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平成20年3月14日

科学技術振興機構(JST)
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国立大学法人 群馬大学
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脊髄小脳変性症マウスの運動障害を遺伝子治療で大幅に改善


 JST基礎研究事業の一環として、平井 宏和(群馬大学大学院医学系研究科 教授)は、マウスを用いた実験で遺伝性脊髄小脳変性症の症状を大きく軽減させることに成功しました。
 脊髄小脳変性症は、運動失調を主な症状とする神経疾患です。小脳および脳幹から脊髄にかけての神経細胞が徐々に破壊、消失していく病気で、根治療法がありません。日本には約2万人の患者がいますが、そのうち約4割が遺伝性です。最も患者数が多い遺伝性のタイプはマシャド・ジョセフ病注1)で、原因遺伝子に変異が存在することにより、神経細胞内に毒性をもつ、たんぱく質の塊が蓄積して発症すると考えられています。
 本研究ではまず、小脳の神経細胞に変異を有するマシャド・ジョセフ病原因遺伝子をもつマウスを作りました。このマウスは患者と同じように平衡障害があり、よろよろと歩きました。マウスの小脳は著しく萎縮しており、神経細胞内には毒性たんぱく質の塊が蓄積していました。
 次いでこのマウスの小脳に、レンチウイルスベクター注2)を用いて、「CRAG」という遺伝子を導入したところ、マウスの運動失調が大幅に改善しました。CRAGを導入したマウスの小脳神経細胞を調べたところ、毒性をもつたんぱく質の塊の量が劇的に減少し、ダメージを受けていた神経細胞が回復していました。今後、この遺伝子導入法を発展させ、遺伝子治療として患者に応用することで脊髄小脳変性症の治療が可能になることが期待されます。
 本研究成果は、2008年3月14日(英国時間)に欧州分子生物学機構機関誌「EMBO reports」のオンライン速報版で公開されます。

本成果は、以下の事業・研究課題によって得られました。
戦略的創造研究推進事業 発展研究(SORST)
研究課題名 「脊髄小脳変性症の根治的遺伝子治療法の開発」
研究者 平井 宏和(群馬大学 大学院医学系研究科 教授)
研究期間 平成18年度〜平成20年度
本研究課題は、戦略的創造研究推進事業 個人型研究(さきがけ)の「情報と細胞機能」研究領域で得られた成果を発展させ、開発した小脳の神経細胞にレンチウイルスベクターによって遺伝子を導入する方法を用いて、ポリグルタミンの分解による脊髄小脳変性症根治を目指しています。

<研究の背景>

 運動失調が主な症状の神経疾患である脊髄小脳変性症は、根治療法がなく、日本では特定疾患に指定されています。約2万人の患者が認定されていますが、そのうち約4割が遺伝性です。近年のゲノム科学の進展により、原因遺伝子が次々に発見されています。最も多いタイプはマシャド・ジョセフ病で、ataxin-3注3)というたんぱく質をコードする遺伝子の変異が原因です。ataxin-3遺伝子のたんぱく質コード領域内にはCAG(シトシン・アデニン・グアニン)という塩基の繰り返し配列が存在しています。
 通常、このCAGの繰り返し数は14〜44回ですが、脊髄小脳変性症の患者では56〜86回に増加しています。CAGはグルタミンというアミノ酸に翻訳されるため、原因遺伝子からはグルタミンの鎖(ポリグルタミン)をもつataxin-3が産生されます。脊髄小脳変性症の患者では、ポリグルタミン鎖が異常伸長したataxin-3が産生され、細胞内に凝集塊となって蓄積します。この凝集塊が毒性をもち、神経細胞が変性し脱落すると考えられています。
 東京薬科大学の柳 茂 教授らにより発見された「CRAG」という酵素は、培養細胞において異常伸長したポリグルタミンをもつataxin-3と結合し、その分解を助ける役割があることが示されています(図1、Qin et al., J. Cell Biol., 2006)。しかしCRAGは、1 生きた動物の脳内で副作用なくataxin-3凝集塊の分解を促進するのか、2 変性し脱落しかけている神経細胞を回復させるのか、3 12 の結果、運動失調を改善させるのか――という点は疑問のままでした。
 平井らは、レンチウイルスベクターを用いて小脳神経細胞へ効率的に遺伝子を導入する方法を5年間研究しており、これまでにその成果を論文(Torashima et al., Brain Res., 2006, Nat. Protoc., 2007)として報告し、特許出願もしてきました。そこで、本研究では、その遺伝子導入法を用いてCRAGが脊髄小脳変性症の治療に応用できるのかどうかを生きたマウスを使って検討しました。

<研究の内容>

1.脊髄小脳変性症モデルマウスの作製
 69回のCAG繰り返し配列をもつataxin-3遺伝子が、そのコードたんぱく質を小脳プルキンエ細胞だけに発現させるトランスジェニックマウス(脊髄小脳変性症モデルマウス)を作りました。このマウスは生後20日以降、よろよろと歩き、時にバランスを失って転がるという小脳失調の症状を示しました(図2)。生後20日、80日のモデルマウスの小脳は著しく萎縮しており(図3A、B)、正常ではきれいな一層であるプルキンエ細胞の配列が大きく崩れていました(図3C、D)。さらに樹状突起の伸長も顕著に阻害されていました(図3C、D)。

2.レンチウイルスベクターを用いたCRAG遺伝子の導入
 ataxin-3凝集塊が蓄積している神経細胞におけるCRAGの機能を調べるために、CRAGたんぱく質を産生するレンチウイルスベクターを作りました(図4A)。CRAG産生レンチウイルスベクターを生後21日〜25日の脊髄小脳変性症モデルマウスの小脳に接種したところ、2ヶ月後には運動失調が大きく改善しました(図5A, B)。さらにプルキンエ細胞層の配列も一層に回復しており(図4C)、樹状突起の伸長も観察されました。ウイルスベクター接種2ヶ月後のモデルマウスの小脳を調べたところ、プルキンエ細胞内の凝集塊はほとんど見られませんでした(図5C, D)。

<今後の展開>

 本研究の手法を用いて、脊髄小脳変性症患者の障害を受けている神経細胞にCRAGを発現させることで、変性している神経細胞が回復し、さまざまな症状の改善が期待されます。臨床応用を行うには、神経細胞へのCRAG遺伝子の導入に用いるレンチウイルスベクターの安全性を確認する必要があります。とくに挿入変異注4)の問題を解決する必要があり、これについて今後、研究を進める予定です。また、ウイルスベクター以外の手法を用いたCRAG遺伝子導入法についても検討する予定です。さらに、ヒトの脳はマウスよりはるかに大きいため、広範囲にCRAGを導入・発現させることが可能なのか、サルを用いて検討したいと考えています。

<付記>

 本研究成果は、柳 茂 教授(東京薬科大学 生命科学部)、山口 晴保 教授(群馬大学 医学部保健学科)との共同研究で得られました。

<参考図>

図1 注5

図1 CRAGによるataxin-3凝集塊の分解メカニズム


図2

図2

 野生型マウスと脊髄小脳変性症モデルマウスおよび、それぞれのマウスのフットプリント。後肢にインクを塗って紙の上を歩かせた。(A)生後21日。 (B)生後80日。

図3図3

図3 脊髄小脳変性症モデルマウスの小脳

(A,B) 生後80日の脊髄小脳変性症モデルマウス(B)と野生型マウス(A)の脳断面。脊髄小脳変性症モデルマウスの小脳(矢印)の著明な萎縮を認める。
(C,D) プルキンエ細胞特異的マーカーであるカルビンディンに対する抗体を用いた免疫染色標本。生後80日の脊髄小脳変性症モデルマウス(C)と野生型マウス(D)のプルキンエ細胞。野性型のプルキンエ細胞層はきれいに並び、樹状突起はよく伸長しているのに対し、脊髄小脳変性症モデルのプルキンエ細胞層の配列は大きく乱れ、樹状突起の発育も極めて悪い。

図4
図4図4

図4 CRAGを発現するレンチウイルスベクターの小脳への接種

(A) CRAGを発現するレンチウイルスベクターのプロウイルスの構造。
(B) CRAG発現レンチウイルスベクターを生後21日から25日の脊髄小脳変性症モデルマウス小脳に接種した。
(C) CRAG発現ウイルス接種2ヶ月後の小脳皮質(上)。プルキンエ細胞がきれいに配列している。コントロールとして緑色蛍光たんぱく質(GFP)発現ウイルスを接種したマウスの小脳皮質(下)を示す。プルキンエ細胞の配列の乱れは改善していない。ML, 分子層; PCL, プルキンエ細胞層; GCL, 顆粒細胞層

図5

図5 CRAG発現による小脳皮質のataxin-3凝集塊の分解

 CRAGあるいは緑色蛍光たんぱく質GFPを発現するレンチウイルスベクターを、生後21日から25日の脊髄小脳変性症モデルマウス小脳に接種し、2ヶ月後の歩行と小脳皮質のataxin-3凝集塊の様子を調べた。
(A, B) GFPを発現させたマウスでは運動失調の回復が見られずよろよろとしている(A)。一方、CRAGを発現させたマウスでは歩行が大幅に回復している(B)。
(C, D) ataxin-3に付加したHA-tagに対する抗体を用いた免疫染色標本。GFPを発現させた小脳皮質には、何も発現させていない場合と同様に多くの凝集塊が認められた(C)。これに対し、CRAGを発現させた小脳皮質では凝集塊が広範囲にわたって減少していた(D)。

<用語解説>

注1)マシャド・ジョセフ病
 家族性の遺伝病。日本を含め、世界で最も患者数が多い遺伝性脊髄小脳変性症である。目のふるえが著明で、運動失調のほか、初期には腱反射の亢進などの症状を伴うことが多い。筋萎縮・筋力低下を伴うことも多く、びっくり眼という特異な顔貌がみられることが多い。

注2)レンチウイルスベクター
 ウイルスベクターとは、野生型ウイルス遺伝子から病原性をもつ部分を取り除き、その代わりに目的の遺伝子を組み込むことで、効率的に目的の遺伝子を細胞内に導入・発現させることを可能にしたウイルスのことである。ウイルスが自分の遺伝子を宿主(ヒトを含む哺乳類など)に効率的に組み込んで増殖させる性質を利用している。レンチウイルス由来のベクターを用いると、神経細胞に効率的に外来遺伝子を組み込むことが可能であり、神経疾患に対する遺伝子治療への応用が期待されている。

注3)ataxin-3
 マシャド・ジョセフ病の原因たんぱく質。グルタミンがつながったポリグルタミン領域をもち、その領域が異常伸長することが病因である。既知のたんぱく質との明らかな相同性はなく、機能が不明な細胞質たんぱく質である。中枢神経系を含むすべての臓器に発現が認められている。

注4)挿入変異
 レンチウイルスベクターは遺伝子を宿主細胞の染色体に組み込むが、その場所はランダムであると考えられている。ウイルス遺伝子が宿主染色体に挿入されることで生じる変異を挿入変異という。挿入変異により宿主遺伝子が活性化したり、逆に抑制される場合があり、意図しない副作用が引き起こされる可能性がある。

注5)ユビキチン-プロテアソーム系
 ユビキチンは76アミノ酸からなる分子量8,500の小さいたんぱく質で、真核細胞に「普遍的に」見出されるためこの名が付けられた。不要なたんぱく質を修飾し、複数のユビキチンが付加されることで、ポリユビキチン鎖が形成される。ポリユビキチン鎖はたんぱく質分解酵素複合体であるプロテアソームの認識シグナルとして機能し、たんぱく質が分解される。

<掲載論文名>

"Lentivector-mediated rescue from cerebellar ataxia in a mouse model of spinocerebellar ataxia"
(レンチウイルスベクターを介した脊髄小脳変性症モデルマウスの小脳失調の回復)
doi: 10.1038/embor.2008.31

<お問い合わせ先>

平井 宏和(ひらい ひろかず)
群馬大学大学院医学系研究科 教授
〒371-8511 群馬県前橋市昭和町3-39-22
Tel:027-220-7930
E-mail:

辻 真博(つじ まさひろ)
独立行政法人 科学技術振興機構
戦略的創造事業本部 研究推進部研究第三課
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