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平成19年3月15日

独立行政法人理化学研究所
独立行政法人科学技術振興機構

大脳皮質の発達過程における「臨界期」開始メカニズムに新たな知見

−神経回路網再構築には適量適所の抑制性情報伝達が必要−

本研究成果のポイント
 ●神経細胞のある特定部位の抑制性情報伝達が臨界期開始をもたらすことを発見
 ●臨界期開始機構は過剰でも過少でもない適度な数の抑制性受容体がつかさどる
 ●抑制性情報伝達の異常が原因と考えられる病気の新治療法の開発に期待

 独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)は、独立行政法人科学技術振興機構(JST、沖村憲樹理事長)と共同で、脳が発達する初期に、自らの経験により神経回路の再構築を行う「臨界期※1」の開始には、神経細胞の特定部位の抑制情報伝達が重要であることを世界で初めて発見しました。理研脳科学総合研究センター(甘利俊一センター長)神経回路発達研究チームヘンシュ貴雄チームリーダー、片桐大之研究員らによる研究成果です。本研究は、JST戦略的創造研究推進事業チーム型研究(CREST)「脳の機能発達と学習メカニズムの解明」研究領域(研究総括:津本忠治 理研脳科学総合研究センター ユニットリーダー)の一環として行われました。
 ほ乳類の新生児における学習、記憶、発達の基礎過程である臨界期において、神経回路網が再構築される現象は、約50年前に発見されました。臨界期をつかさどる分子メカニズムの解明は、脳の機能発現を理解する上での重要な研究テーマであり、昨今の分子生物学のめざましい発展により、大きな成果をあげています。大脳皮質の視覚野では、両眼からの視覚入力を受け取る神経細胞の情報伝達を適度に抑制することは、臨界期の開始に重要な働きをすることが明らかになってきました。
 神経細胞の抑制は、神経細胞膜に存在する受容体に「γ-アミノ酪酸(GABA)※2」が結合することで起こります。研究チームでは、この受容体に焦点を当て、臨界期開始の分子メカニズムの解明に挑みました。まず始めに、神経細胞の特定部位における受容体の活動を測定したところ、臨界期には神経細胞の細胞体表面に存在する受容体の数が減少していることがわかりました。次に、生まれた直後から暗闇飼育して、視覚入力を遮断し、臨界期開始に異常が見られるマウスと、正常なマウスを比較したところ、異常をきたしたマウスでは受容体の数がさらに減少していました。一方、GABAの量が少なく、視覚野の臨界期を迎えないマウスでは、正常なマウスに比べ受容体の数が多くなっています。つまり、受容体の数が多すぎても、少なすぎても、臨界期は始まらないのです。そこで、このGABAの量が少ないマウスを暗闇飼育することにより、受容体の数にどのような変化がもたらされるかを調べたところ、受容体の数は多くも少なくもない“中間値”を示し、臨界期が正常に開始することを確認しました。
 今回、明らかになった成果は、神経回路網の再構築という観点に新しい概念を投じ、神経疾患の症状を正常に戻すための重要な知見として貢献することが期待されます。
 本研究成果は、米国の科学雑誌『Neuron(ニューロン)』(3月14日・オンライン)に掲載されます。


1.背景

 外国語を習得したり、楽器を弾いたり、スポーツが上達する過程では、個人差があるにしても習い始める時期が早ければ早いほど苦労しません。こうしたことを、人々は自分達の体験・経験等として知っています。つまり、生まれてからある一定の若い期間の経験は、脳が発達していく過程で、記憶や学習といった高次機能に多大なる影響を及ぼすといえます。しかし、どのようなメカニズムでこの脳回路が集中的に形成される時期がおとずれるのかは、まだわかっていません。
 この問題を解決する糸口として研究チームは、ほ乳類の視覚野に着目し、研究を行っています。普通、脳の右半球の視覚野に存在している錐体細胞※3と呼ぶ神経細胞は、左目からの入力に対して強く反応を示します(図1)。一方、左目をふさぎ、左目からの入力を弱めてやると、今度は逆に右目からの入力に対して強く反応を示すようになります(図1)。この現象は、「臨界期」という生後間もない特定の期間だけ観察することができます。研究チームは、この臨界期開始を世界で初めて人為的に操作することに成功しました(平成16年3月12日記者発表: http://www.riken.jp/r-world/info/release/press/2004/040312/index.html)。
 神経細胞同士の情報のやりとりは、シナプス前終末から放出された神経伝達物質が、シナプス後膜に存在するその受容体と結合することで行われます(図2)。神経伝達物質の一つであるγ-アミノ酪酸(GABA)は、錐体細胞の細胞膜に存在するGABAA受容体を介して錐体細胞の活動を抑制します(図2)。そのGABAA受容体の働きを促進させる薬剤「ベンゾジアゼピン薬※4」を、通常の臨界期開始時期よりも早い段階で野生型マウスに投与し、臨界期を開始させることが出来ました。さらに、臨界期を開始させることが出来ないとされていたGABAの合成酵素の一種を欠損させた変異型マウス(GAD65欠損変異型マウス)に、ベンゾジアゼピン薬を投与すると、その時点から臨界期が開始するという劇的な作用を見つけました。このようなことから、錐体細胞のGABAA受容体を介する抑制入力は臨界期開始に重要な役割を果たしていることがわかってきました。
 研究チームは、この成果をもとに、GABAA受容体を構成しているサブユニットに焦点を絞りました。そしてこれまでに、ベンゾジアゼピン薬が作用する4種類のGABAA受容体サブユニットの中の「α1サブユニット」が臨界期開始の鍵を握っていることを突き止めました。

2.研究手法と成果

 脳の視覚野には、錐体細胞の他に介在細胞※5があり、この細胞にはGABAの合成酵素が含まれています。介在細胞の一種であるパルバルブミン(parvalbumin)陽性介在細胞(PV陽性細胞)の軸策は、錐体細胞の軸策起始領域※6及び細胞体にシナプスを形成しています(図2)。この二つの領域にはGABAA受容体が存在しており、特に、細胞体にはα1サブユニットが多く含まれていることが知られています(図2)。このことは軸策起始領域ではなく細胞体に存在するGABAA受容体が臨界期開始に関与していることを示唆するのではないかと予測しました。

(1)ケージド化合物を用いた刺激方法
 この予測が正しいかを調べるために、ケージド化合物を用いた刺激方法を用いました。この刺激装置は、オリンパス株式会社の協力のもとに開発したものです。ケージド化合物とは、目的とする分子の活性部位に光保護基を結合させて分子生理活性部位を隠す化合物で、紫外線レーザー光(UV)を照射すると、活性部位と保護基の結合が分解され、目的とする分子が不活性型から活性型へと変換します。このUV 照射を光学顕微鏡下で行うと、照射領域は細かく制限できます。つまり、細胞の任意の局所領域に、活性型の目的分子を導き出すことができます。実際に、研究グループはマウス視覚野を含んだスライス標本にある一つの錐体細胞を可視化し(図3A)、その細胞体のある一点の部位にこのUV刺激を行いました(図3B)。その結果、このUV刺激を行った部位を、細胞体上でスポットとして観察できました(図3C)。以上のことから、この刺激方法は特定部位に存在する受容体の刺激の解析に適していることを確認しました。

(2)GABAA受容体の数を算出
 スライス標本を、ケージド化合物の一種であるケージドGABAを含む人工生理食塩水で浸し、錐体細胞の軸策起始領域及び細胞体にそれぞれUV照射し、その領域にのみ活性型GABAを活性化させ、発生する電気生理学的応答を記録しました。そして実験終了後にノイズ解析※7という方法を用いGABAA受容体の数を算出しました。その結果、臨界期開始前後で、軸策起始領域におけるGABAA受容体の数の変化には有意な差が認められなかったのに対し、細胞体ではGABAA受容体の数が減少していることを観察しました(図4AB)。また、軸策起始領域よりも細胞体により強く出るベンゾジアゼピン薬の効果が、臨界期開始との間に密接な関係があることを示唆することになりました。

(3)二種類の臨界期開始異常マウスのGABAA受容体数
 次に、臨界期開始に異常がみられる二種類のマウスについて調べました。生まれた直後から暗闇飼育することで視覚入力が遮断されたマウスでは、細胞体におけるGABAA受容体の数はより減少していました(図4A)。一方、臨界期開始に異常を示す、GAD65欠損変異型マウスでは、前例のマウスとは異なり、通常飼育マウスの臨界期前のように、多くの受容体の数を観察できました(図5)。つまり、細胞体における受容体の数が多すぎても少なすぎても、臨界期が開始しなかったのです。
 そこで、このGAD65欠損変異型マウスを生まれた直後に暗闇飼育すると、受容体の数がどのような変化をするかを調べました。その結果、細胞体のGABAA受容体の数は、多くもなく少なくもない“中間値”で、臨界期中のマウスにおける細胞体のGABAA受容体の数に近い値を示しました(図5)。同時に、このマウスでは臨界期が開始することを見出しました(図6)。

(4)まとめ
 この一連の実験から、本研究で見出した適度なGABAA受容体の数は、PV陽性細胞が錐体細胞の細胞体と情報伝達のやりとりを行う部位の大きさに適したGABAA受容体の数を意味していると考えられます。そして、PV陽性細胞からもたらされる抑制性情報GABAと情報を受け取るGABAA受容体が量的質的に適合することが、臨界期に見られる神経回路網の再構築に重要な役割を果たしていると結論づけました(図7)。


3.今後の展開

 本研究は、抑制性情報伝達の受容体分子が、神経細胞の特定部位でダイナミックな動きを示している可能性を提唱することになりました。 今後は、臨界期開始のメカニズムの解明には、抑制性受容体の数を制御するしくみを明らかにしていくことが重要であると考えられます。 また本研究の成果は、アルコール依存症、自閉症、統合失調症といった抑制性情報伝達の異常が引き起こすと考えられている病気に、 新しい知見を与えることが期待されます。つまり、過剰でも過少でもない抑制性情報伝達をもたらすこと、その重要性を基盤とした治療法の確立に貢献する と期待できます。

用語説明
図1 「臨界期」における視覚野の神経回路網再構築
図2 PV陽性細胞による視覚信号の抑制
図3 レーザー光照射による細胞上の局所刺激
図4 臨界期開始時に変化する細胞体領域の受容体の数
図5 臨界期開始時に最適な受容体の数
図6 GAD65欠損変異型マウスの暗闇飼育による臨界期正常化
図7 本研究の結果から推測された、臨界期開始における受容体のダイナミックな変化

(問い合わせ先)

独立行政法人理化学研究所
 脳科学総合研究センター
  臨界期機構研究グループ
神経回路発達研究チーム チームリーダー
Takao K. HENSCH(ヘンシュ 貴雄)
TEL:048-467-9634 FAX:048-467-2306
  脳科学研究推進部嶋田 庸嗣
TEL:048-467-9596 FAX:048-462-4914

独立行政法人科学技術振興機構
  戦略的創造事業本部 研究推進部 研究第一課
TEL:048-226-5635 FAX:048-226-1164

(報道担当)

独立行政法人理化学研究所 広報室 報道担当
TEL:048-467-9272 FAX:048-462-4715

独立行政法人科学技術振興機構 広報・ポータル部広報室
TEL:03-5214-8404 FAX:03-5214-8432