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平成22年2月12日

科学技術振興機構(JST)
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東北大学多元物質科学研究所
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電子が隣の分子にも飛び移る伝導路を発見

−分子素子の構造や特性解明に道−

JST目的基礎研究事業の一環として、東北大学多元物質科学研究所の米田 忠弘 教授らは、分子膜に電流が流れることで誘起される分子振動を計測する手法を用いて、分子を流れる電流の伝導経路についての知見が得られることを明らかにしました。

現在、分子エレクトロニクスの研究分野では微細化が進み、少数の分子に流れる電流を情報の単位として用いようとする研究が盛んに行われています。分子の長さ程度のギャップを持つ電極が作成され、少数の分子を橋架けした状態での電気伝導測定が行われています。分子の多彩な構造・電子状態・修飾部位の付加などの特徴を生かした特性が期待されています。しかし多くの基礎的な理解がなされておらず、例えば分子の骨格に沿って電流は流れるのか、という素朴な質問にも明確な答えを見つけることはできませんでした。

本研究では、アルカンチオール自己組織化膜注1)と呼ばれるほぼ直線の骨格を持つ分子が表面に整列した試料を選び、分子の一方の端は大きな金電極に、他の端はトンネル顕微鏡の探針を用いた1原子単位の微小電極に接合したデバイスを作りました。その間に流れる電流の精密計測と計算シミュレーションを組み合わせて、伝導経路の解析に成功しました。電流は分子骨格に沿って流れるだけでなく、分子から分子に飛び移るパスを持っていることでうまく現象が説明されました。これは分子エレクトロニクスの基礎となる伝導経路について明確な検証を行った最初の研究と考えられます。

本研究成果は、米国物理学会誌「Physical Review Letters」に受理され、オンライン版で近日中に公開されます。

本成果は、以下の事業・研究領域・研究課題によって得られました。

戦略的創造研究推進事業 チーム型研究(CREST)

研究領域 「物質現象の解明と応用に資する新しい計測・分析基盤技術」
(研究総括:田中 通義 東北大学 名誉教授)
研究課題名 「低次元ナノマテリアルと単一分子の振動分光・ESR検出装置開発」
研究代表者 米田 忠弘(東北大学多元物質科学研究所 教授)
研究期間 平成16年10月〜平成22年3月

JSTはこの領域で、物質や材料に関する科学技術の発展の原動力である新原理の探索、新現象の発見と解明に資する新たな計測・分析に関する基盤的な技術の創出を目指しています。上記研究課題では、走査トンネル顕微鏡を主な手法とし、トンネル電流を用いた単一スピンの検出方法の確立を目指しています。

<研究の背景と経緯>

分子エレクトロニクス分野の研究では、新しい電子材料としてカーボンナノチューブやグラフェンだけでなく、これまでは電子材料としては注目されてこなかったDNAや生体分子といった材料にも注目が集まっています。分子はナノスケールの単体で存在する材料であることから、その特色を最も生かすのは単一分子でできた素子です。

分子エレクトロニクスでは、単にコストの低減や材料の柔軟さだけではなく、分子の構造の多様性・電子状態の制御性・また分子の部位を修飾可能などの自由度で特色を出すことが求められています。また、基本的な伝導特性の違いに従来の材料との相違を見ることができます。代表的な電子材料であるシリコンではバンドと呼ばれる結晶中の自由電子による伝導が中心と考えられています。一方有機分子では電子は本来ある場所に偏って存在し、一般的には自由電子のような伝導は期待されず、電気伝導はホッピングと呼ばれる電子が飛び移る伝導機構による場合が多いと考えられています。しかしこれらは、分子の大きさや分子が持つ電子状態によって変化するため、分子内のどこをどのように電流が流れるかの情報は、素子の設計自体を決める重要なパラメータです。このような特性を生かした分子素子の作成には時間がかかっていますが、その理由としてシリコンに比較して計算シミュレーションが進んでいないこと、さらにさかのぼれば、きちんと規定されたきれいな分子膜での電気伝導パスと理論シミュレーションの比較ができなかったことが考えられます。

<研究の内容>

分子内のどこをどのように電流が流れるかを直接可視化することは、現在の技術では不可能です。従って電流が通った形跡を探さなければいけません。そこで本研究では、電流はその伝導の道筋で分子の振動を励起していくことを利用し、電流に含まれている分子振動の様子を精密に取り出す「電流の非弾性分光」という手段を用いました。振動のエネルギーは正確に決まっているので伝導電子が、そのしきい値以上のエネルギーを持たないと振動を引き起こすことは不可能です。そのエネルギーの上下で電流にごくわずかな流れやすさの差が出ます。その変化から分子振動のエネルギーと強度、さらには電流がどのような経路で伝導するかの情報を得ることができるのです。今回の研究で、特に特徴を持たせたのは次の点です。

  1. (1) 分子が作る膜の中をどのように電流が伝導していくかを調べるために、最もよく知られた分子膜を用いた(アルカンチオールの自己組織化膜)。
  2. (2) 今までの単一分子実験では目標の分子を微細電極両端に接合させたとの仮定で実験が進められているため、実際には作成工程で分子がダメージを受けて本来とはまったく異なった分子に変化していたという例が多く見られた。本研究の膜と電極はオープンな構造となっており、電流測定に先立って膜の特性を入念に検査できる。すなわち他の方法ですでに検証された特徴の再現が確認できる(設計した膜が意図したとおりにできていることを検証済)。
  3. (3) 電極の確実性。分子の一端は硫黄原子で金に確実に固定。もう片方の電極は走査型トンネル顕微鏡(STM)の探針を用いる。先端をトンネル状態と呼ばれる分子に非常に接近させた状態で用いて電極とする。利点は最先端部分が単一原子レベルであることを確認できることであるが、これはトンネル顕微鏡像として分子像が確認できる状態ではトンネル顕微鏡の探針は単一原子であり、ほぼ全ての電流がターゲットの分子に流れていることで検証でき、同様の事象は過去の研究で十分調べられている。欠点として装置の安定性が要求されるが、今回開発した計測装置ではこの問題点をクリアしている。
  4. (4) アルカンチオール自己組織化膜と呼ばれるほぼ直線の骨格を持つ分子が表面から林立して整列した試料であり構造はシンプルで明瞭である。
  5. (5) DFT第一原理計算・グリーン関数計算手法注2)を用い、現在での最高の精度を持つ計算シミュレーションとの比較を行う。

図1では理論計算と、本研究で得た実験の比較をします。理論計算では単一分子の両端で電極につけたものをシミュレーションしています。ピークの横軸の位置は電流が励起した振動モードのエネルギー、縦軸は励起確率を表しています。振動とは分子が安定位置を中心に揺れている様子ですが、各原子がばらばら動くのではなく、振動モードと呼ばれる特定部位の集団の揺れで表されます。振動を引き起こすエネルギー値はすでに分光分析などで知られています。

電子の流れる方向と、振動モードの励起されやすさには密接な関係があり、大まかにいうと伝導電子が流れていく方向に分子を押したり引いたりして、その方向の分子の伸縮が起こると考えることができます。

具体的に本実験で用いた分子で振動モードを見てみます。図2では代表的な振動モードの1つである炭素―炭素の伸び縮み(C−C伸縮振動)を表しています。炭素の間の距離が変化するような伸縮を繰り返します。このモードは、エネルギー200mV付近の強いピークで観察されています。分子の骨格に沿って流れる電流が分子中の原子を叩くと考えると、このモードが強く励起されることが理解できます。

他の重要なモードとして炭素―水素の伸び縮み(C−H伸縮振動)があります。そのうち特に末端のメチル基(炭素1つに水素3つが結合した官能基、CH基)が伸び縮みするモードを図3に、C−H伸縮振動のうち側鎖CH基(炭素1つに水素2つが結合した官能基)が伸び縮みするモードについて図4に示しました。図4のモードは骨格に垂直であるので、分子を伝って伝導する電流によって励起される確率は低いと考えられます。

図3図4のモードのエネルギーの差は大変小さく見分けるのが困難です。実験では水素を重水素に変えて(CHからCDに変化)もともとエネルギー360mV付近に観察されていたものを260mV付近にシフトさせる同位体置換という技術でこの困難を回避することができます。

さて、このようなモードを考察した後に図1を見てみると、実験と理論が非常によく一致していることが分かります。これは上で述べた良く規定された分子を用いた実験と、進展したシミュレーションの両方の精度の高さを示したものと考えられ、分子の振動解析でこのような高い精度を得た例はこれまでにありません。

しかしさらに詳細に見てみると、360mV付近のC−H伸縮振動領域では強度がうまく再現されず、実験でその強度が強く観察されています。その原因を探るために、末端のメチル基のみを同位体置換(CHからCDに置き換えること)しました。側鎖のCHは骨格を通る電流によって励起される確率は小さいため、C−H伸縮振動は主としてメチル基によるものと考えられ、そうであるならばこの同位体置換で360mV付近のピークは激減することが予想されます。実際、図5(b)では理論シミュレーションで(a)と比較して360mV付近のピークが減少し、260mV付近のピークが増加している予想がなされます。しかし実験では図5(a)(b)の赤線を比較すると、同位体効果は極めて小さいことが分かります。すなわち、予想されたよりはるかに強く側鎖のCHのC−H伸縮振動が励起されていることが、図1でC−H伸縮振動が強く観察されている原因と分かりました。

それでは、なぜこのような差が出てくるのでしょうか。それは、ここまでは分子の骨格を伝導するIntra‐moleculeモードと書いた伝導経路ばかり考えていたのですが、分子から分子へ飛び移るIntra‐moleculeモードを考えないといけないからです(図6)。分子の中心の間隔は〜0.5nmと大きな距離がありますが、分子から分子に飛び移る経路とCHにおけるC−H伸縮振動は平行であり、ここで大きく励起されています。そのような仮説に基づいて、単一分子ではなく分子の膜についてシミュレーションを行った結果は図7に示します。この図では、どこでCHのC−H伸縮振動が励起されるかを可視化しています。やはりこのシミュレーションでも分子から分子への飛び移りでCH成分の強度が大きくなったことを証明できました。

このように分子を流れる電流を解析することにより得られる分子振動分光が理論シミュレーションと一体化することにより、電流が分子のどこを流れているのかという、従来まったく手のつかなかった領域に正確な情報を与えることを示しました。分子の整列の周期は隣との間隔が0.5nmと広く開いており、従来分子間をホッピングする電流パスはあまり考えられなかったのですが、振動モードを直接観察することで、この経路の重要性を示しました。これは精密な計測が、分子エレクトロニクスの設計にとっていかに重要であるかを示したことにもなります。

<今後の展開>

今回の研究は、分子伝導の計算技術が十分発展しており、分子中の伝導現象をシミュレーションできるレベルにあることを示しました。また、テスト分子から発展し、分子ならではの特徴を持った伝導現象を示す系を、まずシミュレーションでテスト可能であることを示しました。本研究で示した分子振動による分子の分析は分子エレクトロニクスの材料開発では一般に用いられるようになると予想され、さまざまな分子について本研究で用いた装置を使ってのデータベース作りが必要になると予想されます。

<参考図>

図1

図1 電極にはさまれた分子を流れる電流から分子振動を検出

  1. 左上:アルカンチオール自己組織化膜に原子単位の電極を介して電流を流します。
  2. 右上:計算シミュレーションで用いたアルカンチオール単一分子伝導モデル。
  3. 下 :分子を流れる電流に含まれる分子振動成分。実験値の赤線と理論値の青線が高い精度で一致しています。ν(C−H)とマークした360mV付近のピークは炭素Cと水素Hが伸縮するC−H伸縮モードと呼ばれる振動モードに相当します。
図2

図2 振動モードの模式図 分子骨格(炭素ー炭素)の伸縮振動

代表的な振動モードの1つである炭素―炭素の伸び縮み(C−C伸縮振動)の模式的な図。炭素の間の距離が変化するような伸縮を繰り返します。このモードはエネルギー200mV付近の強いピークで観察されています。分子の骨格に沿って流れる電流で強く励起されることが指摘されています。

図3

図3 振動モードの模式図 末端メチル(重水素同位体)の伸縮振動

振動モードの1つである炭素―水素の伸び縮み(C−H伸縮振動)のうち特に末端のメチル基(炭素1つに水素3つが結合した官能基)が伸び縮みするモード。実験では水素を重水素に変えて(CHからCDに変化)もともとエネルギー360mV付近に観察されていたものを260mV付近にシフトさせることができます。

図4

図4 振動モードの模式図 側差CHの伸縮振動

C−H伸縮振動のうち側鎖CH基(炭素1つに水素2つが結合した官能基)が伸び縮みするモード。このモードは骨格に垂直であるので、分子を伝って伝導する電流によって励起される確率は低いと考えられます。

図5

図5 同位体分子を用いて電流の経路を探る

ν(C−H)とマークされた炭素―水素伸縮振動が、メチル基とCH基のどちらに由来するかを確かめるために、末端のメチル基をCDと重水素で置き換えました。もしメチル基が主たる成分であれば(b)ではν(C−H)成分が激減するはずです。実際、単一分子で行った計算では(b)青で見られるように360mV付近のピークは(a)の場合に比べて強度がかなり減少していましたが、赤線の実験では(a)(b)の間にあまり大きな差は生じていません。この差は電流が分子を伝って流れてはいない強力な証拠となります。

図6

図6 分子内伝導(左)と分子を飛び移る伝導(右)を比較した模式図

分子の骨格を伝導するIntra−moleculeモードと分子から分子へ飛び移るInter−moleculeモードの比較。分子の中心の間隔は〜0.5nmと大きな距離があります。

図7

図7 下部電極の金基板から上部電極への電流と振動励起のシミュレーション

分子を伝導する電子がどの箇所で振動モードを励起しているかを、計算シミュレーションを用いて側鎖CHの振動強度に注目して調べたもの。分子から分子に飛び移る際に大きく強度が増加することを初めて計算で明らかにしました。

<用語解説>

注1) アルカンチオール自己組織化膜
アンカチオール分子は一方の端に硫黄S原子を持ち、そのため不活性金属である金の表面でも強い結合力を持ちます。その硫黄原子の先にはCHが直線的につながったアルキル鎖がついていますが、CHの個数は自由に変化可能です。このアルキル鎖同士が横方向の力を調整し、分子を互いに整列させる働きをします。そのため、分子が規則正く並んだ構造が簡単に形成され、自己組織化膜と呼ばれます。化学だけでなく物理・生物・医療のさまざまな応用に用いられ、また分析もなされています。単一分子素子の電極評価用標準分子としても用いられる分子です。
注2) DFT第一原理計算・グリーン関数計算手法
DFT第一原理計算は密度汎関数と呼ばれる電子の密度の関数として定義されるクーロンポテンシャルを導入した計算手法で、従来より高精度な計算が可能となり、特に固体・表面、分子吸着を伴う触媒分野で近年大変進展しました。しかしこの計算は基本的に平衡状態の計算に適しており、電流が流れている非平衡状況のシミュレーションには新たな手法が必要となりました。そのため最近では、DFT計算、粒子の衝突などで発展してきたグリーン関数法を混合させた計算手法が注目を集めており、ここで示した比較的小さな分子を流れる電流の計算で大変な進歩が見られます。

<お問い合わせ先>

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米田 忠弘(コメダ タダヒロ)
東北大学多元物質科学研究所 教授
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