研究課題別研究評価

研究課題名:昆虫の微小な脳にひそむ知を探る

研究者名: 神崎 亮平


研究のねらい:
 昆虫は飛行、歩行、遊泳などの多様な行動様式を示し、時々刻々と変化する環境情報を適切に捉え,餌や交尾のパートナー・産卵場所の探索・帰巣・逃避などさまざまな行動を発現する。このような行動は、わずか104-6程度のニューロンから成る脳・神経系と、体長数センチメートルの体腔内の筋運動系の活動によって生じる。少数のニューロンからなる脳(微小脳)をもつ生物の、常に変化する環境に適応した行動には、原始的な知の構成を感じる。昆虫にとって「匂い」は餌場や交尾のパートナー、産卵場所の探索、社会性の維持など、昆虫の生活上に、さらには種を維持する上で重要な役割を果たしている。匂い源から放たれた匂いの分子は空中に分布し、その分布状態を絶え間なく複雑に変化させている。このような環境下において昆虫はいかにして、匂いの発生源である仲間や餌場を探し当てることができるのだろう?昆虫の匂い源探索行動を原始的な知のモデルと考え、微小脳による環境情報の処理と行動発現の仕組みをニューロンレベルで究明することが本研究のねらいである。
研究結果及び自己評価:
 鱗翅目カイコガ(Bombyx mori )を用いたフェロモン匂い源探索行動の高速度撮影装置による解析から,昆虫の匂い源探索行動は,一過的な刺激を受容するたびに起動されるプログラム化された歩行パターンから構成されることを明らかにした(図1)。刺激の度に刺激方向に一過的に直進歩行した後,小さなターンから大きなターンへと数回の方向転換(ジグザグターン)を行い,回転歩行に移行する。このプログラムは,ひとたび刺激を受けると継続して生じ,刺激ごとに初めから繰り返えさえる。このプログラムにより匂いが頻繁に存在する空間では,より直線的に匂い源への定位が可能となる。一方,刺激頻度が低くなるにつれ,歩行の軌跡は複雑となる。実際の環境下では,カイコガは空中でのフェロモンのさまざなな分布に依存してプログラムのセット,リセットを繰り返し,行動パターンを変化させながら匂い源に定位すると考えられる。
図1. 匂いによって発現するプログラム化された行動 図2. 左右の縦連合から細胞外記録されたフリップフロップ応答

 カイコガの脳ニューロンのフェロモン刺激に対する応答の細胞内記録およびその3次元形態の分析から,電子回路で記憶素子として用いられている「フリップフロップ (FF)」と類似の動作特性を持つニューロンが明らかになった(図2)。このニューロンが脳から胸部運動系にFF神経情報を伝達することによりジグザグターンおよびループが指令されることを示した。また,刺激直後の直進歩行は,脳から胸部運動系に伝達される一過的な興奮応答により発現することも示唆した。このように昆虫の匂い源探索行動は,匂い源への定位情報となる一過的な興奮応答と,匂いを見失った場合に再探索するためのジグザグターンと回転歩行を駆動するFF応答の二つの指令情報が同時に起動されることによりコントロールされると考えられる。
 本研究により匂い源探索が二重のコントロール機構によって発現することが明らかになった。また,このような匂い源探索のしくみが比較的少数のニューロンから構成される脳をもつ動物〔節足動物〕に共通する可能性がでてきた。たとえ行動がプログラム化された定型的なパターンであったとしても,匂いの分布状態(環境)に依存してそのパターンを変化させるという共通の戦略を節足動物は獲得してきたのだろう。そこにわたしは微小な脳にひそむ「原始的な知」があるように思う。ファーブル以来の大きななぞであった,匂いをたよりにいかにして昆虫は遠距離を定位できるのか?このなぞの解明に一石を投じることができたと考える。
領域総括の見解:
 カイコ蛾のメスの放出するフェロモンに対するオスの定位行動に、定型的なパターン(ジグザグ、回転、直進)のあることを行動実験で明らかにした。また、定位行動によって、複雑に変動する環境の中でも、オスがにおい源であるメスにアプローチできる適応性を説明できるモデルを提案した。さらに、定位行動を支配する神経機構を詳細に分析し、先のモデルの神経系としての実体を明らかにした。微小脳といえども、1万から100万のニューロンからなっていて、その中から、定型パターンを説明できる神経系を見出す実験は決して容易なものではない。行動実験、モデル構成、神経機構の実体解明という3つのレベルを的確に統合して進めた本研究は、科学研究費特定領域研究にも指定されている「微小脳システムの適応的設計」原理を明らかにする上での先導的な研究として評価できる。
主な論文等:
Kanzaki R (1998) Coordination of wing motion and walking suggests common control of zigzag motor program in a male silkworm moth. J. Comp. Physiol. A 182: 267-276
Kanzaki R, Mishima T, Takasaki T, Nagasawa S, and Shimoyama I (1998) Motor control by sex pheromone in Bombyx mori. Biochemist 20(4): 34-36
神崎亮平・藍浩之・岡田公太郎・熊谷恒子(1999) 昆虫の脳における匂い情報処理と行動発現。日本味と匂学会誌 6(2):121-137

招待講演:国際6件
Motor Control by Sex Pheromone in Bombyx mori ,2nd International Symposium on Insect Pheromones(WICC-International Agricultural Centere, Wageningen, The Netherlands, 1998)
Insects and Micromachine, International Micromachine Symposium(The Science Museum,Tokyo,Japan,1998)
Neural and behavioral mechanisms of odor-source searching strategy of a male silkworm moth,国際比較生理生化学会(Calgary,Canada,1999)
Behavioral and Neural Mechanisms of Odor-Source Searching Strategy of a Silk Moth Evaluated with a Mobile Robot, Gordon Research Conferences(Queen's College,Oxford University,England,1999)
Neural and behavioral mechanisms of odor-source searching strategy in Insects:New approaches by robotics and a telemetry system, First Asia-Pacific Conference on Chemical Ecology(Shanghai,China,1999)
Neural and behavioral mechanisms of odor-source searching strategy by the microbrain systems of insects: new approaches by rototics and a telemetry system. 国際生物学賞記念シンポジウム (The 15th International symposium in conjunction with award of the international prize for biology) (12.1-2, Nagoya, Japan,1999)

This page updated on March 30, 2000

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