筋収縮を調節する分子メカニズムの一端を解明
1.背景 ― カルシウム調節の中心タンパク質トロポニン
 トロポニンは「筋収縮のカルシウム調節」の中心を担うタンパク質です。「筋収縮のカルシウム調節」もトロポニンも、当時東京大学医学部にあった江橋節郎(東京大学名誉教授)らのグループによって1960年代に発見されました。「筋収縮のカルシウム調節」とは、筋収縮の調節は細胞内カルシウムイオン濃度の変化により制御されるとするものです。私たちが運動するのに使う骨格筋や心臓の筋肉(心筋)の収縮は、そのモーターに相当するミオシン、アクチンというタンパク質と、その燃料にあたるATP(アデノシン3リン酸)により行われますが、それだけでは収縮は起きず(モーターは駆動せず)力を発生しません。江橋らは、収縮の開始には筋細胞中でのカルシウムイオンの濃度の一時的上昇が引き金となっていること、そして筋肉の収縮装置にはカルシウムイオンで駆動するスイッチが存在すること、を発見しました。そのスイッチの中心にトロポニンがあります。
 この江橋らによる「筋収縮のカルシウム調節」の発見は、筋肉研究の枠を越えて大変重要な発見でした。というのは、これはカルシウムイオンが細胞中で重要な働きを担っていることを世界で最初に示したからです。今日では、すべての細胞で、多くの働きの調節にカルシウムイオンが重要な役割を果たしていることがわかっています。それゆえ、世界中の研究者が江橋らの研究はノーベル賞に値すると考えています。「筋収縮のカルシウム調節」もトロポニンも、我が国の生命科学研究の歴史の中で特別の意義を持っているのです。
 さて、「筋収縮のカルシウム調節」は図1に示すように働きます。細胞中にはカルシウムくみ上げポンプを備えたカルシウム貯蔵場所(筋小胞体)があり、この働きで「平常時」の細胞内のカルシウムイオン濃度は低く(10―7モル程度以下に)抑えられています。神経から「命令」が来ると、そのカルシウム貯蔵場所から細胞内へカルシウムイオンを放出する仕組みが働き、細胞内のカルシウム濃度が一時的に上昇します。そしてそのカルシウムイオンがスイッチを駆動し、モーターの働きを開始させます(図1)。

図1.筋細胞内部のカルシウムイオンの動き

 そのスイッチは筋タンパク質から形成される「細い繊維」に組み込まれています。すでに説明したように筋細胞にはミオシンとアクチンという2種類のタンパク質から成るモーターがあります。ミオシンは「太い繊維」を、アクチンは「細い繊維」をそれぞれ形成して、これらが規則的な構造をとり、互いに滑り合うことで収縮し力を発生します(図2、中段)。カルシウムで駆動されるスイッチはこの「細い繊維」に組み込まれていて、スイッチ本体はトロポニンおよびトロポミオシンという2種類のタンパク質分子です(図2、下段)。トロポニンは細胞内に放出されたカルシウムイオンを結合し、トロポミオシンはその信号を「細い繊維」全体に伝える働きをします。
 もう少し詳しく言うと、トロポニン(Tn)はTnT、TnIおよびTnCの3つのポリペプチド鎖※1(サブユニット)からなる(構成比1:1:1)分子です。江橋らは「筋収縮のカルシウム調節」の発見と同時に、トロポニンを発見し「細い繊維」上での分子配置(図2,下段)を確定しました。しかし、このスイッチがカルシウムイオンの結合によってどのように働くか、そのメカニズムについてはこれまで不明でした。それはスイッチの要となるタンパク質トロポニンの立体構造がわからなかったからです。本研究ではトロポニン分子の詳細な立体構造を解明しました。これは江橋らによるトロポニンの発見以来40年近く待たれていた成果であります。
 トロポニンの立体構造解明の意義はそのような歴史的意義にとどまりません。トロポニンを中心とした「筋収縮のカルシウム調節」の研究は、細胞内の調節一般の研究のなかでも大変進んでおり、このメカニズムを詳しく知ることができれば、地球上の生物が調節メカニズムをどのように創ってきたかを知ることが可能です。トロポニン系の研究が進んでいる理由は、下記(図2下段)の分子配置からわかるように、「細い繊維」はモーター(アクチン)の一部でありながらスイッチを組み込んでいる、つまりスイッチとモーターが接近しているために、両者の相互作用を知るには適した材料であるからです。また、筋細胞には「細い繊維」がぎっしりと配向しており、「細い繊維」上にはトロポニンがぎっしりと等間隔に並んでいる、そのことも研究を進めるうえで有利です。

図2 筋肉の模式図
 筋細胞は多数の筋原繊維から形成されています。筋原繊維はミオシンから成る「太い繊維」とアクチンとおよび調節タンパク質(トロポニンおよびトロポミオシン)で構成される「細い繊維」が規則的に並んだ構造を取り、これら2種類の繊維が互いに滑りあうことで張力を発生します。

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This page updated on July 3, 2003

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