補足説明


(研究の背景)

 一個の細胞である受精卵から多細胞生物が発生する時、細胞が単に増殖するだけでなく、それぞれの細胞は多様な運命をたどってゆく。莫大な数の神経細胞が少数の幹細胞から生じる神経発生もその例外ではなく、異なる二つの細胞を生じる非対称分裂は、個体発生でも、神経細胞の運命決定においても、細胞の多様化に本質的な役割を果たしている。神経系の発生では、まず、少数の神経幹細胞が細胞分裂を繰り返すことで神経前駆細胞が次々に生じ、さらにそこから神経細胞が生み出されるが、それぞれの細胞分裂の非対称性が、多様な神経細胞を生じる大きな原因である(図1参照)。非対称分裂によって一つの細胞が異なる二つの娘細胞を生じることの単純な説明は、細胞の運命を左右する因子が一方の娘細胞に非対称に分配されるというものである。実際、神経幹細胞が自分自身と神経前駆細胞に分裂する際、神経細胞の運命を左右する因子である転写調節因子prosperoと細胞間シグナル制御因子numbが、幹細胞から神経前駆細胞へ非対称に分配される現象が松崎教授のグループらによって数年前に発見た(図2参照)。それ以来、ショウジョウバエの神経幹細胞は、非対称分裂のモデルシステムとして精力的に研究されてきた。その一連の研究から、

(1) 神経細胞の運命決定因子の非対称分配という現象が神経の運命決定に必須であること
(2) 従って、神経細胞の運命の決定は、神経幹細胞の非対称な分裂に密接に関係すること
(3) 運命決定因子が一方の娘細胞に分配されるのは、それらが分裂中の神経幹細胞のなかで不均等に分布するためであること

が明らかにされてきた。しかし、分裂途上の神経幹細胞のなかで、神経の運命決定因子がなぜ片寄った分布を示すのかは謎であった。

(具体的な実験結果・考察)

 大城らは、神経幹細胞のなかで、運命決定因子prospero(実際には、それを結合するアダプター分子であるmiranda)を不均等に分布させる因子を系統的に同定するために、突然変異のスクリーニングを行ってきた。その結果、そのメカニズムに働く2種類の因子が見つかり、どちらも脳に腫瘍を形成する原因遺伝子として知られていたものであることが判明した。二つの遺伝子の産物は、細胞内で物質を運搬するモータータンパク質の一種であるミオシンの働きを調節することによって、知られているすべての神経運命決定因子の分布を幹細胞内で制御するらしい。

(今回の成果のポイント)

 細胞分裂による増殖のコントロールなどに異常をきたすと、細胞が「がん化」して、未分化な細胞としてどんどん増殖する。動物は、通常、同じ染色体を1対持つため(性染色体を除いて)、全ての遺伝子を1対ずつ持っている。がん遺伝子には、一対の遺伝子の一つに変異が生じただけで細胞をがん化させるものと、両方に変異が生じて初めてがんを生じる遺伝子の2種類があり、後者を「がん抑制遺伝子」と呼ぶ。つまり、正常では、がん抑制遺伝子の産物はがん化を抑制しているが、一対の遺伝子のどちらも正常に機能しなくなると、その抑制が効かなくなり、がんが発生すると考えられる。今回、神経幹細胞の非対称分裂に機能していることが判明した二つの因子は、ショウジョウバエのがん抑制遺伝子として知られていたものであり、神経幹細胞の非対称分裂に働くメカニズムと、「がん化」を抑える仕組みとの間に、何らかの関係があることを今回の研究は示している。

(今後の展開)

 神経の運命決定因子の非対称な分配に働く因子に変異が生じると、なぜ神経組織にがんが生じるのかは不明であり、これからの課題であるが、この研究が契機となって、「細胞の非対称分裂」と「がん化」の関係について研究が進展するものと期待される。


This page updated on November 30, 2000

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