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平成18年7月20日

東京都千代田区四番町5-3
独立行政法人科学技術振興機構(JST)
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兵庫県佐用郡佐用町光都1丁目1-1
財団法人 高輝度光科学研究センター
TEL:0791-58-2785(広報室)

X線からの超微弱な圧力を検出
(ブラックホールに関わる現象をナノでキャッチ)

 JST(理事長 沖村憲樹)と財団法人 高輝度光科学研究センター(理事長 吉良爽)は、生体高分子に標識となるナノ結晶1個をつけることにより、生体高分子1個のブラウン運動を詳細に計測できるX線1分子追跡法(Diffracted X-ray Tracking: DXT)を用いて、生体高分子のブラウン運動を通常からわずかにずらすような外力がかかっていることを検出しました。定量的解析の結果、この現象はX線がタンパク質分子に当たったときに発生する圧力(X線放射圧)である事が判明しました。X線放射圧を実際に計測したのは世界で初めてです。
 本研究グループは、SPring-8注1のX線設備を使い、1分子の動きをpm(ピコメートル=10-12メートル)精度で実時間計測できるDXT法を考案、研究を進めてきました。今まで、多くの生体高分子の実時間1分子運動計測に成功しています。DXT法で明らかになる運動の計測精度は原子の大きさよりも小さいサイズで、他の1分子計測法よりもはるかに高精度なものです。それらの計測過程で、多くの生体高分子において共通のブラウン運動からのずれがあることに気づき、X線放射圧の検出に成功しました。
 現在、放射圧現象は、可視光の領域では光ピンセットなど多く利用され始めました。しかし、今までX線領域の放射圧の議論は、ブラックホールなどの天文学の世界を除いて全くされてきませんでした。なぜならば、X線の放射圧の大きさが極めて小さく、それにX線自身の強度に上限があるために測定が困難であったためです。実験では生体高分子が、固体的な挙動を示す時は放射圧を確認できませんでしたが、柔らかい溶液条件でSPring-8の高輝度な放射光X線を利用することにより、圧力の検出に成功しました。力の大きさにして数aN(アットニュートン=10-18ニュートン)です。この様に極めて小さい力を計測できた事は、このDXT法が桁外れの高感度特性を有している証明となるものです。
 今後は、このレベルの力場を利用できることになり、例えば分子をわずかにひっぱったり、新しい構造解析手法の原理に利用したり、非常にソフトに分子を捕まえるトラッピング現象を生み出す可能性もあります。将来的には1分子や1ナノ粒子の質量計測、分子間相互作用からくる質量変化も計測できる可能性があります。
 本研究成果は、戦略的創造研究推進事業チーム型研究(CREST)「たんぱく質の構造・機能と発現メカニズム」研究領域(研究総括:大島泰郎)の研究テーマ「X線1分子計測からのin-vivo蛋白質動的構造/機能解析」の研究代表者・佐々木裕次(SPring-8/(財)高輝度光科学研究センター主幹研究員)らによって得られたもので、米国学術誌「Applied Physics Letters」オンライン版に2006年7月24日(アメリカ東部時間)に公開されます。

【研究の背景】

 イオンを細胞内に取り込んだり、分子を運んだり分解したりというような機能性生体高分子の機能がどのように発現しているかを詳細に理解するためには、その分子内部の運動を実時間で、それも1個の分子に対して極めて高い位置決定精度で計測しなければなりません。それを実現できる1つの方法にX線1分子追跡法(Diffracted X-ray Tracking: DXT)があります。DXT法は標的となる分子に非常に結晶性の良いナノ結晶(直径15nm(ナノメートル=10-9メートル))1個を反射鏡代わりに標識し、そこにSPring-8から得られる強力なX線(放射光)を照射して得られるX線回折注2斑点を解析することで、標的とする分子の動きをピコメートル精度で実時間計測するという本研究グループが考案し実現した1分子計測法です。今まで、DNA分子、可溶性タンパク質分子、機能性膜タンパク質分子など多くの1分子動的挙動計測に成功してきました。今までの測定結果から、このDXT法は分子全体のブラウン運動の計測だけではなく、1分子内部にある原子のブラウン運動も計測可能であることがわかってきました。
 ブラウン運動は1827年にイギリスの植物学者ロバート ブラウンによって水中における花粉の顕微鏡観察で発見されました。その後この現象は、当時注目されていたアインシュタインの分子運動論を証明することに利用されました。このように、本研究において注目しているブラウン運動は、花粉のような身近な微粒子から1分子に至るまで共通の極めて重要な物理現象であることがわかります。このブラウン運動を詳細に解析することは、機能性生体高分子の動的挙動を理解する上でも同様に重要です。そのような研究姿勢で多くの生体高分子に対して実験を行ったところ、多くの分子上で起こり得る極めて微小な運動現象を確認するに至りました。

【研究成果の内容】

 本研究グループでは、タンパク質1分子の動的挙動を研究対象にしています。DXT法により個々の分子内運動を詳細に計測できるということは、生体分子間の相互作用を物理的に検討する場合の重要な指標である生体1分子の相対的な一分子硬さ測定という比較実験も、可能になることを意味します。そこで、まず分子が硬くなったり、軟らかくなったりすることがすでに他の実験で確認されている生体分子系において、本X線1分子追跡法を用いて、一分子硬さ測定できるかの確認実験を進めることにしました。
 ここで用いられた:DXT法の原理図を図1に示します。本法の特徴は、1分子内の構造変化及び分子内揺らぎを実時間で、かつpm(ピコメートル、ナノメートルの1000分の1)の精度で計測できる点にあります。直径数十nm程度のナノ結晶を生体分子にその機能を損なわないように特定の部位に標識し、そのナノ結晶にX線を放射することにより出来る回折斑点を指標に、着目した生体分子の動きを時分割トレースします。DXT法において、検出しているのは1分子内の計測したい部位に標識された1つのナノ結晶の運動です。直接分子の運動を見ている訳ではありません。しかし、水溶液のような高粘性条件下では、この標識したナノ結晶と標識されている生体分子の末端部位の運動はほぼ同様の運動であることが分かっています。
 本実験で利用したのは、筋肉系の分子であるアクチン繊維注3図2)です。アクチン繊維を選んだ理由はいくつかあります。例えば、その分子自身がGアクチンという単分子体が対称性の極めて高い繊維状態の多分子体になっており、測定基板に固定する場合にその方向性を考える必要がないことが上げられます。また基板と反応性の高いシステイン基を繊維体の外側に持っているので、比較的簡単に基板に化学固定できます。
 アクチン繊維は、Caイオンを含んだ水溶液中とMgイオンを含んだ水溶液中とで硬さが異なることが知られています。また、ファロイジンという蛍光分子がアクチン繊維に標識されると、分子が硬くなることも知られていました。この蛍光分子はアクチン繊維を可視領域の光学顕微鏡で観察するためによく使われる標識分子です。ここでは主にCaイオン含有水溶液中でファロイジン分子を標識した場合としない場合の分子の硬さについて比較することにしました。
 上記実験は、大型放射光施設SPring-8 (理研 構造生物学 II ビームラインBL44B2)で行ないました。検出器は、X線イメージインテンシファイヤー(蛍光増倍管)を使用し、数ミリ秒のX線パルスを用いて、1秒間で30m秒積算の30回連続計測をおこないました。測定温度は5℃に設定してすべての実験を行ないました。最初の実験結果を図3に示します。
 ブラウン運動の評価は、平均二乗変位量(Mean-square Displacement:MSD)注4と計測時間との相関によってなされます。その相関が直線で結ばれる時は(図4)通常の単純ブラウン運動、飽和曲線になると、ある拘束力が加わったブラウン運動。そして、放物線の関係になれば、一方向からの外力がブラウン運動に加わっていることを示します。
 図3の結果を見ると、ファロイジンが標識され硬くなったアクチン繊維は、確かにファロイジンが標識されていないアクチン繊維よりも運動量が小さく、DXT法でも1繊維の硬さ評価ができることが分かりました。しかし、ファロイジンが標識されている場合は直線関係で、標識されていない場合は放物曲線になっています。これは軟らかくなったために、一方向の外力の存在が明確になって、その外力によってブラウン運動が歪んだことを示しています。
 この実験のようなナノ空間において発生する外力は、ファンデルワールス力注5や、カシミール効果注6に伴う引力、そしてX線放射圧が考えられます。これらの外力かどうかを検討するためには、計測している分子の大きさを制御すると区別できると考えました。
 そのために次の実験として、分子の長さを制御できるβ2―ミクログロブリンというタンパク質分子を用いました(図5)。この分子は水溶液の条件を変化させることで分子の大きさを制御できます。他の計測方法で各条件下での分子の大きさはすでに計測済です。実験結果を図6に示します。今度はすべてが外力の存在を示す放物曲線になりました。また、分子の大きさが大きくなるにつれて、その外力も大きくなることが分かりました。この特徴はファンデルワールス力やカシミール効果に伴う引力には現れません。従って、この外力は、X線放射圧であることが判明しました。(図8
 これら4つの放物線からその外力の大きさを換算することができます。その計算結果を表1に示します。またX線の放射圧を計算して見ますと、0.13-0.63aN(アットニュートン=10-18ニュートン)という力の大きさが算出されました。これは表1にある値とほぼ一致していることがわかりました。図7に力と現象の関係を示します。有名な原子間力顕微鏡(Atomic force Microscope:AFM)が取り扱う力がpN(ピコニュートン=10-12ニュートン)ですから、その6桁下というのは100万分の1の小ささの力場を計測したことになります。
 X線の放射圧に関する議論は、天文学において中性子星やブラックホールの説明に今では無くてはならない物理現象です注7。また放射圧現象は、ミクロのスケールにおいても可視領域の光の放射圧を用いた光ピンセットやエバネセント減衰波注8内の放射圧として、多くの研究がなされてきており、先端技術の1つとして利用され始めています。しかし、ナノの世界でX線領域の放射圧の議論は全くされませんでした。今回の現象は、非常に高感度なX線1分子計測法を用いたことにより初めて確認された現象ですから、いかに高精度な計測方法かを示すことが出来たわけです。

【今後の展開】

 測定された力の大きさは数aNです。この極めて小さい力を計測できた事は、このレベルの力場を利用できる可能性が出てきたことを示します。例えば、機能発現の活性を制御できる程度に分子をわずかにひっぱったり、タンパク質分子や高分子等の比較的軟らかい物質に対する新しい表面構造解析手法の原理に利用できたり、ソフトに分子を捕まえるトラッピング技術に使える等の可能性があります。aNレベルの力測定という意味では、1分子や1ナノ粒子の質量、分子間相互作用からくる質量変化等の1分子分析技術が水溶液中で可能となるでしょう。
 次の実験としては、X線強度との相関等により、定量的な研究を進めなければなりません。表1を見ても分かりますように、まだ得られる数値のエラー幅が比較的大きくなっています。原因を追及してこの数値もできるだけ小さくしていきたいと考えています。また、X線放射圧現象を計測法に利用する場合には、計測できる領域幅や計測時間の高速化、ナノ結晶の形状の制御等も必要な技術となるでしょう。また、同様の現象を電子顕微鏡で確認することも現在研究展開を進めています。よりコンパクトな装置構成での微小圧力の計測法は、放射光施設利用とは別の研究展開が可能になります。


【用語解説】 図1 図2 図3 図4 図5 図6 図7 図8 表1

【掲載論文名】

Y. C. Sasaki, T. Higurashi, T. Miyazaki, Y.Okumura, N. Oishi: Observations of X-ray Radiation Pressure Force on Single Gold Nanocrystals,
(1個のナノ結晶にかかるX線放射圧力の測定)
Applied Physics Letters, Volume 89, Issue 4, 24 Jul 2006

【研究領域等】

この研究テーマを実施した研究領域、研究期間は以下の通りである。

研究領域:たんぱく質の構造・機能と発現メカニズム
(研究総括:大島泰郎(共和化工株式会社 環境微生物学研究所 所長))
研究課題:X線1分子計測からのin-vivo蛋白質動的構造/機能解析
研究代表者:佐々木裕次 (SPring-8/(財)高輝度光科学研究センター 主幹研究員)
研究期間:平成13年度~平成18年度

【お問い合わせ先】

佐々木 裕次(ささき ゆうじ)
 財団法人 高輝度光科学研究センター
 〒679-5198 兵庫県佐用郡佐用町光都1-1-1
 TEL:0791-58-0833 (ext.3931) FAX:0791-58-2512

佐藤 雅裕(さとう まさひろ)
 独立行政法人 科学技術振興機構
 戦略的創造事業本部 研究推進部 研究第一課
 〒332-0012 埼玉県川口市本町4-1-8
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