補足解説


 神経細胞は細胞分裂をしない分化した細胞である。神経細胞のように分化した細胞で細胞増殖を促すような因子が活性化されると細胞死が引き起こされるのではないかと以前から考えられてきた。細胞分裂はサイクリン依存性キナーゼ(CDK)と呼ばれる一群のリン酸化酵素によって促進されている。しかし、サイクリン依存性キナーゼ5(CDK5)だけは細胞分裂をしない神経細胞で活性がみられるユニークなCDKである。ノックアウトマウスの解析から、CDK5は脳の発達期には、脳内における神経細胞の位置の決定に関与していることが数年前明らかとなり、関心を集めていた。しかし、増殖促進因子と似たCDK5を発現しているのに、何故神経細胞は死なないのか不思議であった。
 昨年12月にアルツハイマー病の発症にp25という新しいタンパク質が関係しているという報告がアメリカ・ハーバード大のグループによって報告された(ネーチャー、12月9日号;読売新聞12月13日夕刊)。p25というのは、CDK5の活性化サブユニットである。正常な脳内ではp35として存在している。アルツハイマー病脳ではp35がp25に変化しており、p25を神経細胞に導入すると、細胞内のタウがリン酸化され、細胞は死ぬという報告である。p25の生成を抑えることができればアルツハイマー病も抑えられるのではないかという可能性が示唆された。
 都立大の我々(東工大の岸本健雄教授、三菱生命研の石黒幸一博士との共同研究)は、p35のp25への切断がカルパインというタンパク分解酵素によって行われ、それが神経細胞死によって引き起こされることを見つけ、ジャーナルオブバイオロジカルケミストリー(JBC)6月2日号に発表した。最近、ハーバード大のグループもp25の生成にカルパインが関与しているという論文を発表している(ネーチャー5月18日号)。
 ウシやブタの脳からCDK5を精製すると、CDK5の活性化サブユニットは本来の分子であるp35ではなくて、切断されたp25になってしまう。その理由をラット脳を用いて調べたところ、p35からp25への分解がカルシウムによって促進されることが判った。カルシウムによって活性化されるタンパク分解酵素カルパインの関与を疑い、カルパインの阻害剤を加えたところ、切断が阻害された。また、精製カルパインにより、p35のp25への分解が見られた。この反応は試験管内でも、神経細胞内でも確認された。p35のp25への分解により、細胞内で固定されていたCDK5が遊離され、細胞内を自由に移動できるようになっていた。p25の生成は神経細胞死が誘導されたときに観察されることから、自由に移動できるようになったCDK5・p25複合体は神経細胞の生存にとって好ましくないタンパク質(タウタンパク質を含む)をリン酸化して細胞死を加速するのではないかと考えている(図1)。
 カルパインはカルシウムによって活性化されるタンパク質分解酵素として以前から知られていた酵素である。その生化学的性質についてはよく調べられていたが、機能については殆ど判っていなかった。今回、神経細胞死、特にアルツハイマー病との関連が示唆された訳である。まだ、どのような細胞死のシグナル(アルツハイマーの発症原因)によってカルパインが活性化されるか、カルパインによって分解されるのはp35だけなのか、p25による細胞死にはタウのリン酸化が必要なのかなど解決しなければならない問題は多く残されているが、その分解活性を抑えることによりアルツハイマー病の発症や進行が抑えられる可能性を今回の発見は示唆しているものである。

(注)丸で囲んだカルパインという蛋白分解酵素がp35を切断してp25を生成していることを見つけた。ベータアミロイドはカルパイン活性化の細胞死のシグナルの一つと考えられている(点線)。四角で囲んだカルパインの阻害剤またはCDK5・p25の阻害剤はアルツハイマー病発症や進行を抑える可能性が考えられる。


This page updated on June 1, 2000

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