研究課題別研究評価

研究課題名:蛋白質と水の界面構造を観る

研究者名: 中迫 雅由


研究のねらい:
 生物の生理現象の元となる様々な化学素反応を担う蛋白質は、水環境下で立体構造形成され、その機能を発現している。精緻な分子機械ともいえる蛋白質の動作原理や複雑な立体構造の構築原理を解き明かすために、これまでに10,000個にも及ぶ蛋白質の立体構造が、X線結晶構造解析によって明らかにされてきた。しかし、それら蛋白質の立体構造形成や生理反応の場を提供している水が、蛋白質のダイナミクスにいったいどのような影響を及ぼしているのかといった点については十分明らかにされていない。その第一の原因は、蛋白質立体構造解析の王道として用いられてきた常温下での結晶構造解析法では、動きやすい水分子の位置同定が困難であったからである。本研究では、
(1) 上記欠点を克服することが可能な極低温下での結晶構造解析技術の展開。
(2) 同技術による生理的、蛋白質物性的に興味ある蛋白質の低温結晶構造解析。
(3) 蛋白質分子を取り巻く水分子と蛋白質の相互作用形態の解明。
(4) 水和水の蛋白質の振動ダイナミクスへの影響の探求
を目指した。
研究結果及び自己評価:
◆研究結果
(1) 極低温下での結晶構造解析技術の展開。
 蛋白質結晶の急速冷却では、従来の低温窒素ガス冷却に加えて、液体エタン冷却装置を作成し、様々な蛋白質結晶の冷却を行えるようになった。また、冷却結晶の液体窒素中での長期保存、保存結晶の再X線露光や再回収などの手順を確立することができた。これにより、室温下放置で劣化する蛋白質結晶の回折強度測定が容易に行えるようになった。
(2) 生理的、蛋白質物性的に興味ある蛋白質の低温結晶構造解析。
 極低温下での結晶構造解析技術を駆使することにより、イネいもち病菌のシタロン脱水酵素(分子量6万/分解能2.0オングストローム)、細菌アスペルギラスのブラストサイジンSデアミナーゼ(分子量6万/分解能2.0オングストローム)、細菌ロドコッカスの二トリルヒドラターゼ(分子量9万5千/分解能1.6オングストローム)、超高度好熱細菌のグルタミン酸脱水素酵素(分子量28万/分解能2.2オングストローム)、ウサギ筋小胞体のカルシウムATPase(カルシウムポンプ)(分子量11万/分解能2.6オングストローム)、マウス抗体Fvフラグメント(分子量2万6千/分解能1.4オングストローム)、細菌メチルトローフの電子伝達蛋白質アズリン(分子量1万6千/分解能0.8オングストローム)で行った。
 これらの中でもP型イオンポンプの代表であるカルシウムATPase立体構造解析は、大型陽イオン輸送蛋白質の立体構造解析の最初の例である。グルタミン酸脱水素酵素の解析では、同酵素が基質を捕捉するために行う運動を6つのスナップショットとして捉えることができた。また、ニトリルヒドラターゼでは、これまでの錯体化学の常識を越えた、光と一酸化窒素分子によってオンオフされる鉄含有活性中心の立体構造を解き明かすことに成功した。これら低温結晶構造解析によって得られた立体構造情報は、関連分野の大きな知的所産になると考えられる。
(3) 蛋白質分子を取り巻く水分子と蛋白質の相互作用形態の解明。
 ニトリルヒドラターゼ、グルタミン酸脱水素酵素、シタロン脱水素酵素、トリプシン、抗体Fvフラグメント、ヒトリゾチーム、電子伝達蛋白質アズリン等2.2オングストローム以上の分解能で低温構造解析された蛋白質では、蛋白質周辺に非常に沢山の水和水を検出することができた。膨大な水分子の位置による分類やネットワーク等に関する水和構造解析を詳細かつ迅速に実施できるよう、プログラムシステムFESTKOPを開発し、上記結果の解析を行った。すべての蛋白質の水和構造に特徴的なことは、水和水と蛋白質表面の極性原子団が水素結合を介してクラスターを形成し、それらクラスターは更に巨大なネットワーク構造を作っていた。これらの解析を通じて、結晶中でも溶液中でも、蛋白質分子を一層覆う水分子が、バルク水とは異なる物性を有して、常に蛋白質表面に存在することを示すことができた。
 ニトリルヒドラターゼの水和構造解析では、その活性中心を形成するために水分子が不可欠であること、抗体Fvフラグメントの解析では、溶液のpH変化によってもたらされる構造変化について核磁気共鳴測定と連携した蛋白質の動的構造研究のための新たな方法論が確立できた。更に、ヒトリゾチームに関しては、ネットワーク構造のダイナミクスを検討するために1ナノ秒に至る分子動力学計算を実施し、低温結晶解析から得られる静的水和構造との比較検討をおこなった。
 本研究によって、低温結晶構造解析が水和構造解析に頗る有効であり、蛋白質のダイナミクスを解き明かす上で非常に有益な構造情報を提供できることを示したと言えよう。
(4) 水和水の蛋白質の振動ダイナミクスへの影響の探求
 主に、蛋白質の200K前後でのガラス転移の構造的実態解明を目指した測定をアズリンとヒトリゾチームについて行った。200K以下の温度下で蛋白質結晶構造解析を複数の温度点で行い、得られる蛋白質構成原子および水和水の温度因子を指標として蛋白質の熱振動の増大が何によって引き起こされるのかを実験的に明らかにしようとした。実験室(1.4オングストローム分解能)およびSPring-8(0.9オングストローム分解能)において実施した多数回の実験から、155K付近で蛋白質原子の熱揺らぎが増大し始めることが明らかとなった。この温度は純水のガラス転移温度に近く、蛋白質表面に結合した水分子の物性が、直接的に蛋白質の熱振動状態を支配している可能性を強く示唆する。現在、1オングストロームを越える原子分解能データの解析を通じてガラス転移の構造基盤について、水素原子も含めた検討を行っている。

◆研究者自己評価
 各研究目標についての自己評価
(1) 極低温下での結晶構造解析技術の展開。
 日本結晶学会誌41, 47-65 (1999)にも報告しているように、この技術はほぼ成熟し、あらゆる蛋白質結晶の急速冷却に対応できるようになった。また、凍結した試料の放射光実験施設への遠距離運搬や試料の再X線露光の手順も確立し、以下の実験を円滑に遂行でき、おおむね、目標を達成できたと考えている。
(2) 同技術による生理的、蛋白質物性的に興味ある蛋白質の低温結晶構造解析。
 多数の蛋白質結晶の構造解析を行えたが、手を広げすぎた感がある。もう少し、特定の生理機能や物性を示す蛋白質群に集中するべきであったかも知れない。解析した蛋白質は長いもので着手後2から3年を要しており、もう少し時間短縮を考えなければならない。
(3) 蛋白質分子を取り巻く水分子と蛋白質の相互作用形態の解明。
 蛋白質の水和構造解析に低温解析が非常に重要な寄与をしうることを示すことができた。しかし、それは2.5オングストローム以上の分解能で解析できる蛋白質に限られることも事実である。生理的に重要な膜蛋白質や巨大分子複合体の立体構造解析では、分解能も低く、水分子の同定は容易でないが、分子のダイナミクスや生理反応を議論するためには分子の水和構造を構築する必要がある。研究期間中に、得られた水和構造を分類整理して水和構造のデータベースを作成し、あらゆる蛋白質の水和構造予測に着手すべきであった。今後、この種のプログラムシステムを作成し、今回のさきがけでの研究成果を発展させたい。
(4) 水和水の蛋白質の振動ダイナミクスへの影響の探求
 研究が終盤に入ってからではあるが、非常に精度の高いデータが取得でき、今後の解析から、蛋白質の振動物性に関する新たな展開が期待される。また、蛋白質結晶では、通常ガラス物質と違って、水素原子の熱振動までをも計測できることから、蛋白質を測定対象としたガラス転移の構造基盤に最適であると痛感した。
(5) 全般について
 本研究の主たる測定装置であるX線回折装置の立ち上げが2年目に入ってしまったことは、研究計画の見通しが甘かったためと言わざるを得ない。また、物性測定に適した蛋白質結晶を探すことも含めて、個人研究としては少し手を広げすぎたきらいがある。また、構造解析に1年半~3年、論文作成に半年程度を要しており、マンパワーが皆無の現在、更なるスピードアップが必要であると痛感している。

◆今後の展望
 この3年間を通じて、低温解析が蛋白質の水和構造解析に重要な寄与をしうることを示すことができた。しかし、比較的高い分解能で解析できる蛋白質に限られることも事実であった。生理的に重要な膜蛋白質や巨大分子複合体の立体構造解析では、分解能も低く、水分子の同定は容易ではない。しかし、分子のダイナミクスや生理反応を議論するためには分子の水和構造を構築する必要があると考えられる。例えば、最近、解析が完了したカルシウムポンプでは、どのようにしてカルシウムイオンの水和水が蛋白質によってはぎ取られ輸送されるのかは依然として不明である。本研究では今後、これまでに得られた水和構造を分類整理して水和構造のデータベースを作成し、あらゆる蛋白質の水和構造予測を行えるようにしたいと考えている。 また、現在解析中である温度変化下での原子分解能立体構造から、温度に依存した水素原子の揺らぎとガラス転移温度の相関について議論することが可能になるであろう。
 本研究の今後の発展は、蛋白質、核酸、脂質、糖鎖といった生体特有の物質の活躍の場を与える第五の生体物質としての水について新しいパラダイムを展開できるものと期待している。
領域総括の見解:
 生命科学の基本命題である蛋白質の構造解析に関連して、蛋白質の環境である水分子との相互作用は重要な知見である。3年間の成果として、十分な数の系の水和構造の低温解析に成功した。特に水素位置が定まるまでに分解能を上げる見通しを持ったことは評価される。
主な論文等:
1) M. Nakasako, M. Odaka, M. Yohda, N. Dohmae, K. Takio, N. Kamiya and I. Endo
"Tertiary and quaternary structures of photoreactive Fe-type nitrile hydratase from Rhodococcus sp. N-771: Roles of hydration water molecules in stabilizing the structures and the structural origin for the substrate specificity of the enzyme" 
Biochemistry 38, 9887-9898 (1999).
2) M. Nakasako, H. Takahashi, N. Shimba, I. Shimada and Y. Arata
"The pH-dependent structural variation of complementarity-determining region H3 and the association mode of variable domains in the Fv fragment from an anti-dansyl monoclonal antibody, IgG2a(s)"
Journal of Molecular Biology 291, 117-134 (1999).
3) M. Nakasako
"Large-scale networks of hydration water molecules around ?-trypsin revealed by cryogenic X-ray crystal structure analyses"
Journal of Molecular Biology 289, 547-564 (1999).
4) M. Nakasako, M. Kimura and I. Yamaguchi
"Crystallization and preliminary X-ray diffraction studies of blasticidin S deaminase from Aspergillus terreus"
Acta Crystallographica D55, 547-548 (1999).
5) M. Nakasako, T. Motoyama, Y. Kurahashi and I. Yamaguchi
"Cryogenic X-ray crystal structure analysis for the complex of scytalone dehydratase of a rice blast fungus and its tight-binding inhibitor, carpropamid: The structural basis of tight-binding inhibition"
Biochemistry 37, 9931-9939 (1998).
6) S. Nagashima, M. Nakasako, N. Dohame, M. Tsujimura, K. Takio, M. Odaka, Yohda, N. Kamiya and I. Endo
"Novel non-heme iron center of nitrile hydratase with a claw setting of oxygen atoms"
Nature Structural Biology 5, 347- 351. (1998).
7) 中迫雅由"低温蛋白質結晶構造解析"日本結晶学会誌 41, 47-65 (1999).
8) 中迫雅由 "蛋白質の水和構造" 日本結晶学会誌 40, 107-113 (1998).

外部発表48件(論文9件、総説・解説5件、口頭発表:国際会議10件、国内会議24件)

(特許、受賞、招待講演等):
◆国際会議招待講演
M. Nakasako "Crystallographic studies on the hydration structures and the vibrational states of proteins" at Telluride Summer School "Protein Dynamics", Telluride, Colorado, U.S.A. July, 1999.

This page updated on March 30, 2000

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