JSTトッププレス一覧 > 共同発表

2008年6月15日

独立行政法人 理化学研究所
独立行政法人 科学技術振興機構(JST)

生殖細胞の誕生機構に関与する全遺伝子群の解明

−単一細胞レベルの精度を実現したマイクロアレイ法の応用と発展−

<本研究成果のポイント>

○生殖細胞の誕生過程に必須なBlimp遺伝子が体細胞化を抑制
○生殖細胞の誕生にはBlimp遺伝子とは独立したメカニズムも存在
○人体を構成する、あらゆる細胞系譜を規定する遺伝子群の解明へ寄与

 独立行政法人 理化学研究所(野依 良治 理事長)は、生殖細胞の誕生機構に関与する全遺伝子群を同定し、その過程に必須とされる遺伝子「Blimp1」が生殖細胞の体細胞化を抑えるという重要な役割を果たしていることを明らかにしました。ほ乳類の代表的モデル生物であるマウスを使って、単一細胞レベルというこれまでにない精度で、生殖細胞の誕生機構を解明することを実現しました。理研 発生・再生科学総合研究センター(竹市 雅俊 センター長)哺乳類生殖細胞研究チーム(斎藤 通紀 チームリーダー)の栗本 一基 基礎科学特別研究員らによる成果です。
 私たち人類を含む多細胞生物を構成する細胞群の中で、生殖細胞は、新しい個体を形成し、次世代に遺伝情報を継承しうる唯一の細胞系譜注1)です。そのため、その能力を支える分子機構の解明は、生命科学において最も本質的で重要な課題の1つであり、生殖医学、生殖工学、再生医学の発展に寄与する基盤情報を提供すると期待されています。
 研究チームは、これまでに開発した「単一細胞マイクロアレイ法」を用い、マウスの発生過程で、生殖細胞の起源となる細胞である始原生殖細胞(精子及び卵子の源となる細胞)が、その前駆細胞から形成される際に発現する全遺伝子群を、系時的に捉えることに成功しました。さらに、この過程に必須な役割を果たすことが知られているBlimp1遺伝子(同チームを中心とする共同研究グループが2005年に同定)を欠損した胚注2)を使って同様の解析を行い、Blimp1の詳細な作用機序を解明しました。今回同定した多くの新規遺伝子の機能解析から、生殖細胞形成過程を詳細に理解できるのはもちろんのこと、試験管内での生殖細胞系列の誘導を含む、新たな生殖工学・生殖医学の発展に大きな貢献をすることが期待できます。さらに、本研究は、単一細胞マイクロアレイ法を用いて、生体内の特定の細胞系譜を精密に解析した世界で初めての研究成果となりました。
 この成果が先鞭となり、今後、発生過程および成体に存在するさまざまな組織の形成・機能維持過程に関与する全遺伝子群の同定が、次々に完了することが予想されます。こうした研究から得られる情報は、ES細胞もしくは組織幹細胞を起点とする再生医学の発展に、重要な基盤情報を提供するものとなります。
 本研究成果は、独立行政法人 科学技術振興機構 戦略的創造研究推進事業 個人型研究(さきがけ)「情報と細胞機能」領域の研究課題「単一細胞での網羅的遺伝子発現解析によるマウス生殖細胞決定機構の解明」の一環として行ったものであり、米国科学誌『Genes & Development』(6月15日号)に掲載予定です。

1.背景

 ヒトを含む多細胞生物の一生の中で、今のところ絶対に避けては通れない現象が「死」です。この個体レベルでは不可避な現象を、種のレベルで回避するために用意されたユニークな細胞が、卵子や精子に代表される生殖細胞です。こうした「種の保存」という生物学的要請を満たすために、生殖細胞には、(1)細胞レベルにて必ず起こる老化現象を能動的にくい止め、幾世代にもわたり受け継がれてきた遺伝情報を理想的には完全な状態で維持する、(2)究極に分化した生殖細胞である卵子と精子が融合した際に、個体を形作る発生プログラムが滞りなく進むように、生殖細胞自身の遺伝情報をプログラムする、という2つの基本的な仕組みが埋め込まれています。そのため、この2つの仕組みを解明し、論理的に再構成することは、生物学の大きな目標の1つです。この過程は、さまざまな基盤現象(運命決定、ゲノム再編、増殖、性決定、減数分裂、成熟)を伴う非常に複雑なもので、全過程の分子基盤を正確に理解し、再現するためには、それぞれの過程について緻密な研究が必要となります。
 理研 哺乳類生殖細胞研究チームは、代表的なモデル生物であるマウスの発生過程で、生殖細胞と体細胞が分離する機構、それにより生殖細胞が獲得する特性の理解を研究の出発点とし、生殖細胞だけに託されたゲノム情報再編・継承、全能性維持・再獲得の機構を理解し、再構成することを目指した研究を行ってきました。今回の成果は、その一連の研究の中で得られたものです。

2.研究手法

 マウスの始原生殖細胞(生殖細胞の起源となる細胞で、精子または卵子の源となる)は、胚(胎児)がまだ数百個から数千個の細胞でできている時期に、数個から40個程度形成されます。この時期の始原生殖細胞で、どの遺伝子が発現注3)しているのかを知るためには、細胞1つ1つを分離して、細胞ごとに調べることが最も効果的です。そこで、マウスの胚(受精後6.25〜8.5日)から、始原生殖細胞が存在する大まかな部分をガラスナイフで切り出し、タンパク質分解酵素を用いて細胞同士の接着を分解し、細胞1つ1つに分離しました。分離した個々の細胞をランダムに採取し、研究チームが開発した「単一細胞cDNA増幅法注4)」によって、少量のmRNAからcDNAライブラリ注5)を作って、PCR注6)で増幅しました。どの細胞が、どんな遺伝子を発現するかは見た目ではわかりませんが、増幅したcDNAライブラリを調べることによって、細胞の性質を遺伝子発現のレベルで知ることができます。
 マイクロアレイ注7)は、ゲノム上のどの遺伝子が発現しているのかを同時に複数調べることができ、全世界の研究施設で用いられているすぐれた解析技術です。その一方で、非常に多数の細胞(通常、数千個から数十万個)を必要とするという短所を併せ持ちます。培養細胞系など、同じような細胞からなる細胞集団であれば問題ありませんが、少数の、多様な細胞が複雑な構造を形成し機能している、生体内の組織や器官(特に発生過程の各組織、幹細胞生物、神経、さらには病態を示した組織)では、従来のマイクロアレイ解析では1つ1つの細胞を区別できないため、直接的な応用には限界がありました。研究チームの開発した単一細胞cDNA増幅法を生かした「単一細胞マイクロアレイ法」は、この限界を克服し、1つ1つの細胞を別々に解析することを可能にすることで、ゲノムレベルでの遺伝子発現解析の適用範囲を飛躍的に拡大することに成功しました。
 研究チームは、2005年に始原生殖細胞の形成に必要な遺伝子「Blimp1」を発見しました(Ohinata et al., Nature 436: 207-13, 2005)。このBlimp1遺伝子を遺伝的マーカー注8)にして、ランダムに採取した細胞から調製したcDNAライブラリから、始原生殖細胞のcDNAライブラリを同定しました。このようにして生殖細胞を選び、マイクロアレイを用いて、発現する全遺伝子注9)の発現量を解析しました。具体的には、受精後6.25〜8.5日の胚から6点の時系列(図1)の、始原生殖細胞の単一細胞マイクロアレイデータを得ました。また、Blimp1欠損胚についても同様の解析を行い、始原生殖細胞形成過程のどこにBlimp1遺伝子が必要であるのかを調べました。

3.研究成果

 解析の結果、始原生殖細胞が形成される過程で発現する遺伝子群の全容と、その動態が明らかとなりました(図2)。始原生殖細胞の時系列データは複雑ですが、秩序だった遺伝子発現動態を示していました。生殖細胞は、遺伝情報を次世代に伝えるという極めて特殊な役割を持つため、体細胞と明らかに異なる性質を持ちます。しかし、その初期には、胚発生の進行に伴って周囲の体細胞と同様の性質(遺伝子発現パターン)を示すようになること、そしてBlimp1遺伝子を発現した細胞だけが、その後、体細胞化を抑え生殖細胞としての性質を獲得できることを見いだしました。一方、Blimp1欠損胚では、本来生殖細胞になるべき細胞でも、開始した体細胞化がまったく抑制されなくなることがわかりました。しかし、Blimp1欠損胚でも、始原生殖細胞で発現すべき遺伝子のおよそ半分が、不完全ながら発現を開始していました。これらの結果から、Blimp1遺伝子は体細胞化の抑制に支配的な役割を果たしており、また同時に、Blimp1遺伝子の制御とは独立して開始する、生殖細胞形成メカニズムの存在が示唆されました。

4.今後の期待

 今回の研究により、始原生殖細胞が形成される過程で発現する遺伝子群の全容とその動態が明らかとなりました。また、その過程で重要な役割を果たすBlimp1の作用機序を解明しました。これらの成果は、生体に存在する特定の細胞系譜の決定に関与する全遺伝子群の発現動態と、その過程に関与する重要な遺伝子機能を、単一細胞レベルの精度で明らかにした世界で初めての研究成果となります。今後、以下に記すような発展が期待できます。

(1) 同定した新規遺伝子群の生殖細胞形成過程における機能解析や利用
 本研究により、生殖細胞形成過程に関与する遺伝子群の全容が明らかとなりました。これらの中には、機能がいまだに知られていない新規遺伝子群も多数含まれており、それらの機能解析により、生殖細胞形成過程の分子機構をさらに詳細に理解できるようになります。また、生殖細胞で特異的に発現する遺伝子群は、生殖細胞に特異的な遺伝子操作(遺伝子破壊や過剰発現)を行う際の、有用なツールとなり得ると期待できます。

(2) 試験管内での生殖細胞系列誘導系の確立と評価
 これまで世界のさまざまな研究者が、ES細胞から生殖系列の細胞を誘導する研究を行ってきました。これらの研究により、生殖細胞の形成過程の科学的な理解が促進することに加え、究極的には、誘導した生殖細胞を、不妊治療を含む生殖補助医療に用いることが期待されます。しかし、いまだ実験レベルでも機能的な(子孫を形成しうる)生殖細胞の作成に成功した例はありません注10)。これは、1 生殖細胞の発生過程が十分に理解されていなかったため、理論的にES 細胞を起点とする生殖細胞の誘導が不可能であったこと、2 誘導された細胞がどの程度正しいものであるかを判断する基準が乏しかったこと、によると考えられます。今回の研究で得た情報は、試験管内で誘導される生殖細胞様細胞が、どの程度正しく形成されているかを判定する貴重な情報になるだけでなく、今後、生殖細胞系列を誘導する系を開発するために、基盤となる情報を提供するものです。

(3) ほかの細胞系譜の解析への発展と組織再生医学の基盤情報形成
 本研究成果を得るために重要な役割を果たした単一細胞マイクロアレイ法は、基本的には、発生過程および成体に存在するあらゆる細胞系譜の形成・機能維持過程の解明に応用が可能です。すなわち、この方法論の開発により、さまざまな生物学・医学生理学的文脈における、いかなる時点の、いかなる細胞からも、ゲノムワイドな遺伝子発現プロファイルを取得できる基盤を形成したことになります。少数の特異的細胞群が、しばしば決定的な役割を果たす発生生物学、幹細胞生物学、神経生物学分野、さらには少量の材料から診断が必要な医学分野などでは、少数の、理想的には単一の細胞機能を解析する需要が増大しています。それら多くの生命科学分野において、今後単一細胞マイクロアレイ法は決定的な役割を果たすことが期待できます。

<報道担当・問い合わせ先>

<問い合わせ先>
独立行政法人 理化学研究所 発生・再生科学総合研究センター
  哺乳類生殖細胞研究チーム チームリーダー
斎藤 通紀(さいとう みちのり)
Tel:078-306-3376 Fax:078-306-3377

  神戸研究推進部 企画課
Tel:078-306-3008 Fax:078-306-3039

独立行政法人 科学技術振興機構 戦略的創造事業本部 研究推進部
白木澤 佳子(しろきざわ よしこ)
Tel:03-3512-3525  Fax:03-3222-2067

<報道担当>
独立行政法人 理化学研究所 広報室 報道担当
Tel:048-467-9272 Fax:048-462-4715

独立行政法人 科学技術振興機構 広報・ポータル部 広報課
Tel:03-5214-8404 Fax:03-5214-8432

<補足説明>

注1) 細胞系譜
 ヒトを含むほ乳類は200種以上の細胞から構成されている。そのすべては、元はただ1つの受精卵である。このように発生の過程で細胞が特別な形や機能を持つようになることを細胞分化と呼ぶ。これらの細胞は、受精卵からいきなり出現するのではなく、系統的な道筋を追って、最終的に機能を持つ細胞へと系統的に分化していく。この細胞分化の系統を細胞系譜と呼ぶ。体細胞系譜と生殖細胞系譜は発生の初期にその運命を分かつ、大きな系譜である。

注2) 遺伝子を欠損した胚
 特定の遺伝子の機能を知るためにその遺伝子を人工的にゲノムから取り除いた胚。ある遺伝子の機能を知るためには、その遺伝子を持たない動物(マウス)がどうなるのかを調べることが効率的である。そのような目的で作製された動物を遺伝子欠損(ノックアウト)動物と呼ぶ。

注3) 遺伝子の発現
 ヒトを含めた多細胞生物では、ほぼすべての細胞が同じ遺伝情報(ゲノム)を保持している。私たちの生命が多様な細胞によって支えられているのは、それぞれの細胞種で働く遺伝子が異なるからである。遺伝子が働くためには、ゲノムDNAの中の特定の遺伝子をコードする部分をコピーすることにより1次的な産物である「メッセンジャーRNA(mRNA)」が作られ、さらにそのmRNAに対応するタンパク質が作られなければならない。ある遺伝子からmRNAが作られることを「遺伝子が発現する」という。「どの遺伝子が、どの程度の量、発現しているか」という「遺伝子発現パターン」は細胞の個性を知るために有用な情報である。

注4) 単一細胞cDNA増幅法
 細胞1つに含まれるmRNAの量は非常に少ないため、有効な解析をするためには遺伝子発現パターンを損なわずに、増幅しなければならない。我々は、近年、少量のmRNAからcDNAを作り、正確に増幅し、かつそれをマイクロアレイに適用できるようにする手法を開発し、単一細胞レベルでの質の高いマイクロアレイ解析が可能になった。

注5) cDNAライブラリ
 遺伝子の1次的産物であるmRNAは、そのままでは分子生物学的な解析に不向きである。mRNAを鋳型にして、より解析に適したDNAへと変換して解析を行うことが一般的である。そのようなDNAのことをcDNAと呼ぶ。mRNAの集団から作ったcDNAの集団のことをcDNAライブラリと呼ぶ。

注6) PCR(Polymerase Chain Reaction)
 DNAの集団の中から、特定のDNAだけを増幅することができる技術。この方法を用いると、cDNAライブラリの中に特定の遺伝子(たとえばBlimp1)が存在しているか否かを知ることができる。Blimp1を増幅できるように設計したPCRを使ってDNAが増幅されれば、そのcDNAライブラリにはBlimp1のcDNAが含まれているということがわかる。

注7) マイクロアレイ
 ヒトやマウスのゲノムには2万個以上の遺伝子がコードされている。これら1つ1つの発現の有無や量をしらみつぶしに解析することは事実上不可能である。マイクロアレイ法を用いると、同時に非常に多数の遺伝子の発現を解析することができる。一辺、数マイクロメートルの微細なチップに各遺伝子に対応するDNAが貼り付けられており、「ハイブリダイゼーション」というDNAの物理的性質を利用して、どの遺伝子がどれだけ発現しているかを解析することができる。

注8) 遺伝的マーカー
 どの遺伝子を発現するかによって細胞の性質が決定付けられる。逆に言えば細胞の性質を反映して、その細胞でしか発現しない遺伝子も存在する。このような遺伝子を目印にして細胞を同定することができる。このような遺伝子のことを遺伝的マーカーと呼ぶ。

注9) 全遺伝子
 今回の研究ではマイクロアレイに貼り付けられた遺伝子を解析の対象とした。

注10) ヒトES細胞などからの生殖細胞の作成などに係る当面の対応について
 現時点のわが国の規制では、ヒトES細胞をはじめとする生殖細胞系列以外のヒト組織幹細胞からの生殖細胞の作成は行わないものとされている。

<参考図>

図1

図1 マウスの初期発生の模式図

 始原生殖細胞をふくむ点線で囲った部分を切り出し、単一細胞cDNAを調製した。

図2 図2 図2

図2 今回の研究で明らかになった生殖細胞の誕生機構に関わる遺伝子群のまとめ