補足説明


 動物の形は、発生の過程において、適切な遺伝子が適切な場所と時期に発現することによって正しく作られていく。
 この適切な遺伝子発現には、いくつかの転写因子が重要な働きをしている。このようなの転写因子のひとつであるTCFファミリーは、発生の過程のいくつかの段階で、個々の細胞が将来からだのどの部分になっていくのかという運命を決定する働きを担っている。
 線虫におけるTCFファミリーに属する転写因子POP-1は、卵発生の間を通じて分裂した2つの娘細胞のうちの、前側になる細胞だけで働くことがわかっている。POP-1の欠損により、本来前側に分化すべき細胞の運命が、後側への分化へと変化する。このことは、POP-1の活性が、発生段階の個々の細胞の運命を決定する働きをしていることを示している。
 例えば、線虫の筋肉と腸を構成する細胞群は、EMS細胞とよばれる一つの細胞に由来するが、この細胞の分裂により生じた2つの娘細胞のうち、一方ではPOP-1の活性が抑制され、細胞はE細胞となり腸へと分化していく。もう一方では、POP-1の活性が維持され、MS細胞となり筋肉へと分化していく(図1)。
 今までに、POP-1を含めたTCFファミリー転写因子の活性は、拡散性因子のWntによって制御されていることがわかっている(図2)。
 TCFファミリーは、β-cateninと結合することによって、その活性が制御されている。通常、β-cateninは細胞膜に存在し、細胞質に遊離したものは、速やかに分解される。Wntは、そのレセプターを介して、β-cateninの分解を阻害しβ-cateninを蓄積させる。蓄積されたβ-cateninは核に移行し、TCFファミリーと複合体を作る。β-cateninと結合していないTCFファミリーは、遺伝子の転写を抑制する働きがあり、β-catenin/TCF複合体になると、逆に遺伝子の転写を活性化する。

 今回の研究によって、TCFファミリーとβ-cateninの複合体の制御に、新たなシグナル伝達系が関与していることが示唆された。線虫の遺伝学的解析から、新たに2つの因子がTCFファミリー転写因子であるPOP-1を制御していることが明らかになった。
 れら2つの因子の欠損変異株は、Wntシグナル伝達系に関係する因子であるWnt、Wntレセプターの欠損変異株とは異なる表現型を示す。したがって、これら2つの因子が関与するシグナル伝達経路は、Wntの経路とは異なるものと考えられた。これら2つの因子は、それぞれMAPキナーゼキナーゼキナーゼに属するTAK1に相同のキナーゼ(MOM-4)と、MAPキナーゼ類似のNLKと相同のキナーゼ(LIT-1)であった。さらに、MOM-4と結合する因子として、動物細胞のTAK1の活性化因子であるTAB1に相同のもの(TAP-1)が単離された。
 TAP-1を不活性化すると、MOM-4およびLIT-1の欠損変異株と同様の表現型を示した。これらの結果は、TAB1/TAP-1、 TAK1/MOM-4、NLK/LIT-1の3つの因子が、Wntの経路とは異なる経路を構成し、TCFファミリー転写因子の活性を制御している可能性を示している。
 そこで、動物細胞の系においてこれらのキナーゼの解析を進めた結果、次のことが明らかになった。・TAB1によって活性化されたTAK1は、NLKを活性化する。・NLKが活性化されると、β-catenin/TCF複合体による転写の活性化が阻害される。・アフリカツメガエル(Xenopus)の系において、NLKはβ-cateninの過剰発現によって誘導される2次軸の形成を阻害する。・NLKは、TCFをリン酸化する。・NLKによってリン酸化されたTCF/β-catenin複合体は、DNAとの親和性が低下する。
 これらの結果を考え合わせると、今までに既に知られていたWntのシグナル伝達経路に加えて、図2に示されているような新しいシグナル伝達経路が、β-catenin/TCF複合体の活性を制御していると考えられる。この経路では、TAB1の結合によって活性化されたTAK1がNLKを活性化し、活性化されたNLKはTCFを  リン酸化する。TCFのリン酸化によりβ-catenin/TCF複合体のDNA結合活性が低下し、その結果β-catenin/TCF複合体による遺伝子の転写が抑制される。
 これらの研究成果は、発生の過程における形態形成のプログラムを解明するうえで大きく貢献するものと考えられる。

 なお、本件に係わる6月24日のNature誌掲載される論文は以下の2件である。

1. The TAK1-NLK-MAPK-related pathway antagonizes signalling between β-catenin and the transcription facter TCF(TAK1-NLK-MAPKに関連する経路がβカテニンと転写因子TCF間のシグナル伝達を弱める)
doi:10.1038/21674

2. MAP kinase and Wnt pathways converge to downregulate an HMG-domain rep-ressor in C.elegans.(MAPキナーゼとWntの経路が線虫C.elegansの高速移動群蛋白質ドメインを持つリプレッサーを不活性化する)
doi:10.1038/21666


This page updated on July 9, 1999

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