脳の精密な神経回路は、生後、シナプスを生成したり、取り除いたりすること(刈り込み)で完成します。これまでは、脳神経細胞の発達過程において、「使うシナプスほど強化され、使わないシナプスは削除する」という見解が広く受け入れられてきました。しかし、本研究グループは今回、サルの大脳皮質の3つの領域におけるシナプス数の生後変化を調べることで、より高度な情報処理に関わる脳の部位ほど、生まれた時から多くのシナプスを持ち、生まれた後により多くのシナプスを形成し、さらにその後、より多くのシナプスが刈り込まれるということを突き止めました。これらのことから、神経回路の精密化の過程は、脳の中の場所によって異なることが示されました。
このような、シナプス生成や刈り込みの発達の経過を知ることは、脳神経回路の精密化過程の理解を進め、さらに発達障害注2)の原因の理解とその治療に役立つものと期待されます。本研究は、オーストラリアの認知神経科学研究センターのガイ・エルストン博士との共同で行われたものです。
本研究成果は、2009年3月11日(米国東部時間)に米国科学雑誌「Journal of Neuroscience」のオンライン速報版で公開されます。
戦略的創造研究推進事業 チーム型研究(CREST)
研究領域 | : | 「脳の機能発達と学習メカニズムの解明」 (研究総括:津本 忠治(独)理化学研究所脳科学総合研究センター グループデイレクター) |
研究課題名 | : | 大脳皮質連合野の機能構築とその生後発達 |
研究代表者 | : | 藤田 一郎(大阪大学 大学院生命機能研究科 教授) |
研究期間 | : | 平成17年10月~平成23年3月 |
<研究の背景と経緯>
ヒトの脳は1000億個を超える神経細胞からなり、個々の神経細胞は数百から数万の他の神経細胞から情報を受け取ります。この情報の受け渡しは、シナプスと呼ばれる細胞同士の接合部で起きます。シナプス結合の相手、数、強さを制御することにより、精密な神経回路が作られます。神経回路は、ヒトや動物が生まれた時には未成熟で、生後、シナプスを新たに生成したり、不要なシナプスを「刈り込む」ことで完成します。この過程は、知能、感覚、運動能力が生後に著しく発達する霊長類(ヒトやサル)で特に大事であり、回路形成の異常はさまざまな発達障害の原因と考えられています。シナプス生成や刈り込みの発達の経過を知ることは、脳神経回路の精密化過程の理解や発達障害の原因の理解を進める上で重要です。
<研究の内容>
研究グループは、サルの大脳皮質の3つの領野におけるシナプスの生成と刈り込みの過程を調べました。
大脳皮質の神経細胞の7~8割は、錐体細胞と呼ばれる細胞です(図1)。錐体細胞は、他の神経細胞から入力を受ける樹状突起と呼ばれる、木の枝のように複雑に分岐した突起と、その細胞の情報を送り出す軸索と呼ばれる突起を持ちます。樹状突起にはたくさんの小さな突起(スパイン)があり、その一つひとつが平均して1個のシナプスを持っています。研究グループは、サルの大脳皮質の3つの部位(前頭葉連合野、視覚連合野、一次視覚野)注3)において樹状突起の形態を詳しく調べ、スパインの数を数えることで、錐体細胞1つが持つシナプスの数の生後変化を推定しました(図2)。
その結果、視覚情報処理の初段の一次視覚野よりも後段の視覚連合野の方が、また、視覚連合野よりも多感覚を扱う連合野である前頭葉連合野の方が、多くのシナプスを持っており、多くのシナプスを新生し、また多くのシナプスを刈り込むことが観察されました。このような発達過程を経て、大人の一次視覚野細胞では、誕生時に比べ、シナプスの数が半分以下に減少します。一方、視覚連合野や前頭葉連合野は、誕生時より、大人の細胞の方が多くのシナプスを持つようになります。これらのことから、神経回路の発達の仕方は、脳の部位によって大きく異なっていることが示されました(図3、図4)。
本研究では、不要なシナプスを削除する過程が、これまで考えられていたよりもはるかに大規模に起きていることも分かりました。3つの領域はいずれも、生後3.5ヵ月齢まではスパインの数を増やしますが、3.5ヵ月齢から4才齢に向けてシナプスの数を減らしていきます。この過程で、一次視覚野の1つの細胞は3,000個、視覚連合野細胞は4,200個、前頭葉細胞は7,400個ものシナプスを刈り込むことを見いだしました。前頭葉細胞1つが刈り込むシナプスの数は、大人の一次視覚野細胞の実に8個分に相当します(図4)。
<今後の展開>
「使うシナプスほど強化され、使わないシナプスは削除する」というのが広く受け入れられている脳発達の通説です。そうであるならば、動物が誕生して視覚を使うことによって、視覚に関わる大脳皮質のシナプスは増えると予想されます。しかし今回の研究結果はこの予想と異なり、一次視覚野の錐体細胞では生後、新規に作るシナプスよりも刈り込むシナプスの方が多く、結果として、シナプス総数が減少することを明らかにしました。一方、視覚連合野や前頭葉連合野の細胞は、同じ時期にシナプス数を増加させます。つまり、シナプスを生成するメカニズムと削除するメカニズムの貢献の度合いが、同じ年齢であっても一次視覚野と視覚連合野・前頭葉連合野では異なり、またそれぞれの領野においても、この2つのメカニズムの貢献度は発達に伴い変化していくと考えられます(図5)。このような領野間の差異を引き起こすメカニズムの解明は今後の重要な研究課題です。またこの違いが、一次視覚野や連合野で行われている情報処理にとってどのような意味を持つのかを解明することも重要です。神経回路構造と情報処理機構の関係を明らかにするヒントが得られるからです。さらに本研究の結果は、発達障害者の脳組織を調べる際に、どの時期のどの領野の組織であるかに十分留意して、健常対照群との比較解析を行わなくてはならないことを示しています。
<参考図>

図1 錐体細胞とその樹状突起、スパイン、シナプス


図2 サルの大脳皮質(上段)と錐体細胞の可視化(中段・下段)
大脳皮質を250ミクロン(1ミリの1/4)厚のスライスにし、神経細胞の核をDAPIという色素で見えるようにします。DAPIで標識された核を目指して、極微小のガラス管からルシファーイエローと呼ばれる蛍光色素を注入し、樹状突起全体を可視化します。ルシファーイエローは蛍光寿命が短く、観察しているうちに消えてしまうので、DAB法という方法で、永久標本にします。図の下段は、一次視覚野、視覚連合野、前頭葉連合野で染色した神経細胞の写真です。

図3 大脳皮質の3つの領野の樹状突起とスパインの生後発達

図4 細胞1つあたりの基底樹状突起上のスパイン総数の生後発達

図5 スパインの生成と刈り込みの2つの過程がスパインの数を決定する
<用語解説>
注1)シナプス
神経細胞から別の神経細胞へと情報を伝達する接合部位。シナプスのほとんどは、情報を送る細胞の軸索の末端と、情報を受ける側の樹状突起の間に形成されます。錐体細胞への興奮性シナプスは、樹状突起のスパインと呼ばれる小突起に存在します。錐体細胞、樹状突起、軸索、スパインについては、図1を参照してください。
注2)発達障害
子供の発育期に現れてくるさまざまな障害(感覚障害、言語障害、学習障害など)を一括して呼びます。ダウン症、自閉症候群、脆弱X症候群などにおいて、樹状突起やスパインの形成不全があると報告されています。
注3)前頭葉連合野、視覚連合野、一次視覚野
大脳は、機能、構造の異なる何十もの領野に分かれています。感覚情報の最初の処理は、それぞれの感覚種に対応した一次感覚野でなされます。視覚の場合は、一次視覚野です。視覚連合野は視覚のみを取り扱うものの、一次視覚野よりは格段に進んだ情報処理段階を担当します。本研究では、その代表として、側頭葉にあるTE野と呼ばれる領域を解析しました。TE野は、物体の認識に重要な役割を果たしている脳領域です。前頭葉連合野は、さまざまな感覚情報を集めるとともに、行動の立案、短期記憶、遂行にかかわる領域です。本研究では、TE野から直接入力を受けている前頭葉連合野である12vl野を解析対象としました。
<論文名および著者名>
“Spinogenesis and pruning scales across functional hierarchies”
(スパインの新生と刈り込みは、大脳の機能的階層と対応している)
Guy N. Elston(ガイ・エルストン)、小賀 智文、藤田 一郎
doi: 10.1523/JNEUROSCI.5216-08.2009
<お問い合わせ先>
藤田 一郎(フジタ イチロウ)
大阪大学 大学院生命機能研究科 教授
〒560-8531 大阪府豊中市待兼山町1-3
Tel:06-6850-6510 Fax:06-6850-6379
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URL:http://www2.bpe.es.osaka-u.ac.jp/
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瀬谷 元秀(セヤ モトヒデ)
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