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平成22年7月16日

科学技術振興機構(JST)
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東京大学
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理化学研究所(RIKEN)
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世界で初めてマグノンのホール効果を観察

−省電力型の電子回路への道を開く−

JST 課題解決型基礎研究の一環として、東京大学 大学院工学系研究科の十倉 好紀 教授と小野瀬 佳文 講師らは、マグノン注1)の進行方向が磁場によって曲げられる現象を起こす「ホール効果」を世界で初めて観察しました。マグノンとは、磁性体中のスピン波を粒子として表したものです。

金属や半導体を主体とした電流を使う電子機器では、電子の散逸による熱エネルギー(ジュール熱)が発生します。この熱はエネルギーの損失となってしまうため、最近では散逸が少なく、絶縁体でも伝達が可能な電子の磁気モーメントの流れ(スピン流)を電子の流れ(電流)の代わりに利用しようという研究が広がってきました。

従来の電子機器には「ホール効果」という現象を利用した磁気センサー、電流センサーが多く使われています。ホール効果とは、金属または半導体中を流れる電子の進行方向が磁場によって曲げられるという現象(図1)で、この曲がり具合が電流と磁場の強さによって変わるためにセンサーへの利用が可能になっています。今後、スピン流を利用した電子機器を作るには、絶縁体中でスピン流のホール効果を起こす方法を見つけることが課題となっていました。

今回の研究では、バナジウム酸化物の強磁性絶縁体Luにおいて磁場の方向に依存してマグノンの流れる方向が変化することを、熱流の変化として観察することに成功しました(図2)。電子の流れが電流を生み出すように、マグノンの流れはスピン流と熱流を生み出すことが知られていますので、熱流の変化から絶縁体中におけるスピン流のホール効果が起きたことが分かります。この結果により将来、絶縁体中でのスピン流の生成や検出が可能になり、それらを基礎として電気伝導のエネルギー損失が全くない、省電力のスピンエレクトロニクスへ展開されることが期待されます。

本研究は、理化学研究所との共同研究で行われ、本研究成果は、2010年7月16日(米国東部時間)発行の米国科学雑誌「Science」に掲載されます。

本成果は、以下の事業・研究プロジェクトによって得られました。

戦略的創造研究推進事業 ERATO型研究

研究プロジェクト 「十倉マルチフェロイックスプロジェクト」
研究総括 十倉 好紀(東京大学 大学院工学系研究科 教授)
研究期間 平成18〜23年度

JSTはこのプロジェクトで、磁化と電気分極の強い相関を持つマルチフェロイック物質の創製と、その物性を説明する学理の構築を総合的に行うことで、材料の新たな設計指針を見いだしつつ、ものづくり手法の高度化と合わせて、新規材料群の開拓を行っています。

<研究の背景>

シリコン製半導体は、ジュール熱による発熱などの問題により小型化、集積化の限界を目前にしていると言われています。そのため、スピンの自由度を用いたエレクトロニクス(スピントロニクス)による技術革新の可能性が検討されています。電荷の自由度をスピンの自由度で置き換えた場合、電気伝導によるジュール熱の損失を避けることができ、よりエネルギー損失が少ない電子回路を実現することが可能になります。しかし、伝導電子が存在する金属や半導体では、スピンと伝導電子との相互作用によるエネルギー損失を避けられません。

このような観点から、磁性絶縁体におけるスピン流は、将来の省電力電子技術を考える上で極めて重要です。将来、スピン流の注入により磁気メモリの高速制御が可能になれば、情報の伝達担体として電流の代わりにスピン流が重要な役割を担うと考えられています。磁性絶縁体中ではスピンの揺らぎの量子であるマグノンの流れがスピン流となることから、磁性絶縁体中でのマグノン輸送現象の本質的な問題として、荷電粒子の流れ(電流)がホール効果を起こすように、マグノンの流れ(スピン流)もホール効果を起こしうるかという疑問がありました。

<研究の成果>

本研究では、パイロクロア構造(図3)を持つ強磁性絶縁体であるバナジウム酸化物Lu(強磁性体が常磁性体に転移する温度:=70K)を対象に、その熱流を測定することで、マグノンのホール効果の観測に成功しました。図4には、この物質の熱流の曲がり(熱ホール伝導度注2))を示します。以上(80K)ではほとんどホール効果は存在しませんが、以下(≦70K)になると有限のホール効果が存在することが分かります。一般的に熱伝導度注2)は、電気的なキャリア、フォノン(格子振動の量子)、そしてマグノンの3つの要素が主に寄与すると考えられています。この物質は、絶縁体なので、電気的なキャリアは熱ホール伝導度には寄与しません。また、観測した以下(≦70K)でのみ存在する熱ホール伝導度は、フォノンの寄与では説明することができません。従って、この熱ホール伝導度はマグノンがホール効果を起こしたと考えることができます。観測した熱ホール伝導度は、スピンの集団としての性質(強磁性秩序)の成長により50Kまでは増大しますが、さらに温度を下げると熱によるマグノンの励起が抑えられ熱ホール伝導度も減少していきます。低温で磁場をかけていくと、まず、はじめに熱ホール伝導度が急激に増大して低磁場で飽和します。これは磁化の磁場依存性と同じなので、磁化の向きに依存してマグノン流の曲がる方向が変化することを示しています。高磁場領域で熱ホール伝導度が緩やかに減少しているのは、磁場によってマグノンの励起が抑えられていくためです。

通常のキャリアのホール効果は電子が磁場によるローレンツ力注3)を受けることにより起こります。ローレンツ力は電荷に比例した力であるため、電荷を持たない粒子であるマグノンは通常ホール効果を起こしません。しかし、パイロクロア構造を持つこの物質では、その特異な結晶構造に起因して磁化の向きに依存した位相のズレがマグノンに発生し、その結果、進む向きが曲がることにより、マグノンにホール効果が発生することが分かりました。

<今後の展開>

今後は、本研究で見いだしたマグノンのホール効果の学理を構築することと平行して、反強磁性体を用いたマグノンのスピンホール効果など、さらなる磁性絶縁体中のマグノンのスピン流の新規機能性を開拓します。それらによって、磁性絶縁体を基にした省電力のスピントロニクスを開くことが期待されます。

<参考図>

図1

図1 ホール効果

電流に垂直な方向に電圧が発生する現象。通常、これは外部磁場中で電子の速度と磁場の両方に垂直な方向に働くローレンツ力によって電流が曲げられることによって発生します。それに加えて強磁性体においては、相対論的効果に由来するスピン軌道相互作用によって発生した、物質内部の磁化の向きに依存する異常ホール効果が存在します。近年では、常磁性の半導体や金属においても、異常ホール効果のようにスピン方向に依存したホール効果が起こることによって電界の向きに垂直な方向に磁気モーメントの流れが発生するスピンホール効果が観測されています。

図2

図2 マグノンホール効果の概念図

灰色の矢印は強磁性体中の磁気モーメントの方向を示します。赤色の領域が、磁気モーメントの揺らぎの量子力学的粒子であるマグノンを表しています。マグノンの進む向きが周りの磁気モーメントが上を向いている場合、直進せずに曲がっていくホール効果を起こします。マグノンは、エネルギー(熱)と磁気モーメントの両方を運びます。温度差がある場合、マグノンは高温部から低温部へと流れていきますがホール効果がある場合には、温度勾配と垂直な方向に熱流を運びます(青矢印)。

図3

図3 パイロクロア構造

結晶構造の一種。2種の金属原子A、Bを含む遷移金属酸化物で観察され、Aという化学式で表されます。金属原子はそれぞれ正四面体構造を取ることが知られています。これらの金属原子のスピンは隣同士のスピンが互いに反対の方向になろうとしますが、正四面体状にスピンが並ぶとそのように安定な配向が取れなくなってしまいます。そのため、従来の構造にはない興味深い現象が起こることが知られています。

図4

図4 Luの熱ホール伝導度の各温度における磁場依存性

<用語解説>

注1) マグノン
量子力学によれば、あらゆる振動(低エネルギーの量子力学的な励起状態)は仮想的な粒子(準粒子)として取り扱うことが可能です。磁性体中の電子の磁気モーメントの振動に関する準粒子がマグノンになります。強磁性体中のマグノンは、振動によるエネルギーと、磁化と逆向きの磁気モーメントを運びます。
注2) 熱ホール伝導度、熱伝導度
熱伝導度は、ある物質における熱の伝わりやすさを表す量のことで、単位温度差を与えた時に発生する熱流で定義されます。
一方、熱ホール伝導度は温度勾配と垂直方向に流れる熱流で定義され、熱流の曲がりを表す量になっています。
注3) ローレンツ力
電磁場中で運動する荷電粒子が受ける力。電荷、速度、磁場の3つの積に比例し、荷電粒子の速度と磁場の両方に垂直な方向にかかります。

<論文名>

“Observation of the magnon Hall effect”
(マグノンホール効果の観測)
doi: 10.1126/science.1188260

<お問い合わせ先>

<研究に関すること>

小野瀬 佳文(オノセ ヨシノリ)
東京大学 大学院工学系研究科物理工学専攻 講師
〒113-8656 東京都文京区本郷7−3−1
Tel:03-5841-6840 Fax:03-5841-6840
E-mail:

<プロジェクトに関すること>

金子 良夫(カネコ ヨシオ)
科学技術振興機構 戦略的創造研究推進事業 ERATO型研究「十倉マルチフェロイックスプロジェクト」 技術参事
〒351-0198 埼玉県和光市広沢2−1 理化学研究所 フロンティア中央研究棟208号室
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<JSTの事業に関すること>

小林 正(コバヤシ タダシ)
科学技術振興機構 イノベーション推進本部 研究プロジェクト推進部
〒102-0075 東京都千代田区三番町5 三番町ビル
Tel:03-3512-3528 Fax:03-3222-2068
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