生物型飛行の力学シミュレータの開発
千葉大学 工学部 電子機械工学科 劉浩 教授
 
 近年、人間が作業することが困難な極限環境での応用が期待されているサイズ15cm以下、 総重量50g以下の小型無人飛行体(MAV:Micro Air Vehicle)の研究開発が盛んに行われています。そのため、生物学や力学、 計算工学や生物模擬工学などを専攻する多くの研究者が飛翔生物からその設計指針を見出そうと、昆虫や鳥の羽ばたき飛行の原理解明を急いでいます。

 蛾や蝿などの昆虫は、空中で静止飛行したり急旋回したり、突風の中を悠々と飛び抜けても決して墜ちません。 一方、飛行機はどんなに優れた安全制御システムを備えたでも、一旦失速すると直ちに墜落してしまいます。人は空気力学の様々な理論を蓄積して、 ジャンボジェット機やステルス戦闘機を設計できるようになりましたが、 従来の理論では、生物飛行の特技と言うべき急旋回のようなアクロバットの自由飛行については殆ど解明できていません。

 これまでに昆虫の飛行に関するメカニズムの研究については、 昆虫はばたきロボットを用いて模型翼まわりの流れ場と模型翼に働く力を計測したりして行われてきました。 しかし、このような実験は、実際の昆虫よりもずっと大きな相似模型を用いて静止飛行に限定して行われてきましたが、 このような方法では昆虫羽の弾性変形や間勢力を完全に無視してしまうため、実際の昆虫飛行とは本質的な違いが生じていました。

 戦略的創造研究推進事業のさきがけ「シミュレーション技術の革新と実用化基盤の構築」領域における劉教授のプロジェクトでは、 生物の羽ばたき飛行を厳密な幾何学、運動学および力学のモデルに基づき、静止飛行、前進飛行および急旋回のような自由飛行をコンピュータの中に再現できるシミュレータを構築することを最大な目標とし、 生物の羽ばたき飛行における力の発生メカニズムを明らかにするシミュレータの開発に乗り出しました

 研究対象に蛾(5cm)、蝿(3mm)、アザミウマ(1mm)を選んで、 理化学研究所・情報基盤センターの3次元内部構造顕微鏡装置を用いて、ミクロンオーダーの精度で対象物の形状および内部構造データを高精度に取得し、 3次元立体像を構築しました。また、昆虫の羽、胴体および内部構造のディジタイジング、2次元断層画像処理および自動輪郭抽出、3次元幾何学形状モデリング、 計算格子生成などの諸手法を確立し、幾何学モデル構築の過程を効率化したシミュレータの開発に成功しました。このシミュレータを用いると、 羽・胴体の3次元形状だけでなく、慣性や慣性モーメントの計算に必要な羽の厚みや翅脈分布などをも正確に計算できるようになりました。

図1 蛾 蝿、アザミウマの静止飛行の渦流れの様相


 さらに、昆虫自由飛行時の2枚はねの対称羽ばたき運動や胴体の運動姿勢( ローリング、ピッチング、ヨーイング)をマルチボディ動力学理論に用いて運動量かつ各運動量の保存性を考慮した、数値解析手法とプログラムを開発しました。 このプログラムの特徴は、昆虫の2枚羽と胴体を弾性変形可能なマルチボディとして取り扱えることです。 この手法により、急旋回のような非対称な羽ばたきをこなせる自由飛行を詳細に模擬することができるようになりました。 さらに、羽ばたき翅と胴体まわりの複雑な渦流れを解析可能とする、スパコンを用いた大規模な力学シミュレーションを行い、 昆虫自由飛行における流体力と慣性力の役割を定量的に評価できるシステムを開発しました。

図2 スズメ蛾の滑空飛行、静止飛行、および直進飛行時の流れの様相


 サイズが5cmから1mmにいたる昆虫羽ばたき飛行については、サイズに関係なく、巧みに非定常渦を発生させ、 大きな揚力と推力を作り出せるメカニズムが明らかになりました。昆虫体長が2〜3mmまでは、羽と胴体の形態や羽ばたき運動とは関係なく、 似たような力発生原理が働いていることが分かりましたが、2mm前後では力学的遷移領域の存在が明らかとなりました。 1mmくらいの昆虫は膜翼にて既に飛べなくなり、その代わりに毛翼が有効であることがわかりました。

 このシミュレータを開発したことで、昆虫飛行時の力の発生メカニズムに関わる前縁渦の効果、回転効果、および後流捕獲など、 生物飛行に潜んでいるまったく斬新な力学現象や生物の自由飛行メカニズムの解明がはじめて可能となりました。 今後、鳥や昆虫サイズのマイクロ飛翔体の開発において、画期的な設計方針を提供できることが大いに期待されます。