補足説明


論文の背景および論文の詳細な内容を以下に述べる。

 本論文は2つの研究の流れの交差する所において生まれた。一つは、”フォトクロミズム材料に関する研究”であり、もう一つは、光エネルギーを直接機械エネルギーに変える”フォトメカニカル材料に関する研究”である。この2つの研究の流れについてまず説明する。

○ フォトクロミズム材料に関する研究
 光により物質の色が変化するフォトクロミズムという現象は非常に古くから知られ、それに関する研究の歴史も古い。種々のこの現象を示す物質が、偶然にあるいは意図して合成され、研究されてきた。最初の画期的フォトクロミック化合物は、1952年、イスラエルのワイズマン研究所で開発されたスピロベンゾピランという化合物で、太陽光を受けると青く着色し、光を遮るとその青色は自然に消える性質をもっている。この化合物については、長い間、多くの研究者により研究開発が行われ、今ではその誘導体がサングラスに実用化されている。1980年代に入り、新材料を求める気運と共にフォトクロミズム研究は再び活発になり、多くの新材料開発がすすめられた。ここで求められたのは、光メモリへの応用が可能な自然に消えないフォトクロミック材料である。それに答えてイギリスで開発されたのがフリルフルギドという化合物である。フリルフルギドは、溶液中あるいはプラスチック中において紫外光照射により赤く着色し、その赤色は暗黒中において置く限り消えることはない。この化合物が開発されたことにより、フォトクロミック材料を光メモリへ応用しようとする期待がふくらんだが、フルギドは光劣化しやすいと言う致命的欠陥をもち、実用材料とはなりえないことが判明し、研究は下火となった。丁度その頃(1980年代後半)に、我々は、自然に消えることなく、また光劣化しない新しいフォトクロミック材料を開発した。一般構造式を下に、またその代表例をスキームに示す。


 この化合物は、紫外光を受けると分子構造が左の構造から、右の構造に変化して、着色する。元の左の構造の化合物は、色は付いていない。右の構造の化合物の色は、構造に依存して変化し、黄色、赤色、青色、緑色にと様々に変化する(スキーム)。この色は、暗所に保存する限り消えることはない。100度においても安定で、室温なら1900年置いても消えることはない。しかし、可視域の光を受けると直ちに、元の無色の状態にもどる。光着色/退色の速度は速く、1ピコ秒(一兆分の1秒)程度で変化する。光着色/退色の繰り返し耐久性にも優れ、1万回程度では光劣化することはない。
 これまでのフォトクロミズム研究は、大部分溶液中において行われてきたが、実際光メモリなどへ応用するには、固体状態においてこの光着色/退色反応のすすむことが要求される。普通には、柔らかいプラスチック中にこれらの化合物を分散させ用いることになる。しかし、プラスチック分散系は、溶かせる量が限られる、プラスチックとの副反応が起こりやすいなどの欠点がある。最も望ましいのは、化合物そのものの結晶を用いることである。しかし、結晶は密で堅いため、構造変化を伴うような光反応は進みにくい。実際、安定に結晶状態においてフォトクロミック反応する化合物はこれまで知られていなかった。我々は、上に示した化合物が、特異的に、堅い単結晶状態においても効率よく(ほぼ100%の効率で)光着色/退色反応することを見出した。付図1にその光着色の様子を示す。光着色/退色は、分子が光を受けることによりその構造を変化させることによる。結晶においても光着色/退色がすすむと言うことは、光着色による構造変化がわずかであり、収縮する方向の構造変化であるためと考えられる。構造変化に伴い結晶構造がこわれないことはX線構造解析により、確認されている。堅い結晶構造を維持しながら、結晶中において分子が光により収縮/伸長して、着色/退色していることになる。それなら、結晶そのものも光収縮/伸長すると予測される。これが、本研究である。

○ フォトメカニカル材料に関する研究
 光エネルギーを直接機械エネルギーに変換する、言い換えると光によりゴム状物質の長さを可逆に変えようと言う試みは、すでに1960年代に行われている。光エネルギーを一旦電気エネルギーに変え、それからモーターを動かすのでなく、直接光エネルギーをフォトメカニカルベルトにより回転運動に変換できれば効率のエネルギー変換になる、と言う考えからこの研究は行われた。材料としては、光により構造変化(変形)する有機分子(たとえばアゾベンゼン)を含むゴムあるいはゲルが合成され、広範囲にわたり研究がすすめられた。しかし、光反応による分子の変形が直接にゴム材料の変形を引き起こすことはないと結論づけられた。これは当然で、柔らかい材料において、それらを構成する分子が少し位変形しても、材料全体の形状が変形するとは考えられないからである。見出された光変形は、いずれも熱によるものか、それ以外の極性あるいは会合性の変化によるものと結論づけられた。我々も、1980年代に、光極性変化により水の中で光変形するゲルを報告している。
 しかし、”分子の光変形を直接材料の変形に反映させる”と言うアイデアは、化学者にとって大変魅力的である。化学者はいつも分子模型を用いて考えることから、分子変形が材料変形につながらないはずはないと思っている。本研究により、堅い結晶を用いて”分子の光変形により直接材料を変形させる”ことにはじめて成功したことになる。光により材料を変形させることは、光エネルギーの機械エネルギーへの直接変換と言うよりも、現在では、ナノテクノロジーの分野においてミクロなものを動かす方法として有用と考えられる。当てる光の波長を変えることにより、長さがナノメートル精度で制御できれば、光によりナノメートル精度で位置決めができる光駆動装置(光アクチュエーター)への応用の可能性をもつ。以下に、論文の概要を述べる。

○ 論文概要
 下記のジアリールエテンは、単結晶状態においても光着色/退色反応する。付図1において、右上の青色に光着色した結晶がそれである。

 この光着色に伴う結晶表面構造変化を、分子分解能をもつ原子間力顕微鏡により観察した。その結果の一例を付図2に示す。光を照射する以前(付図2a)は、分子レベルで平らである。しかし、そこへ、ジアリールエテン分子が左の構造から右の構造へ変化する、すなわち結晶が青く着色する紫外光を10秒照射したあと測定すると(付図2b)、ステップが現れた。このステップの高さは、1ナノメートル(一千万分の一センチメートル)であった。紫外光を照射する時間を長くすると、ステップの深さが深くなる(2ナノメートル更には3ナノメートルになる)ことが観察された(付図3)。光を受けたところが、収縮していることになる。これらのステップは、青色が消え分子の構造が元にもどる可視域の光を当てると、消滅した(付図2c)。紫外光と可視光の照射により、可逆に、ナノメートルレベルで結晶が収縮、伸長したことになる。ここで用いた分子の構造(上の左および右の分子構造)を、X線構造解析により決定した。その解析結果によると、分子は、左から右に構造変化すると、その分子の長さが0.2オングストローム(2/100ナノメートル)短くなることが確認された。また、一分子層の厚みは、分子が結晶中で斜め方向に配置していることを考慮すると、ほぼ1ナノメートルになることも明らかとなった。これらの分子構造変化と、結晶の収縮/伸長とは次のように関係づけられる。
 紫外光照射により、一分子あたり0.2オングストローム(2/100ナノメートル)短くなることから、深さ方向に分子が50層光反応すると、長さは1ナノメートル短くなる。これは丁度1分子層分に対応し、そのとき、分子は一層分だけ収縮することになる。100層、150層分の分子が反応すれば、結晶は2分子層、3分子層分収縮することになる。分子が、可視光を受けて元の左の構造にもどると、分子長は再び長くなり、結晶も元の長さにまで伸長することになる。分子での構造変化が、直接結晶材料の長さ変化として観察されたことになる。
 論文では、上とは異なる結晶面での光変形挙動についても議論しているが、ここでは煩雑になるのでこれ以上述べないことにする。以上要するに、本研究で開発したフォトクロミック分子結晶は、”分子の光変形が直接材料の変形に反映した”はじめての材料であるとともに、ナノメートルスケールの長さの変化を、当てる光の波長を変えることにより制御できることから、光によりナノメートル精度で位置決めができる光駆動装置(光アクチュエーター)への応用の可能性をもつ材料である。

This page updated on March 2, 2001

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