JSTトッププレス一覧 > 共同発表

平成21年4月28日

科学技術振興機構(JST)
Tel:03-5214-8404(広報ポータル部)

東京大学 教養学部総務課
Tel:03-5454-4920 (広報・情報企画係)

語学の適性に関係する脳部位は左前頭葉の「下前頭回」にあることを解明

−脳の局所体積を測るMRI実験で特定−

 JST目的基礎研究事業の一環として、東京大学 大学院総合文化研究科の酒井 邦嘉 准教授らは、英語の文法能力と高い相関を示す脳の局所体積の個人差を磁気共鳴映像法(MRI)注1)で調べたところ、語学の適性と密接に関係する脳部位を特定することに成功しました。その脳部位は、左前頭葉の「下前頭回」にありました。
 これまでの研究により、外国語としての英語が約6年の習得期間で定着するに従って、左前頭葉の「文法中枢」注2)の活動が高まり、維持・節約されるというダイナミックな変化を遂げることが明らかとなっています。一方、文法能力などの語学の適性が脳のどのような構造的な特徴と関係があるかについては明らかになっていませんでした。
 今回、英語を外国語として習得中の中高生(日本人)と成人(海外からの留学生)を対象として、英語文の文法性の判断能力の調査に加え、脳の局所体積をMRIで測定し、その個人差を詳細に分析しました。その結果、脳の下前頭回という部位の局所体積において、右脳の対応部位より左脳の対応部位の方が大きいという“非対称性”の程度が、文法課題の成績に比例することが分かりました。さらにこの脳の部位は、以前本研究グループが語学の習得期間に関連した脳活動を調べる実験で明らかにしてきた「文法中枢」と一致しました。
 語学の適性に関係する脳部位を、年齢や習得期間と独立した要因として特定したのは初めてのことで、脳の局所的な構造が言語の機能に影響を与えることが強く示唆されます。今回の成果は、各個人の語学の適性を知る上で最初の脳科学データであり、語学教育の改善や、脳の左右差という謎の解明へとつながるものと期待されます。
 本研究成果は、平成21年4月27日(米国東部時間)発行の米国科学雑誌「Human Brain Mapping(ヒューマン・ブレイン・マッピング)」のオンライン版で公開されます。

本成果は、以下の事業・研究領域・研究課題によって得られました。
 戦略的創造研究推進事業 チーム型研究(CREST)
研究領域 「脳の機能発達と学習メカニズムの解明」
(研究総括:津本 忠治 (独)理化学研究所脳科学総合研究センター グループデイレクター)
研究課題名 言語の脳機能に基づく獲得メカニズムの解明
研究代表者 酒井 邦嘉(東京大学 大学院総合文化研究科 准教授)
研究期間 平成15年10月〜平成21年3月
 JSTはこの領域で、脳機能発達と学習メカニズムに関する独創的、先進的研究が進展し、その結果、教育や生涯学習における諸課題解決に対する示唆を提供することによって、成果を社会に還元することを目指しています。上記研究課題では、言語の脳機能に焦点を当て、言語獲得のメカニズムの解明を行います。これにより、精神疾患の発症機構の解明と、脳機能に基づく適切な教育方法の提案を行い、脳科学の成果を広く教育へ応用することを目指します。

<研究の背景と経緯>

 脳科学の進歩に伴い、人間の脳の活動を画像として捉える機能イメージングの手法を用いて、心のさまざまな機能の座が、脳のどこにあるかを調べられるようになってきました。しかし、『言語などの高次機能の脳における発達メカニズムの研究』注3)は、緒に就いたばかりです。
 これまでに本研究グループは、脳の「文法中枢」(図1)の活動が学校の授業を通して得られた英語の成績に相関して高まることを初めて直接的に証明し、次いで中学・高校の学習を経て英語の知識が定着してくる大学生において、英語の「熟達度」が高くなるほど文法中枢の活動が節約されていることを明らかにしました(Science 310, 2005)。さらに外国語としての英語力と密接に関係する複数の脳部位を特定することに成功し、6年以上にわたる英語接触量の重要性を強く示唆する結果を得ました(Human Brain Mapping, 2008、JST 平成20年11月6日プレスリリース)。
 次の未解決の重要課題は、語学の適性に関係する脳部位を、年齢や習得期間と独立した要因として明らかにすることです。語学の「適性(aptitude)」は、脳科学で未知の問題とされてきました。本研究では、語学の適性にとって、語彙に関する知識だけでなく、文法性の判断のように「自然に」発揮される言語能力が特に重要だと考え、両者を比較の対象としました。

<研究の内容>

 本研究グループは今回、計95名の参加者の英語の文法能力を適性テストによって測り、これと高い相関を示す脳の局所体積の個人差を磁気共鳴映像法(MRI)で調べました。
 参加者の内訳は以下の通りです。

(A)日本語を母語とする右利きの中高生:78名
 東京大学教育学部附属中等教育学校で、英語の習得開始が中学1年で1年以上英語を習得した14〜18歳の生徒。2ヵ月間の授業時間中に、英語動詞の文法的な使用法に関するトレーニングを実施して、そのトレーニング後の調査結果を使用しました。

(B)英語圏以外の国から来日している留学生:17名
 ブルガリア語・中国語・クロアチア語・インドネシア語・フィリピン語・トルコ語などを母語とする(英語を母語としない)、6歳以降に6年以上英語を習得した20〜41歳の成人留学生。
 ※これには個人差を幅広く評価するねらいがありますが、解析を(A)の中高生のみに限定してしても結果は同様でした。

 すべての参加者と中高生の保護者からインフォームド・コンセントを得ています。
 本研究で用いた2つの英語の適性テストは、英語の文を文字で提示して、文法的に正しい文かどうかを答える「文法課題」(Esyn: English syntactic task)と、同じ文で用いられている単語の綴りが正しいかどうかを答える「綴り課題」(Espe: English spelling task)です。文法課題によって英語の文法能力が評価でき、綴り課題によって文法以外の語彙に関する知識を調べることができます。これらの適性テストでの成績に加えて、年齢、性別、利き手指数(すべて右利き)の違いを含めて、脳の局所体積との相関を解析しました。これは、左脳優位性には性差があるという一部の報告を考慮したためです。また、右利きの人の約96%は言語機能が左脳に局在していることが知られており、右利きの度合いが強いほど左脳の優位性が顕著になるという可能性があります。脳の灰白質や白質の局所体積の算出には、MRIを用いたVBM法(voxel-based morphometry)による形態学的な解析を用いています。
 さらに、脳画像の各画素(voxel)ごとに、灰白質(GM: gray matter)の局所体積から、左脳と右脳の対応部位の“非対称性”を測る「非対称性指数(AI: asymmetry index)」を計算しました(図2)。
 その結果、左脳の下前頭回(前頭葉下部)にある脳部位(ブローカ野注4)の一部である、ブロードマン45野)の非対称性指数は、文法課題の成績と選択的に相関することが分かりました(図3の赤色)。左脳のこの場所は、同様の課題を用いた脳機能イメージング研究(Human Brain Mapping, 2008、JST 平成20年11月6日プレスリリース)において脳活動が観察された場所(図3の緑色)のすぐ内側で、どちらも「文法中枢」に含まれます。しかも、全脳の中でこの「文法中枢」のみが文法課題の成績と相関した「左側方化(左脳優位性)」を示すことが明らかになりました。
 詳しい解析を行ったところ、左脳の下前頭回の非対称性指数は文法課題の成績と正の相関を示しましたが、年齢とは負の相関を示すことが分かりました(図4・左)。つまり、下前頭回の左側方化は文法能力が高いほど顕著であり、年齢が高いほど左側方化が目立たないということです。年齢が左側方化に対してむしろ逆の効果を持つことから、思春期以降の成長や英語の習得経験が左側方化を促進するという可能性を除くことができます。
 一方、綴り課題の成績や性別、利き手指数については、左脳の下前頭回の非対称性指数と有意な相関がありませんでした。他の要因をすべて除いて正規化した(平均を0とし、標準偏差を1とすること)非対称性指数は、正規化した文法課題の成績と有意な正の相関を示しましたが(図4・中)、綴り課題の成績とは全く相関を示しませんでした(図4・右)。また、下前頭回の左側方化には、左脳の「文法中枢」の体積増大と右脳の対応部位の体積減少の両方が寄与することを確認しました。
 さらに同様の解析を中高生のみで行ったところ、上記と同様の結果を得ました。つまり、中等教育という限られた期間に英語を習得しただけでも、下前頭回の左側方化には文法能力と選択的に相関した明瞭な個人差が観察できるということです。なお、一般に相関関係は因果関係とは限りませんので、下前頭回の左側方化と文法能力の高さのどちらが原因で結果であるかは未知です。
 以上の結果は、年齢や英語の習得期間と独立した現象であり、下前頭回の左側方化という脳の構造的な基盤が文法獲得の適性に関係することを示す画期的な発見です。
 最後に左側方化が強いことの意味を説明します。左脳と右脳の対応部位は、すべて脳梁線維によって結びつけられており、互いに脳活動を抑制(transcallosal inhibition)し合っています。左脳優位の場合、すなわち下前頭回の左側方化が強ければ強いほど、左下前頭回に対する右下前頭回からの抑制が相対的に弱いため、左脳にある文法中枢の「可塑性(柔軟性)」が増す可能性があります。このことが、外国語の習得における柔軟な適応を可能にして、語学の適性を高めるものと考えられます。

<今後の展開>

本成果の社会的意義の要約を以下に示します。
1)言語の獲得機構の解明
 語学に必須の文法能力の個人差には、脳活動に対する習得期間だけでなく、脳の構造も関与することが明らかになりました。これは、各個人の語学の適性を知る最初の脳科学データです。英語力の個人差の要因を脳科学の手法で定量的に計測できるという本成果により、言語獲得のメカニズムの解明がさらに進むものと期待されます。

2)語学教育の改善
 複雑な文法知識をいかに効率よく身につけるかは、外国語の教育が直面する壁の1つです。今回の研究から、語学教育には各個人の適性を客観的かつ直接的に評価することが役立つと考えられます。このように客観的な評価結果に基づいた各個人に適した教育、すなわち「テーラーメイド教育」という新しいコンセプトが今後重要になっていくと予期されます。

3)脳の左右差という謎の解明
 脳科学における未解決の謎の1つに、脳の左右差の問題があります。人間には固有の言語機能に対して「左脳優位性」がありますが、人間以外の霊長類でこのような脳機能の非対称性は知られていません。今回の研究は、言語の文法習得において脳の構造的な非対称性が重要な役割を担っていることを示すもので、人間の左脳優位性が言語機能の個人差と関わることを明らかにした初めての知見です。

 このように、語学の適性が個人の脳構造の違いとして、科学的にそして視覚的に捉えられたことは意義深いものです。従来、英語力の個人差は、対象年齢や習得期間などの要因から分離することが困難でしたが、今回のMRIを用いた方法は、個人の潜在的な適性を直接的に測定できることを示すものとして、これからの教育の評価の方法やあり方に大きな影響を与える可能性があります。今後、この研究成果が突破口になって言語の獲得機構の解明がさらに進み、語学教育の改善につながることを期待します。

<付記>

 本研究は、共著者である東京大学 大学院総合文化研究科の元大学院生(本年3月まで) 名内 存人と、東京大学 教育学部附属中等教育学校の協力を得て行われました。

<参考図>

図2

図1 人間の左脳の言語中枢

 前頭葉に「文法中枢」と「文章理解の中枢」があり、側頭葉から頭頂葉にかけての領域に、「音韻(アクセントなど)」と「単語」の中枢があると考えられている〔Science 310, 815-819 (2005) に発表した図を改変〕。

図2

図2 非対称性指数の定義


図3

図3 文法課題の成績と相関する下前頭回の左側方化(左脳優位性)

 全脳の中で「文法中枢」(左下前頭回・ブロードマン45野)のみが文法課題の成績と相関を示し(赤色)、脳機能イメージングで示された脳活動の場所(緑色)と前後および高さの位置が一致した。左図は左脳(L)の外側面(左が前側)であり、青の水平線で切断した3つの断面を右図に示す。左図の垂直線と右図の水平線が対応する。

図4

図4 下前頭回の左側方化が示す文法課題の成績との選択的な相関

 95名の参加者全員に対する解析結果。(左図)下前頭回の非対称性指数(AI)は文法課題の成績(Syn)と正の相関を示し、年齢(Age)とは負の相関を示したが、綴り課題の成績(Spe)や性別(Gender)、利き手指数(LQ)とは相関を示さなかった。グラフの縦軸は各要因に対する重回帰分析の回帰係数を示す。(中図)さらに偏相関を調べたところ、正規化した非対称性指数は、正規化した文法課題の成績と有意な相関を示した。(右図)非対称性指数は綴り課題の成績と全く相関を示さなかった。従って、下前頭回の左側方化は文法能力に選択的であると結論される。

<用語解説>

注1)磁気共鳴映像法(MRI)
 脳の組織構造を、水素原子の局所磁場に対する応答性から測定し画像化する手法。全く傷をつけずに外部から人間の脳組織を観察する方法として広く使用されています。

注2)文法中枢
 人間の言語の文法処理に特化すると考えられる左脳の前頭葉の一領域で、ブロードマン44・45野(ブローカ野:注4参照)と6・8・9野の一部を含みます(図1参照)。

注3)言語などの高次機能の脳における発達メカニズムの研究
 言語は、人間に固有の高次脳機能です。人間の言語能力が、その他の心の機能と原理的に分けられるかという問題は、アメリカの言語学者のチョムスキーとスイスの発達心理学者のピアジェによる有名な論争(昭和50年)以来、認知科学における中心的課題でした。チョムスキーは、生得的な言語獲得メカニズムが、一般的な学習メカニズムとは全く異なるものであると主張しましたが、これまで実験的な検証は困難でした。このような言語の問題は、脳科学における究極の挑戦です〔酒井 邦嘉 著『言語の脳科学』中公新書、平成14年〕。
 イギリスのプライスらによるMRIの実験では、母語の語彙量(語義の知識の正確さに関するテストの成績)が、左右両側の下頭頂皮質(後縁上回、図1の「単語中枢」)の灰白質密度と相関することが報告されています(Lee et al., 2007)。しかし、単語の習得は基本的に記憶力の問題であり、「語学の適性」を適切に評価しているとは言えません。一方、古典的な剖検を用いた研究では、60ヵ国語以上の言語を流暢に話したと言われる一人の言語天才の脳を死後調べたところ、ブローカ野(注4参照)に特徴的な所見が認められています。そのブロードマン44野は普通の人よりも非対称性が小さく、45野は普通の人よりも非対称性が大きいという結果でした(Amunts et al., 2004)。ただし、この2つの領域のどちらが大切なのかは分かっていませんでした。

注4)ブローカ野
 人間の言語機能が局在すると考えられてきた、左脳の前頭葉下部の一領域を指す用語。ブロードマン44・45野に対応します。この領域を損傷すると発話時の失語(言語障害)が起こるため、長らく「発話の中枢」と考えられてきましたが、文法機能を司る領域として近年注目されています。

<論文名>

"Greater leftward lateralization of the inferior frontal gyrus in second language learners with higher syntactic abilities"
(高い文法能力を持った第二言語習得者において顕著な下前頭回の左側方化)
doi: 10.1002/hbm.20790

<お問い合わせ先>

酒井 邦嘉(サカイ クニヨシ)
東京大学 大学院総合文化研究科 相関基礎科学系
〒153-8902 東京都目黒区駒場3−8−1
Tel:03-5454-6261(直通) Fax:03-5454-6261
E-mail:
URL: http://mind.c.u-tokyo.ac.jp/index-j.html

科学技術振興機構 イノベーション推進本部 研究領域総合運営部
〒102-0075 東京都千代田区三番町5 三番町ビル
Tel:03-3512-3524 Fax:03-3222-2064
E-mail: