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平成18年6月23日

独立行政法人理化学研究所
独立行政法人科学技術振興機構

細胞内のカルシウムチャネルに情報伝達を邪魔する"偽結合体"を発見

―IP3受容体にIP3と競合して結合するタンパク質「アービット」の機能を解明―

本研究成果のポイント
●タンパク質「アービット」がIP3受容体に結合し、活性化を抑制
●アービットはIP3を真似てIP3受容体に結合
●カルシウムチャネルの情報伝達の新たな経路が存在する可能性も
 独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)と独立行政法人科学技術振興機構(JST、沖村憲樹理事長)は、外部からの刺激信号を受けとり、細胞分裂や受精に深く関与している細胞内カルシウムチャネルの作用を邪魔するように働くユニークな制御機構の解明に成功しました。理研脳科学総合研究センター(甘利俊一センター長)発生神経生物研究チーム及びJST発展研究カルシウム振動プロジェクトの研究代表者である御子柴克彦チームリーダー(東京大学医科学研究所教授)、安東英明研究員、水谷顕洋研究員らの研究グループによる研究成果です。
 細胞の外からの刺激を受けて細胞内ではシグナル伝達分子であるイノシトール三リン酸(IP3)が産生され、細胞内カルシウム貯蔵庫の膜上にあるIP3受容体に結合して、さまざまな生理現象に関与するカルシウムイオンの放出を誘導し、細胞分裂、細胞死、受精、発生などの引き金となります。一般に、このように特異的に結合する物質「リガンド」(この場合はIP3)が、その受容体(IP3受容体)に作用して生理応答を引き起こす現象は、生命にとって必要不可欠な情報伝達の基本原理となっています。
 今回研究グループは、これまで機能がわかっていなかった「IRBIT(アービット)」というタンパク質がIP3と対立して働き、IP3受容体の活性化を抑制するという新しい機能を持っていることを発見しました。具体的にはアービットがIP3受容体上のIP3の結合する箇所に、IP3と非常に似かよった方法で結合し、IP3がIP3受容体に結合するのを妨げます。すなわちアービットはIP3を真似てIP3受容体に結合してもIP3受容体を活性化はせず、邪魔をしていたのです。本物のリガンドであるIP3がIP3受容体に結合するのを妨げる"偽リガンド"として機能していることが明らかになりました。この発見は細胞内情報伝達の巧妙な制御を知る上で大変意義のあるものです。
 本研究成果は、米国の科学雑誌『Molecular Cell』6月23日号(オンライン版6月22日)で発表されます。

1.背景

 カルシウムイオンは、細胞内の情報伝達物質として重要な機能をはたしています。通常、細胞内のカルシウムイオンの濃度は細胞外の約1万分の1と極めて低く保たれています。細胞外からの刺激によって産生されるシグナル伝達分子であるイノシトール三リン酸(IP3)は、細胞内のカルシウムイオン貯蔵庫の膜上にあるIP3受容体に結合してカルシウムイオン放出を引き起こさせ、細胞内のカルシウムイオンの濃度を上昇させます(図1)。このカルシウムイオンの濃度変化が、細胞分裂、細胞死、受精、発生などさまざまな細胞応答につながっていきます。一般に、このようにリガンド(この場合はIP3)が、その受容体(IP3受容体)に作用して生理応答を誘導する現象は、生命にとって必要不可欠な情報伝達の基本原理となっています。
 研究グループは、2002年にIP3受容体に結合している新規なタンパク質である「IRBIT」(アービット)」を発見しました。興味深いことに、アービットはリガンドであるIP3がIP3受容体に結合するとIP3受容体から解離していくことが明らかにされていました。しかし、アービットがIP3によってIP3受容体から離れるメカニズムやその意義、さらにアービットの機能は全く分かっていませんでした。

2.研究手法と成果

 今回研究グループは、アービットがIP3と対立して働く(拮抗的な作用)ことにより、IP3のIP3受容体への結合を阻害し、その結果IP3受容体の活性化を抑制する機能を発揮することを発見しました。さらにそのメカニズムを詳細に解析し、アービットがIP3受容体上のIP3の結合する場所に、IP3と非常に類似した様式で結合することを明らかにしました。すなわち、アービットはIP3を模倣してその活性を阻害する"偽リガンド"として機能していることを明らかにしました。
 これまでの研究からアービットはIP3受容体のIP3結合領域に結合するということが分かっていました。今回、精製したアービットタンパク質とIP3受容体タンパク質を用いた試験管内実験(in vitroでの実験)で、アービットがIP3によってIP3受容体から解離することを確認しました(図2A)。また、逆にアービットがIP3受容体のIP3結合を抑制することを見いだしました(図2B)。これらの結果からアービットとIP3はIP3受容体上の同じ場所に互いに競合して結合することが明らかとなりました(図2C)。さらに、アービットがIP3受容体と結合し、そのIP3結合を抑制するためにはアービットのリン酸化が必要であることも分かりました(図2B)。
 研究グループは、これまでにIP3受容体のIP3結合領域にある12個のアミノ酸がIP3との結合に必須であることを明らかにしています。これら12個のアミノ酸に変異を導入してアービットとの結合に及ぼす影響を調べたところ、12個のアミノ酸のうち10個ものアミノ酸がアービットとの結合に必須であることが分かりました(図3)。この結果は、IP3とアービットはIP3受容体の共通の領域にある共通のアミノ酸を認識して結合していることを示しています。すなわち、アービットはIP3と非常に類似した様式でIP3受容体と結合することが明らかとなりました。このことは、アービットのある一部分の構造がIP3の構造を模倣している可能性があることを示唆することとなりました。
 次に、アービットがIP3受容体の活性に及ぼす影響を調べました。IP3受容体を含むカルシウム貯蔵庫に、精製したアービットタンパク質を添加すると、IP3の働きによるカルシウム放出が顕著に抑制されました。さらにRNA干渉法により培養細胞のアービットの発現を減少させると、IP3受容体からのカルシウム放出がおこりやすくなることが分かりました(図4)。これらの結果から、アービットはIP3受容体の活性を抑制することが明らかとなりました。
 まとめると、アービットはリン酸化されることにより、IP3受容体のIP3結合領域にIP3と類似した様式で結合し、普段はIP3がIP3受容体に結合することを抑制しています。細胞外の刺激によりIP3の濃度が上昇すると、IP3はアービットを追い出してIP3受容体に結合し、カルシウムイオンの放出を誘導します(図5)。IRBITはIP3を真似てIP3受容体に結合しますが、IP3受容体を活性化せず、それどころか本物のリガンドであるIP3がIP3受容体に結合するのを妨げる"偽リガンド"であると考えられます。

3.今後の期待

 今回の研究成果により、細胞内の情報伝達の巧妙な制御方法の一端が明らかとなりました。アービットがIP3受容体に結合し、その活性化を抑制するためにはアービットをリン酸化することが必要です。そのため、アービットをリン酸化するタンパク質リン酸化酵素を明らかにすることにより、さらに精巧な情報伝達のメカニズムが明らかになることが期待されます。またアービットのノックアウトマウスを作製することにより、アービットの個体レベルでの機能が明らかになることが期待されます。
 一方、IP3によってIP3受容体から解離したアービットが、別の標的タンパク質の活性を制御する可能性が考えられます。この仮説を証明するため研究グループはアービットと結合するタンパク質を探索し、既にいくつかの候補分子を見いだしています。これまでIP3の下流にはIP3→IP3受容体→カルシウムという経路しか存在しないと考えられていましたが、この経路とは別にIP3→IP3受容体→アービットという経路が存在する可能性が考えられ、従来の定説を書き換える研究が期待されます。
 さらにアービットがどの程度、IP3の構造を模倣しているかという問題も今後の興味深い研究テーマです。アービットのリン酸化がIP3の3つのリン酸基を模倣している可能性が考えられます。これは、例えばある種の昆虫が葉や枝の形を真似る擬態という現象がタンパク質レベルでも起こりえること(分子擬態)を示唆しており、分子進化の点からも興味が持たれます。アービットとIP3受容体との複合体の結晶構造を解くことにより、アービットとIP3の構造上の類似点が明らかになることが期待されます。


図1 IP3-カルシウム情報伝達系
図2 アービット(IRBIT)とIP3はIP3受容体上の同じ領域に競合して結合する
図3 アービット(IRBIT)はIP3と共通のアミノ酸を認識してIP3受容体と結合する
図4 アービット(IRBIT)はIP3受容体の活性を抑制する
図5 アービット(IRBIT)の機能

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