研究課題別研究評価

研究課題名:電子とエネルギーの流れで分子の姿を見る

研究者名: 石田 昭人


研究のねらい:
 本研究は光触媒、発光材料、光記録材料などの光機能性デバイス開発の鍵となる分子間エネルギー・電子移動を最適化するため、励起状態と基底状態の2個の単一分子間のエネルギー・電子移動相互作用を直接検出して機能発現に最適な分子環境を構築し、これまでトライ&エラーに頼っていた光機能性デバイス開発にブレークスルーをもたらすことを企図したものである。
 これは非常に大きな課題であり、当然ながら個人研究のレベルで研究期間内に具体的な成果を得ることには大きな困難が予想された。そこで、応募段階ですでに明らかになっていた問題点を整理し、具体的な戦略を練ることにした。
 乗り越えねばならない最も大きな課題は走査プローブ顕微鏡のチップ先端への少数の分子の修飾固定とそこからの蛍光検出であった。この2つの問題を同時にクリアすべく検討を重ねた結果、光近接場として通常用いられるエバネッセント波ではなく、表面プラズモンを使うことにした。分子の固定に金属-硫黄結合を利用できること、および特異な電場増強効果が働くこと、さらに応用展開の可能性が大きいことが理由である。
 研究計画立案において、サンプル側では蛍光性単分子膜→無蛍光性単分子膜中にドーピングした蛍光性分子→蛍光性単一分子という手順で分子の数を順次減らし、分光技術側をこれに対応させて、バルク膜の表面プラズモン分光→近接場走査光学顕微分光と展開することにした。すなわち、単分子膜でサンプル調製と分光のノウハウを順次獲得しながら単一分子分光に肉迫する戦略である。同時にこれは応用を強く意識した結果でもある。この研究に不可欠なチューニングフォーク型の近接場走査光学顕微鏡の発売が一年後に予定されていたので、それに合わせるという事情もあった。
 蛍光性分子の選択に当たっては、SN比が1に近い測定になることが予想されたので発光収率が極力高く、シャープな吸収・発光スペクトルを有し、合成と精製が比較的容易で、なおかつ表面上に修飾された分子集合体の構造評価が容易であり、さらに太陽電池などの応用が可能なことを前提にポルフィリンジスルフィドを選択した。
 具体的な研究項目を以下に示す。
1)表面プラズモンの電場と分子の相互作用の解明
2)湿式太陽電池および蛍光分析への応用
3)単分子膜中の分子運動および単分子膜形成過程の解明
4)金基板の微細加工による膜サイズの縮小
5)原子間力顕微鏡チップ先端の分子修飾
6)近接場光学顕微鏡による分光
研究結果及び自己評価:
[結果]
1) 表面プラズモンの電場と分子の相互作用の解明
ポルフィリン自己組織化単分子膜が表面プラズモンの電場で励起され、蛍光を示すことを明らかにした。従来、単分子膜を励起する場合に行われていた表面の直接光照射では励起光の大半が反射や透過で損失してしまうのに対し、表面プラズモン励起では反射損失をほぼ皆無にできるため、蛍光強度が著しく向上すること、表面プラズモンの電場のp-偏光特性により蛍光偏光解消実験が可能であること、さらに電場増強効果により長波長可視?近赤外領域で励起効率が著しく向上することを明らかにした。
2) 湿式太陽電池および蛍光分析への応用
同じポルフィリン単分子膜を湿式太陽電池として応用した場合、表面プラズモン励起では反射損失の激減、および電場増強効果により、従来の直接光照射と比較して10倍近い光電流が得られることを明らかにした。一方、金表面上の試料の蛍光分析においては、生化学領域で多用される蛍光標識試薬FITCを用いた場合、バックグランドの低減と電場増強による大幅な感度向上が可能なことを明らかにした。
3) 単分子膜中の分子運動および単分子膜形成過程の解明
アルカンチオール単分子膜中にドーピングしたポルフィリン分子の蛍光偏光解消および膜中における共鳴的エネルギー移動を用い、ドーピングされたポルフィリンが効率よくスタッキングして会合体を形成し、しかも、最初に植え込まれた分子のごく近傍に選択的にドーピングが起きるため膜内で会合体が容易に形成されることを明らかにした。
4) 金基板の微細加工による膜サイズの縮小
二次元グレーティングおよびマイクロコンタクトプリンティングによりパターニングした金基板を用いてポルフィリン単分子膜の蛍光特性を検討し、微細構造をもつ基板では表面の直接励起によっても表面プラズモン励起と同様な電場増強効果が得られるばかりでなく、回折効果により光検出器に入る励起光が大幅に抑制され、蛍光スペクトルのバックグランドレベルが著しく低下し、臨床分析分野を始めとする蛍光分析への応用が可能なことを明らかにした。
5) 原子間力顕微鏡チップ先端の分子修飾
原子間力顕微鏡のチップ先端に金グレインを形成し、これにフェリチンを配向修飾し、金基板に修飾した抗フェリチン抗体との間の単一分子間力学的相互作用の検出に成功した(日立製作所中央研究所原田義則博士との共同研究)。
6) 近接場走査光学顕微鏡による分光
マイクロコンタクトプリンティングでパターニングした金マイクロドット上に修飾したポルフィリンの蛍光を独自に製作した光ファイバープローブと近接場走査光学顕微鏡を用いて観測し、ドットの周縁部分の蛍光強度が高く、エッジプラズモンの関与を強く示唆する結果を得た。

[自己評価]
1) 研究課題と研究の基本概念について
この研究課題と類似した研究は欧米では大規模なグループによって推進されている。研究課題自体はかなり「大風呂敷」ではあるが、個人研究で具体的な成果を得るために、徹底的な検討を重ねた上で前述のような基本概念に基づく研究計画を立案した。表面光化学における新たな展開への基礎を築けたことから、読みに誤りはなく、かなり的を得たものであったと自負している。
2) 研究の実施について
◇試料について
 本研究では一連のアルキル鎖長をもつポルフィリンジスルフィドのライブラリを揃えることが不可欠であった。精製に非常に長時間を要するため一人で合成する困難は十分認識しており、鎖長10と3のものをまず初めに合成し、中間のものを順次合成していく方針をとった。しかし、分光測定を開始すると合成する時間がなくなり、結局最後まで鎖長10と3の両極端の比較に留まらざるを得なかった。研究が進行するに従い、中間鎖長の必要性を痛感するようになり、さらに別の研究グループが人数にものを言わせて一連のライブラリを短期間で合成し、蛍光特性の鎖長効果を先に投稿するに及んだが、切歯扼腕する以外になかった。しかし、いくら長時間を要すると言っても不可能であるはずはなく、両極端の鎖長の化合物で当初満足していたことが最後まで合成できなかった原因となったのは事実である。深く反省するとともに強く後悔している。
◇基板について
 表面を扱う研究で最も重要なのは基板の質であることは言うまでもない。本研究ではガラスプリズム上に金薄膜を蒸着するので、プリズムと金両方の表面性状が大きく影響することは当然予想された。しかし、借りることができた蒸着装置は油拡散ポンプを使ったもので、真空度が低く金表面にはグレインが成長してしまう。この表面ラフネスによって、最も興味深い電場増強効果の定量的な議論が大きく妨げられることになった。その結果、「表面のラフネスによるものだろう」という逃げ口上が習慣となってしまった。一方、これは逆に表面ラフネスを積極的に利用する方向へ発展させる契機ともなった。最初から超高真空蒸着装置を使っていたら気付かなかったかも知れない。
◇分光装置について
 SPR装置については予備実験用として10mmジュラルミン板の上に市販光学部品を取り付けたものを研究開始直後に自作したが、結局この貧弱な装置で研究期間のほとんどを持ちこたえた。このような装置でも十分な再現性が出せることに驚いたが、それはSPRという分光法の素質が非常に優れたものであることを実感することに繋がった。一方、ほどほどに使える装置が存在するということは、より精密な測定を可能にすべく新たに装置を製作する際の大きな障壁となる。結果的に発光の角度分光など分光系の先生方からいただいた貴重なコメントを活かした測定ができるようになったのは研究期間終了後であった。これについては明らかな怠慢である。
 プローブ顕微鏡については色々な点で考えが甘過ぎた。本研究では極微弱な蛍光測定を行うので、当時市販されていたフィードバックにレーザを使うものでは致命的な障害になることは明らかで、チューニングフォーク型の発売を待つことにした。しかし、この手の製品にはつきものであるが、発売が8ヶ月以上も遅れたうえに、製品自体に数多くの問題が残っていた。このため、実際に納品されたのは平成10年の春で、その後も基板やソフトウェアの交換がたびたびあり、また途中で測定室の引越しを余儀なくされたので研究計画が大幅に遅れてしまった。安定してデータが出始めたのは情けないことに成果報告会直前であった。しかし、この間もプローブの自作とテストや測定ノウハウの獲得などを十分に行なえたので、それほど時間を無駄にしたとは言えないかも知れない。
◇論文について
 現在までに出版および掲載決定された論文は、表面プラズモン励起に関しての速報を3報。フルぺーパーを1報。表面蛍光分析に関するフルぺーパーを1報。抗原抗体反応に関するフルぺーパー(共同研究)を1報である。合成、分光装置作製、測定、論文執筆をほとんど単独で行ったとは言うものの、もっと数を稼げたはずである。当初は全く未経験の領域の成果を論文投稿することへの強い恐れがあり、恥を曝すことにならないよう入念になり過ぎたきらいがなきにしもあらずであった。しかし、最初にChem. Comm.に恐る恐る投稿した際の審査員のコメントはこれまでに経験したことのない、研究内容を絶賛するもので驚かされた。したがって、以後はもっと連発すべきだった。これについては怠慢との批判を免れまい。
3) 研究結果についての評価と今後の課題
(1) 表面プラズモンの電場と分子の相互作用の解明
 表面プラズモンを膜の励起法として応用するという方法論は確立できたものの、基本となる膜そのものの性状、すなわち膜厚や分子配向などに関する測定が不十分である。また、発光の角度分光など、懸案となっている重要な測定が行なえていない。さらに金基板のラフネスと電場増強の相関についても未解明である。これらの課題を解明して初めて高い評価に値する研究となろう。今後展開していきたい。
(2) 湿式太陽電池および蛍光分析への応用
 これらの応用研究は基本的な概念の構築と実証に留まった。本格的な展開は個人研究では不可能で、企業との共同研究が不可欠であろう。しかし、今後も常に一つの結果が出たら必ず面白い応用を考える習慣を続けたい。それが発想力を研ぎすますことに繋がると信じている。
(3) 単分子膜中の分子運動および単分子膜形成過程の解明
 研究期間内にはポルフィリンのみを用い、分~時間オーダの測定に留まったが、表面プラズモン励起による蛍光偏光測定は膜中の分子運動のリアルタイムモニタリング法として非常に大きな可能性を秘めている。特に膜中におけるドメイン形成過程はきわめて興味深く、本研究で開拓した手法を洗練させて今後種々の化合物について研究を展開したい。
(4) 金基板の微細加工による膜サイズの縮小
 本来はマイクロメータサイズのパターニング法であるマイクロコンタクトプリンティングを用いざるを得なかったが、予想通りサブマイクロメータサイズの金ドットで興味深い結果が得られた。今後は電子ビーム描画によって精密にパターニングした基板を用いて定量的な評価に耐える実験を行い、金基板のパターニングによる電場分布の制御などについて研究を展開したい。
(5) 原子間力顕微鏡チップ先端の分子修飾
 当初期待していた以上の成果が得られたものの、光の介在していない力学的な相互作用の解明に留まっている。抗原と抗体をそれぞれ異種の蛍光試薬で標識し、共鳴エネルギー移動による距離測定を同時に行って初めて本研究の狙い通りの成果となり得るわけで、実現に向けて今後さらに挑戦していきたい。
(6) 近接場光学顕微鏡による分光
 金マイクロドット上の電場分布がようやく見えてきたというのが現状である。今後は電子ビーム描画によるパターニングや電気化学的手法によって金および銀のナノメータ構造を形成し、これにポルフィリンを標識した試料を用いて測定を行いたい。一方、単分子膜中に相溶性の悪い二種類の分子をドーピングした系についてドメイン境界での相互作用を検出することにより光化学の基本課題であるドナー・アクセプター相互作用の解明に挑戦したい。

[今後の展開]
1) 表面プラズモンの電場と分子の相互作用の解明
 発光の角度分光による蛍光→表面プラズモン逆変換過程の観測と励起機構解明
試料膜の光励起による誘電率変化の観測と超高速光変調への応用
金基板のパターニングによる表面プラズモン電場の局在化・制御の実証
2) 単分子膜中の分子運動、ドメイン形成過程およびドメイン間相互作用解明
 表面プラズモン励起蛍光偏光分光による膜中の分子運動の実時間モニタリング
近接場顕微鏡観測による単分子膜内ドメイン形成過程、ドメイン間相互作用解明
3) 生物化学領域への展開
 DNAの光損傷による構造変化の表面プラズモン共鳴による検出
蛍光共鳴エネルギー移動(FRET)による分子間相互作用観測
領域総括の見解:
 入念な検討をもとに自己評価を行っている。サンプル分子の鎖長や発表についての反省は個人研究の戦略として意見の別れるところかも知れない。総括としては止むを得ないことであったと考える。また化学反応場への表面プラズモンの近接場の導入は評価され、さらなる開拓的な研究が期待できる。
主な論文等:
(1) Surface Plasmon Enhanced Fluorescence Measurement on Flat and Constructed Gold Surfaces. Ishida, A.; Majima, T.
Analyst, 2000,125、in press (2000).
(2) Specific and Quantized Antigen/Antibody Interaction Measured by Atomic Force Microscopy. Harada, Y.; Kuroda, M.; Ishida. A.
Langmuir, Volume 16, No. 2, p.708-715(1999).
(3) Surface Plasmon Excitation of Porphyrin Self-assembly Monolayers on a Gold Surface. Ishida, A.; Majima, T.
Nanotechnology, 10, 308-324 (1999).
(4) Surface Plasmon Enhanced Fluorescence Spectroscopy towards Observation of Molecular Exchange in a Self-Assembly Monolayer.
Ishida, A.; Majima, T.
Chem. Comm., 1999 ,1299-1300.
(5) Photocurrent Generation by Surface Plasmon Excitation via Electron Transfer Quenching of Excited Porphyrins Linked Covalently to a Gold Film Electrode.
Ishida, A.; Sakata, Y.; Majima, T.
Chem. Lett., 1998, 267-268.
(6) Surface plasmon excitation of a porphyrin covalently linked to a gold surface. Ishida, A.; Sakata, Y.; Majima, T.
Chem. Commun., 1998, 57-58.

(特許、受賞、招待講演等):
◆特許:国内特許3件, 外国特許1件
 特開平10-267946 「走査プローブ顕微鏡と蛍光性分子プローブ」
 特開平10-340742 「光応答電極および湿式太陽電池」、 外国出願(米国、EPC)
 特願平11-193536 「蛍光免疫分析法及び装置」 
◆受賞:田中貴金属工業株式会社「貴金属が開く新しい世界:シルバー賞」

This page updated on March 30, 2000

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