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平成22年4月16日

科学技術振興機構(JST)
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慶應義塾大学 医学部
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成熟脳における脳神経回路の形成・維持の新しい仕組みを解明

―認知症や精神神経疾患の治療法開発に前進―

JST 課題解決型基礎研究の一環として、慶應義塾大学 医学部の柚﨑 通介 教授らは、神経細胞が結合して脳神経回路を形成する新しいメカニズムを解明しました。

ヒトの脳では、1000億個を超える神経細胞が整然と結合することにより、神経回路を形成しています。このような神経細胞同士の間の結合「シナプス」注1)は、生後の環境や発達に伴って形成され、成熟後も学習により再び改変されます。しかし、成熟後の脳でどのようにシナプスが形成・維持されるのかについては、ほとんどが未解明のままでした。

これまでに本研究グループは、神経細胞が分泌するたんぱく質Cbln1(シービーエルエヌ1)注2)がシナプス形成と維持に必須であることを発見しました。Cbln1が欠損したマウスでは小脳にシナプスがほとんど形成されず、よたよたと歩く歩行障害を示します。このマウスの小脳にCbln1を注入すると、急速にシナプスが形成され、歩行障害が回復します。しかし、Cbln1がどのようにしてシナプスに局在し、シナプス形成を誘導するのかは不明でした。

そこで今回、Cbln1欠損マウスとデルタ2グルタミン酸受容体(GluD2:グルディー2)注3)欠損マウスがよく似た運動障害を示すことに着目し、Cbln1とGluD2の働きについて研究を進めました。この結果、Cbln1とGluD2とは、シナプスにおいて複合体を形成してシナプス前部と後部にそれぞれ働きかける極めてユニークな分子であること、また、この働きによりシナプスを介して神経細胞間の接着と成熟を促していることを解明しました。

Cbln1とGluD2によるシナプス形成・維持メカニズムの発見は、小脳の病気による運動障害に効果的な新しい治療法の開発につながることが期待されます。また、Cbln1やGluD2に似た分子は小脳のほかに大脳にも多く存在し、これらの分子もシナプス形成と維持に関与することが予想されることから、多くの精神神経疾患や認知症などにおけるシナプス異常の病態の解明と治療法の開発に向けて、重要な鍵となるものと期待されます。

本研究成果は、2010年4月16日(米国東部時間)発行の米国科学雑誌「Science」に掲載されます。

本成果は、以下の事業・研究領域・研究課題によって得られました。

戦略的創造研究推進事業 チーム型研究(CREST)

研究領域 「脳神経回路の形成・動作原理の解明と制御技術の創出」
(研究総括:小澤 瀞司 高崎健康福祉大学 健康福祉学部 教授)
研究課題名 「成熟脳におけるシナプス形成機構の解明と制御」
研究代表者 柚﨑 通介(慶應義塾大学 医学部 教授)
研究期間 平成21年10月~平成27年3月

JSTはこの領域で、脳神経回路の発生・発達・再生の分子・細胞メカニズムを解明し、さらに個々の脳領域で多様な構成要素により組み立てられた神経回路がどのように動作してそれぞれに特有な機能を発現するのか、それらの局所神経回路の活動の統合により、脳が極めて全体性の高いシステムをどのようにして実現するのかを追求します。またこれらの研究を基盤として、脳神経回路の形成過程と動作を制御する技術の創出を目指します。

上記研究課題では、C1qファミリー分子によるシナプス形成・維持機構を解明し、C1qファミリー分子を介したシグナル伝達経路を操作することによって、神経回路の形成と個体行動を制御する方法を探ります。

<研究の背景と経緯>

脳の機能は、神経細胞同士がシナプスを介して形成する神経回路によって担われています。シナプスの前側に存在する神経細胞がグルタミン酸などの神経伝達物質を放出し、シナプスの後ろ側の神経細胞の表面に存在する受容体が、その神経伝達物質を受け取ることによって、情報の伝達と貯蔵が行われ、精神現象や記憶を引き起こすと考えられています(図1)。従って、シナプスがどのようにして形成され、そして学習に応じて改変され、また病気によって失われていくかのメカニズムを解明することによって、健やかな脳を作り保つために重要なヒントが得られると期待されます。

神経細胞同士の間に新しくシナプスを形成させる作用を持つ分子は、シナプスオーガナイザー注4)と呼ばれます。精神発達遅滞や自閉症など数多くの精神神経疾患は、シナプスオーガナイザー分子をコードする遺伝子の異常に起因することが明らかになってきました。これまでの研究で、発達期に作用するシナプスオーガナイザーがいくつか報告されていますが、成熟後の脳で作用するシナプスオーガナイザーについてはほとんど分かっていませんでした。

本研究グループはこれまでに、小脳顆粒細胞注5)より分泌され、成熟後においても強力に作用するシナプスオーガナイザーCbln1を発見しました(参考文献1)。マウスのCbln1遺伝子を欠損させたところ、シナプスの数が著しく低下し、マウスは歩行障害を示します。一方、Cbln1欠損マウスが成熟した後に小脳にCbln1を注入するとわずか2日間でシナプス数が回復し、歩行障害が改善することも分かっていました(参考文献2図2)。しかし、Cbln1がどのようにしてシナプスに局在し、シナプス形成を誘導するのかは不明でした。

また、GluD2は、小脳プルキンエ細胞注6)に存在するグルタミン酸受容体注3)と似た分子として発見されましたが、グルタミン酸そのものには結合できないことから「孤児受容体」と呼ばれ、どのようにして機能するのかが長い間謎でした。

<研究の内容>

本研究グループは、GluD2を欠損するマウスでも、小脳におけるシナプスの数が激減して運動障害を示し、Cbln1欠損マウスと酷似した症状が現れることに着目し、シナプス前部の細胞から分泌されたCbln1がシナプス後部に存在するGluD2に結合することによって、シナプス形成・維持作用を示すのではないかと考えました(図3)。そして今回、実際にGluD2の細胞外に飛び出た部分にはCbln1が直接に結合することを世界で初めて発見しました。また、Cbln1欠損マウスにCbln1を注入すると急速にシナプス形成と運動機能回復が見られますが、Cbln1とGluD2を両方欠損したマウスにCbln1を注入しても、シナプス形成と運動機能回復は見られませんでした。すなわち、Cbln1が機能を発揮するためには、その受容体であるGluD2が必要であることが明らかになりました。

またCbln1を周りにくっつけたビーズ(小粒子)を小脳顆粒細胞とともに培養すると、ビーズ周囲にシナプス前部(顆粒細胞の軸索)が集まりシナプス小胞も集積しました(図4)。一方、Cbln1をくっつけたビーズを小脳プルキンエ細胞とともに培養すると、GluD2が存在する時に限って、プルキンエ細胞内でGluD2に結合するたんぱく質がビーズ周囲に集まりました(図5)。つまり、Cbln1はシナプス前部には直接作用し、シナプス後部にはGluD2を介して作用することにより、シナプスの形成と成熟をコントロールすることが分かりました。このようにCbln1とGluD2とはシナプスにおいて複合体を形成し、シナプス前部と後部にそれぞれ働きかける極めてユニークな分子です(図3)。

GluD2はグルタミン酸受容体と似た分子として発見されたものの、グルタミン酸とは結合しません。一方、Cbln1は免疫系において働く「補体」と似た分子であり、同じグループに属する分子は、炎症反応、糖代謝、冬眠など多彩な機能を持っていることから、Cbln1がどのように脳内において機能するのかは不明でした。今回の発見によってGluD2のパートナーが初めて明らかになり、GluD2は孤児受容体ではなくなりました。

<今後の展開>

Cbln1とGluD2によるシナプス形成・維持メカニズムの発見は、小脳の病気による運動障害に効果的な新しい治療法の開発につながることが期待されます。

今回研究を進めたCbln1やGluD2に似た分子は小脳のほかにも、海馬や大脳皮質などにもそれぞれ特徴的なパターンで発現することが分かってきました。従って成熟脳における新しいシナプス形成メカニズムの解明をさらに進めることにより、記憶・学習の基盤となる脳機能の理解に大きく貢献するものと期待されます。

またCbln1を投与することによって、シナプス形成・維持過程を外的にコントロールできることから、シナプス異常が原因と考えられる加齢による認知症や精神神経疾患の早期診断と治療につながることも期待されます。

さらに、再生医学において新生神経細胞と既存の神経回路とを機能的に再接続する機構や制御を可能とする基盤的技術の創出にもつながる可能性があります。

<付記>

本研究は、慶應義塾大学 医学部の柚﨑研究室にて松田 恵子 助教を中心として、北海道大学 大学院医学研究科の渡辺研究室、自然科学研究機構 生理学研究所の重本研究室と共同で行われました。

<参考図>

図1

図1 神経細胞はシナプスによって結合し、神経回路を形成

シナプス前部の神経細胞から放出されるグルタミン酸などの神経伝達物質はシナプス後部に存在する受容体に結合することによって、情報を伝達します。シナプスこそが私たちの脳における精神現象や記憶の場と考えられています。

図2

図2 Cbln1は成熟した脳においても急速にシナプス形成を誘導

Cbln1欠損マウスの小脳では成熟後に正常シナプスがほとんど存在せず、著しい運動失調(回転する棒の上にうまく乗れない)や歩行障害を示します。Cbln1を注入後わずか1-2日間でこれらの症状は急速に改善します。

図3

図3 Cbln1とGluD2による新しいシナプス形成・維持メカニズム

シナプス前部から分泌されるCbln1はシナプス後部に存在するGluD2に結合します。Cbln1-GluD2複合体はシナプス前部と後部にそれぞれ働きかけ、シナプス形成と成熟をコントロールすると考えられます。

図4

図4 Cbln1は直接シナプス前部を誘導

Cbln1でコートされたビーズを小脳顆粒細胞とともに培養すると、ビーズ周囲にシナプス前部(顆粒細胞の軸索)が集まり、シナプス小胞も集積します。このことから、Cbln1のシナプス前部誘導作用はGluD2には直接依存せず、GluD2はCbln1をシナプスに局在化させる役割を果たすと考えられます。

図5

図5 Cbln1はGluD2を介してシナプス後部を誘導する

Cbln1でコートされたビーズを小脳プルキンエ細胞とともに培養すると、ビーズ周囲にプルキンエ細胞のGluD2が集積し、同時に細胞内でGluD2に結合するたんぱく質(ここではShank2)が集まります。つまり、Cbln1はGluD2を介して間接的にシナプス後部の形成と成熟をコントロールすると考えられます。

<用語解説>

注1) シナプス
神経細胞と神経細胞のつなぎ目。シナプスの前側にある神経細胞からグルタミン酸などの神経伝達物質が放出され、後ろ側の神経細胞がこれを受け取ることによって情報が伝達される。
注2) Cbln1(シービーエルエヌ1)
神経細胞が分泌するたんぱく質。免疫系において働く「補体」と似た分子であり、同じファミリーに属する分子は、炎症反応、糖代謝、冬眠など多彩な機能を持っていることから、Cbln1がどのように脳内において機能するのかは不明であった。
注3) グルタミン酸受容体、デルタ2グルタミン酸受容体(GluD2:グルディー2)
シナプス前部から放出されるグルタミン酸を受け取るために神経細胞が備える細胞膜表面に存在するたんぱく質。グルタミン酸受容体には、AMPA受容体などいくつかの種類がある。GluD2は、小脳プルキンエ細胞に存在するグルタミン酸受容体と構造が似た分子として発見されていたが、グルタミン酸そのものには結合できないことから、孤児受容体と呼ばれ、どのようにして機能するのかが長い間謎であった。
注4) シナプスオーガナイザー
シナプスを形成し成熟させる分子の総称。細胞から分泌されて作用する分子と細胞表面において神経細胞同士を接着させる分子に大別される。
注5) 顆粒細胞
小脳の外からの情報を受け取る一群の顆粒状の小型神経細胞。プルキンエ細胞とシナプスを形成し、グルタミン酸によって情報をプルキンエ細胞に伝達する。
注6) プルキンエ細胞
顆粒細胞とシナプスを形成する大型の神経細胞。ほかの情報を統合することによって、小脳における運動記憶やなめらかな運動を制御する。

<論文名>

“Cbln1 Is a Ligand for an Orphan Glutamate Receptor δ2, a Bidirectional Synapse Organizer”
(Cbln1は孤児グルタミン酸受容体δ2のリガンドであり、シナプス形成を両方向性に制御する)
doi: 10.1126/science.1185152

<参考文献>

参考文献1:
Hirai H et al. "Cbln1 is essential for synaptic integrity and plasticity in the cerebellum."
Nat Neurosci. 8, 1534-1541 (2005).

参考文献2: Ito-Ishida A et al. "Cbln1 regulates rapid formation and maintenance of excitatory synapses in mature cerebellar Purkinje cells in vitro and in vivo."
J. Neurosci 28, 5920-5930 (2008)

<お問い合わせ先>

<研究に関すること>

柚﨑 通介(ユザキ ミチスケ)
※「ザキ」の字体は、「崎」の右上部の「大」を「立」で置き換えた漢字となります。
慶應義塾大学 医学部 生理学 教授
〒160-8582 東京都新宿区信濃町35
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<JSTの事業に関すること>

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