研究課題別研究評価

研究課題名:ナノの光で原子を制御する

研究者名: 伊藤 治彦


研究のねらい:
 物質表面にとどまって空間に伝搬していかない光の場である近接場光は回折の影響を受けずナノメートルの領域に局在化させることができる。近接場光を用いることによって従来の伝搬光技術では困難であった回折限界を超える高精度な原子の運動制御が可能となることが期待される。本課題では、近接場光によって原子を制御・操作する技術の開発とその応用に関する研究を行った。
研究結果及び自己評価:
◆研究結果および自己評価
 本研究では、(1) 中空ファイバー原子誘導路の応用,(2) 原子操作用ファイバープローブの開発,(3) 近接場光制御用冷却原子源の開発,を主として行った。
(1)  中空光ファイバーにレーザー光を結合させると中空部分に近接場光が発生する。光周波数を原子の共鳴周波数よりもわずかに高くしておくと原子に対して斥力を及ぼし、中空領域に進入してきた原子をその中で反射しながら誘導していく原子誘導路を構成することができる。中空径が1ミクロン程度の中空ファイバー原子誘導路を用いたルビジウム原子の誘導実験に成功している。このような原子誘導路の応用として、共振器量子電気力学効果の観測および近接場光制御原子堆積法の開発に取り組んだ。
 前者では、弱い光パワーの場合に微小な中空内部では原子への近接場光斥力が共振器量子電気力学効果による引力によって相殺されることに着目して、非常に微小な共振器量子電気力学効果の観測および現存理論との比較を行った。しかし、中空ファイバーは円筒形共振器とみなせるものの、その中での共振器量子電気力学効果を定量的に理論式で表現するのは難問であり、おおまかな評価しかできなかった。実験と正確な理論との比較は今後の課題である。
 後者では、ルビジウム原子堆積用の超高真空システムの設計・製作を行った。ここでは、堆積物を観測・評価するための超高真空内部で動作するための原子間力顕微機構が必要であること、顕微機構と多数のレーザー光を必要とする原子誘導路機構との組み合わせが難しいこと、ルビジウムが堆積しにくい原子種であること、超高真空ポンプなどから生じる装置の振動を抑えること、などの問題点のために堆積実験を遂行できなかった。これらの困難を解決して近接場光制御原子堆積実験を推し進めることが今後の課題である。
(2)  ナノ領域に局在化した近接場光はナノ寸法に一端を尖らせた先鋭化ファイバープローブの先端近傍に誘起することができる。このような近接場光の空間強度分布は湯川型ポテンシャルによって表されうる。湯川型ポテンシャル理論を用いて、ファイバープローブで原子を制御・操作するための双極子力ポテンシャルの評価を行った。さらに、ルビジウム原子を偏向したりトラップするための条件を見出した。理論解析の結果に基づいてファイバープローブを設計・製作し、その先端近傍の近接場光強度分布の測定実験から試作したファイバープローブの評価を行った。試作したファイバープローブからの近接場光強度分布は原子操作用に期待されたものに近かったものの、不要な伝搬光成分も多く含み、先端部分のコーティングの改良など原子操作により適したファイバープローブの製作が今後の課題として残った。
(3)  ナノ寸法の近接場光と原子を相互作用させるためには原子の速度が十分遅いことかつ密度が高いことが必要である。近接場光原子操作用としてナノメートル領域に効率よく原子を供給するための冷却原子ビームの開発に取り組んだ。漏斗(ファネル)形をした近接場光によってレーザー冷却・トラップされたルビジウム原子群を収集・ビーム化する近接場光ファネル実験装置の設計・製作を行った。計算機シミュレーションの結果に基づいたシステムの構築を行い、実際に超高真空ファネル装置内でレーザー冷却ルビジウム原子の生成の段階にまで進んだ。近接場光ファネルによって形成されたルビジウム原子ビームの評価には飛行時間法を用いる予定であったが、製作した装置に取り付けた観測ポートの位置がファネル位置よりも離れすぎていたために原子の拡散が大きくてプローブ光照射による蛍光観測が不首尾であり、冷却原子ビームの検出に至っていない。実験装置の改良および拡散を抑えるための原子をより冷却する偏光勾配冷却の実施などが今後の課題である。

◆今後の展開
 原子操作用ファイバープローブおよび冷却原子ビームの開発を進め、原子偏向(原子の運動の向きを制御する)実験や原子トラップ(単一原子捕獲・操作)実験を行う。さらにこのような光近接場原子操作技術の工学や理学への応用を図る。特に、原子スケールでの結晶成長法や光近接場の量子化理論の検証実験への応用を試みる。
領域総括の見解:
 近接場光で原子を制御しようというテーマで主に3つの具体的な問題について、自己評価で述べられている不満な点はあるにしても、それぞれ到達しえた部分は大きな成果であるといえる。特に中空ファイバーを用いた原子誘導路の実験は評価される。
主な論文等:
(1) H. Ito, K. Sakaki, M. Ohtsu, W. Jhe, Evanescent-light guiding of atoms through hollow optical fiber for optically controlled atomic deposition,  
Appl. Phys. Lett. 70, 2496-2498 (1997).
(2) H. Ito, K. Sakaki, W. Jhe, M. Ohtsu, Atomic funnel with evanescent light, Phys. Rev. A 56, 712-718 (1997).
(3) H. Ito, K. Sakaki, W. Jhe, M. Ohtsu, Evanescent-light induced atom guidance using a hollow optical fiber with light coupled sideways,
Opt. Commun. 141, 43-47 (1997).
(4) H. Ito, M. Ohtsu, Near field optical atom manipulation: toward atom photonics, Near Field Nano/Atom Optics and Technology, M. Ohtsu, ed., 217-266 (Springer-Verlag, 1998).
(5) M. Ohtsu, K. Kobayashi, H. Ito, G. H. Lee, Nano-fabrication/atom-manipulation by optical near field and relevant quantum optical theory, Proceedings of the IEEE (2000).

(解説)
1. 伊藤治彦, 大津元一, 原子を導く光のトンネル-エバネッセント光による原子の制御-, 現代化学 311, 49-55 (1997).
2. 伊藤治彦, 大津元一, 光近接場を用いた原子の誘導, レーザー研究 25, 682-686 (1997).
3. 伊藤治彦,大津元一, 近接場光を用いた原子の制御, 光学 28, 610-615 (1999).

(特許、受賞、招待講演等):
◆受賞
1. 日本物理学会論文賞 (1997)
2. 丸文学術賞 (2000)

◆国際会議招待講演
1. H. Ito, K. Otake, M. Ohtsu, Near-field optical guidance and manipulation of atoms, Far- and Near-Field Optics: Physics and Information Processing, S. Jutamulia, T. Asakura, eds.,
Proceedings of SPIE, 3467, 250-257 (1998).
2. H. Ito, A. Takamizawa, H. Tanioka, M. Ohtsu, Precise control of atoms with optical near fields: deflection and trap, Proceedings of SPIE, 3791, 2-9 (1999).

This page updated on March 30, 2000

Copyright©2000 Japan Science and Technology Corporation.

www-pr@jst.go.jp