI投与によって成熟過程の逆転(脱成熟)、つまり幼若化が生じる。
    • 興奮性:神経細胞のシグナルである活動電位を発生できる性質。
    • 最初期遺伝子:細胞に刺激が与えられた際に、急速かつ一過性に発現する遺伝子。
    • シナプス促通:神経活動に依存してシナプス伝達効率が短期的に上昇する現象。
  • (B) 神経幼若化によるシナプス促通の抑制の例。成体マウスでは、神経刺激の頻度を0.05Hzから1Hzに上昇させると、歯状回の出力シナプスにおいて顕著なシナプス促通が見られる(成熟シナプス)。SSRIの一種であるフルオキセチンを投与したマウスではシナプス促通が顕著に抑制される(幼若化シナプス)。
図3

図3 フルオキセチンによるケージ活動の不安定化

  • (A) 飼育ケージ内におけるマウスの1日の活動パターン。
  • (B) 夜間(暗期)活動量に対するフルオキセチンの効果の典型例。フルオキセチンを投与しないコントロール群のマウスでは、夜間活動量は約5週間の観察期間中安定しているが(上段左)、フルオキセチンの投与によって次第に不安定になる(下段左)。同じマウスを用いて電気生理解析を行うと、コントロールマウス(上段右)に比べてフルオキセチンを投与したマウス(下段右)ではシナプス促通が明らかに低下しており、神経幼若化が確認される。
図4

図4 フルオキセチン断薬の効果

  • (A) 2匹の異なるマウスから得られた活動量測定の結果。
    • 上段: フルオキセチン投与中に顕著な行動不安定化が生じ、断薬後は活動量低下の後に再び不安定化が見られる。
    • 下段: フルオキセチン投与中には変化がなく、断薬後に顕著な不安定化が見られる。
  • (B) フルオキセチン断薬から1ヵ月後に測定したシナプス促通。断薬後も神経細胞が幼若化した状態にあることが示唆される。点線はフルオキセチン断薬直後に解析した場合の促通レベル。上段は実際に測定されたシナプス応答。
図5

図5 セロトニン5-HT4受容体欠損マウスにおけるフルオキセチンの効果の抑制

野生型マウス(上段)では通常のマウスと同様に、ケージ内における活動量の不安定化(変動係数の増加)が見られ、不安様行動の指標であるオープンフィールドにおける中央滞在時間および明暗箱における明箱滞在時間の減少が見られる。セロトニン5-HT4受容体欠損マウス(下段)では、フルオキセチンはこれらの指標に対して有意な効果を持たない。

<用語解説>

注1) 選択的セロトニン再取込阻害薬SSRI(Selective serotonin reuptake inhibitor)
セロトニン神経の終末から放出されたセロトニンが神経細胞に再取り込みされるのを防ぎ、細胞外のセロトニン濃度を上昇させる薬物群。
注2) 気分不安定化
躁とうつの気分の状態を複数回もしくは双方を繰り返し示すようになること。
注3) アクチベーション症候群
抗うつ薬の投与中に見られる精神症状や行動変化で、不安、焦燥、衝動性などを含む。明確には定義されていない。
注4) 歯状回
海馬の一領域で、成体でも神経細胞が生み出され続ける部位として知られる。
注5) シナプス伝達
神経細胞間に形成される近接した特殊構造(シナプス)で行われる細胞間情報伝達。
注6) 不安様行動
人間の不安もしくは恐怖に類似した動物の行動。

<論文名>

“Behavioral destabilization induced by the selective serotonin reuptake inhibitor fluoxetine”
(セロトニン再取込阻害薬フルオキセチンによる行動の不安定化)
doi: 10.1186/1756-6606-4-12

<参考論文名および著者名>

“Reversal of hippocampal neuronal maturation by serotonergic antidepressants”
(セロトニン系抗うつ薬による海馬神経成熟の逆転)
Kobayashi et al., Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 107: 8434-8439 (2010)

<お問い合わせ先>

<研究に関すること>

小林 克典(コバヤシ カツノリ)
日本医科大学 医学部 薬理学講座 講師
〒113-8602 東京都文京区千駄木1-1-5
Tel:03-3822-2131(内線:5272) Fax:03-5814-1684
E-mail:

<JSTの事業に関すること>

長田 直樹(ナガタ ナオキ)
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