骨髄異形成症候群(MDS)は、血球形態の異常と治療抵抗性の貧血を特徴とし、しばしば急性骨髄性白血病へと進展する難治性の血液がんの一種です。近年日本でも増加の傾向にありますが、現時点では骨髄移植以外に有効な治療法が知られていません。
本研究グループは、「SNPアレイ注2)」と呼ばれる解析装置を用いて、200例を超えるMDSおよびその関連疾患由来のゲノムの異常を網羅的に解析しました。その結果、11番染色体長腕に存在するCBL遺伝子がMDSではしばしば変異していることを見いだしました。遺伝子変異が起きると、C-CBLが本来有する酵素活性(ユビキチンリガーゼ注3)活性)が損なわれた異常なCBLたんぱくが生成されます。C-CBLたんぱくは本来、細胞内のさまざまなチロシンキナーゼ注4)たんぱくを分解調節することにより、細胞の増殖を抑制する働きを持ちますが、異常なC-CBLはこの働きを失った結果、本来のがん抑制遺伝子から造血細胞の増殖を促進するがん遺伝子へと変化し、これがMDSの発症に関わっていることを明らかにしました。
本研究結果は、がん抑制遺伝子が遺伝子変異によってがん遺伝子に変化するという巧妙なメカニズムによって造血器腫瘍が誘発されることを明らかにしたユニークな研究です。またCBLが変異してしまったために活性が抑えられなくなったチロシンキナーゼを特異的に阻害する薬剤が将来開発された場合、CBL変異を有する難治性MDSの有効な治療薬剤となる可能性も示唆されます。今回の発見はMDSに対する新たな治療薬剤の開発、という観点からも興味深く、今後の研究成果が期待されます。
本研究成果は、2009年7月20日(英国時間)に英国科学雑誌「Nature」のオンライン速報版で公開されます。
(1)JST 戦略的創造研究推進事業 チーム型研究(CREST)
研究領域 | : | 「テーラーメイド医療を目指したゲノム情報活用基盤技術」 (研究総括:笹月 健彦 国立国際医療センター 名誉総長) |
研究課題名 | : | Whole Genome Association解析によるGVHDの原因遺伝子の探索 |
研究代表者 | : | 小川 誠司(東京大学医学部附属病院 キャンサーボード 特任准教授) |
研究期間 | : | 平成16年10月~平成22年3月 |
(2)文部科学省特別教育研究推進経費「がん大規模ゲノミクスによるオーダーメイドがん診療技術の開発」
研究代表者 | : | 武谷 雄二(東京大学医学部附属病院 病院長) |
<研究の背景と経緯>
骨髄異形成症候群(MDS)は、血球形態の異常を伴う治療抵抗性の貧血を呈し、しばしば急性骨髄性白血病へ進展する難治性の造血器疾患です。実際には表1に示すような臨床病態の異なるさまざまな疾患群・亜型の総称です。これらに共通するのは、血液をつくる元になる造血細胞に次々と遺伝子の変化(変異)が生じた結果、正常に血液を作る機能が障害され、血球の減少や異常な増殖が引き起こされ、ついには急性白血病に至たります。現在までにMDSの発症に関わるさまざまな遺伝子の変化が報告されていますが、未だにこれらの遺伝子変化の全体像は分かっていません。現時点では、副作用の強い骨髄移植以外にMDSを根治する手段は知られていませんが、しばしば移植が行えない高齢者で発症します。そのため、MDSの原因となっている遺伝子の変異を明らかにして、MDS特異的に作用する副作用の少ない薬剤を開発することが望まれています。
<研究の内容>
一方、今回見いだした「変異C-CBL」を細胞に導入すると、細胞はがん化してマウスに腫瘍を形成するようになります(図5)。すなわち、変異したC-CBLはがん抑制遺伝子としての機能がないばかりか、細胞のがん化を促進するがん遺伝子として作用するということが明らかになりました。さらに、これに続く一連の変異C-CBLの機能の解析を通じて本研究グループは、以下のことを実験的に示しました。
正常なC-CBLの無い細胞に変異C-CBLを導入することによって認められるこのようなサイトカイン感受性の増強効果は、変異C-CBLの機能の喪失や正常C-CBLを抑制する効果では説明ができません。つまり、変異したC-CBLはもともとのC-CBLにはない機能を新たに獲得しているということになります。一般に、がん抑制遺伝子はその機能が消失するとがん化を促進してしまう遺伝子であり、C-CBLはこの意味で明確ながん抑制遺伝子です。しかし、変異したC-CBLは単に正常のC-CBLの機能を失うのみならず、新たな機能が加わってこれがMDSの発症に重要な役割を担っていると考えられます。今回は、その分子メカニズムの詳細については割愛いたしましたが、こうした「がん抑制遺伝子の変異による新たな機能獲得」という概念は、これまでp53というがん抑制遺伝子でだけ知られていたものですが、今回の研究によって、C-CBLも変異によって機能獲得が生ずるがん抑制遺伝子であることが明らかとなりました。
<今後の展開>
白血病やMDSのみならず、肺がん、乳がん、脳腫瘍をはじめとする多くのヒトのがんでは、チロシンキナーゼ自体の遺伝子増幅や変異によるチロシンキナーゼの活性の上昇が、発がんの重要な原因となっていることが知られています。今回の研究によって、MDSにおけるチロシンキナーゼの異常な活性化の新たなメカニズムが明らかになりました。また、診断と治療という観点からは、SNPアレイによる解析がMDSの詳細な病型の診断に有効であること、そしてC-CBL変異が生じている11番染色体の異常を有するMDSでは、活性化されたチロシンキナーゼに対する阻害剤の投与が有効な可能性が示唆されました。一方、今回のマイクロアレイの解析からは、MDSでは11番染色体に異常を有する病型のほかにも、さまざまな病型があると分かりましたが、今後こうした病型を特徴づけるゲノム異常の解析を通じて新たな診断・治療の標的分子が明らかにされることが期待されます。
<参考図・表>
表1 SNPアレイで解析したMDSの病型分類


図1 SNPアレイ解析に基づくMDSにおけるゲノムの異常

図2 MDSで認められるC-CBLの遺伝子変異

図3 C-CBLは活性化されたチロシンキナーゼの分解に携わる

図4 C-CBLのがん抑制作用

図5 変異C-CBLの発がん活性

図6 変異C-CBLは正常C-CBLのユビキチン活性を抑制する

図7 変異C-CBLを導入した造血幹細胞のサイトカイン感受性の増強
<用語解説>
注1)CBL
造血細胞の増殖を促進するチロシンキナーゼと呼ばれる酵素の働きを調節するユビキチンリガーゼ(注3参照)と呼ばれる酵素をコードする遺伝子で、通常は細胞増殖の抑制に働く、がん抑制遺伝子と考えられている。
注2)SNPアレイ
SNPは一塩基多型(Single Nucleotide Polymorphism)を略したもの。個人によって異なるヒトゲノムの配列は多型と呼ばれるが、SNPはヒトゲノムの多型の中で最も普通に認められる多型。SNPはある程度共通に認められるものに限っても1,000万個以上あることが知られているが、こうしたSNPを解析することによって、個々人における病気のかかりやすさなどを予測することができるようになった。国際HapMap計画は、このSNPのカタログを作ることによって、SNPの研究基盤を構築する一大プロジェクトである。近年のゲノム解析の技術の格段の進歩によって、マイクロアレイと呼ばれる微小なチップを用いて1回の解析で百万個以上のSNPを解析することができる。こうしたチップはSNPアレイと呼ばれるが、その測定原理からSNPだけではなく、がんのゲノムに生じているゲノムのコピー数を解析することができる。正常のゲノムでは、どの遺伝子も通常2コピーだが、がんのゲノムでは、しばしばコピー数に変化が生じる。これががんの重要な原因となっていることから、ゲノムのどの部分が変化を起こしているかを調べることによって、がんの原因となっている遺伝子を見いだすことができる。本研究グループは、CRESTの一連の研究を通じて、がんゲノムのSNPアレイ解析から得られるデータを用いてがんゲノムにおけるコピー数の変化を高精度に解析することを可能にするソフトウェアを開発した。これは現在世界的にも汎用されているプログラムの1つだが、今回の研究はこの解析技術を用いて悪性リンパ腫のゲノムを解析することによって得られた研究成果。
注3)ユビキチンリガーゼ
ユビキチンリガーゼは標的となるたんぱく質に結合し、これにユビキチンと呼ばれる小さなたんぱく質を付加する(ユビキチン化)。ユビキチン化されたたんぱく質はプロテオソームなどの働きにより、速やかに分解される。ユビキチン化とその後の分解の過程は、細胞内において不要になったたんぱく質の除去や、たんぱく質の量の調整に大変重要な役割を担っている。
注4)チロシンキナーゼ
基質をリン酸化する酵素を一般に「キナーゼ」と呼び、その中でも基質のチロシン残基を特異的にリン酸化する酵素を「チロシンキナーゼ」と呼ぶ。チロシンキナーゼは一般に細胞の増殖を正に誘導する役割を果たしており、正常細胞内においてはその活性は厳密にコントロールされている。しかし、がん細胞においては、他のたんぱく質と融合したり、あるいは配列の突然変異によって常に活性化された状態となり「がん化」を導いてしまう。
<論文名>
“Gain-of-function of mutated C-CBL tumour suppressor in myeloid neoplasms”
(骨髄系腫瘍におけるがん抑制遺伝子C-CBLの機能獲得変異)
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