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平成22年2月15日

理化学研究所
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分子から放出された光電子の波動関数を決定することに成功

―“分子に乗って”光電子が飛び出す様子を観察する―

<本研究成果のポイント>

○ 一酸化窒素分子(NO)の光イオン化過程を時間分解光電子イメージングで解明

○ 分子固定座標系で見た光電子の波動関数を完全決定

○ 光イオン化過程を解明する新実験手法は、さまざまな分子に適用可能

独立行政法人 理化学研究所(理研、野依 良治 理事長)と独立行政法人 科学技術振興機構(JST、北澤 宏一 理事長)は、時間分解光電子イメージング注1)を使って分子の光イオン化過程注2)を解明する手法を開発し、一酸化窒素分子(NO)が光イオン化の際に放出する光電子の波動関数注3)を決定することに成功しました。これは、理研基幹研究所(玉尾 皓平 所長)鈴木化学反応研究室のTang Ying 博士研究員(現 中国科学院武漢物理与数学研究所 准教授)、鈴木 喜一 客員研究員、堀尾 琢哉 客員研究員、鈴木 俊法 主任研究員による研究成果です。

分子は固有の形(分子構造)を持っており、この形こそが分子の特徴的な物性や機能を発現する源です。しかし、実際の分子は、気体中でも液体中でも常にランダムな方向を向いています。そのため、分子同士の衝突で起こる化学反応など、分子の向きや分子構造に依存する現象を観測しても、方向に関する情報は平均化されてしまいます。化学反応の立体的な選択性は、分子中の電子の運動の特徴的な偏り(分布)に起因します。この電子の偏りを、観察者が“分子に乗って”方向を定め(分子固定座標系注4))、実際に電子がどの方向に偏っているのか、その分布あるいは波動関数を実験的に決定することが、新たなターゲットとなっています。

研究グループは、一酸化窒素分子の光イオン化過程をモデルとして、その回転周期注5)である8.4ps(ピコ秒:1psは1兆分の1秒)よりも短い時間幅(0.25ps)を持つ第1のレーザー光パルスを使い、一酸化窒素分子を電子のエネルギーが高い状態(励起状態)にしました。この際、特定の方向を向いた一酸化窒素分子だけが励起状態になる原理を利用して、方向のそろった励起分子の集団を作りました。その後の分子軸の向きは理論的に予測可能なため、第2のレーザー光パルスをいろいろなタイミングで照射し、刻々と向きを変化させていく一酸化窒素分子から光電子を放出させ、その分布を写真に撮像しました。第1のパルスで向きを選択した際に、分子の向きを完全にそろえることはできないため、画像は未だ向きのばらつきのためににじんでいますが、このばらつきの程度は正確に見積もることができます。

研究グループは、分子の整列状態と画像のにじみの程度を精密に解析し、にじみのないシャープな画像、つまり分子固定座標系での光電子の散乱分布と波動関数を抽出することに成功しました。さらに、第2の光パルスの波長(エネルギー)を変えた場合に、波動関数がどのように変化するかを初めて実験的に明らかにしました。

“分子に乗って”光電子の波動関数を決定する手法の確立は、光イオン化過程に関する理解を深めるとともに、複雑な多原子分子や、化学反応途上の分子にも拡張できると期待できます。

本研究成果の一部は、JST 戦略的創造研究推進事業 チーム型研究(CREST)の「先端光源を駆使した光科学・光技術の融合展開」研究領域における研究課題「真空紫外・深紫外フィラメンテーション極短パルス光源による超高速光電子分光」(研究代表者:鈴木 俊法)によるもので、2010年2月16日(英国東部時間)付の米国物理学会速報誌「Physical Review Letters」オンライン版に掲載予定です。

1.背景

現在、量子化学では、分子内の原子核の位置を固定して、動き回っている電子の運動を量子論的に計算し、知りたい分子の構造や性質を分析することが盛んに行われています。このような計算によって、物性や反応性を説明したり、予測することが、複雑な工程を繰り返す化学の現象を解き明かすために非常に重要です。1981年にノーベル化学賞を受賞した福井 謙一 博士は、分子の中で最もエネルギーが高く、最も外側に位置する電子(フロンティア電子)の分布が、化学反応に重要な役割を果たすことを発見しました。近年、量子化学の計算精度は飛躍的に向上し、分子の最も安定な電子の状態(基底電子状態)については、パソコンレベルの性能でも電子の分布(電子波動関数)がほぼ再現可能とされています。しかし、化学反応に関与するような電子の励起状態については、電子波動関数の計算が非常に複雑なため、大型の計算機を使って精度を高める研究が欠かせない状況となっています。

電子波動関数を実験的に観測することは、分子のランダムな方向や運動に妨げられ、今日でも非常に困難です。この問題を解決するために、固体表面に分子を吸着させてランダムな運動をとどめ、電子波動関数を観測することが考えられますが、この場合、吸着によって分子本来の状態は損なわれてしまいます。従って、気体状態のままの分子を使って、分子固定座標系での電子分布、または波動関数を実験的に決定する挑戦が、過去にさまざまな方法で行われてきました。例えば、分子を光でイオン化して電子を放出させ、それと同時に、生成した分子のイオンが直ちに分解するように工夫して、分子から見てどちらの方向に電子が放出したかを解析しようとしました。2つの原子からなる2原子分子であれば、原子が分解して飛び出す方向は、両原子の結合の軸に沿っていることは明らかです。このため、飛び出した電子の方向と分解する2つの原子の方向をすべて観測することで、2原子分子から見てどのような角度に電子が放出されたかが分かります。しかし、このような手法は、分子を破壊する程度の高いエネルギーの光を使った場合にしか適用できないことや、ベンゼンや核酸塩基をはじめとする多原子分子の場合には、分解過程が複雑なために、分子固定座標系の情報を抽出することは不可能でした。

研究グループは、あらゆる分子、特に化学反応途上の分子にも適用可能な方法論を目指して研究を進めています。今回、その方法論を確立するために、実際に一酸化窒素分子(NO)の光イオン化過程をモデルにして実験を行いました。

2.研究手法

研究グループは、-270℃という極低温の一酸化窒素気体を発生させ、直径2mmの穴を通して細いビーム状にし、真空内に導入しました。この一酸化窒素の分子ビームに対して、波長が226.22nm(ナノメートル:1nmは10億分の1m)、パルス幅が0.25psの第1のレーザー光パルスを照射し、一酸化窒素分子を励起状態にしました。その際、一酸化窒素分子軸(窒素原子と酸素原子を結ぶ軸)がレーザーの電場方向注6)に対して垂直方向を向いている分子だけが、励起状態になります(図1)。その結果、高いエネルギー状態にある分子は、垂直な向きを向いた状態からその後の回転を始めることになります。次に、0~10psの間、0.1ps刻みで、波長242.5~323nm、パルス幅0.1psの第2のレーザー光パルスを照射して、分子が回転した状態の一酸化窒素分子から電子を放出させました。さらに、放出した電子(光電子)を静電場で加速させて、特殊なスクリーンに投影し、光電子の散乱画像を撮像しました(図2)。

この実験手法で制御した分子の方向(分子の軸分布)は、量子力学の不確定性原理注7)(位置と運動量の間の不確定性)のために、まだ無視することのできないにじみを持っています。しかし、第1の光パルスにより分子の方向を定めたことで、このにじみの程度を正確に見積もることが可能になりました。つまり、観測した画像のにじみを除去して、分子固定座標系での光電子散乱分布(波動関数)を復元することができました。

研究グループは、過去7年間、理研で理論の定式化や高速度カメラの開発などを積み重ねた実績を基に、理論研究によってこの解析手法を確認するとともに、測定に必要な高精度の光電子散乱分布測定装置を開発しました。具体的には、毎秒1,000回発生する光パルスに同期して、毎秒1,000コマの画像を観測し、向きを制御した分子から飛び出した光電子を捉えるとともに、光電子の位置を正確に演算する超解像処理回路を搭載したカメラを開発し、実験を行いました。

3.研究成果

撮影した光電子画像を精密に解析し、レーザーの電場方向に対する光電子の放出角度分布を抽出しました。光電子放出角度分布を特徴付ける2つのパラメータβ2とβ4は、光電子異方性パラメータと呼ばれる重要な観測量です。そのデータからβ2、β4を第1の光パルスと第2の光パルスの差(遅延時間)に対してプロットすると、8.4psの周期でβ2、β4の値が時間変化し、一酸化窒素分子の回転運動の周期と一致していることを確認することができました。さらに、第2の光パルスのエネルギーを変えて光電子運動エネルギーを変化させ、β2、β4のエネルギー依存性も明らかにしました(図3)。

この結果を総合的に解析して、分子固定座標系での光電子の波動関数を抽出しました。この波動関数は、位相(符号)を持った量ですが、その2乗が電子の密度を表すため、光電子の強度(密度)分布を散乱角度に対して3次元的に示すことができます(図4)。一酸化窒素分子を励起電子状態からイオン化する際に、分子軸が第2の光パルスの電場方向と平行な場合には、光電子はその方向に沿って放出します。この時、が低い場合の窒素と酸素を比べると、酸素原子の側に余分に放出します。この分布は、元素の電気陰性度注8)と対応しているように見えますが、が高くなっていくと、窒素と酸素の間の比が変わっていく様子が分かります(図4(a))。また、分子軸が電場方向と垂直な場合には、が低いと電子は電場に沿わずに広い角度範囲に放出して(ちょう)のような複雑な形をしますが、が大きくなると電場方向に強く光電子が放出することが分かりました(図4(b))。この結果は、分子から見てどちらの方向に電子が放出したのかをそのまま観察、すなわち“分子に乗って”観測することで初めて明らかになったことです。

4.今後の期待

“分子に乗って”分子固定の電子波動関数を決定するこの手法は、分子の励起電子状態やイオン化状態に関する理解を深めることができ、計算手法の確立にも大きく寄与します。今回の方法論は一酸化窒素分子のみならず、複雑な多原子分子にも拡張できます。特に化学反応途上にある分子の高速な電子状態変化を“分子に乗って”観測し、化学反応を駆動する電子運動をリアルタイムに追跡することは、次の大きな挑戦です。

<参考図>

図1

図1 第1のレーザー光パルスによるNO分子の回転運動状態の選択

図2

図2 実験装置の概略図

図3

図3 光電子の角度異方性を時間(t)と電子エネルギー(E)についてマッピング

  1. 上段:レーザーの電場方向に対する、N-O結合の角度をθとすると、分子軸の統計分布はcosθの期待値<cosθ>で決定できる。<cos(θ)>は、時間とともに変化し、A(t)=7.5<cos(θ)>―2.5とすると、A(t)は-1~0.4の範囲で変化する。
  2. 下段:分子を整列させる第1のレーザー光パルスと光イオン化のための第2のレーザー光パルスの遅延時間と、光電子の運動エネルギーに対する、(a)光電子異方性パラメータβおよび(b)βの3次元マップ。
図4

図4 分子固定座標系での光電子角度分布

<補足説明>

注1) 時間分解光電子イメージング
第1のレーザー光パルスにより反応を誘起したり、分子運動を制御した後、第2のレーザー光パルスで、その分子をイオン化して、その際発生する電子(光電子)をイメージングする方法。
注2) 光イオン化過程
原子、分子が電磁波を吸収して、電子を放出する現象。広義には光電効果と呼ばれる。放出した電子は“光電子”と呼ばれ、例えば、分子Mがエネルギーの大きな光を吸収すると、1個の光電子が分子から飛び出て一価陽イオンMが生成する。
注3) 波動関数
電子の運動を、波として解釈した場合に電子は三次元空間に広がっている。その広がりは、正負の値(一般には複素数)を取り得る。その値を空間座標の関数として表現したものを波動関数と呼ぶ。
注4) 分子固定座標系
分子とともに動く、すなわち分子から見た座標系のこと。外界の観測者から見た座標系は、実験室座標系と呼ばれる。
注5) 回転周期
分子軸が1回転(360度)するのに要する時間のこと。
注6) レーザーの電場方向
今回の実験では、直線偏光したレーザー光を用いており、電場の振幅方向は空間的に一方向に限定されている。
注7) 不確定性原理
粒子の位置座標と運動量を測定した場合、その測定値が同時に確定することはあり得ず、測定値には不確定性が生じる。1927年、ドイツの理論物理学者のW・K・ハイゼンベルグにより見いだされた。
注8) 電気陰性度
結合をしている原子の間で、電子を引き付ける能力を数値化したもの。窒素原子と酸素原子では、電気陰性度は酸素原子の方が大きく、より電子を引き付けやすい。

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