2005年4月20日
科学技術振興機構(JST)
日本電信電話株式会社

核スピン量子コンピュータに向けた核スピンの精密制御に成功

-新しい原理に基づく超高感度核磁気共鳴(NMR)技術を確立-


 JST(埼玉県川口市、理事長:沖村憲樹)と日本電信電話株式会社(NTT;本社:東京都千代田区、代表取締役社長:和田紀夫)は、量子コンピュータ*1に用いる量子ビット*2として期待されている核スピン*3を、半導体ナノスケールデバイスでコヒーレント*4に制御することに成功し、デバイスの構成元素であるすべての核種で可能なすべての遷移に関してコヒーレントな振動を確認しました。
 この結果、ナノスケール領域の核スピンを全電気的に半導体デバイスでコヒーレントに制御できることが確認されました。この核スピン制御デバイスは典型的な半導体ナノデバイスであるポイントコンタクト*5と高周波電磁波を印加するために集積化したアンテナゲートから構成されていますが、今回の実証により、このデバイスが核スピンを用いた量子情報処理デバイスとして有望であることが明らかとなりました。今後、この素子の多彩なコヒーレンス特性をうまく操ることで、固体素子での量子アルゴリズムの実証、さらには量子コンピュータの実現に一歩近づくことができると考えられます。
 今回の成果は、JST戦略的創造研究推進事業 発展研究(SORST)「キャリア相関を用いた量子コヒーレントシステム」(研究代表者・平山祥郎NTT物性科学基礎研究所量子電子物性研究部部長)とNTT物性科学基礎研究所との共同研究に基づき得られたもので、4月21日付の英国科学誌ネイチャーに発表されます(注1)

<実証の経緯>

 量子コンピュータは、量子力学の原理を用いて超並列演算処理を可能にするもので、従来のコンピュータを遥かに凌ぐ性能が得られる可能性があり、現在、世界中の研究機関でその素子の開発が進められています。実用的量子コンピュータには1万を超す量子ビットが必要とされていることから、半導体や超伝導体などの固体素子で量子ビットを実現することが将来の量子コンピュータに向けた有力候補と考えられています。なかでも核スピンはコヒーレント性が保たれる時間が他の量子ビットの候補に比べて長く、量子ビットの"本命"の一つとみなされていますが、ナノスケールデバイスで電気的に、しかも高感度、高精度で核スピンを制御することはこれまで実現されていませんでした。

<実験および成果の内容>

 実験に用いたナノデバイスは、GaAs量子井戸中に閉じ込められた高品質な電子系をスプリットゲートに用いてポイントコンタクト形状にしたもので、中心部分の寸法は200nm x 200nm x 20nmのナノスケールオーダーとなっています(図1)。微細加工技術を用いて素子を作製し、希釈冷凍機を用いて絶対温度約80ミリケルビンまで冷却した状態で使用します。垂直方向に磁場を加えてバックゲートからの電圧印加で電子密度を制御することにより、電子系と核スピンの相互作用が強く生じる特殊な状態を電子系に実現し、さらに、スプリットゲートに負の電圧を加えてその下の電子系をなくすことにより、特殊な状態をポイントコンタクト形状に残します。この構造に電流を流すことにより電流密度が高くなるポイントコンタクト領域の核スピンのみを偏極することができます。さらに、このポイントコンタクトの抵抗はポイントコンタクト領域の核スピンの垂直磁化にほぼ比例した抵抗値の変化を示します。従って、電流でポイントコンタクト領域の核スピンを偏極したのちアンテナゲートにちょうど核磁気共鳴(NMR)*6が生じる周波数の高周波電流を流し、高周波の電磁波をポイントコンタクト領域に あてると、この周波数に共鳴する遷移にのみにコヒーレントな振動が生じ、核スピンが作る垂直磁場が振動し、これが抵抗で検出されます。
 今回の測定ではポイントコンタクトを構成する69Ga、71Ga、75Asの核種の四つに分裂する核スピン準位(4スピン準位)を反映した明瞭なコヒーレント振動が観測されました。図275Asに関して観測された核スピンのコヒーレント振動を示しています。この結果はナノデバイスを用いた抵抗で検出する新しいタイプのNMRが4スピン準位間の様々なコヒーレント振動を明瞭に区別する高精度なNMRであることを示しています。実験では測定可能なすべての遷移(計6種類の遷移)に対応したコヒーレント振動がすべての核種で観測され、デバイス全体で18種類のコヒーレント振動が観測されました。
 今回のポイントコンタクト領域に含まれる核スピンの数は108個以下で、通常のNMR技術の感度極限1011-1013個より3~5桁少ない核スピンを検出しています。また、垂直磁化を直接測定するため従来のNMR技術では測定できない多スピン間隔の遷移が明確に測定できるようになりました。これらの結果は、今回の成果が高感度・高精度NMRとして新しいものであることを示しています。また、半導体ナノデバイスで核スピンをコヒーレントに制御することに成功したことで、核スピンの多スピン準位を自由に制御できる固体量子コンピュータに向けた新しいシステムが可能になることが期待されます。

<今後の展開>

 今後、異なる核スピン間の相互作用、コヒーレント時間の伸張などの研究を進め半導体ナノデバイスにおけるコヒーレント制御を画期的な量子情報デバイスに結び付けていきます。


注1 G. Yusa, K. Muraki, K. Takashina, K. Hashimoto, and Y. Hirayama, "Controlled multiple quantum coherences of nuclear spins in a nanometer-scale device" ナノメートルスケールデバイスにおける核スピンの多量子コヒーレント制御(NTT Basic Research Laboratories and SORST-JST)Nature 434, 1001-1005 (21 April 2005).

(ネイチャー誌からの要請により、報道解禁日時は日本時間21日午前2時とさせて頂きます。)


Press release by Nature

Techniques: NMR nanodevice (pp 1001-1005; N&V)
A tiny new nuclear magnetic resonance (NMR) device is presented in this week's Nature. To make the nanodevice, Go Yusa and colleagues fabricated a semiconductor structure that is electrically controllable. As such, the new device is self-contained, eliminating the need for the large electromagnetic pick-up coils used in conventional NMR techniques. Standard NMR spectroscopy - used extensively across the biological and physical sciences for structural imaging and fundamental studies - tracks a quantum mechanical property of nuclei called spin. The new system makes it possible to detect the spins directly with high sensitivity. Moreover, it enables access to quantum mechanical states normally 'invisible' to standard NMR, formed from superpositions of multiple spin levels. The ability to detect such states makes the nanodevice potentially suitable for applications in quantum information processing. In the nearer term, it may facilitate studies of confined, interacting electrons, and possibly also protein spectroscopy.

邦訳(by NTT)
技術: NMRナノデバイス (pp 1001-1005; N&V)
 今週号のNatureでは小さな新しい核磁気共鳴(NMR)デバイスが紹介されている。このナノデバイスを作るためにGo Yusaとその共同研究者は電気的に制御できる半導体構造を作った。つまり、この新しいデバイスは集積化されていて、通常のNMR 技術で使われているような電磁波検出用の大きなコイルは必要としない。
 一般的なNMR分析法は、構造のイメージ化や基礎研究のために、バイオから物理の分野まで、広範囲に渡って使われているが、これはスピンと呼ばれる原子核の量子力学的性質を検出することに基づいている。今回の新しいシステムでは、このスピンを直接、しかも高感度に検出できる。さらに、普通のNMRでは通常「観測できない」多スピン準位間の重ね合わせ状態によって作られる量子力学的状態をも検出し、制御することが可能となった。
 そのような量子力学的状態を検出することができるので、このナノデバイスは量子情報処理への応用の可能性を秘めている。短期的には閉じこめられて相互作用する電子系の研究を加速するだろうし、タンパク質の分析にも応用出来るかもしれない。

■用語説明
■図1 ナノスケール領域での核スピンのコヒーレント制御に用いた半導体ポイントコンタクトデバイスの概略図
■図2 75AsのNMR周波数近傍で観測された4スピン準位間の様々な遷移に基づくコヒーレント振動
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<本件に関する問い合わせ先>

 NTT先端技術総合研究所
 企画部 情報戦略担当
 為近、甕(もたい)
 Tel: 046-240-5152
 E-mail:

 科学技術振興機構(JST)
 研究推進部 研究第三課
 相馬 融
 Tel:048-226-5636
 E-mail:

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