研究最前線

ハエを使い、老化による記憶障害の仕組みを解明

“老人ボケ”の予防、治療法の確立に光明
顔写真 齊藤 実
(さいとう みのる)
(東京都医学研究機構東京都神経科学総合研究所
機能研究系分子神経生理研究部門主任研究員)
戦略的創造研究推進事業 研究領域「タイムシグナルと制御」研究者
ヒトは80歳を超えると2人に1人が学習記憶障害、いわゆる「老人ボケ」になるといわれています。東京都神経科学総合研究所の齊藤実主任研究員は、この老化による学習記憶障害が、ショウジョウバエにも起きることを初めて突き止めました。ヒトとショウジョウバエの遺伝子には共通するものが多く、老人ボケのメカニズム解明やその予防、治療法の確立につながることが期待される研究です。
ねらいと背景
定説を覆す
 加齢に伴う学習や記憶能力の低下は、これまでにもマウスやサルを使った研究が進められてきましたが、神経の働きを調べることが中心で、遺伝子レベルで解き明かそうという試みはほとんどありませんでした。マウスやサルは、老化に時間がかかるうえに、遺伝子操作で変異体を作って調べる手法をサルに使うには問題があります。これに対して、ショウジョウバエは、代表的な遺伝学の実験材料であり、遺伝子に関する知見の蓄積も極めて豊富です。寿命は、4 0日ほどで、20日を過ぎると老化の傾向が現れます。約1万の遺伝子を持っていて、その80%がヒトと共通であることが分かっています。
 記憶の種類には、「短期記憶」「中期記憶」「麻酔耐性記憶」「長期記憶」※1の四つがあるといわれていますが、従来、老人ボケは、そのすべてが衰えることによって生じると考えられてきました。齊藤主任研究員は、これを覆し、老人ボケは中期記憶のみが障害を受けることによって生じ、「アムネジアック」」※2と呼ばれる遺伝子が関係していることを初めて明らかにしました。このアムネジアック遺伝子の変異体をつくって、学習記憶障害のメカニズム解明に取り組んでいます。

※1:短期記憶=電話を掛けるときに電話番号を覚えるようなごく短い記憶、中期記憶=買い物に行くときのような数時間覚えている記憶、麻酔耐性記憶=受験のための一夜漬けのような記憶、長期記憶=両親の顔かたちのような一生認識している記憶。
※2:記憶喪失の意味。
記憶は色々な記憶成分の集まり
記憶は色々な記憶成分の集まり
内容と特徴
ハエも老いるとボケる
 アムネジアック遺伝子は、神経伝達物質の神経ペプチド(アミノ酸のつながったもの)をつくります。神経ペプチドは、DPM細胞※3と呼ばれる神経細胞の中でつくられて、学習記憶にとって大事な組織であるキノコ体※4に放出され、ホルモンと同じような第一次メッセンジャー(刺激)として働きます。齊藤主任研究員は「これから先は、まだ詳しいことは分かっていませんが、第一次メッセンジャーの情報を第二次メッセンジャーのcAMP(冠状アデノシン一リン酸)が受け取って、PKAという酵素※5を活性化させます。それによって細胞のタンパク質がリン酸化し、中期記憶が形成されるのではないかと予想しています。リン酸化は、いろいろなタンパク質の機能を発現させる重要な働きです」と話しています。
 ショウジョウバエの学習記憶テストは、100匹のハエをトレーニングチャンバーに入れて調べました。最初に、ある匂いをかがせ、電気ショックを与えます。次に別の匂いをかがせますが、このときは電気ショックは与えません。その後、二つの匂いを同時にかがせて、反応を見ます。記憶が残っていれば、ハエは第2の匂いの方に集まるはずです。若いハエは、ほとんど第2の匂いの方に集まりましたが、年老いたハエでは半数近くが電気ショックのある方に向かいました。しかし、若くてもアムネジアック変異体のハエは、老いたハエと同じような行動を取りました。

※3:ドーザル・ペアード・メディアル細胞(神経節背側部中央の一対の細胞)。
※4:昆虫の前大脳の一部で、神経繊維で構成される密集糸球体(ニューロパイル)
※5:プロテイン・キナーゼA(cAMP依存性リン酸化酵素)。
ハエも老いるとボケる

ハエも老いるとボケる

ビンの中で飼育中のショウジョウバエ
ビンの中で飼育中のショウジョウバエ
展望
マウス使い、ヒトに近いレベルの実験を計画
 齊藤主任研究員は、寿命と学習記憶障害の関係をさらに突っ込んで探究する計画です。肉体的な老化と頭脳の老化には、別のメカニズムが働いている可能性が読みとれるからです。
 また、物事を覚えるメカニズムを詳しく調べることにしています。物を覚える仕組みを解明できなければ、物忘れのメカニズムも分からないからです。そのうえで、より人間に近いマウスを使って実験することを考えています。「マウスの実験は、時間が掛かりますから、ショウジョウバエで大事な遺伝子を徹底的に見つけ出しておくことが、時間や研究費の節約になります。マウスの実験で経験に富むグループとの共同研究や会社組織で研究することも考えています」
研究者のコメント
「米国のコールド・スプリング・ハーバー研究所で研究していたことがありますが、欧米の有力研究所と同じことをやっていても勝ち目はありません。すき間を狙ったのが、老人ボケというテーマでした。一本立ちし、自分自身のアイデアで始めた最初のプロジェクトです。スタートでつまずくと、後々たいへんですが、効果が出てラッキーでした。反面、装置もなければ協力者もいないという状態で苦労しましたが、誰もやらないことをやる面白さを感じました」

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