(お知らせ)
平成14年9月11日
埼玉県川口市本町4-1-8
科学技術振興事業団
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国際共同研究事業における成果について
「全シリコン量子コンピュータでの最長のデコヒーレンス時間を達成」

 科学技術振興事業団(理事長 沖村憲樹)の国際共同研究事業において、大規模な量子コンピュータを実現するために、シリコン単結晶の構成原子であるSi同位体の原子核スピンを用いて、これまでで最長のデコヒーレンス時間(0.4秒)、最大の位相の揃った振動回数(3000万回)を室温で達成することに成功した。この成果は、9月12日午前8時30分(米国東部時間)、米国ボストンで開催される DARPA QuIST PI Meeting (Quantum Information Science and Technology, Principal Investigation Meeting)で発表される。

本研究は、科学技術振興事業団の量子もつれプロジェクト(代表研究者はスタンフォード大学教授/NTT R&Dフェロー、山本喜久氏、及びフランス国立科学研究センターエコール・ノルマル・シュペリオール物理学科長・教授、アロシュ氏)において行われたものである。

超高速・超大容量の夢の計算機として期待されている量子コンピュータの研究に関しては、日米欧を中心に激しい開発競争が展開されている。特に、計算機のハードウェアを構成する中核デバイスである量子レジスタ1)としては、液体分子の原子核スピン2)を用いる方法、真空中に捕獲されたイオン、原子を用いる方法、半導体中の電子スピンを用いる方法、超伝導素子の電荷、もしくは磁束状態を用いる方法、フォトンの偏向状態を用いる方法など、様々な最先端科学技術分野で研究が進展している。大規模な量子コンピュータを実現するためには、液体分子や真空中の原子よりも、固体素子を用いる方が有利と考えられている。その中でも、どの量子レジスタが本命となるかを決定する最も重要な要素は、デコヒーレンス時間である。量子レジスタはある決められた周波数で振動をしている一種の振り子である。振り子の振動がどの位長い時間、外部からのじょう乱を受けずに決まった位相で振動し続けるかが、デコヒーレンス時間と呼ばれ、量子コンピュータ実現の鍵を握っている。これまでの固体素子での最長のデコヒーレンス時間は50mK(室温の1万分の1)という極低温で動作する超伝導素子の電荷状態で実現されていて、500ナノ秒(1000万分の5秒)であった。この振動子は、位相が乱されるまでに約1万回の振動を行うことができたが、量子コンピュータへ応用するためには各量子レジスタは100万回から1000万回の振動を確保することが必要とされている。

科学技術振興事業団の国際共同研究量子もつれプロジェクト(代表研究者:山本喜久、スタンフォード大学教授/NTT R&Dフェロー)は、伊藤公平慶応義塾大学助教授のグループの協力を得て、シリコン単結晶の構成原子である29Si同位体3)の原子核スピンを用いて、これまでで最長のデコヒーレンス時間(0.4秒)、最大の位相の揃った振動回数(3000万回)を室温で達成することに成功した。

山本教授らのグループは、現在のコンピュータのハードウェアを構成しているシリコン単結晶中に29Si同位体の原子核スピンを規則的に並べる同位体工学という手法を用いて量子レジスタを構成する方法を提案し(図1)、その優れた性能を理論的に予測した。その内容は、米国の科学誌Physical Review Letters の本年7月号に掲載された。その後、29Si原子核スピンのデコヒーレンス時間の測定を行い、300K という室温でT2=1ミリ秒(1000分の1秒)という実測値を得た。このデコヒーレンス時間は、マグネット装置が作り出す磁場の不均一さや29Si原子核スピン間の不必要な結合などで決まった値であり、理論限界ではない。今回、スピンエコーとデカップリングという二つの機能を組み合わせた特殊なマイクロ波パルスを開発してシリコン単結晶に照射したところ、T2=0.4秒という、量子レジスタとしてはこれまでで最長のデコヒーレンス時間を得ることができた(図2)。また、上向きの原子核スピンが下向きに(下向きスピンが上向きに)変わるスピン緩和時間T1については、やはり室温で約5時間という極めて長い緩和時間を得た。

図1 シリコン単結晶の表面に形成された
一次元のシリコン原子鎖のSTM像
図2 29Si原子核スピンの位相の減衰
減衰(縦緩和時間T⊥=20秒)の測定結果)

山本教授らのグループでは、今回達成されたスピン緩和時間(5時間)、デコヒーレンス時間(0.4秒)という値により、全シリコン量子コンピュータの秀でた将来性が証明されたとして、今後、量子レジスタの初期化、論理回路の構成、計算結果の読み出しなど個別技術の開発に積極的に取り組んでいく予定である。尚、この成果は、9月12日マサチューセッツ州ボストンで開催される米国政府主催の量子情報科学技術会議で発表される予定である。


用語の説明

1)量子レジスタ
現在のデジタルコンピュータでは、シリコンのCMOSゲートと呼ばれる素子の端子電圧が0(V)か1(V)かによって論理値“0”と“1”を記録している。これを古典レジスタという。一方、量子コンピュータでは、論理値“0”と“1”を同時に表わす重ね合わせ状態(量子情報=qubitと呼ばれる)を記録できる量子レジスタが使われる。量子コンピュータでは、この量子レジスタの重ね合わせ状態を用いることによって超並列の計算が実行でき、高速化が可能となる。

2)原子核スピン
原子は、原子核と電子から構成されていて原子の大きさ(約1オングストローム=1億分の1センチメートル)は、外側を回る電子の軌道で決まっている。原子核は原子の中心に位置し、その大きさは電子軌道の10万分の1(約10兆分の1センチメートル)である。しかし、その質量は電子の1000倍以上もある。原子核にはその正の電荷の回転に伴いスピンが存在するが、重い質量と極微のサイズ、回りを電子によって何重にも保護されているため、原子核スピンは非常に安定な量子系である。

3)29Si同位体
自然界に存在するシリコンには、質量の異なる三つの同位体があり、その存在比は、28Si(92%)、29Si(5%)、30Si(3%)である。このうち28Siと30Siには原子核スピンがなく、29Siのみが原子核スピンを持つ。通常のシリコン単結晶中の各アイソトープの混合比もこれと同じである。しかし、同位体分離技術と結晶成長技術を組み合わせて、原子核スピンを持つ29Siのみで単結晶を作ることができる。この技術を応用して29Si原子核スピンを一次元の鎖や二次元の面として28Si結晶内に埋め込むことが可能である。


本件の問い合わせ先:
科学技術振興事業団 国際共同研究事業「量子もつれプロジェクト」
代表研究者:山本喜久
TEL:1-617-492-1234(Extension 7606) Hyatt Regency Cambridge(Boston)
FAX:1-617-441-1234
研究者:山口 文子

科学技術振興事業団 国際室
調査役 佐藤雅之
TEL:048-226-5630  FAX:048-226-5751


This page updated on September 11, 2002

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