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平成21年2月5日

科学技術振興機構(JST)
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東北大学
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電子スピンの量子的状態の光書き込み・光読み出しに初めて成功

(量子インターフェースに道)

 JST基礎研究事業の一環として、東北大学電気通信研究所の小坂 英男 准教授らは、光の量子的重ね合わせ状態注1)を半導体中の電子スピン注2)に転写し、その重ね合わせ状態を光によってトモグラフィー測定注3)することに世界で初めて成功しました。
 典型的な量子に「電子」と「光子」 注4)があります。電子は情報を処理し、光子は情報を伝達するのが得意です。近年、量子情報処理技術の基礎開発が急速に進んでいますが、中でも量子中継注5)によってネットワークを構成する量子通信網注6)や量子メモリー間を光で接続する分散処理型の量子計算機注7)では、光量子インターフェースが不可欠です。
 今回の研究成果は、電子の量子的状態を光子によって書き込んだり読み出したりすることが自在にできることを示したもので、固体による光量子インターフェースを実現する上で画期的な発見です。また、新たに考案した「電子スピントモグラフィー」と呼ぶ手法により、電子スピンをさまざまな方向に投影し、その量子的重ね合わせ状態を非破壊で観察することにも成功しました。これにより、光子から電子スピンへの状態転写を直接的に証明することができました。
 今回得られた結果は、半導体特有の物理現象を利用して半導体中に光注入された電子のスピン状態を測定することによって、これまでは1か0という古典的な状態(古典ビット)の書き込み・読み出しに限られていた光子と電子の間の媒体変換を、1と0の重ね合わせ状態(量子ビット注8))に拡張できることを示唆するもので、固体素子による量子インターフェースの実現に道を開くものと期待されます。
 本研究は、産業技術総合研究所の今村 裕志 主任研究員、仙台電波工業高等専門学校の力武 克彰 助教らの協力を得て行われ、本研究成果は、2009年2月5日(英国時間)発行の英国科学雑誌「Nature」(doi:10.1038/nature07729)に掲載されます。

本成果は、以下の事業・研究領域・研究課題によって得られました。
 戦略的創造研究推進事業 チーム型研究(CREST)
研究領域 「量子情報処理システムの実現を目指した新技術の創出」
(研究総括:山本 喜久 情報・システム研究機構 国立情報学研究所 情報学プリンシプル研究系 教授/スタンフォード大学 応用物理・電気工学科 教授)
研究課題名 「単一光子から単一電子スピンへの量子メディア変換」
研究代表者 小坂 英男(東北大学電気通信研究所 准教授)
研究期間 平成16〜21年度
 JSTはこの領域で、情報通信技術に革新をもたらす量子情報処理の実現に向けた技術基盤の構築を目指しています。上記研究課題では、絶対的に安心な通信網を実現する量子中継器や量子計算機の光量子インターフェース実現に向け、光子キュービットから電子スピンキュービットへの量子メディア変換に取り組んでいます。

<研究の背景と経緯>

 今世紀は量子の世紀と言われます。量子とは、量子力学上エネルギーの最小単位であるとともに、情報の最小単位でもあります。前世紀はエネルギーの最小単位の意味での量子がレーザーをはじめとする光通信技術に応用されてきましたが、今世紀は情報の最小単位の意味での量子応用が発展し、量子通信網や量子計算機などの量子情報処理技術が本格的に実用化を迎えます(図1)。この発展を支えるのがナノテクノロジー、スピントロニクス、フォトニクスという3大分野を融合したナノスピンフォトニクス量子情報科学です(図2)。
 量子にはさまざまな形態がありますが、それらを適材適所に利用し、相互に必要に応じて変換することが量子技術実用化の鍵となります(図3)。代表的な量子である光子と電子の量子性は、アインシュタイン以来さまざまな場面で実証され、レーザーなどの半導体光デバイスの開発に応用されてきました。ところが、上述のパラダイムシフトに伴い、光電効果注9)のような光子から電子へのエネルギーの変換に留まらず(図4)、光子の内部状態注10)の情報(=量子情報)を電子にそっくりそのまま転写することが必要となってきました。これを「量子メディア変換」と呼びます(図5)。
 量子メディアとは量子情報を担う媒体、いわゆる量子ビットの実体を指します。現在の光通信では、光子の数を情報として伝達し、電子の数に変換して情報処理しています。これに対し将来の光量子通信では、光子の量子状態を情報として伝達し、電子の量子状態に変換して情報処理します。この量子メディア変換は、量子情報ネットワークの構成に不可欠な量子中継器の4つの基本機能(量子もつれ光源、量子メディア変換、量子メモリー、量子もつれ検出)のひとつ(図6)です。この変換では、光子や電子の偏極あるいはスピンと呼ばれる共通の内部状態を転写し、詳しく状態を解析する必要がありますが、これまでは電子のスピン状態を破壊して得られる測定や、スピン歳差運動注11)を利用した推定しかできませんでした。
 本研究では、光子と電子の間で、量子の内部情報そのものを受け渡す量子メディア変換が可能であることを明らかにしました。光子は情報伝送に、電子は情報処理に適しており、異種量子間のインターフェースに道を開いたことになります。特に電子スピンは、図3に示したように固体中の量子を相互に変換する際の中核であり、固体素子による量子インターフェースの要となります。

<研究の内容>

 本研究グループは今回、電子スピンを任意の方向に投影する方法を考案し、光子の内部状態から転写された電子の内部状態を、生体のCT(コンピュータートモグラフィー)スキャンによる断層撮影に似た新手法「電子スピントモグラフィー」により、瞬時かつ非破壊で観察することに初めて成功しました(図7)。これにより、電子に記憶される量子情報が光によって書き込み・読み出しできる可能性を示しました。
 通常、電子のスピン状態は「量子化軸注12)」と呼ばれる一定の方向に投影して観察します。ところが、この情報は内部状態の一面性を示すだけで、本来の内部状態の全体像を推定するためには、電子の内部運動の時間経過を観察する必要があります。
 本研究グループは、「量子井戸注13)」と呼ばれるナノ構造の入れ物に電子を閉じ込め、光照射の際に電子とともに生成される正孔と呼ぶ電子の抜けた穴の状態を、印加した横磁場の方向に固定することにより、電子スピンの重ね合わせ状態の観察を可能にしました(図8)。この電子スピントモグラフィー測定の結果、光子から転写された電子の内部状態は、転写前の光子の内部状態とよく一致していることが明らかとなりました。特に内部運動を全くしない"凍りついた"電子スピン状態は、従来の測定法では内部状態を推定することさえ不可能でしたが、本測定法では直接内部状態を観察することができました(図9)。この凍りついた電子スピン状態は、スピン状態に依存せずエネルギーが一定なために、光子から電子への量子状態転写の最適条件を満たし、本実験によって光からの電子スピンへの理想的な量子メディア変換が可能であることを初めて示しました。さらに、ダイナミックCTに相当するダイナミック電子スピントモグラフィーを行うことにより、電子スピンの歳差運動を内部状態の回転運動として、ストロボ撮影することにも成功しました(図10)。
 なお、今回得られた電子スピントモグラフィーとは、電子スピンの内部状態を光で観察したものであり、電子スピンの状態を光の状態に逆転写したわけではありません。この電子スピントモグラフィーの重要な点は、電子スピンの重ね合わせ状態が初めて直接的に測定できるようになった点です。これにより、光子から電子スピンへの状態転写が可能なことを無条件に証明できました。

<今後の展開>

 将来実現が望まれている量子情報処理技術の例として量子通信網と量子計算機がありますが、量子通信網は絶対に情報漏洩のない安心・安全な通信を、そして量子計算機は宇宙規模の環境シミュレーションを可能とします。しかし、いずれも膨大な数の量子メモリー間で量子情報をやり取りする必要があります。このような量子情報の交通整理をするためにも、量子ルータや量子スイッチなどを含む量子中継器の実現が望まれています。今回、量子メディア変換が可能であると明らかにしたことにより、量子中継器に必要な4機能全てが原理実証されました。
 今後は、これらの個別機能の高信頼化、長寿命化、室温動作化などの性能向上を行うとともに、全ての機能を合わせ持つ量子中継機能素子の開発を目指して研究を進めていきます。この量子中継器の実現により、現在200km程度に留まる量子情報通信が1000kmを超えて長距離化でき、量子情報ネットワークが構築できます。さらに、量子もつれ配信による分散処理型の量子計算機が構築可能となり、大規模な量子コンピューターシステムの実現に向けて大きく前進します。

<参考図>

図1

図1 光子でつなぐ安心・安全な量子情報ネットワーク

 光子の量子情報は各ノードにおいて電子スピンに量子メディア変換され、量子状態を記憶および処理される。

図2

図2 ナノスピンフォトニクス量子情報

 量子情報技術はナノテクノロジー、スピントロニクス、フォトニクスの3分野を融合したナノスピンフォトニクス量子情報という新領域を舞台として今後、実用化へ向けて発展していく。

図3

図3 異種量子間の量子インターフェース

 電子スピンは異種量子間の量子インターフェースの中核となる。光子、電子スピン、核スピン、超伝導回路はそれぞれ伝送、処理、記憶、回路との整合性という利点を持つ。これらを適材適所に用いることで大規模な量子情報システムが構築できる。今回得られた光子から電子スピンへの量子メディア変換は、遠隔地との量子コミュニケーションを可能とする意味で最も重要である。電子スピンと核スピン間の量子メディア変換は一部の固体系では既に原理実証されており、今後期待される電子スピンと超伝導量子間の量子メディア変換が可能となれば、量子情報処理システムの構築が現実のものとなる。

図4

図4 光電変換

 量子の代表として光子と電子がある。アインシュタインの光量子仮説は、光吸収の際に電子が励起される現象を、光子から電子へのエネルギー変換として説明した。

図5

図5 光電量子メディア変換

 光子から電子への量子メディア変換とは、光子の内部状態(偏光)を電子の内部状態(スピン)に変換し、エネルギーだけでなく量子情報そのものを光子から電子に転写すること。

図6

図6 量子中継器の基本構造図

 アリス(情報発信側)とボブ(情報受信側)が量子通信を行おうとするが、光子が届かない遠距離にいるため、量子中継器が必要。量子中継には、量子もつれ光源、量子メディア変換、量子メモリー、量子もつれ検出の4つの基本機能が必要となる。

図7

図7 電子スピントモグラフィー測定によるスピン状態の再構成

 今までは垂直方向への投影しかできなかったが、今回の成果により、面内方向へも投影が可能となった。これにより、電子スピンの内部状態が立体的に再構成できるようになった。

図8

図8 電子スピンの書き込みと読み出し

 電子スピントモグラフィーの手法を説明する概略図(図中のPCは偏光コントローラ、PBSは偏光ビームスプリッタ、Dは光検出器、−は差動増幅器を指す)。書き込み光によって半導体中に電子スピンを書き込む。この際、偏光コントローラで光の状態を任意にコントロールできる。書き込まれた電子スピンの状態を光によって読み出す。この際、読み出し光側の偏光コントローラと検出部側の偏光コントローラの設定により、任意の角度に電子スピンを投影できる。

図9

図9 電子スピントモグラフィー測定により可視化した凍りついた電子スピン

 電子スピンは通常磁場の中で歳差運動をするが、特殊な条件化ではこの運動を止めることができる。この条件で、光子から電子スピンへの状態転写が理想的となる。ところが、このような"凍りついた"電子スピンの状態は、従来のスピン推定法で測定することはできない。今回、電子スピントモグラフィー測定の適用により、凍りついた電子スピンの状態を可視化することに成功した。電子の形状(波動関数)自体は球状だが、電子スピンのトモグラフィー像はアレイ形状(図中の点)を示す。図中の円は転写前の光のトモグラフィー像であり、両者はよく一致している。この一致により、光から電子スピンへの状態転写が確認できる。赤色は正、青色は負の符号を示す。

図2

図10 電子スピントモグラフィー測定により可視化した歳差運動する電子スピン

 電子スピントモグラフィー測定により電子スピンの歳差運動を可視化した実験結果。緑色の矢印(図9のアレイ形状を貫く軸に対応)で示した電子スピンが、磁場(x軸)の回りを回転しながら減衰していく様子が分かる。赤色、橙色、青色の曲線はスピンの各座標軸への投影像。

<用語解説>

注1)量子、量子的重ね合わせ状態
 量子とは「粒子性」と「波動性」を同時に持った物質の性質を表す、物理的な量(エネルギーや情報)の最小単位で、量子情報の最小単位を量子ビット(注8参照)と呼ぶ。「粒子性」を持つので1つの粒子であるが、2つの状態が重ね合わさった状態(量子的重ね合わせ状態)にもなる。観測されるまでは2つの状態の可能性を同時に持つが、測定されたとたん1つの状態に決まってしまい、量子性を失ってしまう。この性質を利用して盗聴不可能な量子情報通信が実現されている。この重ね合わせ状態を観測した時にどちらの状態となるかは確率的であり、「波動性」と呼ぶ波の干渉の性質を示す。
 光の偏光に関わる重ね合わせ状態を例にとると、直線偏光は右回り円偏光と左回り円偏光の2つの状態の重ね合わせであると定義される。これは、光子が量子力学的粒子であることの帰結である。

注2)電子スピン
 古典的には電子の自転運動(スピン)のこと。量子的には、右回り(上向き)と左回り(下向き)に対応する2状態の重ね合わせとして定義される。光子の偏光と同様に量子力学的な性質を示す。

注3)トモグラフィー測定
 さまざまな方向から対象物に光、電波、超音波、X線などを当て、その透過情報や散乱情報をもとに計算を行い、対象物の内部の情報を導き出して断層画像を得る方法のこと。断層撮影法などとも呼ばれる。計算にはコンピューターを使うため、CT(computer tomography)と呼ばれることが多く、超音波CTやX線CTなどが実用化されている。

注4)電子と光子
 電子は電気あるいは電流の基本単位となる粒子であり、光子は光の基本単位となる粒子である。どちらも典型的な素粒子であり、量子でもある。電子には重さがあり静止することがでるため、メモリーに適している。また、負の電荷を持つため、演算処理にも適している。これとは対照的に、光子には重さも電荷もなく、常に一定の速度(光速)で走るため、伝送に適している。光子はエネルギーや力(電磁気力)を媒介する素粒子であるが、ここでは量子状態を媒介する量子として光子を用いる。

注5)量子中継
 量子情報通信の距離を延長したり、量子ルータとして通信路の交換を可能とするための中継器。量子スイッチとして利用すれば、光量子接続された分散処理型の量子計算機を構成する。通常の通信で用いられるいわゆる古典中継器とは根本的に異なり、量子テレポーテーションを動作原理とするため量子中継器と呼ばれる。量子中継器の構成には量子メモリーが不可欠であり、このため伝送に適した光量子からメモリーに適した量子への量子メディア変換が必要となる。

注6)量子通信網
 光の持つ量子性を利用することにより、盗聴されたことが確実に分かる絶対安全な情報通信ネットワーク。

注7)量子計算機
 電子などの持つ量子性を利用することにより、膨大な可能性を同時に計算処理できる超高速の情報処理マシーン。

注8)量子ビット
 量子計算を行う上での情報単位。キュービットとも呼ぶ。

注9)光電効果
 物質が光を吸収した際に、物質内部の電子が励起されたり電子が飛び出したりする現象。この現象は、1905年に物理学者のアルベルト・アインシュタインの導入した光量子仮説によって、光子と電子の間のエネルギーの変換として説明された。アインシュタインはこの功績により、1921年にノーベル賞を受賞している。ただし、この際の光量子とはエネルギーの最小単位としての光子であって、光子の量子的振る舞いを利用していない。

注10)内部状態
 光子の偏光状態、電子のスピン偏極状態など、量子の内部自由度に関わる量子力学的な状態のこと。

注11)スピン歳差運動
 スピンを首振り運動するコマに見立てたもの。歳差とは、自転している物体の回転軸が円を描くように揺れることを指す。電子スピンを磁場方向から傾けて置くと、磁場の周りに歳差運動するように振る舞う。ラーモア歳差とも呼ぶ。しかし、スピンが実際に円運動を描くことを直接的に観察した例は、これまでなかった。

注12)量子化軸
 磁場の方向や電子の閉じ込め方向など、電子状態を量子化する方向。

注13)量子井戸
 電子をナノスケールの板状領域に閉じ込めた構造。これにより、電子の移動方向が束縛され、量子性が発現する。ここではGaAs層がよりエネルギーの高いAlGaAsバリア層に挟まれており、電子のスピン量子状態を制御している。

<掲載論文名>

"Spin state tomography of optically injected electrons in a semiconductor"
(半導体中に光注入された電子のスピン状態トモグラフィー)
doi: 10.1038/nature07729

<お問い合わせ先>

小坂 英男(コサカ ヒデオ)
東北大学電気通信研究所 准教授
〒980-8577 仙台市青葉区片平2−1−1
Tel:022-217-5072 Fax:022-217-5071
E-mail:

瀬谷 元秀(セヤ モトヒデ)
科学技術振興機構 戦略的創造事業本部 研究領域総合運営部
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