研究課題別研究評価


研究課題名: 「心の内」を計測する
―体性感覚と視覚の統合による心的身体イメージの生成と操作の脳内メカニズム―
研究者名: 入来 篤史
研究の狙い:  従来の脳科学で神経回路の働きを調べるときには、目で見たものや耳で聞いた音、あるいは手の動かし方など、物理的に計測できる外界の現象とニューロンの活動との相関関係を調べる方法が一般的だった。従って、人間など知性の高い動物が頭の中だけで考えを思い巡らせ、知的な活動を行っているときの神経回路網の働きは、自然科学の対象ではなく、心理学や哲学の問題と考えられてきた。そこでこの点のブレークスルーを目指し、サルを訓練して道具を使うという様な人に近い知的な行為を行なわせ、そのとき何を思い何を考えながら道具を使っているのかを神経活動として観測することを思いついた。道具を使うとき、それは物理的・機能的に手の延長となって身体に同化し、身体イメージが変化する。ここには、「自己と周囲の空間の関係を認識し、これを機能に基づいて意識的に再構造化し操作する」という柔軟で洞察的な『心の内』の過程が想定される。本研究では、この様な身体イメージの心的操作過程に対応した神経活動を物理現象として計測することを通して、ヒトの知性の脳内メカニズムの解明に挑戦することをねらった。
研究結果及び自己評価:  大脳皮質頭頂葉後方下部領域では、中心後回を後方に向かって逐次階層的に処理の進んできた体性感覚情報と、視覚背側経路を前方に向かって処理されてきた空間視情報とが統合される。サルのこの脳領域から、体性感覚と視覚の両方の刺激に反応するニューロンの活動を記録し、その体性感覚受容野(触・圧刺激がそのニューロンを活動させる体の部位)と視覚受容野(空間走査用のプローブがそのニューロンを活動させる空間の範囲)を同定した。これらのニューロンでは、視覚受容野は体性感覚受容野を包囲する空間に存在し(図A,B)、体を動かすと視覚受容野もそれに追従するので、二つの感覚種を統合して空間内における身体のイメージをコードしていると解釈される。
 サルが熊手状の道具を使って遠くの餌をとる時には、手の周囲に限局していた視覚受容野は道具に沿って延長し(C)、道具使用中止後には道具を手に持っているにも拘わらず再び縮小した(D)。この変化は、サルが道具を使用しようとする意図に関連してひきおこされた。これは、道具使用時に身体イメージが変化して道具が手に同化する心理学的経験に対応する神経生理学的現象を計測したものと解釈される。

体性感覚と視覚を統合して手のイメージをコードする大脳皮質頭頂間溝前壁部ニューロン受容野特性の道具使用に伴う変化.手掌の体性感覚受容野 (A; 陰影部) を包含する視覚受容野 (B; 陰影部、以下同様) は、道具使用時には道具に沿って拡大し、使用中止後には再び縮小した (D)。

 本研究開始時点では、「道具使用」は類人猿より高等な霊長類(これらの動物でニューロン活動を記録することは不可能である)に特有の機能とするのが普通で、それをニホンザルに訓練する試みは大きな冒険であった。この様なリスクの高い実験に挑戦出来たのは「さきがけ研究21」の趣旨に負うところが大きく、『はらはら・どきどき』する研究の醍醐味を味わうことが出来たことに心から感謝している。その一方で、(実際には不必要であったが)この挑戦が不成功であった場合の、撤退時期の判断基準の設定や代替計画の立案に甘さがあったかもしれないと反省している。
 道具使用の根底には、物事を象徴化し自在に操作する能力が想定されるので、この研究を発展延長した先には、言語活動を通した形而上学的な思考などのさらに高度な知性を、科学的実験の対象にし得る可能性が開けて来ることを期待している。また、今回明らかになった特徴的なニューロン活動は、学習や訓練によって形成されるものなので、訓練期間中にこの脳領域起こっている物質過程を調べれば、今回「物理現象として観測」することが出来た『心の内』ひいては『人の知性』を、分子レベルで「生物現象として説明」することも夢ではないと考え、現在研究を展開している。

主な論文等:
1. Iriki A.,Tanaka M, Iwamura Y,:Attention-induced neuronal activity in the monkey somatosensory cortex revealed by pupillometrics. Neurosci. Res.25:173-181,1996
2. Iriki A.,Tanaka M, Iwamura Y:Coding of modified body schema during tool use by macaque postcentral neurons. Neuroreport 7:2325-2330,1996
3. 入来篤史(1998)サルの道具使用と身体像、神経進歩、42、98-105

This page updated on September 1, 1999

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