JSTトッププレス一覧共同発表 > 別紙
別紙

本成果の詳細について

1.量子コンピュータとは

 電子や原子のような微小な世界では、私たちが日常生活で経験する物理法則とはまったく様相の異なった量子力学と呼ばれる物理法則が支配しており、粒子は同時に波としての性質を持つようになります。例えば電子は、量子の世界では電子波として空間的に広がった存在になります。量子コンピュータとは、このような量子力学的状態を利用して演算するコンピュータです。現在の古典物理学に基づく計算機は多くの計算を効率的に実行できますが、効率的に解けない複雑な問題も数多く存在します。量子コンピュータは、このような現在の「古典的」計算機が不得手とする特定の計算を効率的に解くことが可能であると理論的に示されています。この技術が実現すれば、現在のコンピュータをはるかに越える計算能力を実現できる(現在では数千年もかかるような数百桁の数字の素因数分解が数十秒にして解ける)と期待されています。
 量子コンピュータは、「量子ビット」と呼ばれる情報の基本単位を用いて計算を行います。量子ビットは、「0」と「1」という2つの量子状態を波のように重ね合わせることができます。この重ね合わせができるのは、原子や分子など量子力学に従う物理系が、量子力学的な波の性質を持っているからです。量子ビットは、状態の重ね合わせにより「0」と「1」の状態を同時に併せ持つことができる点が優れています。N個の量子ビットがそれぞれ「0」と「1」の重ね合わせ状態にある場合には、全体としては2のN乗通りの異なる状態が重ね合わさっていることになります。そのような状況で演算を施すと、一種の大規模な並列計算が実現することに相当し、適切なアルゴリズムを用いることで非常に効率のよい計算が可能になります。
 実際に量子ビットを作るには、量子力学的に振舞う特殊な素子が必要です。これまでに実現されている様々な量子ビットは、原子や分子を使った微視的な量子ビットと固体素子を用いた巨視的量子ビットに大きく分類されます。前者は研究が比較的進んでいますが、量子コンピュータに必要な多くの量子ビットを集積することは困難であると考えられています。それに比べ、固体素子量子ビットは半導体集積回路で培われた技術の蓄積により、集積化という点で有利であると考えられています。本グループの研究対象としている超伝導量子ビットは、超伝導集積回路技術を用いて構成される固体素子です。固体素子であるため、比較的自由に素子の設計を行うことができ、かつそれぞれの構成要素のパラメータも自由に設定できるという大きな利点があります。

2. 量子コンピュータにおける計算プロセス

 量子コンピュータの演算プロセスを図1に示しました。任意の演算は、1量子ビットの制御(1量子ビットゲート)と、2つの量子ビットの制御(2量子ビットゲート)を基本単位とし、量子アルゴリズムに従い時々刻々それらの組み合わせを変化させて行います。すなわち、ある量子ビットは、ある時刻には1量子ビットゲートとして用いられますが、他の時刻には隣の量子ビットと結合させて2量子ビットとして用います。したがって、量子計算を実行するためには、個々の量子ビットの状態を制御する技術と、量子ビット同士を結合させたり切り離したりする結合制御技術の両方が必要です。
 NECは超伝導素子集積回路技術を用いて1999年にJSTとともに1量子ビットゲートを実現し、2003年には理研と共同で2量子ビットゲートを実現しました。超伝導素子を用いた2量子ビットゲートの研究はその後世界各所で進展していますが、これまでに試みられた2量子ビットゲート実験では、2つの量子ビット間の結合の強さを制御できませんでした。

3.研究成果

 本成果では量子ビットとして磁束量子ビットを採用しました。作製条件と動作バイアス条件を最適化することで、これまでの電荷型量子ビットに比べ2桁以上長い量子状態の保持時間を実現しました。これは、超伝導量子ビットとしては世界最高レベルです(図2)。
 2つの量子ビット間の結合の制御を実現するにあたり、本グループでは結合のメカニズムと結合の制御方法の二つに分けて検討しました。結合メカニズムは、インダクタンスを用いる磁気的結合を採用することとしました。結合の制御方法は、量子ビット間の結合を新たなもうひとつの量子ビットを用いて実現するという、オリジナルな原理を考案いたしました(図3)。この結合用量子ビットは量子ビットと同様の構造を持ちますが、パラメータが大きく異なり、非線形なトランス回路として機能します。通常の状態では、2つの量子ビットの間の結合は基本的にオフになっています。オフ状態では個々の量子ビットに共鳴するマイクロ波のパルスを照射することで、それぞれ独立に1量子ビットゲートを適用することができます。結合用素子に特定の周波数を持つマイクロ波パルスを加えることにより、結合を誘起し、量子ビットの状態を乱すことなく結合を制御できます。また、結合回路に量子ビットの形式をとっているため、この結合制御量子ビットを用いた量子コンピュータ回路の物理的構成は量子ビットの繰り返し構造となり、ビット数に対してスケーラブルな回路とすることができます(図3)。今回は、このコンセプトの実証を目指し、最小単位である2つの量子ビットをもうひとつの量子ビットで結合した3つの量子ビットの構成をとる回路で、量子ビットの制御を、ビット間結合制御を行いながら実現することに成功したものです。
 図4の青線で示したのは、この結合により両方のビットが共に0の状態(00状態)と両方のビットが共に1の状態(11状態)の間で生じる遷移です。例えばパルス照射時間を図4の星印の長さに調節することで、二重制御否定ゲート(DCNOTゲート)と呼ばれる論理動作が実現し、00状態と11状態の重ね合わせ状態を作ることができます。我々はさらに図4のような3つの演算ステップを含む簡単な量子演算プロトコルの実証を行いました。演算ステップには、2つの1量子ビットゲートと1つの2量子ビットゲートが含まれています。赤線と青線の周期の2倍の違いは量子ビットの量子力学的特性を反映したものであり、予想通りの量子状態の制御が実現していることが確認され、量子ビット制御の正しさを裏付けることができました。

4.今後の展開

 今回、量子ビット間の結合が制御できる2ビット量子演算回路を実現し、2量子ビットを用いた簡単な量子演算プロトコルの実証に成功しました。今後は、さらに演算ステップ数の多い量子アルゴリズムの実行を試みるとともに量子ビットの更なる集積化を図り、量子コンピュータの実現を目指します。