研究最前線

睡眠障害の謎を解く

脳内物質が睡眠と覚醒を制御。マウス実験で確認
顔写真 柳沢 正史
(やなぎさわ まさし)
(米国テキサス大学サウスウエスタン医学センター教授)
創造科学技術推進事業「柳沢オーファン受容体プロジェクト」総括責任者
まっ昼間に突然睡魔に襲われてぐっすりと眠り込む。そんな睡眠障害を「ナルコレプシー」と言います。米国テキサス大学の柳沢正史教授らは、その原因が脳内のタンパク質「オレキシン」の欠乏であることを突き止め、オレキシンを欠損させたり補充したりすると睡眠と覚醒を制御でき、ナルコレプシーをオレキシンで改善できることを動物実験で確かめました。この成果は、ナルコレプシーの治療だけではなく、時差ぼけの改善や不眠症などの治療にも役立つと期待されています。
ねらいと背景
あれ?マウスが「ナルコレプシー」に!!
 脳内タンパク質のオレキシンは、神経細胞から次の神経細胞へと情報を伝える役目をする、いわゆる神経伝達物質の一種です。柳沢教授らの研究グループは、世界各国の研究協力によって解読された各種の遺伝子の暗号配列情報(ゲノム解読情報)を手掛かりに、1998年、それまで未知だった神経伝達物質の存在を突き止め、それを「オレキシン」と名付けました。
 発見当初、オレキシンは食欲(摂取行動)を促す物質と考えられていましたが、オレキシンを作る遺伝子を破壊したマウス(オレキシン神経細胞欠損マウス)をつくって観察していたところ、思わぬ現象が見つかったのです。オレキシンを欠いたマウスは、確かに食事量が減るのですが、それと同時に突然眠り込む“睡眠発作”を繰り返しました。オレキシンを作る遺伝子が脳細胞に欠けていると、ナルコレプシーになることが偶然見つかったのです。99年のことで、そこから睡眠に関する研究が本格化しました。
ナルコレプシー症状を起こすオレキシン神経細胞欠損マウス(左)。
右は正常マウス

ナルコレプシー症状を起こすオレキシン神経細胞欠損マウス(左)。右は正常マウス

内容と特徴
脳の睡眠中枢に科学のメス。睡眠発作が解消
 柳沢教授らは、今回次のような実験を行って、ナルコレプシーとオレキシンに関する理論を発展させました。まず、遺伝子操作で作ったオレキシン神経細胞欠損マウスに、新たにオレキシン遺伝子を導入し、脳内でオレキシンを作れるようにしました。すると、ナルコレプシーの症状は現れず、異常な脳波も見られなくなりました。
 次に、オレキシン神経細胞欠損マウスの脳内にオレキシンを直接注射してみました。すると同様に、ナルコレプシーの症状が消失し、覚醒している時の状態にも改善が見られました。注射したオレキシンの覚醒作用が消失した後、それまでよりかえって眠くなるリバウンド睡眠も見られませんでした。
 これらの実験を通してオレキシンがナルコレプシーという睡眠障害を改善することを確認しました。
 こうした一連の発見は、睡眠制御のメカニズムの根幹に関わる成果と言えます。何種類かの睡眠薬があるように、睡眠に関わりのある物質は言うまでもなくオレキシンだけではありません。しかし、今回の成果が特に注目されているのは、オレキシンが睡眠をコントロールしている脳の中枢部分(視床下部と呼ばれている部位)で作られている物質だからです。脳の睡眠中枢のメカニズムに初めて科学のメスが加えられたわけです。研究グループは、オレキシンがナルコレプシーだけではなく、他の睡眠障害や時差ぼけなどにも関係している可能性があると推測しています。
マウスの脳の断面写真。白い斑点の部分がオレキシン産生神経細胞
マウスの脳の断面写真。白い斑点の部分がオレキシン産生神経細胞

展望
睡眠障害の治療法確立に期待
 今後の関心事は、治療薬の開発ですが、そう簡単なことではなさそうです。確かにオレキシンでナルコレプシーが改善することは分かりましたが、今回の動物実験のように、脳神経細胞の遺伝子を組換えたり、脳に直接注射針を射してオレキシンを送りこむといったことは人にはできません。オレキシンと同様な働きのある飲み薬か注射薬などを作る必要があります。オレキシン産生細胞を脳に移植するという方法も無いわけではありませんが、いずれにしても多くの研究開発と安全性の確認が求められます。
 睡眠に関する脳中枢のメカニズムが今回科学的に分かったことで、基礎的知見の応用研究開発に弾みがつき、近い将来治療技術が確立されることが期待されます。
 ひどい時差ぼけでナルコレプシーと同様、昼間に激しい睡魔に襲われ、仕事に支障を来したりしたサラリーマンやOLも少なくないでしょう。治療法の早期実現が期待されます。
研究者のコメント
「私たちがオレキシンを発見した方法は、最近、『逆行性薬理学』とか、『逆行性内分泌学』と呼ばれています。従来は、ある種の生理活性機能などを手掛かりに、例えばホルモンを特定し、ホルモンをキャッチする細胞表面のタンパク質(受容体という)と、その遺伝子構造を解明する、という手順を一般に踏んでいました。ところが、今回はそれとは逆に、解読されたさまざまな遺伝子情報(ゲノム情報)から推定された未知の受容体を出発点として、そこに結合する新しい物質を見つけ出しました。オレキシンの発見は、新手法による世界初の成果で、今やこの方法が世界の主流になっています。この研究をさらに推し進めて、新たな成果を出したいと考えています」
柳沢オーファン受容体プロジェクトホームページ:http://www.jst.go.jp/erato/project/yoj_P/yoj_P-j.html

→戻る