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平成22年12月1日

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大阪大学
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ドーパミンが線虫の匂い学習に必要であることを発見

―抗精神病薬研究への応用も期待―

JST 課題解決型基礎研究の一環として、大阪大学 大学院理学研究科の木村 幸太郎 特任准教授らは、モデル動物注1)の線虫「Caenorhabditis elegans(C.elegans;シー・エレガンス)」の匂いの学習過程で神経伝達物質ドーパミン注2)が、頭部にある左右一対の神経細胞を制御していることを明らかにしました。

ドーパミンは私達の脳において、快感や意欲などさまざまな機能に関与することが知られています。しかし人やマウスなどの高等動物の脳には膨大な数の細胞があり複雑なために、ドーパミンの分泌によって神経細胞の働きがどのように制御されるのかなどについては解析が非常に困難で、不明な点がいろいろと残されています。一方、C.elegansの脳の神経細胞はわずか302個であり、遺伝子レベルの解析は難しくありません。このため木村特任准教授らは、C.elegansを研究対象として解析を進めてきました。

今回、C.elegansは事前に嫌いな匂いを嗅がせた後に再び同じ匂いを嗅がせると、「慣れる」どころか、事前に嗅がせないよりも匂い源から遠くに逃げるようになるという珍しいタイプの学習をすることを見いだしました。また、この学習機能が、ドーパミン受容体注1)に作用する抗精神病薬「ハロペリドール」により、抑えられることも明らかにしました。さらに、このドーパミン受容体は、頭部に左右一対しかない「RIC(アール・アイ・シー)」という神経細胞にあることも明らかにしました。この結果から、この学習機能に関するドーパミンの働きを明らかにするには、RIC細胞への作用に着目すれば良いことが分かりました。また、人の脳内でも、線虫と共通性が高いドーパミン受容体が神経細胞の活動を調節していると考えられることから、今回の系に着目して研究を行うことで、人の脳内でドーパミンが働くメカニズムや、ドーパミンの働きを制御する他の抗精神病薬の作用メカニズムの解明をも、効率良く進めることができると期待されます。

本研究は、大阪大学 大学院理学研究科の藤田 幸輔 特任研究員、国立遺伝学研究所の桂 勲 名誉教授と共同で行ったものです。

本研究成果は、2010年12月1日(米国東部時間)発行の米国科学雑誌「The Journal of Neuroscience」に掲載されます。

本成果は、以下の事業・研究領域・研究課題によって得られました。

戦略的創造研究推進事業 個人型研究(さきがけ)

研究領域 「生命システムの動作原理と基盤技術」
(研究総括:中西 重忠 大阪バイオサイエンス研究所 所長)
研究課題名 「脳・神経系における「情報の変換」の解明を目指して」
研究代表者 木村 幸太郎(大阪大学 大学院理学研究科 特任准教授)
研究期間 平成18年10月〜平成22年3月

JSTはこの領域で、生命システムの動作原理の解明のために新しい視点に立った解析基盤技術を創出し、生体の多様な機能分子の相互作用と作用機序を統合的に解析して、動的な生体情報の発現における基本原理の理解を目指しています。上記研究課題では、神経細胞がたった302個しかない線虫「C.elegans」の「脳」を研究対象とし、好きな匂いや嫌いな匂いという刺激情報が処理されていく過程を光学的に測定・解析することによって、脳の働きの新たな基本ルールの解明を目指します。

<研究の背景と経緯>

神経の機能が経験によって変化することを、広い意味で「学習」と呼びます。「学習」にはさまざまな形があり、例えば、私達が大きな音や強い光に慣れること(「慣れ」)や、ベルの音だけで唾液が出るようになる「パブロフの犬」も「学習」の例です。「学習」は、それぞれが動物の生存や繁殖に重要な役割を果たしていると考えられます。しかし、現象としては広く知られていても、特定の「学習」のために、どのような遺伝子がどこの神経細胞で働くことが必要かは分らないことが多いのです。

本研究では、モデル動物の線虫「C.elegans」を研究対象として、C.elegansでは今まで知られていない新しい学習機能を見いだし、その学習機能に必要な遺伝子を明らかにすることを目指しました。C.elegansは、わずか302個の神経細胞しか持たず、さまざまな「学習」が可能であり、遺伝子の解析が容易であるなどの特徴を持ち、個体レベルでの神経機能を研究するための実験動物として注目されています。

<研究の内容>

(1)「嫌いな匂いをより嫌いになる」という学習機能

本研究では、まずC.elegansの匂いに対するさまざまな行動を観察して、C.elegansでは今まで知られていなかった新しい「学習」を発見しました。通常のC.elegansは「匂い物質2−ノナノン注3)から逃げる」ことが知られていますが、事前に1時間程度この2−ノナノンを嗅いだC.elegansは、「慣れる」どころか「より遠くまで逃げる」ことが分かりました(図1)。さらに、この「より遠くまで逃げる」という現象は、2−ノナノンの匂い刺激だけによって引き起こされる「非連合学習注4)」というタイプの学習であることも分かりました。「慣れ」のように刺激に対して応答が弱くなる非連合学習はさまざまな動物で詳しく調べられていましたが、逆に刺激に対して応答が強くなる非連合学習はアメフラシのエラ引き込み反射など、わずかな例でしか知られていませんでした。2−ノナノンはC.elegansにとって有害であることから、この「より遠くまで逃げるようになる」という現象は、C.elegansが身を守るために必要な学習機能であると考えられます。

(2)ドーパミンによる制御

さらに、この「2−ノナノンをより嫌いになる」という学習機能に必要な遺伝子を探しました。具体的には、神経伝達物質受容体やイオンチャネルなど神経機能に必要である可能性が高い遺伝子に異常を持つ個体(突然変異体)およそ50種類について、2−ノナノンに対する忌避行動を調べました。すると、ドーパミンを合成できない変異体(図2)では、「より嫌いになる」という学習が起きませんでした。さらに、ドーパミンの受容体の突然変異体を複数調べた結果、D2型ドーパミン受容体の遺伝子dop−3の突然変異体でも、「より嫌いになる」という学習が起きませんでした。また、D2型ドーパミン受容体の働きを抑えるハロペリドールやロキサピンという抗精神病薬も、「より嫌いになる」という学習機能を抑えました。

続いて、ドーパミン受容体DOP−3が働く神経細胞を調べた結果、RICと呼ばれる左右一対の介在神経細胞注5)であることが分かり、RIC細胞にあるDOP−3の働きが、「2−ノナノンをより嫌いになる」という学習機能に必要であることが明らかになりました。

動物の行動はその神経系全体の働きの総和であることを考えると、わずか2個の神経細胞に対するドーパミンの作用が神経系全体の働きに大きな影響を与えていることが示された今回の結果は、非常に重要です。

<今後の展開>

ドーパミンは哺乳類の脳において、認識・情動・報酬といったさまざまな高次神経機能に関与することが知られています。例えば、期待よりも嬉しいことが起きた時に脳の特定の場所からドーパミンが分泌されることが知られています。また、このようなドーパミンの働きは、薬物依存や気分障害などの病態生理にも関連していると考えられています。しかし高等動物の脳は極めて多くの細胞から成り立っていて複雑、かつドーパミンも複数の部位に働くことが分かっています。このため、脳においてドーパミンが神経細胞の活動を調節する働きの解析は困難であり、不明な点が多く残されています。

一方、C.elegansは人と違って神経細胞同士の接続が全て分かっており、遺伝子レベルの解析が容易です。今回の研究によって、C.elegansの「2−ノナノンをより嫌いになる」という学習機能に関して、ドーパミンがたった2つのRIC細胞を介して働くことが分かりました。つまり、この学習機能に関するドーパミンの働きについて、たった2つの細胞への作用に着目すればよいのです。この成果は今後、詳しいメカニズムの一端を、迅速に明らかにするものと考えられます。

また、C.elegansと人では「脳」の働きには大きな差がありますが、遺伝子同士を比べれば高い共通性があります。C.elegansにおいてD2型ドーパミン受容体への拮抗薬であるハロペリドールなどが「より嫌いになる」という学習効果を抑えたことから、抗精神病薬の人への作用をC.elegansを用いて研究することもできると期待できます。

<参考図>

図1

図1 C.elegansの2−ノナノン忌避行動

  1. A: 通常の条件で飼育したC.elegans(「事前刺激なし」)は、直径9cmの寒天培地上で12分間に中央から半分程度の距離まで逃げました。しかし、事前刺激されたC.elegansは、同じ12分間により遠くまで逃げました。
  2. B: 事前刺激の有無の比較のグラフ。縦軸は、1回の行動実験あたりの忌避距離の平均を表します。9回の忌避行動実験の平均値を比較すると、有意確率は0.1%未満であり、事前刺激に効果があることが分かりました。
図2

図2 C.elegansの神経におけるドーパミンの働き

ドーパミンは、細胞の中でアミノ酸の1つのチロシンから合成されます。細胞表面に存在するD2型ドーパミン受容体にドーパミンが結合することで、RIC介在神経細胞に何らかの反応が引き起こされます。この反応は私たち人の脳におけるドーパミンの働きにも共通する可能性があります。ドーパミン合成に関わる遺伝子やD2型ドーパミン受容体遺伝子の突然変異および抗精神病薬は、「より遠くまで逃げる」という学習機能を抑えました。

<用語解説>

注1) モデル動物
いくつかの面で研究に適した動物を限られた代表例(「モデル」)として、さまざまな研究者がそれぞれの立場から研究を行っている。自分が専門とする以外の情報を他の研究者から得やすくなり、研究が効率的に進むことが多い。マウス、ショウジョウバエ、C.elegansなどが有名。
注2) ドーパミン/ドーパミン受容体
特定の神経細胞の活動に伴って放出され、他の神経細胞の「アンテナ」に結合してその神経細胞の活動の状態を変化させる物質を「神経伝達物質」と呼び、ドーパミンはその1つに含まれる。ドーパミンは、別の神経伝達物質によって引き起こされる神経細胞の活動を調節する、と考えられていることから、「神経調節物質」とも呼ばれる。
ドーパミンに結合する「アンテナ」を、「ドーパミン受容体」と呼ぶ。人などのドーパミン受容体は5種類あり、その遺伝子配列や機能の違いから、大きくD1型とD2型に分けられている。C.elegansには2つのD2型ドーパミン受容体が存在する。
注3) 2−ノナノン
揮発性と高い疎水性を持つ、炭素9個からなる有機化合物。高濃度の2−ノナノンにさらされるとC.elegansは死んでしまうことから、この匂いを避けていると考えられている。
注4) 非連合学習
特定の刺激のみによって、その刺激に対する反応が変化すること。例えば、音・光・味・匂いなどに対する「慣れ」。餌(無条件刺激)によってベル(条件刺激)に対する反応が変化する「パブロフの犬」は、連合学習の例。
注5) 介在神経細胞
神経細胞同士を接続する「介在神経細胞」。動物の神経細胞は大きく、「介在神経細胞」、光・音・匂い・味などを感ずる「感覚神経細胞」、筋肉の動きを制御する「運動神経細胞」の3つに分けられる。

<論文名および著者名>

“Enhancement of Odor-avoidance Regulated by Dopamine Signaling in Caenorhabditis elegans
Caenorhabditis elegansの匂い忌避増強はドーパミンシグナル伝達によって制御される)
木村 幸太郎1,2,3、藤田 幸輔、桂 勲
(1:国立遺伝学研究所、2:大阪大学 大学院理学研究科、3:JST さきがけ研究者)
doi: 10.1523/JNEUROSCI.6023-09.2010

<お問い合わせ先>

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木村 幸太郎(キムラ コウタロウ)
大阪大学 大学院理学研究科 特任准教授
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