量子コンピューターは従来のコンピューターに比べ、膨大な演算量を瞬時に行えると期待されます。量子誤り訂正は、エラーフリーな量子コンピューター実現のために最も重要な基礎技術です。多者間量子もつれ制御技術の確立によって、複数の量子同士の相関を制御でき、多量子間もつれを利用できるようになります。従来の量子誤り訂正実験では5者間量子もつれまでしか利用できず、それ以上の量子もつれを作って利用する技術の開発が望まれていました。
本研究グループは今回、量子光学的手法により、世界で初めて9者間量子もつれを生成し、量子演算の基本であり9者間量子もつれを実証する量子誤り訂正実験に成功しました。
この成功により、量子コンピューター実現へ向けて大きく前進したと言えます。
本研究は、京都大学の青木 隆朗 特定准教授、ドイツ エアランゲン・ニュルンベルグ大学のP・ファンルック博士、イギリス ヨーク大学のS・L・ブラウンシュタイン教授と共同で行われました。
本研究成果は、2009年6月28日(英国時間)に英国科学雑誌「Nature Physics」のオンライン速報(AOP)版で公開されます。
(1)科学技術振興調整費 先端融合領域イノベーション創出拠点の形成
プロジェクト名 | : | 「ナノ量子情報エレクトロニクス連携研究拠点」 |
実施代表者 | : | 荒川 泰彦(東京大学 生産技術研究所 教授/東京大学 ナノ量子情報エレクトロニクス研究機構 機構長) |
実施期間 | : | 平成18年7月~平成28年3月 |
(2)JST 戦略的創造研究推進事業 チーム型研究(CREST)
研究領域 | : | 「量子情報処理システムの実現を目指した新技術の創出」 (研究総括:山本 喜久 情報・システム研究機構 国立情報学研究所 情報学プリンシプル研究系 教授/スタンフォード大学 応用物理・電気工学科 教授) |
研究課題名 | : | 量子ネットワークへ向けた量子エンタングルメント制御 |
研究代表者 | : | 古澤 明(東京大学 大学院工学系研究科 教授) |
研究期間 | : | 平成15年10月~平成21年3月 |
<研究の背景>
ナノテクノロジーの進歩に伴い、極めて小さな物理的対象まで制御できるようになりました。そして、極微小の「デバイス」を制御する原理は、古典力学からミクロな世界を記述する量子力学に移りつつあります。また、量子力学的効果を積極的に用いることにより、古典力学的には不可能であった「動作」も可能となりつつあります。その究極とも言える量子コンピューターでは、量子もつれと呼ばれる量子力学効果特有の相関を利用します。さらに突き詰めると、量子コンピューティングとは多者間での量子もつれ制御とも言えます。
古澤らは1998年、カリフォルニア工科大学において、最も基本的な量子もつれ制御プロトコルである決定論的量子テレポーテーション注2)実験に世界で初めて成功しました[A. Furusawa et al. Science 282, 706 (1998)]。この結果は1998年に「Science」誌の10大成果に選出されました。2009年6月19日現在での被引用件数は1154件(ISI Web of Science)となっており、今や「世界標準」のテクニックとなっています。この実験では量子光学的に生成した2者間での量子もつれを制御しており、最も基本的な量子コンピューティングです。
その後、古澤らの東京大学の研究グループはこの結果を拡張し、2004年に3者間の量子もつれ制御である3者間量子テレポーテーションネットワーク注3)実験にも成功しました[H. Yonezawa, T. Aoki, and A. Furusawa, Nature 431, 430 (2004)]。
<研究の内容>
本研究グループは今回、さらに量子もつれの規模を3倍に拡張して9者間量子もつれとし、それを利用した量子誤り訂正実験に成功しました。世界で初めての9者間量子もつれ生成・利用の成功であり、量子コンピューター実現への大きな前進です。これを可能にしたのは、古澤らが1998年に成功した量子テレポーテーション実験以来培ってきた量子光学的手法による多者間量子もつれを生成する技術です。
9者間量子もつれを量子光学的に作り出すためには、スクイーズド光注4)と呼ばれる2光子ずつ飛来する光子流(光ビーム)を同時に8本生成させる必要があります。その実験セットアップを図1に示します。
さらに、これらのスクイーズド光を補助入力として、適当な位相関係で入力光とビームスプリッターを用いて合波します(図2)。その結果、入力光と上記で生成した8本のスクイーズド光(補助入力)の合計9者間の量子もつれが生成されます。この9者間量子もつれを用いると、量子誤り訂正が可能となります。
ここで、量子誤り訂正とは、入力の量子情報(量子状態)が量子チャンネルにおいて何らかのダメージ(誤り、エラー)を受けても、入力と全く同じ状態を、量子もつれを用いて出力で復元することです。理論的には、9つの量子チャンネルのうち任意の1つにおいてエラー(誤り)があっても、9つの光ビームが揃えば復元できることが提案されています[S. L. Braunstein, Nature 394, 47 (1998)]。本研究グループは、その実験を実際に行い、9者間量子もつれを用いた量子誤り訂正に成功しました。詳細な実験配置図を図3に、実験結果を図4、5に示します。ここに各パネルで検出されたノイズも示します。パネル上部は1回の検出で行ったノイズ、下部はその測定を30回繰り返して平均した結果を示します。スクイーズド光を用いない、つまり量子もつれを用いない誤り訂正を行った場合(古典限界、図4、5の赤で示す線)のノイズレベルに比べ、量子もつれを用いたすべての実験で誤り訂正(図4、5の青で示す線)のノイズレベルが下回ることが確認されました。また、この実験結果から、量子誤り訂正成功と同時に、9者間の量子もつれの存在が証明されました。
<今後の展開>
今回の成果では、9者間量子もつれを生成・制御することで、量子コンピューターの最も基本的な量子演算(入力=出力の恒等演算:1を掛ける)実現に成功しました。
量子コンピューターとは量子もつれを制御する計算機に他ならず、より難しい量子計算を行うためには、どれだけ多者間の量子もつれを作れるかにかかっています。今後は、より複雑な多者間量子もつれを生成・利用し、ユニバーサル量子コンピューター実現に向けて研究を進めます。量子コンピューターによって、超並列計算を可能とする量子計算や従来限界を超える超高感度計測が実現すると考えられています。また、更に先の展望として、量子暗号に代表されるような情報セキュリティを持ち、現在の通信容量の100万倍を超える「量子通信」実現が期待されます。
<参考図>

図1 8本のスクイーズド光同時生成

図2 量子誤り訂正実験概念図(anはスクイーズド光)

図3 量子誤り訂正実験詳細図

図4 実験結果

図5 実験結果詳細説明

図6 量子誤り訂正実験セットアップ写真
<用語解説>
注1)量子もつれ
量子もつれとは、離れた系の量子力学的な相関であり、古典力学的には考えられない強力なつながりを持っている。量子の世界では複数の粒子が離れてもつながった関係にあることがあり、そのつながりの強さがもつれの強さになる。量子コンピューター実現は、多者間量子もつれ制御にかかっている。
注2)量子テレポーテーション
量子情報(量子状態、波動関数)の伝送であり、最も基本的な量子演算(入力=出力の恒等演算:1を掛ける)。量子力学の不確定性原理により不可能とされていたが、量子もつれ状態の光子を用いることで可能となった。
注3)量子テレポーテーションネットワーク
多者間量子もつれを利用した量子情報を多者間で自由にやりとりする量子テレポーテーションのネットワーク。ネットワークに参加している全員が情報のやりとりに同時に協力して行うことが不可欠となる。
注4)スクイーズド光
光子が2つずつペアになって量子もつれ状態で飛来する光ビーム。レーザー光の持つ量子揺らぎを特定の位相領域で非線形光学を用いて抑圧(スクイーズ)して作られる。
<論文名>
“Quantum error correction beyond qubits”
(量子ビットを超えた量子誤り訂正)
*これまでの量子ビットを用いた量子誤り訂正・量子コンピューターでは、達成できなかった9者間の量子もつれの生成・利用に成功したことを強調して、“beyond qubits”としています。
doi: 10.1038/nphys1309
<お問い合わせ先>
<研究内容に関して>
古澤 明(フルサワ アキラ)教授
東京大学 大学院工学系研究科 物理工学専攻
東京大学大学院工学系研究科附属量子相エレクトロニクス研究センター
〒113-8656 東京都文京区本郷7-3-1
Tel:03-5841-6823 Fax:03-5841-6857
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<JSTの事業に関して>
廣田 勝己(ヒロタ カツミ)
科学技術振興機構 イノベーション推進本部 研究領域総合運営部
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<広報担当>
東京大学工学部 広報室
内田 麻理香(ウチダ マリカ)
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東京大学ナノ量子情報エレクトロニクス研究機構
男澤 宏也(オトコザワ コウヤ)
Tel: 03-5452-6920
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科学技術振興機構 広報ポータル部
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