国際共同研究「量子遷移プロジェクト」


代表研究者 榊 裕之(東京大学生産技術研究所教授)
共同研究相手機関 カリフォルニア大学
研究実施期間 1994年1月1日〜1998年12月31日

1. 研究の概要
 半導体中の電子10nm程の超薄膜(量子井戸)構造に閉じ込めると、膜面に沿った(x, y)面内には自由に動くが、膜に垂直なz方向には、一連の定在波状態が形成され、その固有エネルギーは離散値Ez(1)、Ez (2)…を取る。この超薄膜構造は、既に高性能レーザやFETなどの実現に広汎に利用されているが、最近も更に新しい可能性が模索され、準位間の遷移を利用した赤外検出器やレーザなど新しい素子が開発されている。
 このような電子の量子力学的な制御をさらに発展させる手段として、極微な寸法の細線や箱に電子を閉じ込め、電子の自由度をさらに下げる試みが20年程前に榊らにより提案され、80年代の後半に実験的な試みが開始された。当初、形成可能な量子細線や量子箱の寸法は100nm程度であったため、各種の量子効果の発現は極低温条件下に限られていたが、90年代前後から10nm級の構造を形成する独特な手法が我々を含めて世界の先進グループで開発され、不完全ながらも量子準位間隔の大きな細線や箱が得られるようになってきた。本プロジェクトでは、まずこの新しいナノ構造の形成法を発展させるとともに、種々の極微量子細線や箱構造を設計・試作して1次元および零次元の自由度を持つ電子の量子状態がどこまで制御できるかを探索する研究を進めた。特に、先行の量子波プロジェクトで発表した自己形成法による量子箱の研究は世界的に大発展を見せているが、その推進には日米双方のグループにより少なからぬ寄与ができたと考えている。また、本グループ提案のエッジ形の量子細線などについても、多くの制約を残しながらも広汎な進展が得られ、1次元電子や励起子の特色がかなり明かになって きている。
 本プロジェクトの第2の狙いは、量子井戸から量子箱に至るまでの様々なナノ構造において、ひとつの量子状態にある電子が他の量子状態へ遷移する過程を詳しく調べ、これを巧妙に制御することで、どのような新しい物性や機能が実現できるかを探索・解明することである。この研究にあっては、各種のナノ構造中の量子準位の間隔に共鳴するテラヘルツ電磁波の活用が極めて有効である。特に、UCSBの自由電子レーザは、この目的に極めて適している。今回の共同研究では、この可能性を活用したため、量子井戸中の励起子によるテラヘルツ領域での光混合や動的フランツ・ケルディシュ効果の発見や量子箱のユニークなテラヘルツ応答など様々な新知見を得た。さらに東京においても、量子遷移を利用した遠赤外・近赤外波長変換効果など様々な成果を得ることができた。
2. 研究体制と参加研究者
○研究体制
量子構造制御グループ(東京都目黒区/パークビル及び東京大学先端科学技術研究センター内)
ナノ構造物性グループ(東京都目黒区/パークビル及び東京大学先端科学技術研究センター内)
(カリフォルニア大学サンタバーバラ校)

○参加研究者(*副代表研究者を含む)
代表研究者 研究員 技術員 相手国派遣研究員 合計
日本 1 8 1 2 12
米国 2* 8 0 1 11
3. 研究成果の概要
○特許出願件数
特 許
日本側 国内 2
外国 0
共同 国内 0
外国 0
米国側 0

○外部発表件数(1999年3月末)
論文 総説・書籍 学会発表
日本側 国内 5 10 33 48
外国 53 4 44* 101
共同 国内 2 0 3 5
外国 18 1 35 54
78 15 115 208
*国内で開催された国際会議を含む

○発表主要論文誌
Physical Review Letters/Applied Physics Letters/Physical Review B

主な研究成果
1) T字型エッジ細線中の1次元励起子の束縛エネルギーと波動関数の収縮
 本プロジェクトでは、1次元励起子の性質を明らかにするために形状の異なる一連の良質な量子細線を形成し、その光学特性の計測解析から、1次元励起子の束縛エネルギーEbが2次元励起子のそれより顕著に大きくなることを示すとともに、磁場B中の蛍光線の青方変移などの計測により励起子の波動関数が強く収縮していることを示唆する結果を得た。これらの結果は、厳密な理論研究を誘発した。
2) 電界誘起エッジ量子細線の電子状態と伝導特性
 厚さaの高純度量子井戸QW-1の端面上にn-AlGaAsを成長して形成した1次元電子状態について、電子状態と伝導特性に関する新知見を得た。特に、aが100nm程の場合1次元電子の固有状態はドナー不純物の影響でQW-1の上下のコーナーに偏心した分布を持つことを理論・実験の両面から示すとともに、a= 50nmの試料では、特異な準位の分裂の見られることを示した。さらに、1次元電子状態を静電界で制御する試みを行い、不純物の選択で、従来よりもより強い閉じ込めを受けた1次元電子のできることや、バイアス電圧で制御可能な細線状態の形成できることを見い出した。
3) リッジ型量子細線
 メサ基盤上の選択成長で急俊な稜線(リッジ)構造を形成し、その上に量子井戸を堆積することにより、リッジ状の量子細線ができる。本プロジェクトでは、稜線の急峻さ(横幅)を支配する要因を調べ、横幅を10nm以下にできることを示した。また、稜線構造の斜面の平坦性を支配する要因も検討し、凹凸の自己修復性などの活用で良質な構造の得られることを示した。さらにリッジ細線の光学特性を調べ、発光寿命に1次元励起子の熱分布に起因した固有の特性の現れることや、リッジ上の光導波路内部に細線を設けた構造で、レーザ発振を実現し、励起準位が重要な役割を示すことを指摘した。
4) 原子ステップを用いた量子細線とプレーナ超格子
 主要な結晶面から傾いた面上の結晶成長では、準周期的な原子ステップが現れる。このステップ上に2次元電子ガスを形成すれば、結合した量子細線やプレーナ超格子できる可能性がある。本プロジェクトでは、周期が15〜20nmの均質な多段原子ステップを形成し、電子の伝導特性を調べた。まずステップに沿った移動度が、電子密度Nsの増加とともに単調に増大し、30万cm2/Vsにも達することを見出し、ステップの直線性が極めて良いことを示した。ステップを横切る方向の移動度はNsの増加と共に一旦増大し、激減することを見い出し、準周期的なステップが特定波長の電子を後方散乱させ、プレーナ超格子として作用していることなどを明らかにした。
5) 量子箱(ドット)FET:新しいメモリーおよび光検出素子
 反転HEMT形のFETのゲートとチャネル間に量子箱を埋め込んだ素子を初めて試作し、メモリー作用の得られることを見い出した。さらに、この構造が蓄積形の光検出器として利用できることを初めて示した。また、この動作では各々の量子箱に電子又は正孔が1個蓄積されることも見い出している。
6) 単一InAs量子箱を介する伝導特性
 10nm級のInAs量子箱1個を介する電子伝導の研究を2つの手法で調べた。まず、InAs量子箱を2nm程のAlAs障壁で挟んだ共鳴トンネルダイオード構造では、バイアスを増すと、最初に急峻な電流ピークが観測される。これが単一の量子箱による伝導であることを見出した。また、導電性のAFM探針を用いて個々の量子箱の電流電圧特性の計測を試みた。その結果、表面近傍のInAs量子箱はGaAs表面のフェルミレベル固定効果の影響を受けるが、2重積層量子箱構造などの採用により、箱内の離散準位を介する電流の観測も可能であることを示した。
7) 量子箱の光子支援トンネル伝導および光学特性のテラヘルツ電磁波照射効果、電界誘起量子箱
 デルフト工科大学およびカリフォルニア大学との共同で、単電子トランジスターの障壁部分にマイクロ波を照射し、電子がマイクロ波のフォトンを吸収しながら、トンネル伝導することを見い出した。さらに、歪みを導入した量子箱において、準位の間隔(10〜15meV)に近いエネルギーを持つテラヘルツ光を照射すると、フォトルミネッセンス(PL)スペトクルが大きく変化することから、THz光による量子箱中のキャリアの再分布は単純な加熱効果で記述されず、見かけ上はキャリアの冷却を生じさせることなどが判明した。さらに表面近傍の量子井戸に導電性AFMを近づけ、正の電圧を加えることで、零次元電子状態の誘起できることを理論、実験の両面から示した。
8) 量子井戸、励起子、量子箱のテラヘルツ(THz)応答
−動的フランツ・ケルディッシュ効果およびサイドバンド発生など−
 UCSBの自由電子レーザからのTHz光を種々のナノ構造に照射した時の応答を調べ、新知見を得た。特に、量子井戸にTHz光と近赤外光を同時に照射すると、両者が強く 混合し、近赤外光の周波数の近傍でTHzの光子2個(又は4個)分だけ周波数がシフトしたサイドバンド光の生ずることを見出した。また、この混合が励起子の内部準位の間隔とTHz光の共鳴時に生じていることを理論、実験の両面から示した。また、量子井戸に強いTHz電界を加えると、吸収端が電界や周波数に応じて赤方(又は青方)偏移することを初めて見出し、これが動的なフランツ・ケルディッシュ効果に依ることを明らかにした。さらに、量子箱のTHz照射下蛍光スペクトル変化からキャリアが独特な再分布をすることを示した。
9) サブバンド間の遷移の制御と中(遠)赤外-近赤外波長変換効果
 ナノ構造に中(遠)赤外光を照射すると、基底準位E1の電子が励起準位E2に遷移する。本プロジェクトではこのサブバンド過程の新素子応用を探索した。例えば2種の量子井戸QW-AとQW-Bを隣接させ、両者の励起準位E2を共鳴結合させた構造において、QW-Aの基底準位にある電子をサブバンド励起すると、双方の井戸を往来し、ほぼ50%の確率でQW-Bの基底準位に緩和するため、電子がAからBへ光学的に移送されることを見出した。この構造で、正孔をQW-Bに局在させると、電子が移送する毎に近赤外の蛍光が生じ、中赤外光光子が、近赤外光に変換されることが明らかとなった。さらに、半導体の超薄膜構造においてヘテロ界面障壁の一方を金属とした構造のサブバンド吸収分光を行い、フレネル反射による電子の束縛準位の生じることを見出した。
10) その他の量子構造におけるマイクロ波および赤外応答
 前述のようにデルフト工科大学およびカリフォルニア大学との共同で、単電子トランジスタ構造の障壁部分にマイクロ波を照射する実験を行い、光子支援トンネル伝導の生じることを見出した。なお、この素子では2個の障壁の高さを10MHzの高圧で交互に増減させると、電子が1個ずつ転送されて、良好なターンスタイル(回転扉)素子として動作することを示した。さらに、前述の周期ステップを持つ表面超格子においてサイクロトロン共鳴吸収を調べ、ランダウ軌道とステップとの相互作用に起因する特色を見出した。また、量子ホール効果素子について遠赤外光を照射した場合、ゲートに光起電力形の信号の現れることなども見出した。
4. 研究交流
 本プロジェクトでは、カリフォルニア大学(UCSB)に常駐する研究員を日本側から派遣した。前半(河野)と後半(辻野)で交替したが、共同研究の推進で中心的役割を果たした。さらに東京側のすべての研究者は、随時出張し、東京で開発した量子構造を対象とする共同実験や、理論モデルに関する討論を推進した。これらの交流が呼び水となって、研究推進委員や日米双方で関連の研究者・大学院生が共同研究の推進に積極的に協力し、(別経費で1年間滞在するケースなど)両者をつなぐパイプがさらに強化された。このため、多くの実験試料と着想が両者の間を往来することになった。      
 米国側からは、東京での長期駐在者は1名に留まったが、共同研究のために短期の滞在や来訪を数回受け入れた。2人目の長期滞在者の候補を数名検討したが、米国の市民権(永住権)を持つもので、NSFのポストドクトラルの基準年俸(JSTよりかなり低い)で、東京の住宅状況に対応することの困難さなどのため、残念ながら実現しなかった。ただし、日米両グループ間の意思疎通は、両者の相互の訪問に加えて、多数の国際会議での出会いの機会に恵まれたため、極めてスムーズに進行したと考えている。特に、プロジェクト当初の1994年春に米国で行ったシンポジウムと打合せ、中問点の1997年夏にUCSBで行ったワークショップ、終了時点(1998年11月東京および99年3月UCSB)での終了シンポジウムで、多数のメンバーによる実り豊かな情報交換を達成した。         
 今回の日米共同研究には、フィンランドやオランダの研究者(量子波プロジェクトの元研究員および短期研究員)が興味を持ち、貴重な貢献をした。さらにフランスからの研究員を東京で受け入れたため、3極(多極)構造の研究交流が進展したことも記しておきたい。

This page updated on December 8, 1999

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