平成17年10月12日

東京都千代田区四番町5−3
独立行政法人科学技術振興機構(JST)
電話(03)5214-8404(総務部広報室)
URL http://www.jst.go.jp/

北海道札幌市北区北12条西6丁目
北海道大学電子科学研究所
TEL:011-706-3195(事務室)
URL http://www.es.hokudai.ac.jp/

光量子ゲート素子をコンパクトに

−光子を用いた量子コンピュータの実現へ−

 JST(理事長:沖村憲樹)と北海道大学電子科学研究所(所長:笹木敬司)の研究チームは、光子を用いた量子コンピュータの実現に不可欠な、コンパクトで安定性に優れたゲート素子を考案、実現し、その動作検証に成功した。今回の成果を応用すると、これまで不可能視されてきた多数の光子間の量子回路の実現が完全に視野に入り、将来の量子コンピュータの実現にむけても大きな前進といえる。また、近い将来の応用としても、量子回路を組み込むことで、量子暗号の高機能化や、高精度な計測技術用光子源などが期待できる。
 本研究成果は、JST戦略的創造研究推進事業チーム型研究(CRESTタイプ)の研究テーマ「光子を用いた量子演算処理新機能の開拓(研究代表者 井元信之・大阪大学大学院基礎工学研究科教授)」、および文部科学省プログラムにおける研究において、北海道大学電子科学研究所の竹内繁樹(同大学助教授)をリーダーとし、岡本亮(同大学院生)ら、および共同研究者のホフマンホルガ(広島大学助教授)からなる研究チームによって得られたもので、米国の学術専門誌「Physical Review Letters」に受理され、近日中に掲載される。

 光子は、その量子状態の検出を高精度で行えるため、量子コンピュータへの応用が期待されているが、実現するには、一方の光子の状態で他方の光子の状態を量子的に制御する、ゲート素子が不可欠である。しかし、これまでのゲート素子は、もつれ合い光子対源や、複雑な経路干渉計を必要とした。前者はその実現が、後者は干渉計の安定化が技術的に非常に難しく、そのようなデバイスを複数用いる光量子回路の実現は大変困難であった。
 研究チームは今回、単一光子源も、複雑な経路長の安定化も、いっさい不要な量子ゲート素子を考案、それを実現し、量子ゲート素子としての動作検証に成功した。
 今回の成果を応用すると、単にこの素子を光路上にならべるだけで、例えば多数の光子に量子もつれ合いをもたせる量子回路を実現することができる。これまで不可能視されてきた多数の光子間の量子回路の実現が完全に視野に入り、将来の量子コンピュータの実現にむけても大きな前進といえる。また、近い将来の応用としても、量子回路を組み込むことで、量子暗号の高機能化や、高精度な計測技術用光子源などが期待される。


<成果の具体的な説明>


1.背景

 現在のコンピュータは、「0」または「1」の値をとるビットをその基本単位とする。それに対して、量子コンピュータは、状態「0」と状態「1」の量子力学的な重ね合わせ状態をとる量子ビットを基本単位とする、現在のコンピュータとは全くことなる原理に基づくコンピュータである。巨大な数の因数分解など、これまでのコンピュータアーキテクチャでは解くことの不可能な問題を解けることが90年代中頃証明され、それ以来その実現に向けた研究が進められている。
 なかでも、光子を「量子ビット」として用いる方式は有力なものとして考えられてきた。理由は、単一の量子の状態検出が比較的容易であること、ひとつの量子ビット(光子)に対するゲート操作は、既存の光学部品で実現できること、量子重ね合わせ状態が壊れにくいことなどである。さらに、光子は光ファイバや、望遠鏡などによる長距離伝送が可能なため、量子通信との融合性からも注目されてきた。
 しかし、2つの光子間の量子ゲート操作の実現の困難さが、大きな問題点であった。現在も高速通信への応用を目指して、光パルスを光パルスでスイッチするゲート素子(光-光スイッチ)の実現が目指されているが、非常に強い光パルスでなければスイッチに必要な光学材料の屈折率変化が生じず、完全な実現には至っていない。それに対して、光子間の量子ゲート素子とは、その光-光スイッチを、光子1個レベルで実現しようという試みであるからである。
 それに対して、一つの画期的な提案が2001年に、Knill, LaflammeおよびMilburn(KLM)という、米国およびオーストラリアの研究者によってなされた[注1]。線形光学素子(半透鏡など)、単一光子源、および光子数検出器(同時に入射した光子数を判別できる[注2])を用いた光学回路によって、2つの光子間のゲート操作が実現できるというものである。これまでの、材料の屈折率変化などを用いるのとはまったく違った考え方であり、また、光子数検出器や単一光子源も実現しつつあることから、大変注目された。

2.解決すべき課題

 しかし、その提案には問題点があった。その光学回路は、非常に複雑なだけでなく、多くの干渉計が結合されたものになっていた点である(図1)。干渉計とは、半透鏡で光を2つの経路へと分けた後、再び半透鏡で重ね合わせて出力する装置である(図2)。その際、安定な出力を得るためには、2つの経路の長さを、波長の100分の1以下、つまり、数ナノメートル(百万分の1ミリメートル、原子数個分程度)以下の正確さで一致させ続けなければならない。わずかな温度変化や振動は、簡単に経路長を変化させてしまう[注3]ため、それらに対して特殊な安定化を施し続けねばならない。それを、結合された複数の干渉計について行うのは至難の業である。
 KLMらによる提案を受けて、我々はよりシンプルな、線形光学素子のみを用いたゲート回路を2002年に提案した。この提案は、2つの出力の双方に光子が1つずつ出力された場合のみ動作するという条件付きではあるが、KLMの提案で必要であった光子数検出器や余分な光子源は不要になっている。しかし、まだ2重に結合した干渉計が用いられており、前述の安定化が問題点であった。この提案は2003年にオーストラリアのグループによる実現されたものの、複数のゲート操作を行うのはほとんど不可能であった。他の提案として、余分なもつれ合い光子対源をもちいることで、干渉計を不要とする提案がなされているが、この場合必要となる、「入射光子と同じタイミングで確実にもつれあい光子対を発生する光源」は、まだ実現の目処が立っていなかった。

3.本研究の成果

 我々は、2002に我々の提案した制御ノットゲートを、干渉計を用いない光学回路で実現する方法を独自に考案、実際に実現し、その量子ゲート素子としての動作検証に成功した(図3)
 鍵となるのは、今回新しく発案した、部分偏光ビームスプリッタ(Partially Polarizing Beam Splitter, PPBS)である。通常のビームスプリッタは、一般に偏光に依存しないように設計される。また、偏光ビームスプリッタは、水平偏光は完全に透過し、垂直偏光は完全に反射するような特性をもつ。それに対して、今回使用したPPBSは、たとえば水平偏光は完全に反射し、垂直偏光は、1/3だけ反射(2/3は透過)という特性を持つように設計した、誘電体多層膜ミラーである。このような特性をもつ2種類のPPBS3枚を組み合わせることで、単一光子源も、複雑な経路長の安定化も、いっさい用いずに、量子ゲート操作が実現できたのである。ちなみに、2種類のPPBSのうち、本質的な光子間のゲート操作は、PPBS-Aによって行われており、補助的なPPBS-Bはこの光学回路では一種の偏光依存の減光フィルターとして用いている。
 実験は、パラメトリック下方変換という方法で発生させた光子対を、このPPBSに入射して行った(写真1)。実験では、補助的なPPBS-Bを用いる代わりに、入力する光子の偏光状態を補正する方法を用いた。実験結果から、制御光子が状態「0」に相当する偏光の場合には、信号光子の状態は変化しないが、制御光子が状態「1」に相当する場合には、信号光子の状態が「0」と「1」の間で反転しており、制御ノットの動作が行われていることが分かる(図4,Z基底)。また、重ね合わせ状態の入力に対する応答をみるためのX基底とよばれる基底での実験でも、所望の動作が得られており、このゲートが量子重ね合わせ状態にもきちんと動作していることが分かる。また、今回、従来の方法にくらべて少ない入出力の組み合わせで、量子過程忠実度を導出する提案を採用して評価したところ、量子過程忠実度は、72%から85%の間であることが分かった。

4.今後の展開

 本研究によって、たった3つの部分偏光ビームスプリッタによって量子ゲート素子が実現できることが示された。干渉計が不要なため、コンパクトでかつ特殊な安定化などを必要としない。また、補助的な光子源やもつれ合い光子源などの将来技術もいっさい必要としない。複数の光子に対する量子回路も、単にこれらPPBSをレゴブロックのように並べるだけで実現できるため、これまで将来技術と考えられてきた、光子に対する量子回路の実現が完全に視野に入ったと言える。
 このような光子に対する量子回路は、将来の量子コンピュータの実現に向けたステップであると同時に、実用的な側面ももつ。このような小型量子回路を量子暗号システムに組み込むことにより、秘匿性の向上などの高機能化が期待でき、また、複数の光子間にもつれあいを簡単に生じさせられることから、そのようなもつれ合い光子群をもちいた高度な計測技術への応用なども期待される。
 また、現状では、2つの光子が同じ光路に出力され、制御ノット動作が行われなかった場合、回路によってはそれがエラーの原因となるため、実現できる量子回路に制約がある。そのため、2つの光子が同時に存在する状態を消去するフィルターの開発が今後の課題の一つである。

5.補足

 今回の成果は、我々と独立に、まったく同時に、ドイツのマックスプランク量子光学研究所(ワインファーター教授ら)、および、オーストラリアのクィーンズランド大学(ホワイト教授ら)によって提案、実験がなされたため、世界三グループから同時に投稿し、いずれも受理された。Physical Review Letters誌に同時に掲載される予定。

図1
図2
図3
図4
写真1
写真2

論文題目:

“Demonstration of an Optical Quantum Controlled-NOT Gate without Path Interference”
(経路干渉を用いない、光量子制御ノットゲートの実現)
doi :10.1103/PhysRevLett.95.210506

この研究テーマが含まれる研究領域、研究期間は以下の通りである。
研究領域:量子情報処理システムの実現を目指した新技術の創出(研究総括:山本喜久)
研究期間:平成15年度〜平成22年度

本件問い合わせ先:

研究者名 竹内 繁樹(たけうち しげき)
所属機関名 北海道大学電子科学研究所
  住所 〒060-0812 札幌市北区北12条西6丁目
  TEL:011-706-2646
  FAX:011-706-4956
  E-mail:

担当課長名 佐藤 雅裕 (さとう まさひろ)
独立行政法人科学技術振興機構 研究推進部・研究第一課
  〒332-0012 川口市本町4−1−8
  TEL:048‐226‐5635
  FAX:048‐226‐1164
  E-mail: