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平成21年8月3日

科学技術振興機構(JST)
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慶應義塾大学
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脳梗塞における病態進行の仕組みを解明

―脳梗塞の治療に新たな道を―

 JST目的基礎研究事業の一環として、慶應義塾大学 医学部の吉村 昭彦 教授らは、脳梗塞の病態を決定する新たな免疫機構を解明しました。脳梗塞はきわめて発症頻度が高く、日本人の死因の中でも上位を占める疾患です。現在のところ治療法は発症早期に始めなければならないものに限られており、発症後時間が経過した後の治療方法は確立していませんでした。これは発症後に梗塞領域が拡大する仕組みが不明であったためです。
 脳梗塞の病態では、脳の血流障害(虚血)によって脳組織が損傷し、その脳組織が壊死することによって次に大きな炎症がひき起こされます。炎症はそれから数日間続き、梗塞の拡大と神経症状の悪化に関連している可能性が考えられていますが、脳梗塞後における炎症メカニズムは明らかになっていませんでした。
 本研究グループは、このメカニズムをマウスモデルで調べ、炎症性サイトカインであるインターロイキン注1)(IL)が梗塞領域の拡大に重要な役割を果たしていることを突き止めました。梗塞直後は、まずマクロファージが脳内に浸潤してインターロイキン23(IL-23)を産生します。続いて脳梗塞後、数日以内に感染防御などに関与するγδT細胞注2)が脳内に浸潤してIL-23の刺激を受けてインターロイキン17(IL-17)を産生することにより、さらに炎症を促進し神経細胞死を加速していることを発見しました。また、T細胞の浸潤抑制やγδT細胞の除去によって梗塞領域の拡大を防止することも分かりました。これらのサイトカインとその産生細胞を標的とすることによって、新規の脳梗塞治療が開発できる可能性があり、今後、脳卒中医療に役立つことが期待されます。
 本研究は九州大学と共同で行われ、独立行政法人 医薬基盤研究所の支援も受けて行われました。本研究成果は、 2009年8月2日(英国時間)に英国科学雑誌「Nature Medicine」のオンライン速報版で公開されます。

 本成果は、以下の事業・研究領域・研究課題によって得られました。
  戦略的創造研究推進事業 チーム型研究(CREST)
研究領域 「アレルギー疾患・自己免疫疾患などの発症機構と治療技術」
(研究総括:菅村 和夫 宮城県立がんセンター 総長)
研究課題名 細胞内シグナル制御による免疫リプログラミング
研究代表者 吉村 昭彦(慶應義塾大学 医学部 教授)
研究期間 平成20年10月~平成26年3月
 JSTはこの領域で、アレルギー疾患や自己免疫疾患を中心とするヒトの免疫疾患を予防・診断・治療することを目的に、免疫システムを適正に機能させる基盤技術の構築を目指しています。
 上記研究課題では、細胞内のシグナル伝達制御機構の解明とその人為的な調節により新たな免疫疾患治療の方法論を開発することを目指しています。

<研究の背景と経緯>

 脳梗塞は日本人の死亡原因のなかでも多くを占める発症頻度が高く、後遺症により片麻痺や寝たきりとなるなど介護を必要とすることが多い疾患です。高齢化社会に伴って今後、脳梗塞の患者数は増加する可能性があるにもかかわらず、脳梗塞に対する治療はほとんどが発症早期を対象としたものであり、発症から1日以上経過して受診される患者には有効な治療法が乏しいのが現状です。また、適切な治療を開始していても神経症状が悪くなる患者もいます。しかし、そもそも梗塞後どのような仕組みで神経細胞の死が引き起こされるのか詳細は不明で、このメカニズムを解明し、発症後期でも効果が期待できるような治療法が求められていました。
 脳梗塞は脳の血流障害(虚血)による脳組織の損傷ですが、脳組織の壊死によって発症早期に大きな炎症がひき起こされます。それから数日間続く炎症が神経細胞死を誘導し、神経症状の悪化に関連している可能性が考えられています。最近、この時期にリンパ球が脳梗塞巣に浸潤することが分かってきましたが、リンパ球の種類や、リンパ球がどのような役割をしているかについては解明されていませんでした。脳梗塞の病態におけるリンパ球の役割を明らかにすることができれば、その作用を調節して脳神経保護に結び付け、新たな治療法を開発できる可能性があります(図1)。
 一方で最近、新しく発見された炎症性サイトカインであるIL-23や、IL-23によって誘導されるIL-17産生ヘルパーT細胞(Th17)(リンパ球のなかのサブグルーブ)が、多発性硬化症のモデルである実験的自己免疫性脳脊髄炎モデル注3)の発症や進行に決定的な役割を果たしていることが証明されました(参考文献1)。IL-17は脳組織を障害する作用が報告されていることから(参考文献3)、本研究グループではIL-23やIL-17が脳虚血によって起こる炎症に対しても悪化させる方向に機能している可能性が高いと考えました。また、これらのサイトカインを産生する細胞についても同定し、梗塞後の炎症プロセスの全容を解明しようと試みました。

<研究の内容>

 本研究グループは今回、マウスモデルを用いて脳梗塞の亜急性期(発症3日目)において、脳内にIL-17産生性のγδT細胞が浸潤することによって、虚血による炎症を拡大させ、脳梗塞の病態を悪化させていることを証明しました。
1) IL-23は脳梗塞急性期(発症1日目)に、IL-17は脳梗塞亜急性期(発症3日目)に脳内に発現して、脳虚血による炎症を促進していました。

 IL-23は発症1日目に脳梗塞巣内に浸潤したマクロファージによって産生されていました。さらに、このIL-23によって、発症3日目に浸潤したT細胞からIL-17の産生が誘導されていました。驚くべきことに、IL-17の主な分泌細胞は当初、想定していたヘルパーT細胞(Th17)ではなくγδT細胞でした(図2)。γδT細胞は感染防御において重要な役割を果たし、Th17よりも比較的早期に活躍する細胞です。Th17と同じくγδT細胞もIL-23の刺激によってIL-17産生を開始することが知られています。IL-23やIL-17遺伝子を欠損したマウスでは、野生型マウスよりも脳梗塞体積が小さく、神経症状や生存率の改善が見られました(図3)。
2) γδT細胞は脳梗塞亜急性期(発症3日目)に脳梗塞巣に浸潤してIL-17を産生、脳虚血による炎症を促進していました。

 免疫染色法によってγδT細胞は、脳虚血による神経細胞死が進行している梗塞周辺部に局在していることを証明しました。これらのγδT細胞を抗体によって除去したマウス、またはTCRγδ遺伝子欠損マウス注2)では、野生型マウスよりも脳梗塞体積が小さくなることが明らかとなり(図4)、さらに脳梗塞発症24時間が経過してからでも、γδT細胞に対する抗体を投与することは脳梗塞体積の減少させる効果があることを示しました。
3) 免疫抑制剤FTY720(Fingolimod)注4)は、脳梗塞巣内へのT細胞の浸潤を阻止することにより治療効果を示しました。

 FTY720(Fingolimod)はT細胞のリンパ組織からの遊走、炎症組織への浸潤を阻害する薬剤として知られています。現在、多発性硬化症に対して第三相臨床治験が行われています。FTY720を静脈内投与すると脳梗塞巣内に浸潤したT細胞やγδT細胞の数が減少し、脳梗塞体積は著明に減少しました(図5)。この結果はT細胞が脳内に浸入することが梗塞の拡大に重要であることを示しているのみならず、FTY720が脳梗塞の増悪化を防ぐ薬剤として使用できる可能性を示唆しています。
 以上のことから、脳梗塞亜急性期においてγδT細胞が脳内に浸潤し、マクロファージから産生されるIL-23の刺激を受けてIL-17を産生することによって脳梗塞の病態を悪化させていると考えられます(図6)。最近、ヒトの脳梗塞においてもT細胞やIL-17産生細胞が脳内に浸潤することが報告されており、その時期に画像検査上で脳梗塞体積が増大することが知られています。このことから、ヒトにおいてもIL-23やIL-17による同様の機序が存在する可能性は高いと考えられます。

<今後の展開>

 「Time is brain」の言葉が示す通り、脳梗塞はできるだけ早期の治療開始が原則ですが、未だに脳梗塞の治療法は少なく、治療の開始が間に合わなかったり、適切な治療を開始していても神経症状が悪化したりすることがあります。これらは入院期間やリハビリ加療を長期化させ、今後の高齢化社会に伴って医療経済を圧迫する可能性があります。今回の成果は、脳梗塞の新たな病態を解明するものです。脳梗塞後の亜急性炎症におけるT細胞とその作用に関連するサイトカインの重要性を明確に証明し得たことから、これらを治療に反映することができれば、治療の選択肢が増えるだけでなく、脳保護治療を行える時間帯をさらに広げることができると考えられます(図7)。さらに、炎症性サイトカインによる神経細胞の損傷のメカニズムについても理解が進むことが期待されます。

<参考図>

図1

図1 脳虚血による炎症と担当細胞

 脳虚血によってひき起こされる急性期の炎症はマクロファージや好中球が主体となっていると考えられています。しかし、その後も炎症は持続し、白血球やリンパ球などの炎症細胞が関わっていると考えられていますが、その詳細は明らかになっていません。本研究グループは特にリンパ球の一種であるT細胞に注目し、脳梗塞亜急性期において、T細胞がマクロファージによる急性期の炎症を拡大させているのではないかとの仮説を立てました。さらに、このリンパ球を主体とした炎症を抑制することができれば、発症後24時間以降でも開始することができる新しい治療に結びつくと考えました。

図2

図2 脳梗塞巣における、IL-23、IL-17産生細胞

上:発症1日目において脳梗塞巣に浸潤した炎症細胞を抽出し、マクロファージやミクログリアの集団を分離しました。それぞれの細胞集団からRNAを抽出し、IL-23p19が発現されているかどうかを調べたところ、マクロファージの集団のみからIL-23が検出されました。
下:発症3日目において脳梗塞巣に浸潤した炎症細胞を抽出し、IL-17やIFN-γを産生するT細胞を検出しました。IL-17を産生するT細胞はγδT細胞であり、IFN-γを産生するT細胞は主にヘルパーT細胞(Th1)でした。

図3

図3 IL-17、IL-23遺伝子欠損マウスは脳虚血による組織障害が減弱する

 実験的に脳梗塞を作成したマウスを用いてIL-17、IL-23、IFN-γの作用を検討しました。脳梗塞巣は白い部分で示されています(triphenyltetrazolium chloride染色)。IL-17遺伝子欠損(KO)マウスでは発症4日目に、IL-23p19遺伝子欠損(KO)マウスでは発症1日目から、野生型(WT)マウスよりも著明な脳梗塞体積の減少を認めました。IFN-γ遺伝子欠損(KO)マウスではそれほど著明な梗塞体積の変化は認められませんでした。

図4

図4 脳梗塞巣におけるγδT細胞の浸潤と組織障害

上:脳梗塞巣内におけるγδT細胞の存在を免疫染色法によって検出しました。γδT細胞は梗塞周辺部に局在しています。
下:野生型マウスにPBSを投与したマウス、γδT細胞を除去する抗体を投与したマウスおよびTCRγδ遺伝子欠損(KO)マウスをそれぞれ用いて実験的に脳梗塞を作成しました。脳梗塞巣は白い部分で示されています(MAP-2免疫染色)。γδT細胞の除去によって梗塞体積が大幅に減少しました。

図5

図5 FTY720による脳梗塞の治療効果

上:FTY720を投与したマウスを用いて実験的脳梗塞を作成しました(H2O:蒸留水を静脈内投与、FTY720 day 0:脳虚血中にFTY720 1mg/kgを静脈内投与、day 0,1,2,3:脳虚血中と、その後24時間毎に投与)。発症3日目に脳梗塞巣内に浸潤した炎症細胞を抽出し細胞分画を調べました。FTY720はマクロファージの梗塞内浸潤に影響することなく、T細胞やγδT細胞の浸潤を阻害していました。
下:発症4日目に脳梗塞の体積をMAP-2免疫染色によって評価しました。脳梗塞巣は白い部分で示されています。FTY720の投与によって著明な梗塞体積の減少が認められました。この結果から、脳内へのT細胞の浸潤が脳梗塞の悪化に寄与していると考えられます。

図6

図6 IL-23、IL-17による脳梗塞の病態進展機序

 脳梗塞急性期に脳内に浸潤したマクロファージはIL-23を産生し、亜急性期(発症3日目)に浸潤するγδT細胞のIL-17産生を誘導します。IL-17は脳梗塞亜急性期において脳内の種々の細胞に作用して、IL-1βやTNF-αなどの炎症性サイトカインやMMP-9などの炎症性因子の分泌を促進し、組織障害をもたらしていると考えられます。

図7

図7 脳梗塞の新たな病態メカニズム

 脳梗塞急性期における炎症は、亜急性期に脳内に浸潤するT細胞によってさらに悪化します。炎症性のサイトカインを産生し、脳梗塞の病態を悪化させるようなT細胞(γδT細胞、ヘルパーT細胞(Th1))を制御することができれば、発症して時間が経っていても開始できるような、脳神経を保護する治療法になると考えています。

<用語解説>

注1)インターロイキン
 細胞から分泌されるたんぱく質であるサイトカインの一種で、主にマクロファージやリンパ球から産生される。インターロイキンはリンパ球間の情報を伝達する重要な因子で免疫系では感染防御のほか、さまざまな免疫疾患に関与する。ヘルパーT細胞の場合はインターフェロンγ、インターロイキン4(IL4)、IL-17を産生する亜集団に分かれており、それぞれ炎症、アレルギー、自己免疫疾患などに関与することが明らかになっている。

注2)γδT細胞、TCRγδ遺伝子欠損マウス
 T細胞はそのT細胞レセプター(TCR)の種類によってαβ型とγδ型とに分けられる。γδT細胞の正確な機能は未だに十分には解明されていないが、細菌に特異的に結合するリガンドや腫瘍細胞を認識することから自然免疫の機能を持つとされている。αβ型T細胞に比べるとγδ型T細胞のほうが早期に動員される。しかし通常はγδ型T細胞はリンパ球の5%程度しか存在しない。
 また、TCRγδ遺伝子欠損マウスとは、γδ型T細胞の抗原受容体であるTCRγδ遺伝子を欠損させたマウスで、体内にγδ型T細胞を全く持たない。他のT細胞や白血球は正常である。

注3)実験的自己免疫性脳脊髄炎モデル
 多発性硬化症の動物モデルとして知られている。マウスやラットを髄鞘構成糖たんぱく質(MOG)と免疫機能を高めるアジュバントを注射して免疫することにより、多発性硬化症に似た脳脊髄炎を発症する実験モデル。

注4)FTY720(Fingolimod)
 生体内でリン酸化されてS1P (Sphingosine-1-phosphate) レセプターのアゴニストとして機能する。リンパ球におけるS1P レセプターと結合して本来のレセプターの機能を消失させる作用がある(functional antagonism)。リンパ球に作用してリンパ組織からの遊走を阻害し、炎症部位へのリンパ球浸潤を阻止するなどの作用から、新しい免疫抑制剤として注目されている。現在、多発性硬化症の治療や腎移植の拒絶反応防止用としてヒトでの臨床試験が行われている。

<論文名>

“Pivotal role of cerebral interleukin-17-producing-γδT cells in the delayed phase of ischemic brain injury.”
(脳虚血亜急性期におけるIL-17産生性γδT細胞の役割)
doi: 10.1038/nm.1999

<参考文献>

参考文献1:
“Cua DJ et al. Interleukin-23 rather than interleukin-12 is the critical cytokine for autoimmune inflammation of the brain.”
Nature. 421, 744-748 (2003)

参考文献2:
“Park H et al. A distinct lineage of CD4 T cells regulates tissue inflammation by producing interleukin 17.”
Nat Immunol. 6, 1133-1141 (2005)

参考文献3:
“Kebir H et al. Human TH17 lymphocytes promote blood-brain barrier disruption and central nervous system inflammation.”
Nat Med. 13 1173-1175 (2007)

<お問い合わせ先>

<研究に関すること>
吉村 昭彦(ヨシムラ アキヒコ)
慶應義塾大学 医学部 微生物学免疫学教室
〒160-8582 新宿区信濃町35 東校舎4F
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E-mail:

<JSTの事業に関すること>
河村 昌哉(カワムラ マサヤ)
科学技術振興機構 イノベーション推進本部 研究領域総合運営部
〒102-0075 東京都千代田区三番町5 三番町ビル
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<報道担当>
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慶應義塾 広報室 河越(カワゴエ)
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