分子のひもを結ぶ(参考資料)


 慶應義塾大学理工学部大学院生荒井康治君は、世界で初めて、ひも状の分子であるDNA(デオキシリボ核酸:遺伝情報の書き込まれた分子)一本に結び目を作ることに成功した。顕微鏡の下で、光を使って両端をつまんで操作したもので、アクチンというたんばく質でできた分子のひもを結ぶこともできた.この成果は、英文誌ネイチヤーに発表される。
 「結ぶ」というのは人類古くからの技だが、今回結んだひもは、DNAで太さたった百万分の2ミリメートル(原子10個を並べたくらい)、アクチンでも十万分の1ミリメートルで、長さも百分の2ミリメートルくらいしかない。そのままでは、顕微鏡を使っても、結ぶどころか見ることもできない。荒井君は、まずひもを蛍光色素で染めて、暗闇で光って見えるようにした。その上で、ひもの両端に、直径千分の1ミリメートルのプラスチックの球を付けた。この球を、光でつまむ。光ピンセットといって、魔徽鏡の下で強いレーザー光を一点に集めると焦点に向かって引力が働き、ものをつかめるのだ。焦点を動かせば、つまんだものもついてくる。
 分子のひもの両端の球をそれぞれ光ピンセットでつまんだら、あとは手でひもを結ぶように、まず輪を作ってその中をくぐらせる(写真)。手で結ぷときは途中でひもを持ちかえないといけないが、光ピンセットは透明な手のようなもので、結び目越しに球をつかめるから、持ちかえる必要がない。ものの数十秒で、結び目が完成する。両端を引っ張れば結び目は小さ<なり、ゆるめれば結び目もゆるむ。
 アクチンのひもを結んで引っ張っていくと、結び目のところで簡単に切れてしまった。結ばないまっすぐのアクチンのひもに比べると、数百分の1の力で切れてしまった。結ぷことにより強く曲げられると、あっさり切れてしまうらしい。アクチンのひもは、体の中の全ての細胞の中にたくさん入っていて、細胞の形を支え、細胞を動かしている。それがこんなに簡単に切れてよいのだろうか。実は、細胞が形を変え、運動するときには、アクチンのひもがいったん切れてバラバラになる必要がある.細胞の中には、アクチンをぎゅつと曲げて切る仕掛けがあるのかもしれない。
 荒井君は、科学技術振興事業団の戦略的基礎研究チームに加わって実験をした。チームリーダーの木下一彦さん(慶應義塾大学理工学部数授)によれば、「結ぶべたら楽しいだろうな、といって始めました。そんなことしてなんになる、という人もいましたが、そもそも簡単なことではないのです。分子のひもを最初に結んだ人間になろう、と。これはチャレンジというかバイオニア精神ですね。結べてみると、いろいろな使い道が見えてくる。たとえば、DNAの遺伝情報を読み出すかどうかを決めるスイッチの役目をする分子は、DNAフう音曲がったところに結合しやすいと考えられています。そこで、DNAを結んであらかじめ曲げておけば、本当にそうなのか調べられます。 スイッチ次第で同じ細胞が神経になったり筋肉になったりしますから、スイッチ機構の研究は大切です。もっと面白そうなのは、DNAはアクチンと違って結んでもそう簡単に切れないので、DNAを文字通りひもとして使おうというものです。細胞を縛ってくびらせたり、ほかのひも状分子を束ねたり、ミクロの道具にするのです。 荒井君は是非これをやりたいといっていたのですが、残念ながら今春卒業してしまいました。」
 研究チームの合い言葉は、「生きた分子1個を見ていじる」こと。分子1個でできた、効率100%近くで働く回転ステッバーモーターが体の中にあることを示したのもこのチームだ。 このちっぽけなモーターを顕微鏡の下で無理矢理逆回転させてみようという伊藤博康研究員(浜松ホトニクス筑波研究所)、DNAの上を滑りながら情報を読みとるリニアーモーター分子の動きを直接見て仕組みを解き明かそうという原田慶恵専任講師(慶應義塾大学理工学部)らに率いられて、目指すのは「一分子生理学」。たんばく質でできた、たった一分子で働く「分子機械」の動きを、顕微鏡の下で直接見て、さらに光ピンセットなどによりいじってみて、働く仕組みの解明を目指す。

[連続写真の説明]
 1本のDNA分子を績ぷ手順。写真の上側は、説明のための模式図。DNAのひもを交差させるとき(3.5,7)は、つまんだ両端以外の部分を紙面の向こう側ないし手前にずらせるため、ピントがぽける。右下の白線の長さは百分の1ミリメートル。 写真の DNAはかなり太いひもに見えるが、これは顕微鏡の分解能が足りないためで、実際はこのスケールでは見えないくらい細い。

(木下 一彦教授 記)


This page updated on June 16, 1999

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